春節の旧満州を垣間見て

【コラム】落穂拾記(49)

春節の旧満州を垣間見て

羽原 清雅


 2016年2月4〜10日、中国は旧満州の暮れ・春節を見てきました。
 瀋陽、長春、ハルビン、葫芦島、錦州など、通訳兼運転手(男性)のふたり旅で2400キロを動きました。
 狙いは、(1)中国の人たちの生活を見ること、(2)(3)ハルビンの731部隊跡と安重根記念の、ともに新装なった記念館を見ること、(4)終戦時105万の引揚者が3年も留められたコロ島の港を覗くこと、ついでに、(5)松花江の氷を見事に削り込んだ氷像の祭典を見、(6)中国の温泉に入ること、(7)極力、街の食堂でパイチュウとともに中国の人の食べ物を食べること、などでした。いずれもほぼ達成、でした。
 こんどは3度目の中国東北地方で、最初は大連・旅順・瀋陽・撫順など、2度目は北朝鮮国境沿いの丹東から琿春までと、長春・ハルビン・瀋陽の全長2200キロ、でした。

 731部隊跡は2度目で、新築された大きな展示館には、目を覆いたくなる惨状が数多くの物証とともに残されていました。
 安倍首相の日韓交渉時に申した「後世の若者に謝罪を続けさせまい」という発言はまことにウツロでした。逆に、天皇ご夫妻のフィリピン訪問の際に戦没者の霊前に述べた「日本人は長く忘れてはならない」の言葉が、すでに戦後70年とはいえ、妥当に思えました。安倍首相自身、彼の祖父が満州で、間接的ではあっても、統治責任者としてなにをしたか、を忘れるべきではないでしょう。

 日本が加害者であること、戦争に巻き込まれた被害者とその家族、民族の痛みは少なくとも3、4代は語り継がれるであろうこと・・・それは日本人が長きにわたって背負わなければならない重い十字架です。忘れてしまいたいからこそ、史的記録にとどめ、心に刻み込むべきだと感じます。そうした思いを持ち続けることが、いつか相手の心を和ませ、「過去」の史実としてとどめられるだけになるのでしょう。
 慰安婦問題、現地女性の間に生まれた子どもたちの問題など、戦争の引き起こす痛ましさは多く残され、少なくとも後世の日本人は目をつぶるべきではない、と改めて思いました。安重根を「殺害者」と決めつける前に、日本の植民地支配が人も、心も、国土も、ものも、おおきく傷つけた歴史を思う感性は必要です。そこに初めて、政治家の言葉や外交文書などにはない、本音としての、血の通う両国の普通の生活を営む人たちの喜怒哀楽の交流が生まれるのでしょう。

 零下20度から6度まで、装備をすればさしたることなし、と言えるほど、日差しもあり、風もなく天候に恵まれました。氷像を見た2時間も、寒さにおびえるようなことはなく、愉快でした。

 ただ、中国の元旦にあたる2月8日、葫芦島に向かう高速道で、短時間ながら初めて小雪に見舞われました。その結果、スリップによる3、40件の交通事故があり、1人死亡という現場で3時間ほど待たされました。日本の高速道の車線よりも幅が広く、往復6車線の道に10数キロの数珠つなぎ状態でした。

 車の運転は相変わらず荒く、むしろあのスピード、あの割り込みなどで、事故があまり起らないことが不思議なくらいでした。小生のドライバー氏は35歳の好人物。カーナビはなく、スマホによる道案内を頼りに、見事な運転ぶりでした。ちなみに、彼には3回の案内をお願いし、東京でも数回食事などをしました。

 貧富の差は依然変わりません。2、30階のマンションが地方都市でも林立する一方、身なりでの格差を強く感じました。おそらく教育現場、農業や労働現場などをはじめ、内実ではいろいろあるのでしょう。ゴミ処理などのマナーも感心しませんでした。ただ、経済の総体や清潔度としては、徐々に伸びているように思います。日本が急成長して今日の繁栄とともに、マイナス面も多々抱えたように、巨大中国も同じ歩みとなるか、新たな知恵を生み出すか、隣国として関心を新たにしました。
 日本人の来訪はめっきり減り、大気汚染と外交関係の不調のせいか、との話も聞きました。

 良いこととは思いませんが、この多民族で、広大な国土と古代からの長い歴史と伝統を持ち、多様な習俗や形態を持つ大国の統治が、いわゆる欧米型の「民主主義」方式で可能か、半ば独裁部分が出る統治もなくしがたいのでは、とも思いました。北京訪問時ほどに、政治的な話はありませんでしたが、反日感情や表情は一切なく、731部隊の展示場でも「ヘンなガイジン」のまなざしは感じましたが、悪い表情ではありませんでした。

 旅の印象を、ひとりで持ち続けるのももったいない、と相変わらずの貧乏性が出ました。ご笑覧いただければ幸いです。

 (筆者は元朝日新聞政治部長・オルタ編集委員)


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