最近のフランスの労働組合

【北から南から】フランス便り(その14)

最近のフランスの労働組合

鈴木 宏昌


 日本と異なり冷夏だったパリの夏が終わり、新学期を迎えた。労働法関係の友達が調査で一週間ほどパリに来るというので、防寒の用意をしてくるようにメイルしたが、すっかり予想がはずれ、9月に入り、暑い日が続いている。その友達と一緒に、労働裁判所に行ったり、政労使の人たちから話を聞く機会があり、とても面白い経験をした。そこで、今回はフランスの労働組合のについてまとめてみたい。とはいえ、フランスの労働組合は多数あり、制度的にも日本の労働組合とは違うところが多く、しかも英米の制度とはまるで異なるので、うまく説明できるか自信はない。

 フランスの労働組合の組織率は、全体で8%ぐらいと推定されているが、民間企業では5%を切ると言われている。2大ナショナルセンターであるCGTとCFDTでも、実際に組合費を払っている労働者の数は60-80万人くらいと推計され、日本の大きな単産一つくらいの規模でしかない。ところが、これらのナショナルセンターの本部に行ってみると、建物の大きさや人の多さにびっくりする。

 とても、小さな組合の本部とは思えない。フランスにおいては、企業員会や企業単位の組合支部が整備され、組合活動家は相当の時間数の労働を免除され、組合の仕事に専念することができるので、財政的にも人材の面でも有利になっている。また、団体交渉の結果はすべての労働者に平等に適用されるので、組合加入のメリットは実際にはあまり無い。そのため、組合員数は先進国の中では最低水準である。組合員数に比べると、フランスの労働組合の政治的な影響力は決して侮れない。ここ20年間だけでも、組合のストが原因で、二つの内閣(1995年の年金スト、2006年の初期雇用)が辞職に追い込まれている。ともかく、不思議なフランスの労働組合の政治力である。

●労働組合は誰の代表:組合員の代表あるいは労働者全体の代表?

 フランスの労働組合の特徴として、組合が複数あることは知っている人も多いと思う。ではなぜいくつもの組合(ナショナルセンター)が存在しているのかとなると、答えに詰るのではなかろうか? 実は、私もしばらく前まで、複数組合の存在を、政治路線の違いと考え、あまり深く勉強してこなかった。ところが、2年前に、調査チームの一員として、労働組合の代表性の問題に関して、当事者とインタビューする機会があり、初めてこの問題がフランスの労使関係の方向性を決定するほど重要な問題であることに気が付いた。

 その問題とは、一体労働組合は誰を代表するのかという点にある。19世紀の終わりにリヨン周辺の地域で、賃金をめぐり労働争議が頻発する。紛争を解決するために、知事などが介入し、労使の協定が結ばれた。ところが、これらの協定の法的な効力をめぐり紛争が法廷に持ち込まれる。当時はまだ労働法は未発達で、雇用契約は労使の随意契約と規定され、一方の当事者の意思で、契約の破棄が認められていた(日本の民法と同じ)。そこへ、突然、異物である、労働協定が結ばれ、個別の賃金を変更する。

 その法解釈をめぐりさまざまな判決がなされる。協定に署名した紛争指導者は、何の資格で署名できるのか? 組合指導者は、組合員の代表なのか、それとも非組合員を含めた労働者の代表なのかという難しい問題である。もし紛争の指導者が組合員のみの代表とすると、自然発生的な紛争である場合、協定が適用されるのはストに参加した組合員のみとなる。となると、協定の一般的な拘束力は無くなるので、非組合員に対し賃金の引き下げが起こり、紛争が再燃する可能性があった。このような情勢の中で、20世紀のはじめに、上級裁判所が、労働組合(使用者団体)は、組合員の代表ではなく、当該労働者全体の代表であるとする判例法を確立する。

 イギリスなどの多くの先進国が、労働組合を組合員の利益代表とするのに対し、フランスは労働者全体の代表と位置づけることで、フランス独自の労使関係を発達させる。産業別協約あるいは企業協定は、労働者と使用者の代表が交渉するので、その協定は当該労働者・使用者を縛る「法」となる。団体交渉の当事者が一つの組合の場合も複数の組合の場合も同じ論理となる。少数組合であろうとも、団体交渉の席に座れば、全体の労働者の代表として交渉に臨むことになる。

 このように、多数組合、少数組合という垣根を取り払い、すべて当該労働者の代表とすることで、協約・協定の規範性を確保してきた。この論理が、1世紀以上前の判例法で確立したことは実に興味深い事実である。また、この判例法の成立過程は、今日のフランスの労使関係の特徴をすでに示している。まず、紛争の多くが自然発生的なストであること。ストはすぐに街中デモと発展し、政治問題化する。そこで、行政が介入し、和解にこぎつける。組合が強力で、交渉をまとめるために、戦術的なストを打つドイツやアメリカとはまったく異なり、対等な労使関係とか労使自治はフランスでは成立しなかった。そのため、法律で労使関係の手続きや枠組みを定めることなる。

●複数組合の並立

 第2次世界大戦以降になると、フランスでは、複数組合が原則となる。1948年に最大ナショナルセンターであったCGTとFOが分裂すると、すぐに中央レベルにおける代表的組合が法律により認定される。最大の勢力を誇るCGT、昔からあるキリスト教系のCFTC、戦時期に創設された専門職およびカードルの組合であるCGC、そしてFOが全国レベルの代表的組合と定められ、すべての団体交渉(主に産別交渉)に参加する権利が付与される。この背景にあるのは、最大のナショナルセンターであるCGTが独占的に団体交渉権を得る事を政府が嫌ったと言われている。

 CGTは、対戦中のレジスタンス運動の中核を形成し、圧倒的な影響力を持つことになる(1948年に組合員数400万人と言われた)。しかも、CGTの指導部は共産党員が占め、親モスクワ路線を敷き、共産党と一体化する。CGTの歴史的な指導者だった Léon Jouhaux とその同志は、CGTを去り、CGT-FOを創設する。その後、1964年には、CFTCが分裂し、宗教色を排したCFDTが出現する(すぐに、代表的組合と認められる)。この代表的組合と認められた5つのナショナルセンターは、その影響力や組合員数を考慮することなく、労働者代表として、すべての産業別、中央の団体交渉に参加する権利を持つことになった。

 ここでいくつかの説明が必要であろう。これ以外に、多くの産別組合がある中で、なぜ5つの組合のみが代表的組合と認定されたのか? また、なぜ組合員数の判定により、ナショナルセンターの数を絞り込めないのか? まず言える事は、フランス政府は、各労働組合の組合員数をまったく把握していない。組合加入は個人の自由に任されていて、各組合は組合員の数を水増しして公表する傾向があった(影響力を誇示するため)。さらに憶測すれば、このような統計は政治的に難しかったのであろう。戦後から1960年代までは、CGTが圧倒的な組合員数を有していたことは間違いないが、その他の組合の正確な組合員数が知られれば、その代表性そのものが問題視されかねなかった。戦闘的な組合として有名なCGTのみ突出することは、政府にとっても使用者団体にとってもマイナスでしかない。次に、労働組合は労働者全体の代表であるので、組合の数を絞る根拠があまりない。

 さらに大きな理由として、産別協約や企業協定の実質的な意味がある。他の国と異なり、協約は期間の定めがなく、破棄されない限り、自動更新となる。協約が成立しない場合、たとえば、賃金率が消滅するのではなく、毎年のプラスアルファー部分が協定に盛り込まれないことになる。優位原則という制度に守られ、労働者にとって有利な条件のみが下位の協定の交渉対象になる。つまり、事業所協定で決められるものは、法律、中央協定、産別協約、企業協定の上乗せ部分だけである。となると、多数組合が反対し、サインしなかった協定が少数組合の署名により発効しても、あまり実質的に大きな差はなかった。

 ようやく、2008年に代表性に関する法改正が実現し、代表的な組合の認定は従業員選挙で一定の票数を獲得した組合のみに与えられることになった(中央、および産別レベルで8%、企業レベルで10%)。2013年に、初めて投票結果が労働省から公表されたが、中央レベルでは、CGTが26.8%で辛くもトップを守り、その後CFDT(26%)、FO(15.9%)、CFE-CGC(9.4%)、 CFTC(9.3%)と続き、伝統的な5つの組合が交渉権を守る結果となった。しかし、産業レベルや企業レベルになると、上記の5つ以外に多くの組合が団体交渉への参加権を獲得した。たとえば、教員組合から出発したUNSAや過激派である Solidaires などが、一定のセクターで団体交渉権を獲得した。

●対照的な3つの組合の現状

1)混迷するCGT

 CGTはもっとも歴史の長い労働組合で、1895年に設立された。その後、政治路線を巡り、社会党系、共産党系、穏健左派で、絶えず離散集合を繰り返す歴史を持つ。第二次世界大戦の最中、共産党シンパのCGTがレジスタンス活動を牛耳り、戦後圧倒的な影響力を持つことになった。CGTは、その後、共産党と一体化し、1980年代まで最大労働組合として君臨する(1975年に公表の組合員数は250万人)。1990年代となると、CGTは、共産党との一体化を解消するが、その組合員数は急速に低下し、CFDTに肩を並べられるまでになる(2010年に公表組合数 68万人)。1999年に書記長となったベルナール・ティボー氏は、改革路線を進め、職業訓練の充実、労働組合の代表性などで、CFDTと手を握り、改革を推し進めた。

 ところが、2012年にティボー氏が退任すると、後任をめぐり内部での対立が表面化し、混迷した状態になっている。もともと、CGTの各産業組合は独立志向が強いので、現在の Lepaon 書記長は全体を統括できていない。そのため、政府主導の中央交渉でも、あまり明確な立場を取れない状況が続いている(中央交渉に参加した指導者の意見が中央委員会でひっくり返されるケースが起こっている)。CGTの基盤は、公務員、国有企業(国鉄、地下鉄公団、電力、ガス)と大企業の生産労働者であり、強い戦闘能力を持っている。たとえば、多国籍企業の工場閉鎖になると、CGTの活動家が工場占拠などを指導するケースが目立っている(6年以上続いた Goodyear のアミアン工場のケースは有名)。産業により姿勢の違いは大きいが、一般的に公務部門の現場は戦闘意識が高い。国鉄などの現場では、CGT以上に過激なSUD-Rail が影響力を持っているので、CGTの活動家は簡単には妥協できない。ただ、全体的に、現場の生産労働者が減っているので、CGTの地盤低下は隠しようがない。その昔、労働運動の聖地であったルノー社にヒヤリングに行ったとき、ルノーグループ全体では、管理職組合が最大で、CGTは2割強でしかないといわれびっくりした記憶がある。

2)改良主義をとるCFDT

 CFDTは1919年に創設されたCFTCを起源とし、1964年に主流派がCFDTに名前を変更した。1960年代には、社会党のロカール元首相らとともに、ユーゴスラヴィア・モデルに熱中するが、次第により穏健な改良主義を標榜することになり、社会党の路線と近づく。政策的には、企業内の労使交渉の活性化を重視するとともに、中央レベルでの社会的対話に熱心である。CGTと異なり、CFDTのメンバーはほぼすべての階層の労働者を平均的にカバーしている。

 現場の労働者、事務職員、技術職、専門職そして公務部門とそう大きな盲点がない。CGTが現場の自治を大切にしているのに対し、CFDTは中央指導型で、産業別組合の指導力が強い。2012年から若手の Laurent Berger が書記長の地位についているが、大変に評判が良い。毎年恒例となっている、労使の中央交渉では、労働界の主役を演じている。ただ、現在のところ、CFDTの味方はCFTCとCFE-CGCのみなので、労働界で孤立している感がある。政権側は、CFDTを頼りにしているが、労働者の反発が強い年金改革や医療改革になるとどこまで社会党政権を支持できるのか分からない。

3)政権批判を強めるFO

 歴史的にFOは、CGTと敵対関係にあった。もともと、CGTの歴史的指導者であった Léon Jouhaux などが、労働組合運動の政治からの独立と団体交渉の活性化を求め、CGTを飛び出した経緯があり、改良主義を主張してきた。FOの地盤は公務・民間の事務職あるいは技術者と言われる。一般的に、穏健路線を維持し、CFDTなどと共同歩調を取ることが多かったが、組合の代表性をめぐる改革(2008年)あたりから急速に改革反対に傾いている。そのため、もともと犬猿の仲だったCGTと共同歩調を取ることも多くなった。たとえば、2013年の労使の雇用保障に関する中央協定にはCGTとともに署名を拒否した。労働者の既得権利を守ることをにモットーにしている感があるので、今後も政府の社会保障改革、公務員削減の政策(財政赤字削減のための緊縮政策)に強く反発することが予想される。

●終わりに

 フランスの労使関係は実に分かり難い。制度が複雑で、それぞれの制度に関して細かな法律による規定があるので、労働法典は実に3千ページを超える。労働組合の指導者がまず勉強しなければならないのは法律であろう。同様に、企業の人事関係者の一番の仕事は法律に沿って雇用契約を準備し、企業委員会の資料を作成、そして法律で定められた様々な事項に関する団体交渉を行うことである。不幸にして、リストラに伴う整理解雇をする必要が出た場合、法律に定められた手続きをとらなければ、裁判で負けることは明白である。

 一年前にCGTの本部を訪ねたとき、対応してくれた人が「Droit ouvrier」(労働者法)というCGTの発行の雑誌の編集長だった。この雑誌は、50年以上の伝統のある労働法の専門誌で、多くの有名大学の法学者や弁護士がほとんど毎回寄稿している。近年、労働時間の編成などで、企業協定による法律あるいは産別協約の適用除外が認められるようになっているが、それも法律で定められた範囲でしかない。

 つまり、どこでも法律が幅を利かし、労使自治の領域が無い。では、なぜフランスでは、労使自治が発達しなかったのだろうか?多分、多くの要因が絡んでくるが、その一つは間違いなく労働組合が弱かったことにある。労働の現場である企業や工場レベルで労働組合の活動が本格的に認められたのは1982年のオールー法以降のことである。少数の大企業を除くと、企業は使用者が自由に支配する空間だった(企業の所有権と関連)。普通の団体交渉が不可能なので、現場の労働者ができることは、ストライキを打つことにより交渉に持ち込む戦術しかなかった。

 この自発的なストライキや工場占拠は、時に大爆発し、政治変革にまでつながる。1919年、1936年、1968年などがその例となる。これらの社会紛争の結果、労働側は団体交渉、労働協約法、労働時間の短縮、企業内における組合活動の活性化といった権利を獲得してきた。現在の経済情勢では、労働者保護が過重の感じは否めないが、労働者の権利と手続きが実に見事に法制化しているのには驚く。

 考えて見れば、日本の労働分野で、労働組合が自力で獲得したものは実に少ない。労働者の権利を保障する労働三法は、敗戦直後の日本に産業民主化の名目で「与えられた」ところが大きい。一般的に、労働組合の貢献として考えられるのは、賃金の上昇、労働条件の改善だが、どこまで組合の力が貢献したのか明確ではない。整理解雇に関する権利の乱用法理は、もしかすると、労働運動が獲得した大きな権利かもしれない。しかし、判例法でしかないので、多くの労働者は不当な解雇に泣き寝入りしているのではなかろうか? 日本の労働運動は、労働者の権利を法律などで定める努力が欠けていた気がする。
  2014年9月17日 パリ郊外にて

 (筆者はパリ在住・早稲田大学名誉教授)


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