最高の人生の見つけ方

■【エッセー】

最高の人生の見つけ方                  高沢 英子

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 9月29日、明治大学紫紺館での加藤宣幸・矢野凱也両氏の88歳米寿のお祝
いの会のご案内を頂いて、久しぶりに神田に出かけた。列席者の方で溢れている
会場入り口で、まごまごしていたら、思いがけず、加藤宣幸氏が、晴れ晴れした
お顔で挨拶をしてくださり、ほっと心がほどけた。

 盟友、知人、親族の方々、総勢百数十人という盛会。広々と明るく華やいだ雰
囲気の会場に入る。大きく取られた窓から、午後の日差しがふりそそぎ、矍鑠と
して談笑される往年の社会運動の闘士のかたがたの姿があった。

 戦後の日本で、東京を拠点に、信じる道一筋に歩まれた人たちの交歓は、ほの
ぼのした暖かい熱気に包まれていた。私事ながら、ほぼ同じ世代に属しているも
のの、これまでの生涯の大半を、東京からはやや距離のあった関西で、傍観者と
して過ごしてきたわたしにとっては眩しいような世界だ。

 いずれにしても、秋に入って早々少し体調を崩し、落ち込んでいたわたしのこ
ころに熱い灯がともされたような一日となった。加藤宣幸氏と俳人富田昌宏氏が
ここ数年主宰、編集してこられたメールマガジン・オルタの常連の執筆者であり、
加藤氏のかけがえのないよきカマラドでもあられる気鋭の初岡昌一郎氏の司会で
開会。88歳とは到底信じられない若々しい主賓のお2人のご挨拶のあと、往時
を振り返りながら、多くの方が日本の社会運動や政治の歴史と切っても切れない
お2人の生い立ち、長年のお交りの思い出などを語られながら祝辞を述べられ、
会は私のような政治に門外漢の者にとっても、愉しいものであった。

 多くの方々のお祝いの言葉や貴重な証言が集められた「莫逆の友とともに」と
題された文集と、加藤氏がこの年月、精魂傾けて編集に当たられ、100号を数
えるまでに成長したメールマガジン「オルタ」の「編集後記集」を頂き、帰宅し
てから2、3日はそれらをゆっくり昧読し、余韻を噛み締めながら過ごした。

 けれども、同じ時期、加藤宣幸氏の、よき盟友であり、メールマガジンオルタ
のオピニオンリーダーのおひとりでもあられ、執筆その他全面的に協力してこら
れた元社会党国会議員の東海大学名誉教授河上民雄先生が、1週間前の22日、
天に召されたというお知らせも受け、人生の諸相についてしみじみ考えずにいら
れない日々でもあった。

 いつも柔和な笑顔を絶やされなかった河上先生の、生前の俤をお偲びしつつ、
また、生涯、献身的に先生に尽くされ、私たち仲間の端くれにも常になにかと心
配りの行届いた京子夫人の、悲しみとお寂しさも思いはかりつつ胸締め付けられ
る思いも味わったのである。わたしは夫人とは年頃も近く、出身が伊賀と伊勢で、
同じ三重県の隣同士のくに、ということもあり、かつて加藤氏がわざわざ一席を
設けてご紹介してくださり、以来親しくお付き合いを頂いてきた。

 心からご冥福をお祈りしたい。思い返せば、五十数年前、大学を卒業したばか
りの私が、始めて伯父の中井徳次郎によび出されて上京したのも、当時伯父が、
河上民雄先生の父上、丈太郎先生と同じ社会党に所属する議員として国会にあり、
その私設秘書のような形で、よばれたためだった。

 しかし、当時の現実の政治状況にとんと無智で、役立たずだったわたしは、間
もなく職を離れ、やがて、その当時東大の社会科学研究所で助手を勤めていた阪
本仁作と結婚。翌昭和33年春に、関西学院大学に転じた夫に従って関西に舞い
戻った。

 関西学院大学はプロテスタントのメソジスト系ミッション大学で、奇しくも河
上丈太郎先生が、かつて教鞭を取られた大学であり、河上先生がそうであられた
ように、夫もクリスチャンだった、という因縁もあった。夫は西洋宗教政治思想
史が専門で、おもにヨーロッパの宗教改革前後の思想史を専攻し、昭和65年世
を去るまで、関西学院大学に勤めていた。

 夫の死後も関西に住み続けていた私に転機が訪れたのは、6年前、関節リュウ
マチのため可なり重度の障害を持っている娘が、40歳を過ぎて子供に恵まれて
間もなく、その夫が突然東京転勤を命じられるという事態が起こり、1歳にもな
らぬ幼童の育児支援を求められ、2005年、俄かに娘一家と東京で同居するこ
とになった為だった。

 久しぶりの東京生活は、それなりに活気があり、充実していたといえなくはな
いが、相も変わらず、世のしがらみに忙殺され、焦点定まらず、うろうろしてい
た処、翌年の夏ごろ、私とは若いころ、互いに近所同志という誼もあった畏友で、
偶然四高で夫の学友でもあられた西村徹先生のご紹介を頂き、2006年夏から、
オルタに拙い文を寄稿する、という幸いな機会に恵まれた。

 以後、毎月のオルタ発行は、大きな励みとよりどころになったが相変わらず、
日常のしがらみに足を取られ、休みがちの申し訳ない状態のまま年月だけがどん
どん過ぎ、気がついたら立派な後期高齢者の仲間入りをしてしまっている。
 
 めずらしく家の者が不在の昼下がり、たまたまテレビをつけたら、映画の画面
が出た。アメリカ映画で日本語の題名が「最高の人生の見つけ方」という。そん
なものがあるなら、教わりたいものだ、と見ていたら、久しぶりにジャック・ニ
コルソンが登場した。ニコルソンは「かっこうの巣の上で」以来、好きな俳優の
ひとりである。

 2007年の映画ということで、少し古い。うろ覚えの中身を紹介させていた
だくと、最初の場面は、病院かどこかの会議室。ニコルソン演じる主人公のひと
りエドワードは、病院の経営実権を握っている実業家で大富豪という設定。病室
には個室などは要らない、と力説している。一同、不承不承押し切られた形で、
その場は終わる。

 続いてそのエドワードに、脳の腫瘍がみつかり、すでに末期で、余命半年から
1年の宣告が下る。手術を受け、自分の経営する病院に入院、手術を受けて治療
を始めることになった。当然個室はないから、簡単なカーテンで仕切った部屋に、
隣り合わせた患者は、これがまた“ドライビング・ミス・デイージー”の黒人名
優モーガン・フリーマン演じるところの自動車修理工で、年はエドワードよりひ
とまわりくらい若く、60代後半という設定で、同じく、余命半年から1年と宣
告されている。

 すっかり開き直っているエドワードと、落ち着き払って運命を受け入れている
信仰篤い自動車修理工の2人は、どちらも率直なところがとりえ、というキャラ
クターの持ち主で、いつのまにか自然に意気投合する。このあたり、さすが名優
の貫禄充分で、いつのまにか観ているほうも、自然に惹きこまれている。

 まず、互いにそれまでの人生を、包まず簡潔に、紹介しあう。ニコルソン演じ
る実業家は、これまで4回結婚したが、いずれも破綻し、現在は気楽な独り暮ら
し、2度目の結婚で女の子がいるが、妻に連れ去られ、成人してから、結婚のト
ラブルに父親ぶりを発揮して強引に介入したのが裏目に出て、いまは付き合いも
絶たれている。

 一方のフリーマンは、もともと歴史学者になりたかった、ということだが、子
供ができて大学を中退、「若い、資産もなし、技術も持たず、黒人、どんな仕事
がありますかね?」と、さらりと言ってのけ、ようやく見つけた修理工の仕事を
黙々と勤め上げ、家族のよき父で夫というつつましい境遇に満足しているという
役柄。夫婦仲は申し分ないようだ。歴史学者を志していたというだけあって、博
覧強記、テレビのクイズは殆んど百発百中という知識の持ち主だ。

 さて、ベットに並んで、これまでの人生をひととおりふりかえったあとで、2
人は残された生存期間中に、この人生でやっておきたかったことのリストを作成
する仕事に夢中になって取り掛かる。まず、互いに別々に拵えたリストを検討し
あい、討議を重ね、いよいよ実行、ということになる。みながみな同じというわ
けではないのは勿論である。

 こうして、ある日、この老人2人は書き連ねたリストをポケットに、子供のよ
うに胸弾ませて、病院をあとにして、旅に出るのである。人生のおとぎ話の始ま
り、というわけだ。

 カーター憧れの車マスタングに乗ってのカーレースあり、スカイダイビングあ
り、ヒマラヤ登頂あり、花の都の巴里の歓楽、エジプトでピラミッドを目のあた
りにし、うっとり歴史の壮大さを味わい、万里の長城をバイクで駆け抜け、サフ
ァリパークでは猛獣狩りに参加、奇想天外とも、ありきたりのナンセンスとも云
わば云え、とばかり、彼らの夢が、次々と華々しく、ときには騒々しく実行に移
され、展開してゆく。末期の病人と思えぬ元気さだ。

 両名優の演技と個性から滲みでる、なんともいえない豊かで暖かい人間味と、
華麗でパノラマテイックな景観、金に糸目をつけないパリの豪奢なホテルのたた
ずまい、フリーマン演じるところの老修理工が、「あんたは、いったいどのくら
い金を持ってるんだね」と呆れながら、自分より老体の孤独な企業家が、次々提
示する計画に乗り、落ち着き払って、心ゆくまで、人生最高の贅沢を受け入れて
楽しむすがたが、これまた見ていて不思議に気持ちがいい。

 インターネットでは薄っぺら、とか深みがない、とか叩いている人もいたが、
それほど真面目に取り組むほどのこともない。そろそろ終わり方を考えねばなら
ない年齢にある私などは、それはそれで、なかなか面白いみものだった。

 2人ともとりたてて立派な思想や崇高な信念など持ち合わせているわけではな
い、おそらく映画の中で、ふと口をついた2人の会話から察しるに、彼らが愛読
していたと思われるサローヤン言うところの、humann race、つまり正真正銘の
ただの人であり、まことのひとであっただけだ。

 信仰篤いカーターと対照的にどちらかというと、日頃信仰からは遠いと見受け
られるエドワードだが、会議中に、カーター死すの報せを受けるや、突然彼の口
から「『神曲』を知っているか」という言葉が飛び出したりするが、そのかれも
カーターの葬儀でスピーチし、間もなく後を追う。

 実はこの映画、原題は“The Bucket list”という。
 インターネットのコメントでは、この原題を「棺桶リスト」と訳しているが、
これには注釈がいるかもしれない。

 すべてが終わり、2人の遺骨をそれぞれ納めた2つの Bucket は、終始この2
人に付き添って、かれらの計画実行を蔭で助けたエドワードの秘書の手で、雪深
い冬山の頂きにある岩に穿った、彼ら2人だけの小さな納骨所?に収められる、
というのが最後のシーンなのだが、そもそも2人の遺骨を納めたこの Bucket の
本体が、ここでは、棺桶ならぬ彼らの1人カーターが生前愛飲していたインスタ
ントコーヒーの空き缶だった、というばかりか、これについて、物知りカーター
が、かつて知り合ったばかりのとき、講釈して曰く、そもそも、コーヒーなるも
のは、エチオピアの羊飼いが、ヤギがその豆を食べると、俄然元気になるのを見
て、真似して飲用したのが始まり、と説明していたのだが、最後のところで、再
びその話に付け加え、実を云うと、そもそも、その豆を食ったジャコウネコの糞
が、とてもいい薫りを放ったからそこから取り出した種を使って煎って炊いて飲
んだのさ、と言い放って、大笑いするシーン(ジョークで大笑いするという計画
もリストに組まれていて、ここで消去される)というおまけのついた曰く因縁つ
きの Bucket だからだ。

 今の時代、自由を求めて勝手仕放題の男性の行動描写だけでは、話の納まりが
つきにくいというわけか、家族愛と人間愛という落ちも用意され、女性視点から
のサービスも配して、最後は家に帰ったカーターは、ご機嫌斜めの妻をなだめ、
家族水入らずの団欒と、妻と2人、愛を確かめあうしっとりしたシーンのあと、
妻が席をはずしたすきに床に身を横たえて息絶え、エドワードは別れて暮してい
る娘との誤解を解き、和解するシーンが付け足されている。

 女性の私の観点からして、ややセンチメンタルではあるが、ほっとさせられる
場面ではある。真の自由というものが、サローヤンが言うように「人間の生活と
虚妄を秩序や、美や、善意や、意義に少しずつ近づけてくれるものであり・・・」
(古沢安二郎訳)とするならばなおさら、これをもって薄手とかセンチメンタル、
とかと、簡単にいえないであろう。

 サローヤンが出たついでに、次の言葉も引用させていただく。―世界を支配し
ているものは、生命である。個性のない、自由な生命である。名もない生き物が、
日夜、職業作家や素人作家の助けをかりて、それぞれの物語りを語っている。そ
の中で、最も偉大な語り手は時と変化、或いは死である。しかし、死は私たちの
滅亡でもないし、敵でもない。生命の誕生に次いで、死は私たちへの最高の賜物
であり、真理に次いで、死は私たちの最良の友である。―(古沢安二郎訳「作家
の宣言」より)

 (筆者はエッセーイスト・東京都在住)

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