木下 真志著『転換期の戦後政治と政治学―社会党の動向を中心として―』

■新刊紹介; 岡田 一郎

木下 真志著『転換期の戦後政治と政治学―社会党の動向を中心として―』 敬文堂、2003年12月刊、定価5000円+税

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 本書は、6章および補章から成っているが、取り上げている事柄が多岐にわ たっているので、内容ごとに、日本の政治学の現状について分析している第1 部(第1・2章)・社会党および社会党研究の現状について分析している第2部 (第3章と補章)そして戦後政治全般および現在の日本政治について分析して いる第3部(第4~6章)と3部に分けて論評していきたいと思う。

 まず、第1部であるが、「よくぞここまで言った」というのが第一印象であ る。これまで日本の政治学の危機について断片的に語られることがあったが、 ここまで正面から日本の政治学の危機を論じた文章を私は知らなかったからで ある。

  日本の政治学の危機とは、アメリカ型の、数理統計を駆使して、一切の価値 判断をおこなわない分析手法が政治学界を席巻し、他の分析手法を「政治学的 でない」として排除していることである。 1947年の時点で丸山眞男が喝破していたように、「学者が政治的現実についてなんらかの理論を構成すること事態が一つの政治的実践」であり、その事実 に目をつぶって、自分はいかなる立場からも中立であることを標榜すること は、「『勝てば官軍』的な日和見主義を『客観的』態度の名においてまきちら す役割を果たす」こととなる。

(1)現に、最近の日本の政治学の傾向は極度 に体制追随となっている。 さらに、たちの悪いことには、最近の政治学はこれまでの政治学の業績のう ちに反体制的なものをイデオロギー的として排除しておきながら、自分たちは 体制の側に立ち、「価値中立」を標榜していることである。丸山はこうも言っ ている。「価値決定を嫌い、『客観的』立場を標榜する倣岸な実証主義者は価 値に対する無欲をてらいながら実は彼の『実証的』認識のなかに、小出しに価 値判断を潜入させる結果に陥り易い」

(2)(丸山が危惧していた事態が現代 においてどのように具体的に実現したかについては、本書の補章を見ていただ きたい) 丸山政治学ひいては日本の政治学の出発は、日本の政治学が戦争を防止する ことが出来ず、国民を塗炭の苦しみに追い込んでしまったという反省から出発 したはずである。しかし、今日の政治学は丸山ら日本政治学の先達の反省を忘 れ、日本社会が抱える危機的状況に向かい合おうとはせずに、「知的なゲー ム」に没頭している。このような日本政治の危機に対する筆者の怒りは、日本 の政治学の現状を多少なりとも知っている私も心から同意するものであり、む しろこのような義憤を胸に秘めた政治学者が存在するという事実に感銘を覚え た。 第二部では、「左派連合」という筆者独自の概念を用いて、1950年代から 60 年代にかけての社会党を分析している。「左派連合」とは、鈴木派を中心とす る社会党左派・総評左派・社会主義協会の3者の協力関係を指している。1950 年代前半に逆コース・再軍備に反対する広範な国民の支持を総評・社会主義協 会を通じて結集出来たために、社会党左派は躍進し、逆コース・再軍備が争点 ではなくなった1960年代になると総評・社会主義協会から無党派の国民の支持 が離れ、社会党は衰退したと筆者は説明している。 実は私も、かつて社会党左派・労組・社会主義協会の3者の結合を「鈴木路 線」と名づけて、社会党の盛衰を説明しようとしたことがある。

(3)しか し、現在ではこの考えを放棄している。なぜならば、「左派連合」または「鈴 木路線」によって社会党左派の盛衰は説明出来るが、1950年代前半に左派ほど ではなくても右派社会党が躍進した事実を説明できないからである。また、何 派をもって左派と呼ぶかという問題が起こる。例えば、鈴木派は左派社会党の 中心であったが、1955年の再統一前後に右派社会党の河上派との結びつきを強 め、左派というより中間派というべき存在となっている。一方、この時期、社 会主義協会との結びつきを強めたのは和田派である。そして、鈴木派と社会主 義協会との関係は疎遠となっている。

(4)この事態を「鈴木路線」という私 の概念でも「左派連合」という筆者の概念でも説明することは出来ない。 「左派」とか「鈴木」にこだわることなく、逆コース・再軍備に反対する社 会党(右派社会党にも再軍備に反対していた人々は多くおり、左派に限定する 必要はない)・それを支持する労組・漠然と社会主義の夢を社会党に託す進歩 的知識人・逆コースや再軍備に反対する無党派国民(逆コースや再軍備に反対 する人はみな左派を支持していたわけではなく、当然、右派社会党を支持して いた人もいたであろう)の結合体が1950年代前半に出来上がり、1960年代に社 会党から民社党が分かれ、社会党支持労組から民間労組が分かれ、進歩的知識 人から向坂逸郎系以外の知識人が分かれ、無党派国民の多くが社会党支持層か ら分かれていったといった考えたほうが良いのではないだろうか。 第2部に関しては、筆者の勘違いと思われる箇所がいくつか見られたので指 摘しておく。まず、伊藤好道が和田派となっている(本書75ページの表1) が、鈴木派の誤りである。伊藤は鈴木茂三郎の側近中の側近である。「江田を 理論面で支えた伊藤好道」(本書76ページ)という表現も意味がわからない。 伊藤は1956年に病死しているが、このとき、江田は伊藤よりずっと格下であっ たはずである。 厳しいことをいろいろ書いたが、第3章の後半の社会党の党組織のあり方や 活動家の待遇に関するところは私も筆者の意見にほぼ同意することを付記して おく。

第3部に関しては、どれも第1部・第2部の論文と比べて短いもので、論評す るのが難しいが、小選挙区制導入と自民党国会議員の出世欲の関連性について 触れたところは非常に興味深かった。大義名分を持って導入された「改革」が 実はつまらない理由で支持されたり、反対されていたりしていることが多いと いう良い例である。確信犯的に小選挙区制導入を推進した政治学者たちはいい として、表面的な大義名分だけを信じ込んで小選挙区制導入を推進した政治学 者たちの分析能力のなさは今後、追及されていかなくてはならない。この問題 は第1部の問題意識とも関連してくるであろう。 問題意識もなく「知的なゲーム」に没頭し、何が言いたいのかわからない論 文が多い中で、本書に収録された論文は、現実の社会と向き合い、自分の意見 を堂々と展開し、時には怒りを露にすることも辞さない。これらはどんな分野 においても研究するという上で当然の態度なのであるが、最近ではその当然の ことが出来ない研究者が多い。政治学者としての当然の態度をかたくなに守っ ている筆者は、日本の政治学界に残された最後の良心とも言える一人である。

注 (1)「科学としての政治学―その回顧と展望―」(1947年6月) 『丸山眞男集』第3巻、岩波書店、1995年、149ページ。 (2)同上、150ページ。 (3)拙稿「『鈴木路線』と日本社会党」『筑波法政』25号(1998年12月)。 (4)上野建一・石川康国『山川均・向坂逸郎外伝 労農派1925~1985(上)』 社会主義協会、2002年、268~280ページ。