【コラム】大原雄の『流儀』

映画批評『共犯者たち』~ふたりの大統領の犯罪~

大原 雄

★「共犯者」とは、なにか

 韓国映画『共犯者たち』で描き出される「共犯者」とは、なにか(以下、基本的に敬称略)。この映画では、主役(主犯)は、脇に回り、脇役(共犯)がクローズアップされる。芝居なら、脇役が描ければ、その芝居は、奥行きが深くなる。韓国のマスメディアでクローズアップされた共犯たちの姿は、日本のマスメディアを逆照射する。

 韓国では2008年から2018年までの10年間、2代にわたる大統領(ふたり合わせた任期は、08年2月から16年12月まで)の強権により、テレビ局の報道現場に国家が介入し、番組を潰し、キャスターを降板させ、プロデューサーやディレクターなどの番組スタッフを懲戒・解雇して、国民の知る権利に担保された言論・報道の自由、特に、放送の自由が奪われた。映画が描く「主犯」とは、ふたりの大統領:李明博(イ・ミョンバク、17代)・朴槿恵(パク・クネ、18代)であった。
 そして、共犯とは、国家権力が送り込んできた「落下傘」(天下り)社長たち。あるいは、テレビ局内にいて、政治部の記者やディレクター経験のある報道局育ちの中から、いち早く、空気を読んで国家権力にすり寄って行った「生え抜き」の社長たち、あるいは、社長予備軍の上昇志向の強い幹部連中のことである。特に、局内育ちの「生え抜き」の社長は、タチが悪い。これは、日本でも同じ。例えば、映画『共犯者たち』で描き出される「生え抜き」社長では、このタイプで典型的な人物が、MBC(「文化放送」。公益財団放送文化振興会が大株主となっている準公営の放送局。受信料は取らず、広告費などの収入で経営している) 、KBS(「韓国放送公社」。国営放送。受信料を電気代に上乗せして徴収する)とも、それぞれひとりいるのが判る。

 MBCでは、2012年1月、李明博大統領の時代、労組が当時の落下傘(天下り)社長退陣と公営放送の正常化を求めて、170日間のストライキをした。この時、6人の社員が解雇され、157人が懲戒処分を受けたが、落下傘(天下り)社長の金在哲(キム・ジェチョル)と一緒に社員処分に加担した現場責任者が、2017年2月に社長になる金張謙(キム・ジャンギョム)で、長い政治部記者時代に培った政界との人脈を活用して、政治部記者から、報道局長になり、社長まで上り詰めた。

 KBSでは、やはり、政治部記者出身で、報道局長、報道本部長を経て、2015年11月に社長に就任した高大榮(コ・デヨン)で、KBSの番組弾圧の会社側の象徴的な人物と言われる。政治部記者が政界などとの人脈を生かして自分が所属する報道機関(放送局ばかりでなく、新聞社、通信社など)の経営陣の中枢に入り込み、放送局などの報道統制を権力に先んじて牛耳るという例は、少なからずいる。日本でも、放送局、新聞社の最高責任者になる政治部記者出身は、まま、こうしたタイプのように見受けられる。マスメディアの経営陣は、結構、というか、かなり「権力に弱い」のである。

 映画の冒頭シーンは、2017年3月、韓国プレスセンター20階にあるナショナルプレスクラブで開かれている高麗大学メディア学部のキム・ジョングク教授(MBCの元社長)の出版記念パーティ会場が映し出される。会場の入口付近に近づくコート姿の男がいる。男は、パーティに参加するわけではないのか、入口付近に設けられた受付には行かず、ドアが開かれている入口に佇み、外から室内の様子を窺っているのが判る。探している目的の人物が挨拶しているので、席に着くのを待っているような感じだ。
 男は、2012年に懲戒解雇されたMBCの元プロデューサー、崔承浩(チェ・スンホ。以下、「チェ」とだけ表記する)である。1961年生まれ、1986年MBC入社。最後は調査報道番組「PD手帳」のプロデューサーだった。「とくダネ」番組を制作するMBCの名物プロデューサー、という。パーティに出席しているMBCの幹部(映画の画面で見ると、黄色い花を胸につけたキム・ジョングク元社長とペク・ジョンムン副社長の姿が確認される)に不当な懲戒解雇を訴えようと、待ち伏せのためパーティ会場に現れたということらしい。

 やがて、彼は会場の中にゆっくりと入り始め、目的の席に近づこうとすると、それに気がついた人物らが、立ち上がってチェの前進を妨げる。眼鏡をかけた人物は、気の弱い善人が、さも困ったような表情をしながら、しかし、あくまでも強引にチェの進入を妨害する。パーティ会場の演壇に掲げられた横断幕に描かれた似顔絵の当人(キム・ジョングク教授・MBC元社長)のようだ。会場の外に押し出されたチェは、仕方なく、エレベーターに乗り込む。がら空きのエレベーターの中で、悔しそうな、それでいて、まあ、きょうはここまでで良いか、というような表情をするチェの姿が、映し出される。
 この時のチェの言動が巧い。なかなかの役者だなあ、と思いながら見ていたら、後で、次のような情報が判った。チェは、インタビューの返答によれば、大学では、行政学を専攻したというが、「あまり勉強はしませんでしたね。演劇サークルで活動していました。最初は、ドラマのPD(プログラムディレクター、あるいは、プロデューサー)になりたいと思っていたんですが、社会の現実を扱うPDになろうと進路を変えました」という。

★「映像」記録としての映画

 報道番組に対する権力の介入(介入の源泉は、大統領)。時に、警察権力を導入・行使しての直接的な介入の場面も映し出される。ドキュメンタリー映画なので、関係者のインタビュー映像は多い。関係者のうち、大統領が、社長人事という形で、直接姿を見せずに、しかし、強引に介入しているので、映像が捉えるのは、テレビ局の社長という経営者たちだが、彼らは、ほとんど逃げ回っていて、取材者のインタビューには、何も答えない。代わりに、カメラの前で、無表情で押し通したまま、逃げ去ろうとする。あるいは、ニヤニヤした笑いを顔に貼り付けたまま、無言で押し黙っている。あるいは、階段室から別の階へ猛烈な勢いで逃げ出した社長もいた。駆け降りる社長を取材者・チェも、しつこく追い続ける。どの部屋に飛び込んだのか。姿を見失ってしまう。廊下に立ち、執拗に視線を巡らすチェ。「共犯者たち」に共通するのは、責任回避だから、質問に答えずに、逃げ廻る態度をひたすらカメラで記録する。映像を通じて、市民たちに彼らの無様な姿を見せるだけでも、市民たちは、権力機関の「本音や素顔」に気づくだろう、とチェは言う。彼らに対する懲罰は、「彼らの行為を映像で記録しておくことだと思うんです」という。「記録だけでも意味がある」(チェと一緒に解雇された元MBC記者、イ・ヨンマ)。皆、いかにもテレビマンらしい重要な発想だ、と私は思う。記者は、情報だけでも大事にするが、PDは、記者よりもテレビ人間なので、情報になんとか映像を付加しようと努める習性がある。私の体験では、そうだった。

 そうだよ。確かに、「共犯者たち」のようなせこい人物たちの、顔つき、表情、目つき、言動は、よく似ている。日本にもいる。私たちの身近なところにもいる。見渡せば、ひとりかふたり、あなた方のそばにもいる。こういう人物を映像で記録しておくことは、確かに大事なことだ。一方、報道番組の制作現場の記者、ディレクター、あるいは、プロデューサーなどスタッフたち、労組員でもある彼らは、カメラの前で、饒舌に喋る。顔も隠さず、名前・肩書きもスーパーインポーズ(字幕)で、堂々と出している。加害者は、無言を貫こうとする。被害者は、訴えようと饒舌になる。その対比が、この映画の本質をうかがわせていて、象徴的だ。
 この映画の上映の際、映画に記録されたMBCの前幹部らが名誉毀損を理由に上映禁止処分申請を裁判所に出したが、棄却されている。公共的な放送を率いる人々は、公人であり、取材者の質問に答える義務がある、というのが理由だった。こっそりなら、甘い汁を吸う。公然とした場所では、顔を隠す。映画の撮影でも、共犯者たちは、顔を隠していた。周辺警護の連中たちが、忖度をして、カメラのレンズを手で隠す、カバンで隠す、スマホで隠す。そういうシーンが目立った。

★盧武鉉大統領

 映画の第2シーンは、黒塗りの大型車の車列が映し出される。大統領の就任式に向かう。ついで、李大統領の介入で解任されたKBSの鄭淵珠(チョン・ヨンジュ)元社長のインタビューが始まる。さらに、李明博大統領の就任式に同席する盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領(16代。2003年2月25日~08年2月24日)の姿が、夫妻で登場するシーンがある。

 「盧武鉉大統領は在任中(5年間)、一度も電話をかけてこなかった」。KBSの鄭(チョン)元社長の証言によると、盧(ノ)大統領は「自分は、大統領になった後、検察庁長とKBS社長には、自分から直接連絡をしない、という趣旨の発言をしている」というのが、印象的だった(元社長の証言によれば、「大統領退任後の08年10月に会った時冒頭に、大統領は03年春にこんな話をしていたがその約束を守ってくれたと言ったら、そうかと言って笑った」ということだった)。検察トップに連絡をしないというのは、検察に指揮権を発動したりしない(捜査の自主性を尊重する)という意味だろうし、KBS社長(つまり、マスメディアの経営陣)に連絡をしないということは、権力批判されてもマスメディアの報道の自由に委ねるという意味だろう。そして、その約束を守り、盧(ノ)大統領は大統領職を離れた、と話す元社長は、返す刀で李(イ)大統領の報道への権力介入を批判する。

 チョン元社長は、ノ・ムヒョン大統領の時、03年にKBS社長に就任した。元は、東亜日報の記者。70年代の言論民主化運動の中で、東亜日報を解雇され、その後、「ハンギョレ新聞」(言論民主化運動で解雇された記者たちが中心になって「権力と資本からの独立」を標榜して1988年に創刊された。国民の募金を資金とする「国民株方式」という経営方針だった)の記者・論説主幹を経て、KBS社長に就任した。
 ポリスと書かれた盾を持った警察官に包囲されたKBS社屋の石段を降りて、チョン社長が退社する場面(静止画)が映画には挟まれている。車に乗り込み、チョン社長は自宅へ帰り着く。自宅に戻ったチョン社長には、イ・ミョンバク大統領の意向を受けた理事会による社長解任と背任容疑による検察の逮捕が待っていた。映画は、翌日、自宅から車で連行されるチョン社長の姿を映している。
 08年8月。チョン社長解任に反対して、労組も反発。労組は分裂しながらも、闘争に参加した24人が解雇・懲戒処分を受ける。結局、チョン社長は、1審から3審まで無罪、12年1月無罪確定となる。

 ノ・ムヒョン大統領の退任後、側近や親族が相次いで逮捕された。前大統領本人も捜査対象となった。09年5月、ノ大統領は、親類親族を含む汚職疑惑にまみれた末に、公表された説明では、自宅の裏山から投身自殺をして亡くなったと言われている。別の説では、登山中に滑落死したなど、ともいう。

 映画は、『占領』『反撃』『キレギ(キジャ=記者、スレギ=ゴミ。映画では、フェイクニュース=虚偽のニュース、あるいは、くだらないニュースなども、含んでいるように見える。日本でも、この種のニュースは、日常的に流されている。権力へのおもねり、忖度などを、「ゴミ」(見たくないもの)に例える)』というクレジット(スーパーインポーズ)で、映画のコンセプトを3つに分けて、それぞれ映像展開する形で構成されている。こういう演出の仕方を見ると、チェ監督は、テレビのドキュメンタリー番組、特に、調査報道に情熱を燃やしてきたジャーナリストらしく、根っからのテレビマンであることが判る。

 『占領』とは、「落下傘」(天下り)社長など人事権を濫用して、懲戒解雇などを連発して、言論報道の現場を蹂躙して行った国家権力の実態を告発する。公共的な放送(国営放送のKBSや公営放送のMBC)が、どのようにして、権力を持つ「主犯」とテレビ局で主犯の意向を代行する「共犯」たちによって占領されて行ったのか、を描く。

 KBSの社長を解任したのは、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領に継いで大統領になった李明博(イ・ミョンバク)大統領のマスメディア、特に、放送局への言論統制政策の始まりだった、という。KBSでは、社長解任という権力の介入に反対する記者、ディレクターらが、抗議行動に立ち上がった。2008年8月8日、放送局内に立ち入った警察官や私服刑事と職員らの対立するシーンが続く。怪我をする職員らの姿が、映し出される。闘争に参加した職員ら24人には、懲戒解雇らの処分が待っていた。8月末、李炳淳(イ・ヒョンスン)社長が就任する。報道局の調査報道チームが、解散され、「時事トゥナイト」という番組が、廃止される。KBSでは、社長解任事件をきっかけに、大統領による報道番組への介入事件が始まった。

★ふたりの大統領の犯罪

 韓国のふたりの大統領とは、盧武鉉(ノ・ムヒョン、16代)の後を継いだ大統領李明博(イ・ミョンバク、17代。08年2月25日~13年2月24日。その後、収監)・朴槿恵(パク・クネ、18代。13年2月25~16年12月9日。弾劾で失職。その後、収監)のこと。犯罪とは、マスメディアをゴミ同然(国民の知る権利にとって、役立たずの機関)にしてしまったこと。マスメディアの報道への介入。番組を廃止し、キャスターやプロデューサー、デスク、記者を懲戒・解雇したこと。フェイクニュース、あるいは、どうでも良いニュースなどの発信。
 こうした中、マスメディアは、大変な失策を犯す。2014年4月16日に仁川から済州島に向かった旅客船「セウォル号」の転覆・沈没事故では、修学旅行中の高校生らを含む299人が死亡、5人が行方不明となった大惨事になったのに、朴政権下では、対応が遅れた。にもかかわらず、報道体制不備のKBSとMBCは、「全員救助」という政府筋の情報に踊らされ、誤報を流し続けた。自社の取材現場に上がってきた事実の情報も、幹部に無視されたという。ふたりの大統領は、マスメディアの中に共犯者を送り込み、さらに多くの共犯者たち(末端は、「ゴミ」と呼ばれる「忖度」幹部)を育てたことになる。それは、放送局の社長たちの遍歴で描かれる。

★韓国メディアの社長の遍歴

 特に、映画『共犯者たち』では、韓国にある放送局のうち、国営放送・KBSと公営放送・MBCの軌跡を追いかけているが、「落下傘(天下り)」社長や「忖度」(おもねりで上層部にすり寄った「生え抜き」の共犯者)社長たちの人事こそ、権力の介入の軌跡をくっきりと示す。

 以下、この間の社長たちの浮き沈み。

 KBSの場合。08年:チョン・ヨンジュ解任/イ・ビョンスン就任、報道局の調査報道チーム解散、「時事トゥナイト」番組廃止、「李大統領自身が出演する大統領府の広報番組開始」/09年:キム・インギュ(天下り、李大統領側近)就任(政権寄りのドキュメンタリー制作。職員懲戒処分など)/12年:キル・ファニョン就任——14年:キル・ファニョン解任(セウォル号沈没事故で大誤報)/チョ・デヒョン就任/15年:コ・デヨン(生え抜き、政治部記者出身、報道局長など経験)就任——18年コ・デヨン解任///ヤン・スンドク(公募。市民らが選択)就任。

 MBCの場合。10年:オム・ギヨン辞任/キム・ジェチョル(天下り)就任——13年:キム・ジェチョル解任(在任期間中に200人以上を解雇、懲戒)/キム・ジョングク就任/14年:アン・グアンハン(副社長経験)就任/17年:キム・ジャンギョム(生え抜き、政治部記者出身、08年、李明博大統領誕生に時期に役職につく。以後、報道局長を経験するなど上昇気流に乗る。局長時代には偏向、歪曲報道を総指揮した、という。例えば、パク大統領の親友・崔順実の国政に介入疑惑、いわゆる「崔順実(チェ・スンシル)ゲート」。2回目の「ろうそくデモ(弾劾成功で、のちに、「革命」と呼ばれた)」につながる事件。18年、崔被告実刑判決などで、自分のニュース判断を現場に押しつけた、という)就任(任期3年のはずが…)——キム・ジャンギョム(9カ月足らずで)解任///チェ・スンホ(崔承浩)就任(公募。元MBCプロデューサー。映画『共犯者たち』監督)。

(注)MBCの場合、10年のオム・ギヨン社長辞任の前、08年、アメリカ産牛肉BSE疑惑報道(報道番組「PD手帳」)で、疑惑追及の大規模な「ろうそくデモ・集会」に発展(8年後には、朴槿恵大統領を退陣に追い込んだ16年の「ろうそく革命」へとつながる)、李明博大統領が国民への謝罪に追い込まれる。その腹いせか、「PD手帳」を「虚偽報道」の容疑で検察に捜査着手させる。トランプのアメリカ大統領就任前に、「トランプ」は、すでに、ここにいた。09年、「PD手帳」のPDが、番組制作をめぐって、何んと、「逮捕」される。自由な表現に対する見せしめ的な逮捕。

 韓国マスメディアの、この当時のテレビ局社長人事のこうした遍歴は、ふたりの大統領の権力戦術を象徴している、と思う。社長人事で、放送局に介入。社長は、大統領に都合の悪い内容の報道をする番組改変・廃止。そういう番組を制作してきた社員らの解雇・懲戒・異動などの弾圧的な人事措置。

★『反撃』・ジャーナリストたちの抵抗

 解雇されたジャーナリストたちは、一部は、「ニュース打破(だは)」(探査ジャーナリズムセンター・ニュース打破)という調査報道専門のオルタナティブメディアを立ち上げた。一連の言論弾圧で放送局を解雇、懲戒された記者やPDが参加した。2013年6月設立。独立性を保つために企業などから広告は取らず、非営利民間団体として運営している。会員4万人で年間5億円(50億ウォン)で運営。映画『共犯者たち』も、「ニュース打破」が、継続取材してきた映像を生かして制作した。フェイクニュースを打破し、「事実の検証を通して真のニュースを報道しようという趣旨で、このネーミングになった、という。

 KBS、MBCの労働組合の戦いも、継続的に続いていた。労組の長期ストライキ。韓国の言論(メディア)の労組は、各社の労組、新聞・放送業界の労組、その上に、全国言論(メディア)労組、という構図になっている。

2010年
 MBC労組39日間スト(解雇2、懲戒47)
 KBS労組29日間スト(懲戒4、不当配転5) *非報道系職場を含む。

2012年
 MBC労組71日間スト(解雇6、懲戒157) *チェも、解雇される。
 KBS労組95日間スト(懲戒11)

2017年
 MBC労組170日間スト *労組勝利、処分無し。
 KBS新旧・両労組39日間スト

★李元大統領へ本音の質問

 17年夏、街角から、チェが姿を現した。道行く人たちは、半袖姿が目立つ。広い道路に面した繁華街。沿道に高層のタワービルがある。ビルの玄関前をうろつくチェ。この場面のナレーションでは、「放送の未来を滅ぼした本当の責任者を待っている。4年前にもチェは、彼に会ったことがある」、という。4年前、13年2月24日、大統領任期満了で退任し、大統領府の青瓦台から私邸(自宅)に戻ってきた日、李明博前大統領にチェは、支持者でごった返す人ごみの中で、声をかけている。チェが、にこやかな表情で近づいてきたため、支持者と思ったのか、李明博前大統領は、チェの質問を受けていた。今回も、元大統領は、見覚えのあるチェの姿を見つけ、自ら近づいてきて握手を求めたというわけだ。
 しかし、4年前だって、チェは、反骨心丸出しで、どこかの官房長官が、記者会見で、しつこく質問を続けようとする記者の質問を遮ろうとしたように、警護のものらに遮られたため、こう叫んでいる。「言論(メディア)が質問できなくなれば、国は滅びる」と。映画のナレーションでは、「結局、質問はできず、この国は滅んだと結んだ」。チェは、どこまでも、ジャーナリストなのである。

 やがて、高層ビルの玄関中央にある丸いガラスの自動ドアを使わずに、隣にある従来型の手動ドアから男に先導されて出てきた人物がいる。髪の毛の薄くなりかけた、そしてメガネをかけた中年男が、いかつい6人の男たちに守られながら、建物の外に出てきた。玄関前の路上には、大型の黒塗りの乗用車が2台止まっている。

 「こんにちは。大統領、久しぶりにお会いします」とチェは、路上から親しげに李明博元大統領に近づきながら、自分は、MBC出身です、と挨拶をした。元大統領もチェには面識、あるいは見覚えがあるらしく、自らもにこやかに近づいてきてチェと握手をする。ふたりの周りをいかつい男たちが素早く取り囲む。6人は、警護の男たちのようだ。
 男たちは、それぞれ、違う方向に視線を送っている。目つきは、皆、鋭い。あるものは、元大統領を見ている。あるものは、親しげに元大統領に近づいてきた男がなにものか、と訝しがる表情で見ている。身元不詳だが、元大統領には見覚えのある(つまり、過去に会ったことのあるらしい)男に自ら近づいて行って、さらに、自ら手を差し伸べて握手をしたぐらいだから、危険人物とは見ていないようだが、とでも思いながら、それでも冷ややかな視線で男を見ている男もいる。残りのふたりは、元大統領と男のふたりを視野に入れて観察している。いずれの男たちも、上着のボタンをきちんと閉めているのは、ポケットに何か隠し持っているのかもしれない。警護陣のうち、一人の男は、左手に黒っぽい何かを持っているように見える。

 元大統領と握手をしたチェは、李明博の右手をしっかり握りながら、「大統領が言論を滅ぼした加害者だという批判があるが、どう思われますか?」という質問を投げかけた。李明博は、その瞬間、何も言わずに、一瞬とまどったような表情を浮かべて自分の下唇に長い舌を回して一度大きく舐めた。暫くの間があった後、元大統領は、「それは、何のことか、私には意味が判らない」「そういうことを言っている人がいるなら、その人に聞いてみなければ」と答えた。
 李明博は、質問の真意が判らず、韓国のマスメディアを破壊した責任が、自分にあるとは、夢にも思ってもいないのかもしれない。チェは元大統領の右手をがっちり握り、にこやかな表情からは、元大統領にとって、想定外と思える質問をしたのだが、元大統領は、チェが伝えたかったマスメディアの世界を荒涼とさせた張本人が自分のことだとも思っていないし、それゆえに、その責任が自分にあることを感じてなどいないのだろう。

 実は、李明博事務所のあるビルを事前調査で割り出していたチェは、元大統領がそのビルの玄関を入って行くのを見つけて、数時間前から、路上に待機していたのだ。道路を挟んで向かい側のビルの2階の事務所の空き部屋にカメラ2台を構えて、待ち伏せ体制を敷き、他のスタッフとともに、元大統領が出てくるのを待っていたのだ。

 待つこと、数時間。やがて、黒塗りの大型車と警護の車が、玄関前に横付けされた。チェは、道路に降り、警護の車の近くの路上で待ち続けた。ビルの中のエレベーターから李明博が降りてくるのが、玄関ドアのガラスの向こうに見えた。元大統領は、手動の開閉式のドアから、男に先導されて出てくる。チェと一緒にいた助監督が、手に持っていたスマホで元大統領の姿を撮影しようとしたら、元大統領より先に出てきた警護の男にスマホを叩き落とされた。画面が大きく揺れ、暗転してしまった。しかし、この出会いの場面は、向かいのビルの事務所の空き部屋に置かれていたカメラによって、ばっちり撮影されていた。
 元大統領は、車に乗り込むと、車のドアを閉める前に、ドアの外に立つチェに「最近は、何をしているのか」と聞いてきた。チェは、「会社(MBC)を辞めて、『ニュース打破』というメディアで取材をしている」と答えた。後部座席に座り込んでいた元大統領は、「ああ、そう」と答えると、車のドアを閉めさせた後、車を出させ、行ってしまった。このシーンは、道路を挟んで向かい側のビルの2階からでは、映せない。スマホを手に持っていたスタッフが、下からのアングルで、元大統領を録音録画していたようだ。広角の映像と音声が記録されていた、というわけだ。

 残った警護のものらの一人は、チェに名刺を要求した。チェは、右手を胸の内ポケットに入れ、一枚の名刺を渡した。男らを乗せた車も、元大統領の車の後を追いかけて発進した。映画は、去り行く車をじっと見つめるチェの姿をいつまでも映し出していた。ナレーションは、言論(メディア)を滅ぼさせ、国を滅ぼしたものたち。だが、誰一人自分の責任を認めなかった、という言葉で結んだ。

★『キレギ』

 『キレギ』(映画の画面は、ハングル文字。キジャ(記者)とスレギ(ゴミ)からの造語。英語では、退廃したプレスと書いてある)が、はびこる中で、17年5月に就任した文在寅大統領の登場で、マスメディアの社長らが、大きく変わる。朴(パク)大統領の時代は、李(イ)大統領の時と同じように権力の介入は、社長人事で継続的に続けられた。初の女性大統領として、パク大統領は、アイドル並みの人気を集めた。始球式をする大統領など、どうでも良いニュースがテレビから報じられたが、人事による権力の介入は、市民には知らされなかった。猛暑の日が続くと、アスファルト道路で焼肉ができるというニュースが流されたりした。テレビ局のニュース画面には、ゴミニュースが蓄積され始めた。こうした現状を市民は厳しく批判し始めた。マスコミの現状を「キレギ」と市民から揶揄されるようになった。「キレギ」とは、フェイクニュース。権力へのおもねり。敗北した公共的な放送。言論破れて、国滅ぶ。権力による介入は、続く。

 こうした中で、大惨事が起きたが、権力は、十全な対応ができなかった。14年4月。旅客船セウォル号沈没事故。16年10月に発覚したパク大統領の親友・崔順実の国政に加入疑惑、いわゆる「崔順実(チェ・スンシル)ゲート」事件は、16年の「ろうそく革命」につながって行く。その結果、16年12月、朴(パク)大統領は退陣し、文(ムン)大統領が登場し、政権は、保守陣営から革新陣営へと交代したが、MBC、KBSの両社長は、この時点では、それぞれ任期を残しており、即座に社長交代とはならなかった。社長交代が実現しなければ、放送局の改革は進まない。

★労組のスト、「ろうそく革命」、大統領交代へ

 「放送の未来」、放送界あげてのイベントの会場。会場で大映しされる文在寅大統領就任の映像。17年5月の映像だ。会場内のマスメディア関係者席にいるのは、よく見ると、MBCは、キム・ジャンギョム社長。KBSは、コ・デヨン社長。朴大統領時代と変わらない。

 16年10月29日の100万人規模の「ろうそく革命」(ろうそくデモ・集会の結果、朴大統領弾劾が成功したので、「革命」と呼ばれるようになった)が始まる。17年3月まで、延べ1,700万人が参加する。この間もKBS、MBCは、世論を歪曲する報道を続け、パク大統領の政権批判を避けるようなニュースを流し続けた。「ろうそくデモ」の現場に取材に来た両テレビ局のスタッフたちは、市民の激しい批判を浴びた。すごすごと撤退する取材陣。映画では、そういう場面も映し出している。

 12年にチェと同時に解雇されたMBCの元ドラマPDは、17年5月10日に文(ムン)大統領が就任した後、6月のある日、当初たった一人で、昼休みに社屋で「キム・ジャンギョム(社長)は・出・て・行・け」と叫ぶ姿をスマホで自撮りして、SNSで生中継をした。政権交代後も、キム・ジャンギョム社長が、任期を残していて、MBCの社長に居座っていたからだ。後に、この行動は、共感を呼び、本館の社屋ホールで大勢の社員らが連帯して、同じ行動をとるようになった。活動に同調した社員も懲戒処分されたが、軽微だった。同調する社員の数が多くて、経営側も厳しく処分できなかったようだ。労組と経営側の力関係は、間も無く大激変をしようとしていた。

★市民と労組の連携

 文大統領就任後、KBSでは、273人の記者がコ社長の退陣を求めるスト宣言を発表した。 240の市民団体によるテレビ局の「正常化市民行動」が始まり、30週ほど続いた。市民に続いて、マスメデァで働くジャーナリストたちも、遅ればせながら、「ろうそく革命」へ参加するようになった。報道するだけでなく、労組の一員として行動に参加するべきだ、となったようだ。

 映画のラストシーン。山間の郊外へ向かう車。がんと闘っている、MBCの元記者が療養している家に同僚が訪ねる。解雇されたままの状態で療養生活を送っているが、元記者の穏やかな表情が印象に残るが、頬がこけて痩せている。澄み切ったような微笑を浮かべている。ふたりのやりとりが映し出される。近隣を散歩するふたり。5年前の映像が、挟み込まれる。
 ふっくらした記者とPDが、身柄拘束の可否が判断される裁判手続きのために、ソウル西部地方法院へ向かう車に乗っている。車内では、いつも現場に向かう時のように、ふたりは冗談を言い合い、笑っている。やがて、車は、ソウル西部地方法院の建物に着いた。建物の前に集まった支援者の激励を受けながら、淡々とした表情で、彼らは建物の奥へ入って行く。
 画面が暗転し、クレジットが映し出される。08年から17年までの9年間、報道の自由のために闘い、解雇や懲戒処分されたジャーナリストたち、およそ300人の名前のリストが延々と映し出される。映画は、ここで終わる。17年8月から、映画『共犯者たち』が、公開される。韓国では、26万人が、この映画を見た、という。

★文政権による政策転換

 映画公開後、大統領交代の結果は、放送界にも政策転換として大きな変化が現れた。

 KBSでは、最高意思決定機関として、理事会がある。理事会は、KBSの管理・監督権、経営に関する決定権を持つ。理事会は11人の理事で構成され、理事は、放送委員会の推薦で、大統領が任命するというシステムになっている。理事の任命について明確な規定はないそうだが、通常、政府・与党系の理事が7人、野党系が4人、という。政権が代わるたびに、理事会の構成をめぐって揉める、という。
 17年10月、朴大統領時代のふたりの理事が辞任し、文大統領系の理事に代わった結果、政府・与党系の理事が6人、野党系(旧与党系)の理事が5人となった。これを受けて、コ社長解任が可能になり、18年1月、コ社長が解任された。さらに、次期社長は、公募されることになり、梁承東(ヤン・スンドク)社長が18年4月に就任した。09年の公正放送闘争で解雇された経験を持つ新社長は、「権力・資本からの独立」などを宣言した。梁社長の任期は、前任者の残り任期(18年11月)まで、ということだったが、任期終了後も、継続社長として引き続き経営に当たっている。

 MBCでは、大株主の「放送文化振興会」が、社長の任命権と経営に関する管理・監督権を持つ。振興会は、放送通信委員会が任命した9人の理事で構成される。理事は、与党系から6人、野党系から3人というのが慣例だという。こちらも、政権が代わると理事会の構成を変えようと揉める、という。17年10月、朴大統領時代のふたりの理事が辞任し、文大統領系の理事に代わった結果、政府・与党系の理事が5人、野党系(旧与党系)の理事が4人となった。これを受けて、キム社長解任が可能になり、17年11月、キム社長が解任された。
 MBCの政治部記者から報道局長として報道畑を牛耳ってきた末に、社長まで上り詰めたキム・ジャンギョム社長は、9カ月足らずで、社長の座を追われた。こちらも、次期社長は、公募されることになり、選ばれたチェ・スンホ(崔承浩)社長が17年12月に就任した。元MBCプロデューサーで、映画『共犯者たち』監督であるチェ社長の任期は、20年3月の定期株主総会まで、という。

 制作現場=労組。市民運動の連携で、マスメディアに対するコモンセンスが、社長選びシステムを変えたのだろうか。現実的な政治力学としては、大統領選挙による政権交代の効果が、大きいのだろう。韓国ではマスメディアが、生まれ変わりつつあるようだ。社長交代劇の後の、韓国マスメディアの現況を知りたくなる。

★韓国メディアの今後

 その後の、韓国マスメディア状況は、どうなったのか。特に、17年12月、MBCの社長に就任したチェのその後を知りたい。韓国のメディア事情を知っている人によれば、MBCもKBSも、番組編成では、「失われた10年」当時と比べると、様変わりしてきた、という。ドキュメンタリー、対談、解説など報道系の番組は、中身が濃くなった、と思うと印象を伝えてくれた。

 MBCのチェ社長は、17年末、まず、闘争中に不当解雇された仲間たちの職場復帰を果たしたという。「PD手帳」でBSE問題の番組を作り、公然と手錠をかけられて検察に連行されたキム・ボスル(ディレクター)は、職場復帰したのだろうか。事件当時、目前に迫っていた結婚は、どうなったのか。がんで闘病中のイ・ヨンマ(記者)は、がんに打ち勝ち、職場復帰を果たしたのか。チェ社長は、労組との連携共同宣言を発表した、という。調査報道番組「PD手帳」も元の形の戻した、という。「PD手帳」では、「MBC没落七年の記録」という特集番組が放送された、という。KBSでは、新たに「ジャーナリズムJ」という、メディア批評番組が週末のゴールデンタイムで始まった、という。メディアも権力の一つ、誰も監視しないでいいのか、という問題意識で立ち上げたのだ、という。08年にイ・ミョンバク政権下で廃止された「メディアフォーカス」の復活版だ、という。

 ただし、MBCは、「失われた10年」で、基礎体力を破壊さてしまったことだろう。特に、労組の長期スト対策で、経営側は、代替要員として契約社員を多数採用していた。それに伴う、膨大な赤字や企画制作能力の低下が指摘されている、という。人事も、番組制作能力の復元も、一筋縄ではいかないだろう。さらに、日本のテレビ界でも同じだが、インターネットの急激な普及による受信者の地上波離れも、テレビ局の広告スポンサーの減少につながって行く。番組の正常化、制作能力の復活だけでは、テレビ局の経営は、ままならないのではないか。チェ社長は、くるくる変わった社長職に象徴されるように、共犯者の先達たちが、場当たり的に経営し、荒廃させてしまった放送局の立て直しを告発者の眼を残しながら、信念を曲げずに、さらに10年前とは激変した電波環境の中で、MBCの復活的改革をしなければならない。チェ社長の奮闘を祈るや、切である。

 映画『共犯者たち』に絞り込めば、17年12月のMBC社長交代劇の場面を見てみたい。解任された社長たち、副社長たちのその後は? 解雇から復職したジャーナリストたちは、どう活躍しているのか。韓国メディアの全体像を映像で記録しておいて欲しい。チェ社長は、ジャーナリストとしての性分からして、多分、映画『共犯者たち』を製作したのと同じ調子で、その後も映像を蓄積していると思うので、ぜひ、映画『共犯者たち』の続編が見たい。

 日本のマスメディアが、この隣国の10年間に及ぶ公営テレビ局の報道現場の凄まじい歴史をほとんど報道してこなかったのは、メディアとしての自殺行為ではないのか。何よりもダメな日本。安倍政権は、例えば、NHK籾井会長の出処進退の初めから終わりまで権力の介入を続けた問題で見られたように、今も、従来からの「官邸人事」で、マスメディアへの介入を続けている。今の日本では、マスメディアだけでなく、国民も、それを許しているという状況がある。どうすれば、韓国のメディア並みに言論表現の自由を復活させることができるか。

 映画『共犯者たち』を見ると、いくつもヒントを見つけることができる、ように思う。まず、現場が事実に基づく正確なニュースや番組を国民に伝えること。権力の介入があった場合、労組が報道現場で働く労働者を支援すること。現場の頑張りと労組の支援を広く市民に知らせ、広汎な市民の連帯を勝ち取ること。報道に国家が介入するような政治家を排除するような選挙結果を出し、政権を交代させること。日本のメディア環境を正常化・再建するために、韓国メディアの軌跡から、学ぶことは、たくさんあるのではないか。

(注)この映画批評を書くために参考にした資料は、「政治権力VSメディア 映画『共犯者たち』の世界」(夜光社刊)、『共犯者たち』公式プログラム。そのほか、インターネットの情報もできるだけ、読んだ。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、オルタ編集委員)

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