東南アジアに広がる上座部仏教の源流をスリランカ仏教にみる

■宗教・民族から見た同時代世界

東南アジアに広がる上座部仏教の源流をスリランカ仏教にみる 荒木 重雄──────────────────────────────────

 少数派ヒンドゥー教徒タミル人組織と多数派仏教徒シンハラ人政府との25年
に及んだ悲惨な紛争が終わって3年が過ぎた。紛争の間、少数民族の権利を奪い
抹殺さえ煽る独善的なイデオロギーとも化したスリランカの仏教であったが、と
もあれ平穏な時代を迎えたいま、あらためてスリランカ仏教のほんらいの姿を歴
史にも遡って眺めたい。

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◇◇ 「南伝仏教」の源流
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 〈紀元前3世紀、インドからスリランカに渡った上座部仏教は、やがてここス
リランカから13世紀前後にビルマ、タイ、カンボジア、ラオスに伝えられ、東
南アジアに一大仏教文化圏が形成された〉。これは高校の世界史でも学ぶ南回り
の仏教伝播の常識だが、仔細にみると興味深い事実にも出会う。

 スリランカの史書『マハーワンサ』(5世紀)はスリランカへの仏教伝来をこ
う記す。インドに最初の統一王朝を建てたアショーカ王の子のマヒンダ長老が上
座部仏教をもたらすためこの島を訪れ、当時の王は彼らを迎えて首都アヌラーダ
プラに精舎「大寺(マハーヴィハーラ)」を建立した。アショーカ王からは次い
で仏舎利が送られ、島の王はブッダガヤの菩提樹の枝を勧請した。

 これらの話が半ば伝説だとしても、上座部仏教がこの地で一定の発展をとげた
ことは事実である。

 たとえば、それまで口承によって伝えられてきたパーリ語の経典が、棕櫚の葉
すなわち「貝葉」に書写されたのが紀元前1世紀半ばのスリランカでのことであ
り、これが仏教史上、最初の経典書写事業となっている。
 また、5世紀前半、インドからスリランカに渡ってブッダゴーサが著した『清
浄道論』などパーリ語の三蔵(経・律・論)注釈書をもって上座部教学は完成さ
れたとされ、これが現在に至るまで標準となっている。

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◇◇ 一本道ではなかった歩み
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 スリランカの仏教というと、上座部の大寺派のみと考えられがちだが、じつは
そうではない。大寺派は上述のマヒンダ長老に寄進された「大寺」にはじまる由
緒ある宗派だが、前1世紀には反大寺派を掲げる「無畏山寺(アバヤギリ・ヴィ
ハーラ)」が興り、のちに「祇陀林寺(ジェータヴァナ・ヴィハーラ)」も派生
して、大乗仏教や密教が広まっていた。

 仏教の伝播もスリランカから東南アジアへの一方通行ではない。12世紀、3
寺の抗争に加え、南インド・タミル軍の侵攻で危機に瀕したスリランカ仏教を救
ったのはビルマから招かれた上座部の高僧たちで、これによって大寺派が復活し、
以後、大寺派がスリランカ仏教界を統合することになった。
 また、18世紀に西欧の植民地支配下で衰退したサンガ(仏教教団)を復興し
たのもタイから招かれた高僧であった。

 もうひとつ記しておきたいのは、東南アジアの特徴ともなっている王とサンガ
(仏教教団)の密接な関係も、スリランカに始まったことである。すなわち、王
を「正法王」「菩薩王」などと称え、〈王はサンガを保護し、サンガは王の正統
性を承認する〉という相互依存関係であるが、これがやがて、王や国家の仏教教
団への統制が強まり、権力の庇護を頼りとする教団が権力におもねる、現在にま
でつながる仏教界の体質・行動原理をうんだ。

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◇◇ 「戒定慧」を生きる僧侶
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 さて、このような伝統の上にあるスリランカの僧侶たちの修行生活に目を移し
てみよう。

 上座部仏教での修行とは、一言でいえば、出家して教義を学び、戒律を守って
瞑想を主とする実践によって自力で解脱して涅槃に至り、欲や苦を離れ輪廻から
も脱して救済を完成しようとする営みである。したがってその特徴を出家主義と
主知主義にみることができる。

 スリランカでは、出家は7歳からできるが、普通は10歳前後に得度式で十戒
を授かってサーマネラ(沙弥)という見習い僧になり、師についたり仏教学校に
通ったりして教義を身につける。
 ちなみに十戒とは、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒の五戒に、夜食
を摂らない、花輪や香料で身を飾らない、寝台でなく硬い床に寝る、歌舞音曲を
しない、金銭の授受をしないの10項目の禁である。

 出家の動機は、本人が望んでというよりも地域や家庭の事情や、子を出家させ
ることで家族にもたらされる功徳を願ってのことが多い。
 やがて成人して資格ありと認められれば具足戒を受けて正式な僧侶(比丘)と
なり、教団に所属して227の戒を守って修行に専念することになる。
 スリランカでは、タイやビルマと違って、一度出家したら還俗は原則的に認め
られない。

 じつは、大寺派も18世紀以降、3派に分かれた。教義にはほとんど差異がな
いが、シャム派は社会階層で最上位のゴイガマ(農耕カースト)以外の出家を認
めず、それに対して、アマラプラ派はサラーガマ(シナモン採り)、カラーワ
(漁民)、ドゥラーワ(ヤシ酒造り)など低位カーストを受け入れ、ラーマンニ
ャ派もカーストにこだわらず出家させるとともに、人里離れた森林や洞窟に居を
定めて生涯を瞑想に明け暮れる厳しい修行の森林修行僧(アーランニャウァーシ
ン)で有名である。

 もうひとつの特徴の主知主義はどうか。
 上座部の修行の第1歩は教義の理解である。その大筋は次のようである。

 人生は「苦」に満ちている。それは、この世の全ての事物は「縁起」によって
移り変わる「無常(常ならぬもの)」「無我(実体なきもの)」であり、執着に
値するものではないのに、それに執着する「無明」によって起こる。ゆえに「四
諦(苦の偏在、苦の生起因、苦の消滅、苦の止滅の方法)」の理を知り「八正道」
を実践することによって執着を離れ無明を脱却すれば、苦を滅尽して涅槃に至る。

 あまりにといってもよいほど仏教の基本に忠実であるが、この境地を知的なら
びに体験的につき詰めて「明知」に至ることが上座部仏教の精髄である。

 さて、このような自己救済を専らとする僧侶が、現実にはどのように市井の人
びととの交渉のなかで生きているのか、そこに生身の仏教社会が現出するが、そ
れは次号のトピックとしたい。

 なお、今・次号の記述は文化人類学者・鈴木正崇氏の知見に負うところが多い
ことを付記しておく。
 (筆者は社会環境学会会長)

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