【投稿】

有閑随感録(14)

矢口 英佑

 編集者らしき仕事を始めてから、コーヒーと酒の量が増えたようである。編集という仕事に就いている人の誰もが私のようになっているとは思えないが、長い間の仕事に一区切りをつけて異なる業種に身を置いた者としては、この変化に少々驚きさえ感じている。

 酒はさておき、なぜコーヒーを飲む量が増えたのか、理由は単純明快である。これまでの職業に比べると、主婦も企業の会長も大学の先生も、といったように多様な人びとと接することが当たり前になった。もちろん年齢幅もかなり広い。前職ではこれほど多種多様な人びとと面談することなどなかった。思い返してみれば、同系色の人びとがほとんどだったのである。
 ところが今は知人の紹介だと言って、パソコンに原稿を送ってくる人がいたり、出版したい原稿を持っているから一度、話を聞いて欲しいと連絡が入ったりと、相手がどういう人物かわからないケースもある。そのほか書面で企画だけ送ってくる人もいる。

 会社にお出でいただいて面談に至るまでに、たいてい何回かのメールでのやりとりがあってから、ようやくお会いするのだが、最初はお互いがなんとなくぎこちなくなるのは仕方ないところだろう。特に執筆者側には「本を出してもらう」という気持ちがどこかにあるためか、こちらが能動的にならないと、話すことは決まっているのに切り出しにくそうにする人が比較的多い。そこで、私の方から「ちょっとコーヒーでも飲みながらお話を伺いましょうか」と言うことになる。
 幸い神保町界隈にはコーヒーを飲ませる店は場所柄か大変多い。会社から1分以内で行ける所だけでも3店舗ほどあり、その時の気分でそのいずれかの店にご同道を願う。

 こうして、コーヒーは昼間、執筆者との打ち合わせや、出版の相談で訪ねて来られた方となんとなく気分をほぐすのにはうってつけの「道具」となる。原稿の話を始める前に、その店のコーヒーの味やその店のことなど本筋でない話をすることで、すんなり本題に移行できるというわけである。

 そういえば大学の教員時代、定年前10年ほどは研究室にコーヒーメーカーを置いて、2日に1回程度はコーヒーを飲んでいた。別にコーヒー好きというわけではなかったが、なんとなく飲みたくなる時もあり、そうかといって大学内にある自動販売機のコーヒーは飲む気になれず、自分で淹れるようになった。
 時にはコーヒーを淹れている最中に我が研究室を訪ねてきた教員におつき合いしてもらったこともあった。私のところにやって来る教員はたいてい何か用事があって、しかも面倒な相談だったり、楽しくも嬉しくもない報告だったりする場合が多く、コーヒーの香りが研究室内に漂っているのは、落ち着かない心情を和らげるのにはもってこいだった。

 そのうち私のところで淹れたてのコーヒーが飲めるという情報を得た教員がふらりと顔を出すようにもなった。「特段の用件があるわけじゃないのですが……」、これは「コーヒーを飲みに来ました」の意味だということに気がつくのにそう時間は必要なかった。
 これは私にとっては大歓迎で、学内の私が知らない情報や学内事情を仕入れることができたし、コーヒーがお互いの気分をリラックスさせるのに役立ったと思っている。

 このように飲みたい時に飲むコーヒーは美味いと思うし、それなりの効用もある。ところが、今は1日に1回は社長から「ちょっとコーヒーを飲みに行きますか」との声がかかる。たいてい何か用件があるからで、私からも日々、報告することがあるため、このお誘いを断ったことはない。こういう時のコーヒーはあまり美味いと思って飲んだことがない。社長との話に重きが置かれているからだろう。
 でも立場を変えてみると、社長にとって、私と飲むコーヒーは私と話をするための「道具」になっているのである。だから、コーヒーを飲み終わってしまっているのに話が終わっていない時などは、もう1杯、社長はコーヒーを注文することになる。

 執筆者との面談がない時、私は会社に置かれているコーヒーメーカーを利用してコーヒーを飲んでいるから、私は毎日2杯はコーヒーを飲んでいることになる。それ以上の日もあるので、そんな時には胃から〝適量オーバー〟の信号が送られてくるときもある。
 かつて大手出版社で私の校正原稿の打ち合わせをしていた時、私と編集者の前にコーヒーが出されていたが、私の担当編集者が目の前のコーヒーに口をつけずに打ち合わせを終えたことがあった。その時はなぜ飲まないのか不思議に思ったものだった。

 しかし、今ならよくわかる。
 あれは「道具」だったのである。そして、ひょっとするとあの時の編集者は胃から「適量オーバー」の危険信号が送られていたのかもしれない。
 人間は自分が体験しないと理解できないことは多々あるが、コーヒーが「道具」として使われているのは、今の仕事を始めていなければ気がつかなかったにちがいない。しかし、この「道具」、私には使いすぎるとどうやら身体に負担をかけるらしい。それは酒も同じだと、もう一人の私がかなりうるさく喚いている。

 (元大学教員)

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