映画「約束」の語るもの

【エッセー】

映画「約束」の語るもの            高沢 英子

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 3月始め、私と娘は渋谷の小さな映画館「ユーロスペース」で、映画を見た。
題名は「約束」。副題に―名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯―とある。

 内容は、東海テレビ取材班が、真犯人として死刑判決が確定している人物に密
着し、事件捜査の経緯を丹念に追った、半世紀に亙るドキュメンタリー映画で、
死刑囚、奥西勝に扮したのは、仲代達矢であり、終生息子の無実を信じ支え続け
た母親役は、樹木希林、監督は斉藤潤一。いづれも好演であった。

 話は1978年に遡る。東海テレビの技術局で、ドキュメンタリーの取材や撮影に
携わっていた門脇康郎記者が、1972年、最高裁において真犯人と確定され、死刑
判決を受けた奥西勝という人物の判決文を読んで、疑問を抱き、独自に真犯人解
明の取材活動を始めた。

 かれは休日を利用して事件の舞台となった三重県名張市の村落にたびたび足を
運び、関係者を中心に、のべ百数十人に及ぶ聞き取り調査を行っている。そして
これが発端となり、東海テレビ局が多年こつこつ集めた資料は膨大なものとなる。
それらは、これまで東海テレビ局に保管されていたが、今回それをもとに、この
映画が製作された、という。

 話は1930年代に遡る。わたしの少女時代、伊賀の実家の分家にチイちゃんと呼
ばれている女の子がいた。もと実家の番頭だったひとの娘で、隣り合わせに家が
あり、私より四歳ばかり年上で、りんごみたいに丸くて大きな赤い頬をし、くり
くりした瞳がいつも生き生き輝いている野球好きで、男の子のような気性の活発
な大柄な少女だった。冬になるとスカートから出ている脚に、靴下の上から赤い
別珍足袋を穿き、足指で、紐を巧みに捌きながら独楽を回すのが滅法うまかった。

 念願の女学校に入って間もなく、父親が突然死んでしまい、彼女は退学を余儀
なくされるが、間もなく立ち直った彼女は、高等科を卒業すると、上野の町の電
話局で電話の交換手になり、未だ幼い弟を抱えて途方にくれている母親を助けて
働き始めたが、いつしかロマンテイックな夢を追う娘に成長した。そして、つぎ
つぎいろんな相手に淡い恋をする。

 相手は年上の女の人だったり、サーカスで町にやってきた若者だったり、町に
疎開してきていた浄瑠璃の大夫の内弟子になった青年だったり、さまざまだった
が、かれらに出すラブレターを代筆するのが、わたしの役目だった。夜更け、家
人も寝静まった大きな古い平家の屋根裏にあるわたしの勉強部屋に、チイちゃん
は度々やってきて、遅くまで、憧れの彼のことを、あれこれ語っては、私に書か
せる手紙の文面に、こまごまと注文をつけるのだった。

 最後の締めくくりは、自分がいかに楚々としてたおやかな娘であるかをアピ―
ルするために、差出人の名前は、必ず露子でなくてはならなかった。私は彼女が
が夢見ている自分像と現実に目の前にいる肥った赤い頬とのあいだに少なからぬ
ギャップを感じつつ、彼女の一途な思いに押し切られ、女学校入りたての経験ゼ
ロの小娘の分際で、濫読している本の中から文言をかき集め、一所懸命知恵を絞
って名文?をひねり出したのである。

 ともあれ、最後に彼女が恋に落ちた相手は、町から程近い奈良県山添村の青年
で、近在の地区に唯一つの電話局に勤める青年だった。おそらく職員が一人とい
った職場で、交換手も務めていたのだろう、お互いに夜勤の時、電話で存分に話
が出来るとあって、ラブレターは必要なく、わたしは彼女から、声による恋の駆
け引きの顛末を散々聞かされた。

 青年は温和な声が優しく、彼女の気持ちをよく理解し、情熱的に甘い言葉を囁
き、頭もよさそう、といい、当時のことゆえ互いに会うことなく、写真を交換し
たりして、いい男に見えたらしい(チイちゃんは、実はなかなか面食いだったの
である)すっかりのぼせあがり、とうとうその村に嫁いでいった。

 戦後間もない頃のことである。嫁ぎ先の村は、奈良県とはいえ、まるで離れ島
のように、三重県側に食い込んで、伊賀上野に隣接している、万葉以来の大変古
い歴史を持っている山深い村落で、それだけに、長年築き上げた懐の深い人間関
係で互いにしっかり結ばれて、よそ者にはきびしいところでもあった。

 夢いっぱいで嫁いで行ったチイちゃんに、子供も生まれたが、現実は、彼女の
理想とはあまりにもかけ離れていた。優しいロマンチストと見えた夫は、ただの
軟弱で好色な百姓男に過ぎないと思い知り、舅姑もいる農家の嫁として、かなり
波乱もあった。

 田舎とはいえ、一応町なか育ちのチイちゃんには、納得しがたいこともどっさ
りあったが、持ち前の負けん気と、気丈さと、体力で乗り越え、畑仕事にも馴れ、
現金収入の手段として、大手乳業と契約を結んで、乳牛の飼育もはじめた、と元
気よく話して、田舎暮らしのよさを語る言葉のはしばしに自信を覗かせ、いつし
か村の若いお嫁さんたちにも溶け込んで、すこしづつリーダー的存在となってい
る様子が窺えた。生活改善クラブを作って頑張っている、というような話も聞い
た。子供たちも順調に育ち、家庭の中でも徐々に根を据えている様子だった。

 さて、1961年、春まだ浅い3月28日、目と鼻の先の名張市葛尾地区の公民館で、
事件は起こった。先にも書いたように、この地区に、生活改善と親睦を図る目的
で、「三奈の会」ができたのは、そう古いことではない。葛尾地区は三重県名張
市と奈良県山添村にわたっていて、名張市側の葛尾は戸数二十五戸ばかりの村落
だった。

 そして、この名張側で、男女合わせて30名ほどからなる会の親睦会の席上で、
何者かが、ぶどう酒に猛毒の農薬を混入させ、それを飲んだ女性会員のうち5名
までが、苦悶の末絶命するというう、前代未聞の大惨事が起こったのである。幸
いチイちゃんはその場にいなかったので、こと無きを得た。

 事件の顛末と、裁判の行方について、わたしは無関心でいられなかった。そし
て、チイちゃんから日頃聞いていたことなどを考え合わせても、犯人が、彼女た
ちの夫の一人だという判決自体、どうしても信じられなかったのである。

 わたしはそのころ大阪近郊に住んでいたが、しばらくして、チイちゃんに連絡
をとって、会うことにした。村はずれまで、バイクを飛ばして駆けつけたチイち
ゃんは、事件の話になると、血相を変え、吐き捨てるように断言した「あんなも
んあいつ(奥西勝)がやったに決まってる!村のもんはみんなそうゆう意見や!」

 歳月は人を変える、わたしは一瞬そう思った。環境の力ほどおそろしいものは
ない、と。わたしはチイちゃんをじっと見詰めた。チイちゃんの目にうっすらと
泪が浮かんだ。働き盛りの主婦たちばかり5人もの命が奪われたのである。チイ
ちゃんが親しくしていた女性もいたに違いない。あの日、いったい、いかなる情
念の嵐がこの静かな山村に吹き荒れたのだろうか。

 2010年チイちゃんは84歳で世を去った。当時を知る村人の多くは高齢化し、事
件はいまや風化しかかっている。奥西家の先祖代々の墓石は、村から放り出され、
よその土地に移された。ひとりの人間を、人身御供として出すことで、村は以前
の平穏を取戻し、悲しみを封じ込めたのである。

 タイトルの「約束」という言葉については、どこにもはっきりした解説は見ら
れないが、映画の中で、死刑囚本人が何度もそれを口にする。
 約束を果せない、また逆に果してもらえない、ということは人間同士の信頼関
係を根本から揺るがせる最も辛く不快なことのひとつであり、あってはならない
と思う。

 だが、死刑判決というような事態では、これはさらに信じ難いほど切実な問題
だ。奥西勝は、自分を信じてくれる母親に、無実を晴らしてきっと帰る、と約束
し、支援者や弁護人に一縷の望みを託し「必ず無実を認めさせ、無罪判決を貰っ
てください。約束ですよ!」と繰り返すのである。人間対人間の枠を超えた、社
会に対する信頼に基づいた約束を、信じ続けて生きているのである。

 半世紀にわたって、法の正義を信じては、裏切られ続けながら、今なお、法に
よる正しい裁きを待望し、信じ続けている、奥西勝の強さは、いずこから湧き出
るのだろうか? 事件後51年の間に7回に及んで繰り返された再審請求棄却。奥
西勝は既に87歳。癌を病み現在八王子医療刑務所で、今も無実を訴え続けている。
 この日本で、司法の正義は、真実は、果たしていずこにあるのか?

 映画は、かずかずの貴重な証言を提示しながら、見るものに、それを重たく問
いかけてくる。ひととはいったいなになのか? ひとのいのちの重さは、そして
その生涯は、なにをもってはかられるのであろうか?

 <独房の半世紀-“あなたはその時間を想像することが出来ますか”>配られた
チラシの問いが、いまも私の心にずしりと響く。

 (筆者は東京都在住・エッセースト)
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