横丁茶話78

■ 【横丁茶話】                  西村 徹

-人生は公平ではない。-

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  ハーヴァード大学の講義をテレビで見た。NHK教育で毎週日曜午後6時から放送
している。英語だけになるがhttp://www.justiceharvard.org/でも見られる。講
義題目は「正義」「公正」について。その第9回Affirmative Action をたまたま
見た。講義をしているのは政治哲学のマイケル・サンデル教授。つまみ食いだか
ら全体を俯瞰するわけにはいかないし、見てから時間も経つので記憶もあやしい。
とりあえずの印象にすぎないが、とにかくおもしろかった。千人が聴講するだ
けのことはある。

 分配の正義について対照的な二つの考え方がある。自由放任の競争原理がすべ
てであるとする考え方が一方にある。等しからざるを憂える平等主義がもう一方
にある。新自由主義vs. 社会民主主義、Libertarian vs. Egalitarian でもいい
だろう。図式化してのはなしであって、まん中に来るのはどっちつかずの
Meritocracy(能力主義)だろうか。両方向に多様なvariantがあることはいうま
でもない。

 マイケル・サンデルはジョン・ロールズの『正義論』(A Theory of Justice)
を批判して売り出した人だそうであるが、ここまでのところロールズを肯定的に
紹介している。ロールズは、LibertarianはもちろんMeritocracyにも反対する
Egalitarianである。しかしながら人は生まれながらに平等であるとする社会主義
者とは見解を異にする。むしろLife is not fairということを認める点で
Libertarianのミルトン・フリードマンと出発点を共有している。

 私は思う。人生だけではなく生物界全体が不公平にできている。人間を含む生
物界全体が実は凄惨な弱肉強食によって成り立つ不公平そのものの世界である。
そんなことは一目みればわかる。食物連鎖などというニュートラルな言葉にごま
かされて実感が薄くなっているだけである。口蹄疫の騒ぎで牛や豚を殺処分した
というニュースを見聞きして人間であることにうしろめたさを感じた人は少なく
ないだろう。人間同士の世界もいかに不公平不平等なものであるかは一目みれば
わかる。日本国のアメリカ国とのありようを見るにつけでも、いかに日本国本土
が沖縄を生贄にして身を保ってきたかが分る。日本国本土は沖縄の人と土と海と
空を殺処分してきたのだ。

 Life is not fairというのはフリードマンが言ったにせよ誰が言ったにせよま
ったくそのとおりだ。まさにこの世は苦である。それは自然的事実であって誰の
せいでもない。神が創ったという人がいるが、それではあまりに神が気の毒だ。
こんな不条理な世界を創った罪を神様ひとりにおっかぶせるのでは神様がかわい
そうだ。だからといって困ったことに自然的事実には美という曲者もふくまれて
いるので神はないと言い切るのはまだためらわれる。

 アブラハム由来のおどろおどろしい神ではなくて日本の山や川や森に宿る神々
はいっぱいいるし、いてほしいと思う。ただ、中東の砂漠で生まれた怒りと妬み
の唯一神は、できればいないでいてくれるがいいと、この頃私は思っている。だ
から、そこを遠慮して製造責任を問うことなく、ただ自然的事実をあるがままに
受け入れる仏教のほうが納得しやすい気がする。

 しかし宗教とちがって政治は、不平等は自然的事実だから放っておけというわ
けには行かない。政治には正義が求められる。ではどうするか。みんな平等に分
配というのではincentive(やる気)がなくなる。そこで出てくるのが
Meritocracy(能力主義)だが、単純に努力すれば報われるというのではない。
 
  努力そのものではなくて努力の生み出す結果、すなわち功績(merit)が報われ
るのである。おなじように努力したからおなじような結果になるとはかぎらない。
楽々と功績をあげる人もいれば必死に頑張っても上手くいかない人もいる。む
しろ後者の方が多い。結果は生得的に個々人を条件付けている不公平な運命に左
右されることになる。そもそも単純な努力すなわち勤労意欲でさえ個々人固有の
功績というわけではない。意欲が培われるか否かは環境によって左右される。

 そのように人間は生得的に不平等であるにかかわらず人間の基本権はすべて平
等に保障されねばならない。それが正義だ。そこでロールズは言う。

1)機会は平等でなければならない。(fair equality of opportunity機会平等論)
2)その後に生じる格差は認めなければならないが、配分の不平等はもっとも不遇
な人が不遇でない不平等でなければならない。
    (difference principle格差原理)

 以上はテレビを見てまったく素人の私が理解したことを、いくらか手前味噌を
まじえつつおさらいしたものである。私が是非とも伝えたいと思ったのはこうい
う教科書的なことではない。こういうことである。Affirmative actionは「積極
的行動」などと訳してみてもかえって分らなくなるだけだが、ひとくちに言うと
社会的に不利な立場を強いられてきた少数者に大学入試などで優先権を与えよう
とすることである。こういう償いとは逆にハーヴァードでは母校出身者の子弟は
優遇されるというようなこともある。うんと昔のことで今のことは知らないが、
この国でもハーヴァードのようなことがあった。そして同じく裏口というのでな
く公然と行われていた。

 各大学にはそれぞれに学生を募集するそれぞれの目的があって、その目的にし
たがって作った条件に適合するかどうかで合格者を選別する。大学はかならずし
もIQの高い学生をのみ要求しない。出身地、階層、人種などの多様性をもまた要
求する。なんらかの条件を優先的に考慮することをAffirmative action という。

入学試験は分配といわないで選別というが、選別も結局は入学資格という便益
の差別的な分配である。この分配にともなう差別、不平等は各大学の便宜に寄与
する割合を尺度とするものであって、道徳的対価(moral desert)とか「ちから」
(virtue)と結びつくものではない。個人固有の資質(Self-ownership)という観点
を離れて選別はまったく没価値的に行われることになる。そこでそれをつぎのよ
うなたとえで説明する。

 ハーヴァード大学の入学試験の結果を知らせる手紙を、ロールズ説にしたがっ
て書いたとするとこんなものになるという。
  不合格になった人のところにはこういう手紙が来る。

 「残念ながらあなたは不合格ですが、あなたに落ち度はありません。社会が偶
々あなたの資質を必要としていなかったのです。あなたの替わりに合格した人も、
その人自身が合格に値するというわけではなくて、合格の決め手となった要素
を持っていたにすぎず、賞賛に値するというわけではありません。我々は社会的
な目的のために、それらの要素とみなされるものを利用するだけなのです。次回
の幸運をお祈りします。」

 合格した人のところにはこういう手紙が来る。

 「合格となった出願者様。よろこんであなたの合格をおしらせいたします。あ
なたにとって幸運なことに、あなたはいま必要とする資質を有しているので社会
の便宜のためにその資質を利用させていただきます。あなたはあなたが合格につ
ながる資質を持っていたから賞賛に値するのではなく宝くじの当選者が祝福され
るのとおなじ意味合いで祝福されるにすぎません。我々の申し出を受け入れてく
ださるのであれば、このように利用されることに付随する便益を得る資格をあた
えられます。それでは入学式でお会いしましょう。」

 このたとえがあまりに爽やかで胸のつかえも下りるようなものだったので、テ
レビを見なかった一人でも多くの人に知ってもらいたいと思った。だからこれだ
けを書き起こしてそれだけで終わりたかったほどだった。そして格差原理につい
ての説明をいくらか我流の反語的修辞にした形で伝えたいと思った。そしてなく
もがなの前口上がいつの間にか長くなった。(2010/06/09)

                 (筆者は堺市在住)

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