東京裁判と遊就館

■『東京裁判と遊就館』         西村 徹

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 昔テレビはNHKしかなかった頃「政党討論」という題の番組だったかで、
なにを議論していたかは忘れたが、議論がひとつ決着がついたところで、共産
党の宮本顯二が、まるで最後っ屁のように「結局みんな反共なんだ」と、さも
止めを刺したかのように、したり顔で微笑んだ。当時はこれで、殺し文句にな
った。反米の気運が高く、「反共」とか「反動」とさえいえば、人はいささか
怯む気配がかなりの程度一般的であった。マスコミも今のマスコミとは逆に政
権には批判的で、その気運に大方は乗っていた。ところが、当時逓信大臣の田
中角栄は、すかさず「なんでもかでも反共といえばすむもんじゃない。こっち
を反共というんなら、そっちは反資本主義というだけじゃないか」と不機嫌な
顔で応じた。宮本のしたり顔は揺るがなかった。
 この場面では自民党の田中角栄が民主主義者で共産党の宮本顯二は民主主義
者でなかった。宮本は自己の立場を無前提に絶対化しており、田中は自己相対
化をみずからにも課しつつ同じ地平に立つことを宮本に求めた。むろん自民党
が民主主義で共産党が民主主義でないというのとはちがうであろう。
 いまでは考えられないようなことだが、「反共」「反動」は今日の「マルク
ス主義」みたいに(近頃少しは復権したが)、相手をやっつけるときの殺し文
句になった。最悪は「トロッキスト」だった。「修正主義」というのもあっ
た。やっつけレッテルとして「アナキスト」はいまだに賞味期限切れではない
ようだ。「レジスタンス」は「テロリスト」に貼り替えられた。「リバテリア
ン」は権力支配からの絶対的自由を志向する理想主義者、いささか浮世離れし
た夢想家が自ら名乗る言葉であったはずが、今は一転して、無制限の利潤追求
を主張する俗悪かぎりない銭ゲバの化け物を指すようになった。レッテルがい
かに空虚でインチキなものかが分かる。
 アイドルとかカリスマとか本来の意味から外れた使われ方がされたり、また
「豪華」というより「ゴージャス」のほうが一枚格が上のように思われたりす
ることを「カセット効果」と呼んだ人がいた。カセットとは宝石箱のことであ
る。中身はたとえ安ピカのまがい物でもカセットに入れると上等に見える。言
葉にもそれがあるという。この呼び名そのものがカセット効果を持っているの
だから、なかなかしゃれた思いつきである。「思いつき」より「アイディア」
というほうがカセット効果はあるということにもなる。増税や貧富格差拡大を
「改革」というのもカセット効果の極大化であろう。「三位一体」などカセッ
トだけで中身はないというのもある。「毅然とした」対米屈従もある。
 これとは逆もある。マイナスのカセット効果というのもある。その場合は宝
石箱でなくてゴミ箱だから「ダストビン効果」とでも言えばよかろうか。上に
書いた「反共」その他がそうである。先の選挙の「改革を止めるな」も、「抵
抗勢力」もそうである。本来が価値中立的な言葉に、ある種の方向性を与えて
百万遍繰り返して、バイアスのかかった思想を刷り込むのはデマゴーグに常套
の手口である。
 A級戦犯という言葉も内実を離れてレッテルだけが独り歩きしていないか考
え直してみてもよいのではないか。「ダストビン効果」は働いていないだろう
か。
 中国がA級戦犯というとき、その中身のいかんにかかわらず、日本人の戦争
責任を、その一握りの指導者にしぼって、その他一切を免罪してくれたのだか
ら、日本としてはこんなありがたいことはない。A級戦犯を祀っている靖国神
社に公式参拝するなという、たったそれだけのことなら、黙って、たったそれ
だけ、そのとおりにすればすむだけのはなしである。外交は損得勘定が真っ先
にくるものだとすれば、こんな得なはなしはない。ほんとに本当に、たったそ
れだけでいいのというような、じつは極めておいしいはなしのはず。裏を返せ
ば「A級戦犯」サマサマなのである。ついでながら憲法9条もおなじく、理屈
ぬきで今のままが絶対に得なのである。やはり憲法9条サマサマなのである。
アメリカが押し付けたというのなら、これまたアメリカ・サマサマではない
か。外交はポチのようにアメリカに尻尾振ることではないが、チンピラのよう
に中韓に肩そびやかすことでもない。
 しかし、それはあくまで外交上のはなし。それを別にして日本人内部の
「心」問題として、もう一度、そもそもA級戦犯とはなんぞやを問い直してみ
る必要があるのではないか。もちろん、それは、東京裁判というものを歴史の
なかの遠景に置いて見直すことと不可分である。靖国神社と日本の軍隊の歴史
も当然含んでのことになる。それらをいわば日本史の縦軸において、頭を冷や
して振り返ってみてはと思う。それによって、今靖国をめぐって国論を二分し
ている亀裂を埋める道筋が見えてきはしないであろうか。
 A級戦犯とは、大まかに言って、戦時国際法により被害国の裁判所で犯罪者
を裁く「通例の戦争犯罪」(BC級)とは異なり、主として45年8月に決ま
る、したがって事後法と批判されもする「平和に対する罪」を問うものであ
る。主に政府や軍の指導者を対象とする。
 それはそれでよいとする。たしかにA級戦犯という概念に見合う人間はいる
であろう。わずか28名ということはなかろう。百倍千倍いるかもしれぬ。戦
時中の、あの常軌を逸する、権力とりわけ軍部、警察の横暴からして、もっと
もっといるはずである。被告収監中の処遇や裁判の理不尽と量刑の程度におい
て、また数において戦闘現地で行われたB級C級の比ではない。BC級で裁か
れたのが5700人、死刑が934人に対してA級28人中死刑は7、ほんの
形だけの微々たるものにすぎない。当時の1億円をかけて陸軍士官学校講堂を
改装するなど、巨費を投じて勝者の威勢を誇示する「世紀の裁判」というショ
ーの、しかも予告編という程度のものにすぎなかった。
 規模の大小はこの際措くとする。しかし戦犯処罰はポツダム宣言10条に立
脚するものとして、その10条には「一切ノ戰爭犯罪人ニ對シテハ嚴重ナル処
罰ヲ加ヘラルベシ」(stern justice shall be meted out to all war crimin
als)とある。それならば「一切ノ戰爭犯罪人」には原爆投下の責任者も、ル
メイのような無差別焼夷弾投下の責任者も含まれるべきものではないのか。ま
た勝利国のみによって裁くことも宣言には言及されていない。「一切ノ戰爭犯
罪人」(all war criminals)を裁くのならば、裁判の公正を期するためには中
立国によって行うのが妥当でないのか。戦争犯罪は勝敗とは無関係であろう。
勝利者が原告となり、原告が検事と判事を受け持つ裁判とは、なんとも奇怪な
裁判ではないか。

 はっきりと正直に報復裁判と言ってくれれば、維新のときの経験から「勝て
ば官軍」のアイロニーとしてでも渋々ながら納得できぬではないが、一方的な
報復を、まるで公平な正義が行われるかのように詐わるから意趣が尾をひく。
キーナン主席検事は「戦勝国が侵略戦争の責任者たちを処罰できないという理
由はあり得ない。日本は無条件降伏したのだ!」と、嘯いたという。それでは
裁判の必要などなかろう。清瀬弁護人が裁判官忌避動議を出して痛いところを
衝かれたウェッブ裁判長は、顔面蒼白、強引に休廷を宣言、再開後いきなり
「忌避動議却下」を言い渡したという。裁判ならぬ報復以外のなんであろう
か。
 ましてやバリバリの戦争犯罪人ルメイに対して、「東京を焼いてくれてあり
がとう」と言わんばかりに勲一等をくれてやったりするから、そしておまけ
に、その卑屈な日本国政府の親玉が、片方で「毅然として」こそこそと靖国神
社に非礼参拝するのだから、どうしても売り言葉に買い言葉、遊就館史観のよ
うなものを誘い出してしまう。遊就館史観をまるまる受け入れようなどとは、
つゆ思わぬが、A級戦犯は敗者のみならず勝者の側にもいることは心に留めて
おいてよいだろう。
 遊就館史観も藪から棒の、まるまるが出まかせでもなくて、東京裁判の清瀬
一郎弁論をほとんどそのまま反映したものである。パル判決も強力な支えとな
っているだろう。今になって読み返せば、清瀬弁論を全肯定は無論できないが
全否定もまたできないであろう。経済制裁は軍事的制裁に先立つ、戦争挑発の
意図を含んだ前段的措置であるというのが軍事専門家の間の通念ではないの
か。挑発に乗って褌かつぎが横綱にむしゃぶりついたのは愚の極みには違いな
いが、横綱が挑発したのもまた事実であろう。「平和に対する罪」その他、ベ
トナムやイラクでのアメリカの、スエズでの英仏の、またアルジェリアでのフ
ランスの、紛れもない罪は裁かれたか。もはや事後法ではない。45年以後に覇
権国家が地球規模で「平和に対する罪」をどれだけ重ねてきたか。なにひとつ
裁かれてはいないではないか。いまだに米国はICC(国際刑事裁判所)設立
条約を批准すらしていないのである。
 サンフランシスコ条約締結以前の、法的には戦闘行為続行中のことだから、
報復は戦闘行為としてこれに甘んじるとする。それにしても正義の皮を被って
いる以上、いま少しはそれらしいものであってよいはずである。ところが裁判
の実質たるや、お粗末きわまるものというほかはない。梨本宮の逮捕(その後
不起訴釈放)のほかは、閑院宮誤認逮捕の失策以後、皇族はいっさい逮捕され
なかった。南京事件を起こした部隊は朝香宮直属の師団であったが日本政府側
の工作によって逮捕は避けられた。東久邇宮は本土防衛総司令官で、日本空襲
で撃墜された米軍パイロットの処遇の最高責任者のはずが逮捕は避けられた。
 その後は、もうひたひたと日米合作による、天皇免罪を目標に操作というか
捜査は進むことになる。そうなれば、それを覆い隠して余りある悪玉が必要と
いうことで、すべての責任を東条英機に、そしてその共犯にと標的は絞られて
ゆく。また海軍より陸軍へと、すこしは文官もとりまぜて配役はえらばれてゆ
く。その経緯は多くの書物が明かすところだが、その中でキーナン主席検事が
我が意を得たりと内心小躍りした場面を、一つだけ揚げておく。太平洋戦争研
究会編、平塚柾緒著『東京裁判の全貌』(河出文庫2005年)と吉田裕著『昭和
天皇の終戦史』(岩波新書1992年)から、こきまぜて摘み食いする。
 キーナンは天皇に戦争責任がないことを東条に明言してもらうために工作す
る。工作は成功し、東条は「陛下にご迷惑のかかるような答弁はしない」と約
束する。ところが47年12月31日木戸幸一被告担当弁護人ローガンが反対尋問の
中で「天皇の平和ご希望に反して、木戸がなにか行動したり進言した事例を、
ひとつでも覚えていますか」と聞いた。東条は「そういう事例は私の知るかぎ
りない。のみならず、日本国の臣民が、陛下のご意志に反して、あれこれする
ことはあり得ぬ。いわんや日本の高官においておや」と証言した。キーナンは
慌てた。そうなると開戦は天皇の意思によることになるからである。ウェッブ
裁判長は天皇有罪論のオーストラリア人である。ローガンが尋問を終えるや
「それは天皇に開戦責任ありということになるぞ」という意味のことを仄めか
して釘をさした。
 天皇免責を予定していたキーナンは、同じ芝白金の野村ハウスに起居する田
中隆吉(少将)に打開策を相談した。田中は松平泰昌(宮内省宗秩寮総裁)に
働きかけ、松平は拘禁中の木戸幸一に東条説得を依頼した。翌48年1月6日の
法廷で東条は期待に応えて「それは私の国民としての感情を申し上げておった
のです。責任問題とは別です。天皇のご責任とは別の問題です」と述べて前言
を撤回した。めでたしめでたしで、田中隆吉は松平泰昌に招かれ、非公式に
「今回のことは結構であった」との天皇の言葉と共に「御下賜品」としてジョ
ニーウォーカー赤ラベル一本をもらったという。
 以上、摘み食い終わる。
 なんのことはない。昭和天皇の信任厚かった東条は忠良なる臣民として、み
ごとにその信にこたえたわけである。総じて被告らは法廷において意外なほど
に淡々としていたらしく、映像で見たニュルンベルク法廷でのゲーリンクなど
の傲然たる態度と重なるところは、まったく見受けられなかったように思われ
る。
 何故であろうか。日本の武士に固有の美学、まな板の鯉というようなもの
が、あるいはあったかもしれない。メーチニコフいうところの「東洋人特有の
宿命論的無関心」であろうか。それはひとまず胸に収める。いますこし即物的
に見て、ニュルンベルクの場合のように共同謀議を問うことは米側も当初は半
ば諦めざるをえなかったらしいことから見ても、結局日本にはナポレオンもヒ
トラーもスターリンも毛沢東もいなかったのである。指導者とはいいながら巨
大な悪党は一人もいなくて、さりとてフーシェやタレーランのような大怪物も
いなくて、軒並み忠順な従僕の群れにすぎなかった。石原莞爾が検事にむかっ
て言ったという。秦郁彦『昭和史の謎を追う』(文春文庫99年)から孫引きす
ると、「世界のお歴々が集まって裁判する値うちのある者は一人もいない。み
んな犬のような者ばかりで、戦争に勝った世界の大国が犬をつかまえて裁判し
たとあっては、後世の物笑いになる。裁判をやめて帰ってはどうか」が当たっ
ているように思われる。犬はハチ公のような忠犬であった。
 「みんなでわたればこわくない」で、打ち揃って赤信号を渡ってしまっただ
けなのだ。幕末以来暗殺が制度化されているこの国で、わけても昭和初期、テ
ロリズム花ざかりの季節以後、ひとり踏ん張って渡るまいなどしようものな
ら、天皇にさえ暗殺の恐怖があったという。渡ってしまったそのうちの7名
は、処刑台に立つ時、「しこのみたて」として、「おおぎみの辺にこそ死な
め」とわが身を「かえりみは」しなかったのであろう。主人は空の空なる天皇
で、その天皇が周辺の勧奨に応じ、退位落飾して裕仁(ユーニン)法皇とな
り、仁和寺の金堂に退いていたならば、悲劇の廃帝として日本史に深い陰翳を
投じていたでもあろう。配流の上皇たちに列なることによって敗者の美学が生
まれもしたであろう。天皇の神格は、あるいは失われなかったかもしれぬ。あ
りようは最後までイヤイヤをして、マックと並んで写真を撮られるような、な
んともはや救いがたいアンティクライマックスであった。天皇の為に死んだ者
には、はなはだ割り切れぬ、また、悔やむべきことであった。無論人々には、
むしろさいわいであった。「あのかたい 厚い なめらかな氷」はたたきわら
れ「髯 眼鏡 猫背の彼」は実像を白日にさらして巡業に励み、歯を見せて帽
子を振るなど道化の愛嬌を振りまいて偶像の座から落ちた。
 とにもかくにも7名は天皇のために死んだ。内外の戦争被害者のためではな
く天皇のために死んだ。レーリンクによると彼らに良心の痛みは見られなかっ
たというのも、そのことのためであると思われる。彼らは「通常の戦争犯罪」
の命令者でもなく実行者でもなかった。彼らは天皇を輔弼するという抽象的な
次元で、もっぱら天皇教の呪縛の下に生きた。明治の元勲は胎の内では天皇を
手中の「玉」とする強かなマキャベリズムを懐中にしていたが、昭和の指導者
ら、とくに軍人は、あどけないほど純真な天皇教徒であった。いささかオウム
のエリート幹部のようにもあった。そして「天壤無窮の皇運を扶翼」し奉るた
めに死ぬという、文字通り最後のご奉公をはたした。滅私奉公を彼らは貫徹し
た。悔いのない最後を従容として死んだのであろう。「虜囚の辱め」は免れな
かったが、敵軍の手に堕ち天皇の楯として死んだのだから「殉難者」と称され
て辻褄は合うことになる。
 さて、量刑の当否について、なかでも広田弘毅と松井石根については後にキ
ーナンも死刑は不当といい、広田については城山三郎『落日燃ゆ』に詳しい
が、松井もまた、すでに予備役で隠退の身を召集されて、南京事件の結果責任
のみを問われた。浅香宮や中島今朝吾の尻拭いを、日露戦に従軍したことのあ
る篤実な老人が引き受けさせられた。軍モラルハザードの犠牲者ともみられ
る。成り行きの次第では日中友好に重きをなしていたかもしれぬ中国通であっ
た。7名については死刑というには首を傾げざるをえないのもあり、後味のき
わめて悪いものであることは間違いない。レーリンク判事(オランダ)の意見
書、ベルナール判事(フランス)の意見書、そして、とりわけパル判事(イン
ド)の「全員無罪」とする判決書のような少数意見もあったこと、「有罪と認
定された被告の刑罰を決定するためには、正義の要求に従って、本官は天皇の
免責を考慮に入れなければならない」という、被告の引き受ける刑罰は天皇の
免責とバーターだという意味の露骨な発言がウェッブ裁判長の口からなされて
いることは心に留めておくべきことであろう。
 起訴された被告個々の量刑の当否のほかに、起訴されなかった容疑者の問題
もある。秦郁彦は「無実の罪に泣いた人もいれば、うまく立ちまわって高みの
見物をきめこんだ大泥棒もいた」(同上)とし、多数の「裁かれなかった人た
ち」の名を揚げている。対米開戦の、すなわち真珠湾攻撃の責任者として、真
っ先に東条を標的としたのだから、戦死していなければ山本五十六が筆頭にき
たはずであるとも秦は言う。宣戦布告の通達が遅れたのは山本には責任がな
く、山本は職人として最善を尽くしたにすぎず、本来戦争犯罪を問われる筋合
いにないが、アメリカの勝手な理屈ではそうなる。そうなると山本は軍神とし
て英雄として国内外でもてはやされ、他方東条は指弾されるのは、東京裁判を
基準とするかぎり大きな矛盾である。仮に東京裁判を認めたとしても、中身そ
のものにこれだけの矛盾がある。このようにA級というレッテルは、はなはだ
しく怪しげなレッテルであって、米国牛に貼られるであろう「安全」レッテル
と大差はなかろう。これを鵜呑みにしてステレオタイプな責任糾弾をして省み
ないでいると、大きく事を誤ることになるだろう。
 もちろんA級の誰も彼もが犠牲者だなどというのではない。「戦陣訓」だ
の、憲兵の私兵化だの、翼賛選挙だの、なんだかんだと、東条は天皇には忠臣
でも、国民には「非国民」であった。平沼なども検事総長として振るった辣腕
と兇行、たとえば大本教本部のダイナマイト爆破など、正気の沙汰とは思えぬ
妖怪悪鬼の爆破魔であった。そういうのもいる。A級を逃れたなかにもいる。
それは裁判や処罰のレベルで捉えるのでなくて歴史の認識のレベルで明らかに
する必要のあることであろう。その努力は欠かせまい。そして、日本近代の、
とりわけ昭和初年以後の、軍国主義日本国家権力が対外的のみならず対内的に
も猛威を振るった、あの残忍と兇暴、発狂状態としか思えぬ、あの陰惨な、軍
と特高の横暴、弾圧、抑圧のすさまじさはどこから生じたか、どれほどの修辞
を重ねても尽くせぬ、あの暗黒の非文明を再発させぬ処方箋はどこにあるの
か。それを探るたゆみない努力の欠かせぬことはいうまでもない。
 そのためにこそ、つまりは歴史を徹底して明らかにするためにこそ、A級と
いう到来物のレッテルを、ミソもクソもいっしょにして、そのまま貼って悪玉
を仕立て、安易にそれを自分のアリバイにして自足しているだけでは、不毛以
上に手抜きのマイナスになるだけだろう。かてて加えてA級が合祀されている
からといって靖国までをも疎外してしまうのは、ますますもってまずかろう。
靖国がA級を合祀する必然性は論理的に以上によってすでに明らかで、むしろ
合祀しないできた理由は姑息な政治上の理由のほかにはありえまい。その鬱屈
が遊就館史観を生み出し、刺激し、そのボルテージを高めさせてきた。政治家
の靖国公式参拝によって中韓を刺激する愚とともに、靖国と、それを取り巻く
勝手連の応援団を、いたずらに刺激する愚もまた避けるべきであろう。靖国
は、むしろ静かに寄り添って「抱きしめて」御霊の鎮まることを期すべきもの
に思う。
 「朝日新聞」(05.11.5)に上杉隆というジャーナリストが、いまど
き、まだ「14人のA級戦犯の合祀は国際的な理屈に合わない」などと書いてい
る。またしてもA級のレッテル貼り。靖国神社は国営でも国有でもない。一宗
教法人なのだ。宗教に「国際的な理屈に合わない」もあるまい。また「東条元
首相の遺骨は太平洋上に撒かれ、靖国神社にはない」ともいう。遺骨など靖国
神社にある祭神などいるのか。いるのなら、どれくらいいるのか。無言の凱旋
で帰ってきた白木の箱の大方は、空っぽか中身は石ころだった。南の島やジャ
ングルで飢えて死んだ御霊の遺骨がどれだけ帰ったか。「分祀も難しいことで
はないはず」というが、宗教法人に、祭神を切ったり貼ったり、だれが介入で
きるのか。政教は分離しているのだ。これでは自民党の改正憲法草案の「象徴
天皇は維持する」のように、天皇を、まるで家畜を飼育するかしないかを取り
沙汰するようにいうのと同じではないか。そこまで靖国神社を、また神道をバ
カにしてよいものか。こういう薄手の、しかも高みからの物言いが摩擦の熱を
高め、遺族の怨みを掻き立て、御霊を騒がせるのだ。これだから荒霊(アラミ
タマ)はいつまでも和霊(ニギミタマ)にはならぬのだ。
 ジョージ・オーウェルが1945年11月9日の「トリビューン」に「復讐の味は
苦い」(原題はRevenge Is Sourでsourは「酸っぱい」だが、カレーの「辛い」
はhotでも「カレーは熱い」とは言わないのに倣う)という文章を寄せてい
る。ニュルンベルク裁判の開廷が11月25日に迫っていて、「戦犯裁判」「戦犯
処罰」が取り沙汰されているとして書いている。「ハッキリ言って、復讐なん
てものはありえない。復讐は当方が無力なときに、そして無力なるがゆえに実
行に移したくなる営みである。無力感がなくなれば忽ちその欲望もまた霧と消
える」。また「どういうわけか、こういう怪物ども(註:ゲーリンクやリッペ
ントロップ)を処罰することは、いざそれができるとなると、さして人目を惹
くほどのものにも思えなくなってしまう。まったくもって本当に、いったんガ
チャンとぶち込んでしまえば彼らはほとんど怪物ではなくなってしまう」。さ
らには「彼らの『凶行』を鵜の目鷹の目ほじくらないと我慢がならず、戦犯と
スパイの狩り出しに生唾を嚥むのは一握りのサディストだけ」ともいう。
 ニュルンベルク裁判開廷の直前において、すでにこのように勝利国の側から
オーウェルが言う。裁かれた側の日本人同士が、裁いた側の貼ったレッテルを
巡っていがみ合って、互いの溝を深めていては埒が明くまい。

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