【投稿】

有閑随感録(13)

矢口 英佑

 日本でそれなりの企業に就職するためには、それなりの学歴や資格がないと雇用者側も採用には慎重になり、門前払いも珍しくない。そうした日本の現状は如実に数字に表われていて、義務教育の中学卒業で社会に出て働く若者は、文科省の資料によれば、平成29年度(2017年)では、中学卒業者総数のわずか約0.3%に過ぎなかった(ちなみに1965年では約4分の1の中学卒業生が就職)。
 現在、日本では学歴も経験も不問で職に就ける業種は、現場作業などがほとんどで、デスクワークなどではそうそうあるものではない。たとえあっても待遇的、仕事内容は恵まれたものでないことを覚悟しなければならないだろう。

 かつての〝集団就職〟や〝金の卵〟などといった言葉は今や死語になってしまった観がある。それに反比例するように、大学進学率は、文科省の「令和元年度学校基本調査」によれば2019年度には54,67%に達している。大まかに言えば、18歳未満(だけとは限らないが)の若者の2人に1人は大学まで進学するという時代になっているのである。

 現在、日本の大学数はほぼ800校(短期大学を除く)で、そのうち定員割れを起こしている大学が200校を超えている。「2018年問題」(日本の大学や受験業界で2010年頃から言われ始めた言葉で、18歳人口が2018年を境に減少に転ずることへの対応を考えなければならないことを指した)から早くも2年が経過し、大手有名私立大学でさえも生き残り策の手をゆるめることができない時代に入ってきている。
 私の極めて個人的な思いを言えば、大学関係者からはお叱りを受けるだろうが、経営が思わしくない大学は、学生をしっかり教育し、人間的に大きく育てることと、大学の社会への貢献を置き去りにしたような生き残り策をとるなら、むしろ潰した方が良いと常々、思っている。日本の大学数は着膨れ状態で、もう少し身軽になるべきだというのも今までに何度も言ってきたことである。

 なにやら話が横道にそれてしまった。学歴も経験も不問、肉体労働による戸外での現場作業でもなく、デスクワークができる職業があるという話をするつもりでいたのだから。
 その職業とは、書籍の編集業務である。今、私がお世話になっている論創社には私のような枠外の人間を除いて、10人の社員がいる。このうち他社で編集者としてそれなりに経験を積んできた編集者が4人、その他は編集業務の経験はなかった人で、論創社で鍛えられたというわけである。大卒でない編集者もいて、そのほとんどが中途採用の人たちである。鍛えられたと言ったが、この会社には厳しい叱咤、説教の声が飛ぶなどといったピリピリとした空気はなく、むしろ〝ほんわか〟としている。

 しかし、各編集者には年間で10冊程度の本を編集、刊行することが暗黙のうちに科せられている。このノルマをこなすには先ず本にできる原稿が途絶えることなく手元になければならない。しかも2、3本の原稿を同時進行のようにして編集作業を進めていかなければ10冊達成はかなり難しい。
 しかし、そこは良くしたもので、これまでの会社の仕事ぶりを評価する執筆者が多いためか、口コミで新しい出版希望の原稿持ち込みが絶えないし、過去の執筆者が再度、新たな原稿を持ち込んでくるのも珍しくない。「編集者の仕事は編集業務だけでなく、出版を通して関わりを持った人と時々、会うことも仕事」は社長の持論だが、確かに今の会社の様子を見ていると、それを否定する材料はなさそうである。

 そういえば、私もかつては忘れた頃になると社長から「一杯やりますか」と連絡が入ったものだった。時には他の編集者も同席して、軽い気持ちで書きたい内容など話したり、知り合いが原稿を持っていることなどを伝えたりすると、「それ、出しましょう」と背中を押されることになるのである。場合によっては、同席した編集者に原稿が出てきたら編集を担当するようにと、先の話まで決めてしまうことさえあった。

 一方、論創社では他社では売れないとの理由から見向きもされなくなっている戯曲を長年刊行し続けている。「売れないから出さないでは、日本の戯曲文化が消えてしまう」、これは社長の信念といってもよいだろう。「大きな書店の戯曲ジャンルの棚をみると、今じゃ、うちの本ばかりが並んでいる」というのも頷ける。
 このような社長にご褒美でもあるまいが、昨年のノーベル文学賞受賞者にフランスに住むドイツ語圏作家のペーター・ハントケ(76)が選ばれた。日本ではあまり馴染みのない作家のようだが、知る人ぞ知るで、ヨーロッパでは彼にノーベル文学賞が与えられても不思議ではなかったようである。
 彼は戯曲も多く手がけ、2014年には舞台芸術分野で世界的に権威のあるイプセン賞を受賞している。この彼の作品を論創社は14年前の2006年に『私たちがたがいをなにも知らなかった時』を、2014年に『アランフェスの麗しき日々』を翻訳、出版していて、彼のノーベル文学賞受賞が伝えられるや、論創社には注文が殺到し、電話は鳴りっぱなしだったようである。急遽、増刷したことは言うまでもない。

 また国内外のミステリーも長年にわたって刊行され続けている。エンドレスなのかと思わせる論創ミステリー叢書の刊行のほか、ミステリーに関わる評論や単発のミステリー本の刊行もある。担当編集者も複数になるのは言うまでもない。ある大手の出版社の編集者に会社名を言うと、即座に「ミステリーをさかんに出しているところですね」とこの業界でも、そこそこ知られているので、私が驚いたほどだった。

 社長も編集のプロなのだが、最近の様子を見ていると、まるで親鳥がヒナに餌を与えるために巣を離れて飛び回っているかのようで、デスクワークの時間はかなり減っているようである。もちろん自力で企画から出版まで行う編集者もそれなりにいるため、1人が1年で10冊程度出版するのに必要な原稿は不思議と集まってくるのである。

 かくして「学歴も経験もない」編集者のヒナたちは膨大な分量の文章の世界に入り込み、文章の表現、文字の使い方、誤字・脱字等々と格闘し、執筆者と相対し、いつしか一人前の編集者になっていくのである。
 ただし、「学歴も経験もない」のは問題ないが、「読書が嫌い」で、前回この欄で書いたように「考える葦」を放棄したような人には無理な仕事のようである。

 (元大学教員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧