【投稿】

有閑随感録(4) そして誰もいなくなった

矢口 英佑

 毎日、散歩をしながら何を考えて歩いていたのか、散歩が終わってしばらくすると、忘れてしまうことは珍しくない。おそらくたいしたことは考えていないからなのだろう。
 また散歩しながら目に映り、流れゆく周囲の風景も、季節の移ろいは肌で感じながら、どのような木が、花が、とその時は覚えているのだが、あとになると、その場所がどの辺りだったのか、たいてい記憶に残っていない。その証拠に、しばらくその道を通らずにいた一つの散歩コースの途中の商店街で、歯が抜けたように空き地になってしまっている箇所にぶつかると、その店が何の商売だったか、まったく思い出せないことがよくある。閉店した店を思い出せないのは、私がその店と関わりがなかったということもあるだろう。そして、あまり買物などしない私からすれば、また新しい店が開店するのだろう程度にしか思わず、新しい店の開店待望感より、前の店がなぜ閉店したのか、そちらの方がずっと気になる。

 半年ほど前に、私が時たま暖簾をくぐっていた街の居酒屋が閉店した。マンションの一階部分が店舗になっていたため、空き地とはならずに今ではパン屋に変身している。
 定年となった我が身には、新しいパン屋には関心がまったく向かず、店を閉じてしまった居酒屋のオヤジさんのその後の方が気になっている。〝同病相哀れむ〟(?)といったところだろうか。
 ただこの居酒屋がなぜ閉店したのか、なんとなくわかるような気がするし、おそらく私の判断は間違っていないと思う。

 私がこの街に移り住んできたのは20数年前で、その居酒屋はすでにあった。オヤジさんは私と同年齢か、あるいはそれ以上だと思われる。閉店する前のこと、久しぶりに顔を出すと、カウンターの向うのオヤジさんの応対ぶりは相変わらずだったのだが、歩くときの様子がひどくぎくしゃくとしていて、危なっかしい印象を受けたのだった。他の客との会話からどうやら膝を悪くしていて、歩行がままならないらしいことがわかった。商売柄、立っていることが多いだけに辛いに違いなかった。
 ひょっとするとこの居酒屋もそう長くないかもしれない、うまく治ってくれるといいのだが、と思いながら店を後にしたのだが、閉店を知ったのはそれから間もなくだった。この居酒屋のあとを継ぐ者がいないことは、店の前の張り紙が教えてくれていた。

 商店街であれば一つの店が閉店しても、次の店がまた開店するというわけで、空疎観が漂うといったことはあまり感じない。ところが、住宅街を散歩していても、最近は同じように、いつの間にか空き地になっているのにぶつかることが珍しくなくなった。しかもその数が増えてきている。
 おそらくその家の建て主がその土地に家を新築したのは、今から25~30年ほど前になるのではないだろうか。その頃、その建て主は銀行が住宅取得にかかわる資金を貸してくれるほどの収入があり、子どもは幼稚園や小学校に通い、奥さんは専業主婦か、パートで外に働きに出ていたのかもしれない。さらには夫婦どちらかの両親、あるいは片親と一緒に住んでいたかもしれない。
 働き盛りの夫は家のことは奥さんに任せ、決められた時刻に家を出て、会社ではストレスに押しつぶされそうになりながら、その対価としての給料を手にするために働き続け、家人を養ってきたに違いないのだ。

 我が身に重ねあわせて空き地となった宅地を見るせいだろうか、どうしても〝強者たちが夢の跡〟といった悲哀感と、〝そして誰もいなくなった〟という喪失感が漂っているように感じてしまう。
 長い間住んできた、いまは空き地となってしまったこの場所から〝誰もいなくなった〟のはなぜなのだろうか。家を新築したときには存命だった親はすでに亡くなっているだろうし、ひょっとすると配偶者のどちらかも亡くなり、子どもは家から出て行って独立してしまっている可能性が大きい。残された夫婦(あるいは夫か妻の単身)は年金によって生きていくしかない現在となっていただろう。

 かりに住宅ローンを完済していなければ、一戸建て住居を維持するのはかなり困難が伴う状況に追い込まれる。貯金がそれなりにあっても、今後の長い年金暮らしを考えれば、一戸建て住居に住み続けることは、その維持費(税金も含めて)だけでも馬鹿にならず、老後困窮者になる恐れなしとは言えない。
 何よりも家族構成が変わってしまった夫婦だけの生活に一戸建て住居は必要ないだろう。こう考えれば〝そして誰もいなくなった〟状況は、必然の結果なのかもしれない。更地となった土地には新たな家が、新たな家族によって建てられるケースが多く、前に住んでいた家族が戻ることはほとんどないようである。あるいはその更地が駐車場やアパートなどになってしまうケースもある。不動産売却や転用によって老後の生活資金を調達するのかもしれない。なにしろ子どもに老後を面倒見てもらうことなどできないのが核家族の終末期なのだから。

 ただ、持ち家を持っていた人たちは、まだいいのかもしれない。2014年に日弁連が行った調査によると、自己破産者のうち70歳以上の割合が2005年では3.05%だったのに2014年には8.63%へと上昇しているという。また厚労省の生活保護受給世帯数の調査では、2017年度の月平均は164万810世帯で、このうち高齢者世帯の増加率が高く、2017年度の月平均数は86万4,708世帯で全体の52.7%を占め、2016年度から2万7,679世帯も増えているという。
 定年退職後、悠々自適の生活を送れる人はごく少数に過ぎないことはこれらの数字が教えてくれている。核家族の最終末期には〝そして一人になった〟となるわけで、金の切れ目が縁の切れ目にならないような人とのおつき合いを大切にしていくしかないらしい。
 しかし、「そして一人になった」状態を迎えることになる、この日本という国の社会構造について、それは家族のありかたというものに繋がるのだろうが、どうやら日本人は一人ひとり考え直さなければならない時代に突入しているようだ。

 (元大学教員)

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