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有閑随録(15)

矢口 英佑

 ある一つのことを決めるとき、組織が大きくなれば、それだけ決定に時間がかかり、そのうえ実行するとなると、さらに時間が必要となる。
 私が長年籍を置いていた大学という組織は、一部のワンマン体制や上意下達方式が浸透している大学を除くと、その傾向が強いように思う。ただ私の言う大学とは私立大学のこと。法人化したとはいえ、国立大学は国の意向が強く反映されるし、公立大学は自治体が設置者だけに、おのずと私立大学とは異なる力が加わってくる。国立大学や公立大学では教授会での決定も、国や自治体によってひっくり返されてしまうこともあり得る。
 しかし、私立大学のなかには教授会の総意を反映させた組織運営を目指し、学部自治なるものを尊重しようとするところもある。それは悪いことではないのだろうが、現在のような社会の動きが激しい時代には、教員の自己満足に陥ってしまうことにもなりかねない。

 聞いただけでも疲れそうな、こんな話もある。
 ある女子大学で学生の学内喫煙について、その取り扱いが話題になり始めた。きっかけは女子トイレがたばこ臭いという声が大きくなり始めたからだった。それ以前から暗黙の分煙が行われていたらしいのだが、その決められた場所で吸わない学生が増え出していたようである。その理由は
・たばこを吸っている姿を教員や先輩、後輩から見られたくない。
・わざわざ喫煙場所まで行くのが億劫。
・他人と言葉を交わしたくない。
・寒さ、暑さや風雨を避けたい。
等々であったらしい。

 こうなると学内のしかるべき委員会(各学部各学科から選出された教員で組織)で取り上げられることになる。こうした全学委員会はどこの大学も通常は1カ月に1回開催される。
 委員会で取り上げられる案件は、委員会開催前に事務側のこの委員会担当課長あたりから委員長(教員)に事前に知らされ、委員長の了解を取りつけるのだが、たいていは事務ペースで進められる。

 初めて取り上げられた案件については、委員会で事務側から案件とした経緯などの説明がされる。この学生の喫煙問題は教職員にも関わるため、他人事では済まされない委員が多く、事務側の説明もかなり詳しく報告されたらしい。結局、第1回目の委員会では、そこまでで終わってしまったという。他にも案件があり、委員会の終了時間も定まっているからである。
 1カ月後の委員会では、各学部学科からの実情報告で終了。第3回目の委員会では各学部学科の学生指導方法や対応方法の紹介。第4回目となる夏休み前の委員会でようやく実質審議が始まり、しかし、結論が出ないまま夏休み明けまで持ち越し。

 大学の後期(秋学期)授業は一般的には9月中旬~下旬以降から始まるため、委員会は10月から再開されることになる。
 他大学の実情、校内完全禁煙か分煙か、違反者の処分、禁煙に向けた啓蒙活動等々、さまざまな方向から意見が交わされたのだろうが、結局、その学年が終わる3月の最終委員会になっても結論は出ないまま、新学年での継続審議案件になったそうである。

 ところが、その学年の最後の委員会で継続審議案件となったあと、事務職員の一人がつぶやいたそうである。「学生の禁煙は校是なんだけどな」と。
 このつぶやきを耳にした教員は「それならなんで審議事項などにするのか」と、どっと疲れを覚えたそうである。と同時に、「校是」とつぶやいた職員は1年間、それを知りつつ何も言わなかったのかと腹がたったというのである。確かにこの事務職員には発言権はなかったかもしれないが、ほかに知らせる手立てはあったはずだからである。

 ここには組織の大小だけではない、もっと根本的な組織を構成している一人一人の責任の大小、責任感の強弱も関わっているように思える。現在、身を置いている小さな出版社では一人一人が小舟に乗り込み、海に漕ぎ出しているようなものだろう。
 周到な企画準備と細かな打ち合わせや検討を加えながら、社長や他の編集者の助けも借りて迅速に事を処理していかなければ、波に呑み込まれてしまう危険性がある。一人の小舟がひっくり返れば、他の小舟も安全とは言えなくなる可能性もあり、その意味では常に真剣勝負と言えそうである。
 一つの審議事項が1年過ぎても答えが出てこない組織があり、誰もそれを責めないなどと知ったら、ここの編集者たちはきっと信じないにちがいない。

 (元大学教員)

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