【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

日本人の郷愁を誘う中国・雲南の少数民族の宗教儀礼

荒木 重雄


 中国南西部の雲南地方から長江流域・台湾を経て西南日本に至る一帯は、「照葉樹林」とよばれる常緑広葉樹の繁茂を特徴とする生態環境で、ここには焼畑農業、モチ食、麹酒・納豆など発酵食品、漆器、歌垣、お歯黒・入れ墨など、文化面でも共通するものが多いといわれる。すなわち、日本の基層文化を構成する大きな要素の一つは雲南を起源とするのではないかというのである。
 その雲南地方は、中国の55の少数民族の内、26民族が住まう少数民族の宝庫である。かれらの生活文化や信仰は、今なお私たちの心に届くものがあるのだろうか。また、どう違うのだろうか。旧盆から秋彼岸にかけて、ふと、古き佳きものに心惹かれる季節、次号に亘って、関連書籍なども手引きに誌上探訪してみよう。

◆◆ 雲南を代表するペー族、ナシ族

 連なり重なる山々と谷を穿つ渓流。斜面を彩る段々畑と点在する茅葺き屋根の小集落。蕭条と広がる湖水や水田。雲南の景観はどちらを見ても日本人には郷愁に似た既視感を抱かせる。

 そんな雲南のほぼ中央に位置する大理。大理三塔で有名なこの地は、8世紀から13世紀まで、南詔国つづいて大理国という少数民族の王国が都を置いて雲南全体を治めていた。その栄光ある民族がペー族(白族)である。
 雲南省大理を中心に人口約160万人。チベット・ビルマ語族の言語を話す民族で、仏教徒がほとんどだが道教の影響も強く、民族固有の宗教に道教と仏教の要素が混淆した「本主(ベンジュウ)」信仰が特徴的で、各村落にはそれぞれ村で異なる守護神「本主」像を祀る小堂が建てられている。

 仏教系の祭りでは、春、大理郊外の蒼山の麓の三つの寺を、彩豊かな民族衣装に身を包んだ住民が太鼓や笛で囃しながら踊り、歌い、読経して巡る「繞三霊(ラオサンリン)」が有名だが、「本主」信仰を特徴づける祭りは夏の「火把節(フオバージエ)」である。前者が農作業開始の豊年祈願であるのに対し、後者は農作物を虫害から守る「虫送り」の「たいまつ祭り」である。

 「火把節」では、「本主」を祀る小堂の前に立てた大たいまつの下で、音色・奏法とも津軽三味線に似た三弦の伴奏で歌われる語りに合わせ、「覇王鞭(バワンビエン)」とよばれる、鳴り物をつけた1メートル足らずの木の棒を自分の身体や地面に打ちつけて踊る踊りがおもである。
 さらにペー族特有の節回しの歌の掛け合いや、漢族風の衣装・伴奏楽器の雲南劇が奉納されることもある。雲南で信仰は祭りとともにあり、祭りで表出されるのである。

 大理と並ぶ古都として観光客に人気の高い麗江の周辺に住むナシ族(納西族)は、人口約27万人。チベット・ビルマ語族の民族だが、固有の象形文字「トンパ文字」をもつことや、かつては母系制で、「アチュウ婚」とよばれる、男性が女性のもとに通う「妻問い婚」で知られていた。
 動物や植物、神々や悪鬼などを象ったトンパ文字は、一般に使われたのではなく、「トンパ」よばれる呪術師が儀礼にさいして詠唱する経典「トンパ経」を記す文字である。現在でもトンパは、顧客の求めに応じて、松の小枝をくすぶらせた白煙の中で、頭に五葉の菩薩画の被り物をつけ、振り太鼓を鳴らしながら踊って、病気や災厄を除く。春、麗江郊外の玉龍雪山に玉峰寺を詣で、夏、獅子山の麓に集ってピクニックがてらの読経をするのも、ナシ族の人々の信仰である。

◆◆ 口寄せ・虫送り・祖先供養

 総人口約657万のイ族(彝族)は雲南省内でも少数民族中最大の人口を誇り、ペー族、ナシ族の居住地を囲むように広範囲に住む。チベット・ビルマ語系の言葉を話し、独自な象形文字をもつ。かつては武勇を誇り固有の身分社会で知られていた。地域的な差異はあるが、イ族の信仰を代表するのは、「ピモ」とよばれる呪術師がトランス状態で祖先の霊を呼び出してする厄払いや病気治し、豊作祈願の儀礼と、「火把節」である。

 「火把節」はペー族のもの同様、「虫送り」に由来する行事である。イ族ではかなりイベント化していて、昼間、広場に屋台が立ち並び、草競馬や牛の角突き、レスリングで住民が大いに盛り上がって、日が暮れると、家々からたいまつをかざした人々が繰り出して村中を練り歩き、やがて広場で一か所に集めた火を囲んだ踊りに移り、賑やかな太鼓と笛と甲高い歌声が夜半まで響く。

 ペー族とナシ族に挟まれるようにして住むプミ族(普米族)は僅か2万9千人。チベット・ビルマ語系の言葉を話し、チベット仏教とボン教が習合した原始宗教をもつとされるが、その先祖供養を、市川捷護・市橋雄二著『中国55の少数民族を訪ねて』(白水社刊)に沿って見てみよう。

 三日間続く儀礼は初日、死者の霊を迎えるところから始まる。生前住んでいた部屋に祭壇を設け、生前着ていた服を吊るしたりして準備する。表では男たちが馬と鹿、童子と童女の張りぼてをかつぎ回って霊を招く。別室では親族たちが円座して、死者を偲ぶ歌を低い節回しで延々と歌い続ける。やがて「泣き女」が登場して悲しみは倍増する。

 親族が死者の霊と過ごした三日目、家の前に小さな板で作った橋と料理を並べた小机が設けられ、長老たちが共に飲食して霊との別れを惜しんだあと、死者が冥界で使う紙銭や、儀礼に使われた張りぼてなどを燃やし、家から斜面を下って降りた小川のへりに線香を供えて、最後の別れをする。

 さて、こう見てくると、読者は、故郷の盆の行事を思い起こされたのではないだろうか。さらには懐かしい郷土の虫送りや巫者の儀礼にも思いが及んだのではないだろうか。
 次回は雲南省南端の西双子版納(シーサンパンナ)の少数民族を見よう。

 (元桜美林大学教授)

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