【オルタの視点】

柳澤協二さんの『「北朝鮮・核・ミサイル・憲法」を考える』発言について

荒木 重雄大原 雄望月 喜市


 オルタ169号(2018年1月号)で柳澤協二さんに『北朝鮮・核・ミサイル・憲法』を考える。という発言(http://www.alter-magazine.jp/index.php?go=CRh5iw)をしていただきましたが、これについて3人の方に緊急にコメントを頂きましたので、掲載します。 (オルタ編集部)

(注)柳澤協二さんは防衛庁官房長・防衛研究所長を歴任後小泉・安倍・福田・麻生政権の下で内閣官房副長官補として安全保障政策と危機管理を担当し、現在はNPO国際地政学研究所理事長。著書は『改憲と国防』『亡国の安保政策』『検証 官邸のイラク戦争』『抑止力を問う』など多数。

◆◆「オルタ」の論調の基軸として ◆◆
  荒木 重雄(元桜美林大学教授)

 「オルタ」169号の巻頭に置かれた柳澤協二氏の発言は、北朝鮮の「脅威」とそれへの対処をめぐって、日本の安全保障を米国の軍事力に依存することの危険性、さらにひろく、自国のそれを含めてそもそも軍事力を背景にすることが効果が乏しいばかりかネガティブな反作用が大きいことを説いている。この論旨じたいは目新しいことではないが、さすが元防衛官僚の視点による分析は具体的で筋道が通り、説得力をもって迫ってくる。
 論は憲法改定問題に及び、国会やメディアの議論は文言や運用の「技術論」に傾きがちだが、ことの本質はそこではなく、「力づくで争う国になるのか、それとも、争いの根っこを理性と道理の力で解決して争いを止めようとする国になるのか」の「国家像」の選択である、とする。氏も指摘するように、世界が全体として分断と対決の流れを増しているいま、ここは、充分に聡明でかつ断固とした決断が求められる。

 「オルタ」は一定の政治的主張を目的とするメディアではないが、安倍政権が北朝鮮の脅威を理屈に異常な速度で日本の軍事化と対米依存を強め、憲法改悪にまで及ぼうとしている現在、柳澤氏が論ずるような、北朝鮮に対する日、米、韓それぞれの立ち位置の検証(北朝鮮にそもそも日本を攻撃する動機はあるのか、あるとするならそれは何か)による「脅威」の見直しや、分別ありげな技術論に陥りがちな憲法改定論を国家論の原点に取り戻す(戦う国か和解の国か。非戦の理想を掲げて70余年に亙って保持してきた国際社会の信頼とそれに基づく安全を発展させるのか放擲するのか、の)方向性は、大枠としてリベラルをめざす市民メディアの基本論調として、さらに深め広げ、発展させるべきものと思われる。

◆◆ 戦後日本の処方箋とは:柳澤論文の読み方 ◆◆
  大原 雄(ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、オルタ編集委員)

 私は、日本国憲法は、敗戦を踏まえて、戦後の日本が自律性を持って立ち上がるための処方箋だったと思っている。例え、それがアメリカから押し付けられたものだとせよ。要するに、戦後70余年経って、今の日本を健康診断したとすれば、あるべき健康状態を反映する「処方箋」は、日本国憲法、特に第9条と同じものになるのではないか、という思いを持っているということである。

 いま、安倍政権のもとで進められようとしている憲法改定の動きは、この「処方箋」を尊重して治療を続けるべき患者がいるのに、勝手に処方箋を変えて、別の治療をしようとしているようなものだと思うからだ。そういう思いを抱きながら、最近のマスコミ論調を見て、その処方箋無視を苦々しく思っていたら、「元防衛庁官房長・元内閣官房副長官補」という肩書きから「向こう側」の人と思われる立場の人が、宿痾のごとき鼻づまりを治してくれるような処方箋を差し出してきたので、興味深くなり、「『北朝鮮・核・ミサイル・憲法』を考える」(柳澤 協二)という処方箋をじっくり読んでみた。大原流の読み方は、『北朝鮮・核・ミサイル・憲法』というタイトルを、二つに切り分けて、「北朝鮮>核・ミサイル」と「北朝鮮>憲法」としたことである。

 1)「北朝鮮>核・ミサイル」の問題。この問題は、ミサイルによる北朝鮮のアメリカへの脅しとして、現在は、顕在化している。そこに、日本とか、憲法とかは、今のところ介在していない。しかし、ミサイルは、将来北朝鮮からアメリカ本土ではなく、日本の米軍基地へ飛んでくるかもしれない。現在の安倍政権では、北朝鮮を相手に問題解決に向けて、外交をする能力が欠如している。拉致問題を除けば、日本と関係のない北朝鮮とアメリカとの力関係の果てに、戦争が始まれば、北朝鮮のミサイルが「日本の中のアメリカ」に向けて飛んでくる可能性がある。それは、戦後ずうっと居座っている米軍基地が日本国内にあるがゆえにである。進駐軍→占領軍→駐留軍、と姿を変えながら、日本の領土の一部を侵食し、一度も途切れたことがない在日米軍のことである。

 米軍基地周辺の日本の地域社会は、突然、国際戦争に巻き込まれる恐れがある。北朝鮮にとっては、大雑把に言えば、拉致問題と米軍基地を除けば、日本といま戦争に至るような宿痾はないだろう。日本の戦後70余年の中で、隣国で朝鮮戦争(1950年-1953年の休戦により、現在、南北分断状況となっている。今も、朝鮮半島は「戦時」なのだ)が引き起こされたときでさえも、日本本土が戦争に巻き込まれることはなかった。なぜかと問えば、「戦争を放棄する」(憲法9条)という幟旗を掲げてきたからだろう。これは憲法が施行されて70余年も戦争をせず、戦争にも巻き込まれず、抑止効果をあげてきた、という意味で適切な処方であったと思える。
 北朝鮮が、日本にある米軍基地にミサイルを落とさないようにさせるためには、米軍基地がガンを切除するようになくなれば、いちばん良いのかもしれないが、いきなり切除手術ができないなら、北朝鮮とアメリカの間で発生する副作用が日本に及ばないような抑制剤を処方(外交努力)することだろう。「北朝鮮が日本を攻撃するような気持ちにならないような関係を作る」(柳澤論文)。それは、アメリカのトランプ大統領に、「対決と分断」という処方箋は間違っていると、日本の首相が言えるような日米関係を作り、それができるような外交力を持つことであろう。そのためには、日本国民は、そういう能力のない安倍政権を倒し、日本の政権を別なベクトルが働くような装置に変えなければならないだろう。これはあり得べき国家観を想像する問題でもあるのだと思う。

 2)「北朝鮮>憲法」の問題。ここで言う憲法とは、日本国「憲法」である。日本のリアルが、「北朝鮮がミサイルを発射した時に万一撃ち漏らした場合に報復してくれるのはアメリカしかいない」などと自信を持って言えるような状況ではないことは確かだろう。
 沖縄では、ヘリコプターのトラブルなどで、毎日のように住宅密集地の近くでも不時着やら、部品の落下やらが続いている。アメリカが米軍基地のある日本を守ろうとするならば、このような不如意なことをすぐにでも断ち切って、日本との信頼関係を修復しようと努めるのではないか。それをしないということは日米が対等な関係にないということだろう。今のアメリカにとって、日本との信頼関係の修復など、さらさら考えていないのだろう、と思われる。沖縄のリアルがそれを日々裏書している。
 アメリカファースト以外の価値観が無視されているということを対米従属する頭しか持っていない日本の権力者に判らせることが早急に必要だろうが、日本国民は、まだそういう力を持っていない。「万一撃ち漏らした場合というのは、日本にミサイルが落ちているということです」(柳澤論文)というリアル。

 アメリカの眼中には、アメリカファーストしか映っていないとすれば、日本独自に「北朝鮮が日本を攻撃するような気持ちにならない」ようにするために何をなすべきか、という問題意識こそ大事になる、と思う。そのためには、日本国憲法が、この症状の処方箋としても、今のままでも十分に効き目があるのではないか。
 戦争を放棄し、専守防衛にのみ従事するというのが、日本の本気だと北朝鮮に判らせることができれば、ミサイルは日本に向けては飛んでこないだろうし、飛んでこなければ、「万一撃ち漏ら」す、という懸念も払拭されるだろう。憲法9条こそ、日本が北朝鮮と外交をする場合の最大の拠り所になるだろう。「軍備で脅して圧力をかけるよりは、相手がミサイルを撃たなくても良い安心感を与えるという手法が必要になってくる。それは誰がやるのかというと、それは政治の責任なんです」(柳澤論文)と、柳澤は指摘する。

 こうしてみてくると、不安な中にも日本の進むべき道が見えてくるように、私には思える。日本の権力者が取るべき道は、アメリカの軍備の傘の中に組み込まれるように努めるのではなく、全く逆に憲法9条に象徴されるように、1947年5月3日に歩み始めた平和憲法の傘の下に北朝鮮もアメリカも逆に引き込み、関係国に「安心感」を醸成するためにリーダーシップを発揮することではないだろうか。
 この国家観こそ、70余年前に処方されていながら、中途半端に放置されてきた治療法ではないのか。日本が持つべきものは、核やミサイルではなく、平和、戦争放棄という「安心感」ではないのか。そして、日本は、戦後、名医によって処方された処方箋通りに、まだ治療を終了していないからこそ、国民の間に今のような不安感が滲み出ているのではないのか。北朝鮮でもなく、アメリカでもなく、日本の存在感を増しながら、水面下の外交力を発揮できる国へ、日本を変える政治家こそ、出でよ、ということだろう。

 「どういう国の姿を維持したいのか」(柳澤論文)。柳澤論文で、いちばんのポイントは以下のところだろうと思う。
 「安全保障戦略としては自らが軍事的な挑発要因にならないという戦略的な意味合いもあって、日本の安全もその方が守れるのだという思想があったのです。それが、他国に脅威を与えない、攻撃された時だけ反応する、という専守防衛の考え方になっていたわけで、それはその限りにおいて実は戦争には勝てないんです。本当に戦争に勝とうと思ったら攻めてくる相手の根っこをやっつけなければならない。そういうことはしません、ということでそれによって周りの国に安心感を与えることで、日本が攻撃されるような動機を相手に持たせない役割があったのです」。
 これが、憲法9条に象徴される戦後の日本国の完治を目指す処方箋だったのだと、思う。それが、大原流の柳澤論文の読み方である。

◆◆ オルタ170号 柳澤協二さんの発言について ◆◆
  望月 喜市(北海道大学名誉教授)

 柳澤協二氏の「『北朝鮮・核・ミサイル・憲法』を考える」について感想を書きます。
 現在では、北朝鮮のニュースより、トランプ政権がもたらしているアメリカ第一主義の世界的影響と安倍晋三首相の対応に注目すべきだという柳澤氏の指摘は「正鵠を射て」おり、日本人として考えるべき深刻な問題を提起されていると思います。筆者は論文の冒頭、次のように書いています。
 「トランプが言ってきたアメリカ第一主義、アメリカから奪われた富をアメリカが取り返して、アメリカが再び偉大な国になるのだという。そして時々軍事力も使ったりして気に入らない奴を武力でやっつける姿勢を示している。これは何かと言えば、古代ギリシャのトゥキディデスが言っているところの戦争の三つの要因である、富と、名誉と、恐怖、これを全部アメリカが独り占めしようという発想なんです。これで世界が平和になるわけはない。」

 ここで「気に入らない奴」の筆頭は、北朝鮮のリーダー金正恩(きむじょんうん)氏で、トランプは彼のことを「ロケットマン」と揶揄しています。さらに「金正恩という頭のおかしなやつがいる。彼は頭がおかしいか、天才かのどちらかだろう。」(手島龍一/監修『ドナルド・トランプ全語録』71頁)とも言っています。そのトランプに100%賛成し、北の脅威から日本を守るために、トランプと一体となって北の核廃絶・放棄に向かって圧力をかけ続けると同時に、安倍晋三首相はトランプの術策にはまって、北の脅威(?)から身を護るため、最も強力だが猛烈に高い武器を言い値で買う破目になって、財政赤字が益々膨らんでいます。

 一方、側近を次々と粛清する恐怖政治を行っている冷血漢だが頭脳明晰な戦略家、金正恩の第一の課題は、自分への反逆・斬首作戦を含め、金王朝を死守することであり、その最大の脅威は、トランプの核を含む攻撃力です。それに対抗するためには、米国まで到達するミサイルと核弾頭の保持です。2003年、カダフィ大佐は核を放棄させられた挙句、米軍に攻め込まれ、2011年10月に殺害されています。この教訓から、核を放棄せよ、とのトランプやその同盟国日本の要求には絶対に応ずることはない筈です。その点、平和的方法による米朝の緊張緩和を主張する(実現性はあまりないとしても)プーチンの主張は正しいと思います。

 最後に、北の核が怖いからということで専守防衛を捨てて攻撃できるよう憲法を変えようという考えが安倍首相にありますが、それは間違いだと私は思います。この点について、柳澤氏は次のように書いています。
 「ミサイルが飛んでこないようにするということです。どうするのかというとそれは軍備で脅して圧力をかけるよりは、相手がミサイルを撃たなくても良い安心感を与えるという手法が必要になってくる。それは誰がやるのかというと、それは政治の責任なんです。そこのところに目をやらずに敵基地の攻撃だの軍備にだけ頼ろうとする、政治を軍備に丸投げしようとしている、交渉は意味がなくて今は圧力しかやらないという発想の中に日本人は不安を感じている」。
 これで私のコメントを終わります。
 元防衛庁官房長として、軍事問題の専門家の的確なご判断に全面的に賛成するものです。

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