樹海の人バイコフがいたところ

【北から南から】中国・吉林便り(2)

樹海の人バイコフがいたところ

今村 隆一


 吉林北華大学の授業は漢語も日本語も2月29日に開始しました。早速、“開門整風(共産党以外の大衆の助言を受け入れて、党内の仕事ぶりや心構えをただす)”という四文字熟語について、いつ頃誰が言ったのか漢語の先生に尋ねたところ、今の中国成立の1949年に毛沢東が呼びかけた、とのことでした。それを聞いて日本も中国も今の政府にこそ求めたい態度と姿勢なのではないかと思いました。

 さて動物文学の傑作で有名なロシア人、“ニコライ・A・バイコフ”(1872〜1958年、小説家・画家・狩猟者)。冬休みにいた日本で「山好きなら」と植民地文化学会(代表西田勝平和研究室)のT・Sさんから紹介され『バイコフの森—北満洲の密林物語』(集英社)と、寄贈いただいた『偉大なる王(ワン)』(中央公論社)を読み、すっかり感激して吉林に戻りました。

 私が日本にいるのは基本的に北華大学の冬休み期間中の6〜8週間です。日本滞在中、友人知人と会ったり、中国に関係する行事や学習会への参加を可能な限り持つようにしていますが、今年は上記2冊の小説のおかげで、日頃吉林戸外群(吉林の登山クラブ)の活動を通して親しんでいる周辺の大自然、それも100年ほど前の北満洲の森林を思い描くことができたことは予想外の喜びでした。バイコフの小説、前者は今の黒龍江省哈爾濱(ハルピン)市東部から吉林省延辺朝鮮族自治州敦化(ドンファ)市との境界を主に東北部一帯の森と虎、イノシシ、鹿、朝鮮人参などの動植物を、後者は同じ旧満州東部一帯の森を支配君臨し、「偉大なる王」と崇め畏れられ森林の大王であった一頭の牡のシベリア虎「王(ワン)」と森の動物そして二本足の猛獣(人間)との戦いを中心としたドラマです。

 吉林市周辺や牡丹江(ムータンジャン)、昔で言うソ満国境まで周辺一帯の雄大且つ広大な大自然を彷彿とさせるもので当時菊池寛に“満洲のジャングルブック”と言わせた著作です。この地帯の冬は一部が豪雪地帯となり現在「中国雪郷」の名で観光に力を入れています。私は2013年12月21日から1泊2日で吉林市の戸外活動群(グループ)の活動に参加し中国雪郷に行き、リゾート地として開発された所で夜中までうるさく、つまらなく感じたこともありましたが、登った羊草山頂1280mは360度見渡せ、周辺の雪山景色の美しさは強く記憶に残りました。吉林市が管轄する舒蘭(シユウラン)市の東端で哈爾濱市境近くに大禿頂子(ダトゥディンズ)山1256mがあり、ここも去年(15年5月)に登ったときは天気に恵まれ約10キロ先の哈爾濱(ハルピン)市と敦化市境界にある鳳凰山など深緑の豊富な森林が一帯に広がっているのが忘れられません。

 バイコフは帝政ロシアの世襲貴族に生まれ、軍務につき、極東特に旧満州の動植物をロシア帝国の名により調査するためこの一帯を歩き回り、第一次大戦を経て白色義勇軍に加わり、ボルシェビキと戦い、当時の満州帝国に亡命、満洲地方研究協会名誉会員となり、満洲国崩壊後日本を経てオーストラリアに渡り最期を迎えています。このバイコフの著作は『偉大なる王』が1940年に「満州日日新聞」に掲載、41年3月文芸春秋社から刊行されたほか、当時フランス・ドイツ・イタリー・チェコでも発刊されました。日本では他にも51年岩波少年文庫など多くが翻訳され刊行されています。

 バイコフ作品の興奮がさめやらないうちに吉林での活動、私の最初の戸外活動は3月5日の舒蘭市の大禿頂子山でしたが、当日は天気予報で最高気温6度、最低気温零下3度、3月上中旬は至る所に未だ雪が残っていて、雪が解けて凍ると路面がスケートリンクのようになることがあります。雪が凍っている状態よりはるかに危険な状態になります。事実私たちの乗った大型バスが道路で滑り始めたため急きょ全員が降り、チェーンを着けましたがバスはまともに走れず山行きは断念しました。その日、隣の蛟河(ジャオハ)市では戸外活動で吉林の老爺嶺に向かうマイクロバスが横転し4人の死者が出たことをその日の昼に知りました。

 その一週間後の3月12日、別の戸外群の活動で大禿頂子登山があり、再度参加しました。この日は気温が最高最低も零度以上にならず道路状態も良く、順調に山裾に到着できましたが、山の雪は深く、登りも下りも腰までの深い雪をラッセルする時間が長く下山も遅れ、陽が落ちて暗い山道と林道を長時間歩くことを余儀なくさせられました。しかし天気はほぼ快晴、10キロほど先の黒竜江省のバイコフが散策したであろう山並みを観賞することができました。

 吉林省も黒竜江省も吉林周辺の山々は独立峰のような形は少なく、なだらかな山並みが長く、方々でつながっているのが特徴だといえます。山頂も日本列島の北・中央・南アルプスの剣岳、槍ヶ岳、木曽駒、北岳などのように頂上が象徴的に表現されているところは少なく、高さを控えめに主張している感じを受けます。未だ冬(3月の山も里も町も)のこの季節は、緑深い春や夏と異なり緑が雪で薄められ静かに山が横たわっているようです。

 バイコフの小説、翻訳ではタトウティンツとタトウティンズ(大頭頂子)、ラオイェリン(老爺嶺)と表記されており、私の知ったところでは現在の哈爾濱市東と牡丹江市西の境界にダトウディンズ(大禿頂子)1688mと老爺嶺1682mがある一方、峰が派生したように牡丹江市の西から「逆くの字形」に老爺嶺と呼ぶ山脈が敦化市に向かって伸びているので、樹海の人バイコフの小説舞台はどちらか私にははっきりしません。しかし当時吉林をチーリンと言い、敦化市は満洲国では吉林省でしたので敦化の北部を含み哈爾濱市東辺と牡丹江市西辺一帯であろうと想像しています。

 この周辺は一見することができないほど広く、森の樹木は未だ豊富であることは確かですが、現在は黒竜江省も吉林省も一帯が新たな高速鉄道を含め高速道路が整備され、バイコフが居た頃とは全く違っていることは明白です。T・Sさんは「この森林の乱伐がやがて豊かな森と希少動物たちを絶滅させ、人間の心をも荒廃させていくであろうことを予期させて小説は終わる」と書評されていますが、山中で野生動物を見ることは兎以外ありません。

 (筆者は中国吉林市・北華大学学生)


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