正論のこわさ冷たさ

■【横丁茶話】

正論のこわさ冷たさ               西村 徹

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●慰安された兵士よ!

朝日新聞(大阪版6月5日水曜)の「声」欄に「慰安された兵士よ 声上げて」
と題して、女性と思われる歯科衛生士(49歳)による投書が掲載されていた。

 「日本維新の会共同代表、橋下徹大阪市長による元従軍慰安婦についての発言
に関連し、私は当時、慰安婦と接触した元兵士の方たちに尋ねたい。極限状態で
慰安婦との時間が本当に慰安たりえたのか否かを。
私には男の性衝動を理解できないが、女性が男性と接触するには全面的な信頼
が不可欠であることは分かる。その条件がない中での行為が女性をどれほど苦し
めたか想像できる。

 戦時下で慰安されていた男性たちよ。ご存命なら、せめて最後に声をあげてほ
しい。慰安は本当に必要だったのか。慰安されることによって戦場に立つ肉体と
精神は復活したのか。
 徴兵され、人を殺すことを強制された兵士の状況も、元慰安婦の方同様、悲惨
極まりないのは確かである。しかし、なぜ今、慰安婦の方だけが声を上げ、慰安
された側は沈黙しているのか。未来への責任として、元兵士の生の声を聞きたい。

 まさしく正論。このように詰め寄られたら誰しも返す言葉はないだろう。ご無
理ごもっとも、恐れ入り谷の鬼子母神である。さはさりながら、たとえ私が男で
なくて女であったとしても、そのとおり、元兵士よ、名乗りをあげて証言せよと
は、到底言う気にはなれない。「慰安婦の方だけが声を上げ」とおっしゃるが、
慰安婦の方すべてが声を上げているわけではない。慰安婦の方にも声をあげるの
をためらっている方は多い。

●シベリア抑留生き残りの100歳老人

 シベリア抑留生き残りの老人について、オルタ96号(2011年12月)の「性の介
護」で言及したことがあるが、現在100歳で当地にご存命である。シベリア抑留
以前には旧満州あるいは華北で衛生兵として慰安所の検疫に従事したとのことで
ある。オルタ41号(2007年5月)の「国際情勢短評」で書いたように、1944年、
日本占領下のジャワ島で19歳のとき投獄され3ヶ月以上にわたり日本軍により連
続強姦されたオランダ人オ・ハーンは、検疫のたび軍医から強姦されたという。
慰安所は軍の直営であったにせよ、なかったにせよ検疫は軍が直接行っていたわ
けである。

 あるいは元衛生兵も、よもや衛生兵の身分では、検疫のたび、その場で強姦な
どできるはずもないし必要もないが、兵士一般として慰安所を利用したことはあ
るかもしれないし、ないかもしれない。そしてあるいは100歳にして「朝日新
聞」6月5日の、51歳年下の、もしかすると孫に近い年齢の女性の投書を読んでい
るかもしれない。

 耳のまったく聞こえない100歳の元関東軍衛生兵にむかって「慰安は本当に必
要であったか、肉体と精神は復活したか」、「未来への責任として」発言せよ
と、特捜検事のように詰め寄ることは、はたして妥当であろうか。タワシで人の
顔をこすって疵を探すような、そんなことは「誰だって」できない。もしそれを
したならば、橋下維新共同代表が沖縄駐留の米軍司令官にむかって「風俗営業を
利用せよ」と促したのと同じ立ち位置に立つことになるからである。

●橋下氏の慰安婦必要論

 実は橋下氏の必要論そのものは過去についてのみ言うのならば正論なのであ
る。戦争は今後ドローンその他、人間非関与兵器の増加に伴い様相は変わるだろ
うが、もし従来どおり火器による人命の殺傷と環境破壊を不可避とする戦争が必
要であるとするならば、そのための軍隊すなわち兵士という名の「戦闘奴隷」が
必要であるし、野戦の戦闘員が男性のみであるならば、現地住民との摩擦を避け
るため「戦闘奴隷」のための「性奴隷」は必要である。武器弾薬、糧秣被服と並
んでロジスティックの一環として必要である。殺戮破壊をこととする戦争の非人
道を容認しながら慰安婦という非人道だけを非難するのでは二枚舌になろう。

 中曽根康弘海軍主計中尉が1942年インドネシアのバリックパパンにおいて慰安
所設営に携わったのは、主計長として当然の任務を遂行したにすぎない。自慢し
たり隠したりしなければならないことではない。日本の敗戦に伴い上陸してきた
米軍の求めに応じ、大蔵省主税局長・池田勇人が1億円を計上して Serving
Ladies(特殊挺身部隊員)を擁する Sex House(慰安所)開設の任に当たった。

 RAA(Recreation and Amusement Association)による募集広告は「戦後処理
の国家緊急施設の一端として駐屯軍慰安の大事業に参加する“新日本女性”の率
先参加を求む。女子事務員募集、年齢18才以上25歳まで。宿舎、被服、食料全部
当方支給」であった。

 中曽根の場合、末端では委託業者による現地人の慰安婦募集に際して、韓国に
おいてと同じく甘言による詐欺や脅迫に類する不法行為が、あるいはあったかも
しれない。池田の場合、当時焼け跡の日本人は家もなければ着るものもなく、飢
餓を凌ぐために身を売る女性の数は需要をはるかに上回ったから、結果的に格別
の不祥事はなかっただけかもしれない。しかしドイツ軍は第二次大戦中、強制連
行したユダヤ人女性を選抜してガス室に送る替わりに慰安婦とするなどした。日
独、その差は大きい。

●西尾幹二の発言と橋下発言のちがい

 2007年第一次安倍内閣の時代に「狭義の強制はなかった」という首相発言に端
を発して7月30日米議会下院で非難決議がなされ、2013年に入ってニューヨーク
州議会上院、ニュージャージー州下院において同様決議がなされた。

 それに対して西尾幹二氏が2013年4月4日外国人記者クラブにおいて、各国軍隊
の実例を挙げ、また日本の慰安婦が自らの意志に基づき自軍とともに降伏を拒ん
で自決した例を挙げ、奴隷的慰安婦が日本にのみ固有であるとする認識の事実に
反することを主張し、誤認に基づく米議会の非難決議の撤回を迫ったのは、言論
自由の市民権を行使するものとして正当以上に対米屈従的でない英雄的な行為で
あった。

 橋下氏の発言はこれとはまったく異なる。橋下氏は国政政党の代表である。国
益に直接責任を負うべき政治家である。したがって外交上の責任をも負う政治家
に許される発言の範囲はおのずから限られる。市民一般と同じというわけにはい
かない。一般の市民、芸能人あるいは論壇人なみの言いたい放題は許されない。

 その程度の初歩的なこと「誰だってわかること」を橋下氏は分かっていなかっ
た。狭義の戦争はなくなっても国家という不条理が存在するかぎり外交戦、情報
戦は続く。政治家は常在戦場の覚悟がなければならない。それを忘れたのは政治
家として失格である。

 食卓で尾篭な話をするのに似て先ずもって下品であった。倫理的にではなく美
学的にはなじろむ話柄であった。一種のスカトロジーであって、茶の間にはもっ
とも適さなかった。また一種のヘイトスピーチでもあって公的な場ではもっとも
忌むべき言動であった。いささかでも国政に関係する人の場合、もってのほかの
不作法、下劣、卑猥な発言であった。それを大阪市長として「ぶらさがり」記者
会見でしゃべった。一部始終が忽ちその日の夕刻には家庭の茶の間に流れた。内
容は大阪市民をも侮辱するものであった。

 石原慎太郎のような札付きの、あるいはアル中のエリツィンのような、広く世
界にバフーンとして知られる人物であれば、失笑を買うだけでマジメには相手に
されずにすんだであろう。地元では底が割れていて心ある人は辟易しているが、
東京などではいまだ有望政治家と目されているだけに、その後の外国人記者クラ
ブでのメソメソした長広舌が逆効果になって、ついに墓穴を掘った模様である。
日ごろ国内記者には居丈高に、ときに恐喝まがいに振舞う猛々しさは影もなかっ
た。

 沖縄駐留米軍司令官の表情を凍らせるような厚顔無恥の外交感覚はただただ謝
罪するほかないとして、もうひとつの慰安所必要論は慰安所の機能をロジスティ
ックの一貫として必要だとする現実論であって、慰安婦を陵虐してよいとするの
とはちがう。あのように卑怯卑劣な逃げ口上でなく、西尾幹二氏と同様に断固た
る態度で自己の主張を貫き、米国その他の偽善を暴き、その上で玉砕したのであ
れば国内向けにはむしろ男を上げたかもしれない。

●投書子への一つの答え

 このようにペシャンコになった橋下氏を踏み台にして「慰安婦と接触した元兵
士の方たちに尋ねたい」「なぜ黙っているか」と詰め寄るのは、なるほど正しい
には正しいにちがいないが、なんとも寒い。久方ぶりに私はPC(ポリティカル
コレクトネス)と言う言葉を思い出した。なんらかの運動の、ある時期に必ずと
いっていいほどしばしば現れる二分法による選別と追及である。

 オルタ96号(2011年12月)で言及したが、ニューギニア戦線で一部隊がそっく
り消えるという椿事があった。竹永正治中佐率いる部隊は120人中80人が餓死も
しくは病死した。部隊がそっくり消えたというのは残る40人のことである。部隊
長の指揮によって40人が全員投降したのだ。この竹永正治中佐の英断に対して、
後方安全地帯でまったく無事だった第18軍司令部参謀・堀井正夫という人物が、
「軍人としては大義に生きなきゃいかん」と批判した。

 私には、朝日新聞「声」の投書子と参謀・堀井正夫とが重なって見えてくる。
筆者のドヤ顔が見えてくる。筆者は49歳、生まれたとき筆者の父親が30歳だとし
ても現在79歳。兵役年齢に達するには相当の余裕を残して戦争は終わっている。
 父親が末弟であったとして、その兄たちの中には兵士になったとか、靖国の軍神
になったというようなこともなくもないが、もしそうであればこういうことを言
うとはおよそ考えられない。

 内藤正典というイスラム専門家でとりわけトルコに詳しい同志社大学の教授が
いる。この人が荻上チキのラジオ番組に出て話すのを聞いた。氏は糖尿病で痩せ
て笑顔を失っていた。日本の医者は、病気になるのはこれこれしかじかの不注意
からだと病因を患者の責任追及のかたちで話す。トルコに行って友人の医者に会
った。トルコ人の医者は言った。「お前のような甘い男(「甘い」というのはト
ルコ語で「良い」という意味)は糖が出るよ」と。初めて氏は笑うことが出来た
という。疵を負っているかもしれない人には、私たちは先ずこのようでありたい
と思う。

 柳美里の小説で「朝日新聞」夕刊に2002年~4年の間連載して中断した「八月
の果て」という作品がある。十年前の記憶だから、記憶は変容しているかもしれ
ないが、挿絵とともに脳裏にあるのは、酷寒の北方から帰隊して慰安所にやって
来た兵士の描写である。兵士はスノーマンのように骨の髄の髄まで冷え切ってい
る。柳美里は自分を慰安婦に同定して兵士を見ている。

 まさに「三日二夜を食も無く・・・飢え迫る夜の寒さかな」という「討匪行」
の文句そのままに彼女は兵士に感情移入する。彼女は兵士の寒冷そのものをわが
身に引き受けようと心に構える・・・そういう描写だったと思う。いざその場に
臨んでは慰安婦と兵士の間にも、そういう心の通い路はあったということをあな
がち否むことはできまい。「全面的な信頼が不可欠」というようには単純化でき
ないのが現実なのである。(2013/06/12)

(筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

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