歳末留書三題

■【横丁茶話】 

歳末留書三題                  西村 徹

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■その一;マイケル・サンデルと路面電車


  今年話題になったものの一つとして「ハーバード白熱教室」を数えてよかろう。
テレビで評判になったうえに本もベストセラーになった。『これからの「正義
」の話をしよう』と題して翻訳が40万部を突破したという。JUSTICE : WHAT'S
THE RIGHT THING TO DO という本をモトにしているらしい。私は前者でなく
後者の方を読んだ。英語で読んだ理由の一つは吝嗇である。翻訳でラク読みした
いところだが英語だと半額ですむからである。

 もう一つはこの種のホンは翻訳が読み辛くて結局原書を買いなおさないとなら
ないことが多いからである。ただしこの翻訳はいいらしい。
 
  さてこの本を真正面から批評しようというのでない。まことに些細な、しかし
気になってならないことが出てくるので、その一つについて書く。21ページにTH
E RUNAWAY TROLLEYという小見出しがあって次のような文章。

 「キミは時速100キロで線路(track)上を驀進中の路面電車(trolley car)の運
転士だったとする。線路上前方に五人の保線工が道具を手にして立っているのが
見える。停車しようとするができない。ブレーキが利かないのだ。キミは頭がま
っしろになる。五人に突っ込めば全員が死ぬからだ。(間違いなくそうなるとキ
ミは認識したとしよう。)

 突如、右に逸れる側線(待避線)があるのに気付く。側線上には工員が一人い
る。側線に入ることが出来れば一人殺して五人を救えるとわかる。さあどうする?」

 私は最初trolley carを、あの長い鉄材や船会社のコンテナを積んだ台車を牽
引する自動車のトレイラーだと思い込み、trackを自動車路線だと思い込んで読
み過していた。ところが後にテレビの再放送を見たら、日本語吹き替えは「路面
電車」と言っている。慌てて辞書を引いた。なるほどそうなっている。Tram car
とかstreet carは知っていたがtrolley car も路面電車だとは知らなかった。気
懸かりなので近くの本屋で日本語版を覗いてみたらやはり「路面電車」になって
いる。

 にわかに私の頭は混乱しはじめる。自動車ならハンドル操作で枝道に入ること
はできる。しかし軌道上を走る電車が運転士の判断ひとつで咄嗟に側線に入るこ
とが可能だろうか?昔鉄道の駅のホームの端でポイント切り替えというのか巨大
なテコを駅員が力いっぱい起こして150度ぐらい反対方向に倒して、ガッチャン
と転轍していたものだ。
 
  先の鋭く削いで尖った線路と本線路がガッチャンとくっついたり離れたりする
のを何かスゴイ出来事を目撃するかのような思いで凝視したものだ。あんな力技
を運転士が走行中の車輌上からどうやってできるのだろうか。今のテクノロジー
ならできるかもしれない。

 私の住む近くを走っている大阪唯一の路面電車である阪堺電気軌道は北進する
とき住吉交差で上町線(天王寺駅前行き)と阪堺線(恵美須町行き)とが左右に
分れる。ついでに言うがNHKのテレビ小説「てっぱん」で、週に一度ぐらい上町
線の帝塚山四丁目の停車場とわが愛する日本最古昭和参年製車輌161が映る。脚
本を書いているうち一人の今井雅子が堺の人ということもあろうか。ここの本社
にメールで問い合わせてみた。住吉交差の転轍はどうやってするのかと。間もな
く返信メールが来た。

 ●この度は、お問い合わせ頂き誠にありがとうございます。さて、ご質問の住
吉交差の転轍操作についてですが、住吉交差の係員詰所にある操作盤によって係
員が行っております。
今後とも阪堺電車をご愛顧いただきますよう宜しくお願いいたします。

                          阪堺電気軌道㈱
                           業務部 営業課
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  以上の内容。操作盤によるというと、昔見たあんな大きなテコではないらしい。
とにかく運転士の自由裁量でないことはわかった。安心した。ものはためしで
国土交通省にも問い合わせてみた。回答などなかろうと思っていたが最近返事が
来た。たいへんよろしい。転載する。

●国土交通ホットラインステーションをご利用いただき、ありがとうございま
す。お問い合わせいただいた件につきまして、鉄道局 財務課より以下の回答が
まいりましたので、お送りいたします。今後とも、国土交通行政にご理解、ご協
力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 海外の事例は把握しておりませんが、国内の路面電車事業者におきましては、
運行管理業務と運転業務が区分されており、また、運転席上から転轍を行うこと
ができるシステムをもつ路面電車車両も見受けられないため、運転業務に従事す
る運転士が自身の咄嗟の判断で転轍を行うということはないと思われます。
       国土交通ホットラインステーション
                 東京都千代田区霞が関2-1-3
                  TEL 03-5253-8111(代表)
                     03-5253-4150(直通)
              FAX 03-5253-4192

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  「海外の事例は把握しておりませんが」というあたり、いかにも万遺漏なきを
期する官僚の慎重さが現れていておもしろいが、先ずアメリカも変わらないだろ
うことがわかる。欧州でさかんなLRTにそういう装置があれば富山が採用してい
るだろう。

 ところで毎日新聞12月5日の「今週の本棚」にはマイケル・サンデル著『ハー
バード白熱教室講義録+東大特別授業 上・下』なるものの伊東光晴による書評
が出ている。『これからの「正義」の話をしよう』はオバマ大統領登場後に書か
れたのに対してブッシュ時代に書かれたものだそうだ。12月7日、本屋で覗くと、
なんと今度の本には「運転士がハンドルを使って」と書いてあるではないか。
電車にハンドルがあるのは想像を絶する。

 転轍しないかぎり、Y字の右は途切れているから、仮にハンドルを使って右に
舵を切っても車輪は直線レールを跳び離れて右レール上に着陸しなければなるま
い。仮に車輌をヒョイと浮かせて前輪はそういうアクロバットに成功したとして
も後続の車輪はそのまま直進するだろう。大脱線事故になること請け合いである。

 と私は考えるが訳者の小林正弥・杉田晶子ほかの方々はなんと考えているので
あろうか。どうやらサンデルも訳者の方々も鉄道の労働現場などご存じないので
はなかろうか。松下政経塾の方々のように。

 [附記] 脱稿後に、ひょっとするとトロリーバスのことではないかという疑問
を持った。ハーバード大学所在のマサチューセッツ州ケンブリッヂにはトロリー
バスが運行されている。しかもこの状況設定はサンデルの独創ではなく、同書第
一章注36によると最初にフィリッパ・フットが提起し(1978)、ジュディス・ジャ
ーヴィス・トムソンが"Trolley Problem"として展開(1985)したものである。

 すると、やはり、無軌道電車つまりトロリーバスしかない。ところが日本語ウ
ィキペディアでは同じテーマが「トロッコ問題」として取上げられ「線路」「別
線路」などと軌道であることが明記されたうえに、線路上を行き交うトロッコの
写真まで出ている。すくなくとも日本人は軌道の存在を当然視しているらしい。
サンデルに直接の責任はないが、訳者は日本人読者に対してなんらかの責任を持
つものと思われる。


■その二:寺田寅彦、そして司馬遼太郎


  「自画像」という寺田寅彦の随筆(大正9年)の中にこんな文章があった。
  【いったい自分は、多くの人々と同様に、自分の理解し得ないものを「つまら
ない」と名づけたり、自分と型のちがったひとを「常識がない」と思ったりする
ような事がかなりありそうである。】

 「いる、いる。そういう人いる。あっちにも、こっちにも」と、はたと膝を打
って、それから一拍おいて、冷やっとなって「ちょっと待て、こりゃこのオレだ
」と、項をたれる気にもなれば、まあよかった、気付いてよかったとホッとする
ことにもなる。

 すぐれた人のすぐれた随筆の持つ妙味はこういうところにあるように思う。人
を刺して人を不快にはさせない名人上手の鍼のようなものだ。緊張感もあるが開
放感もある。こういう人が先生だったらいいだろうな、などと思う。こういう教
師になりたいと思いながら結局なれなかったようにも思う。寅彦という人はよほ
ど繊細な人だったにちがいない。幼年期のこと、草木虫魚のことを語るのを読ん
でつくづくそう思う。

 ゴムの木の葉(喫茶店などに飾ってある闊葉の観葉植物ではない)の臭いに耐
えられなくなって脳貧血を起こしたり、「幼時の自分は常に病弱で神経過敏で、
たとえば群集に交じって芝居など見ていても、よく吐きけを催した」という。胃
腸が弱かったらしい。先生の漱石とおなじようだったらしい。二人とも胃腸が弱
かったのにどうしてあんなに頭は冴えていたのか不思議でならない。

 私も胃腸は弱いが、だからとりわけ食事のあとは消化に血液をとられて眠くな
って、まるで頭が働かないのがつねだった。今はもちろん食後でなくても頭は働
かない。寅彦も「コーヒー哲学序説」(昭和8年)という随筆で「かなり空腹で
あるところへ相当多量な昼食をしたあとは必然の結果として重い眠けが襲来する
」と書いている。やはり漱石、寅彦とでは、私は胃腸の弱いのはおなじでも頭の
出来はちがうということらしい。

 寅彦を論じる心算はまだない。初めに掲げたところに戻る。「自分の理解し得
ないもの」「自分と型のちがったひと」を頭から排斥してしまう人は、存外、理
想家肌の人に多い。つまり善人に多い。「週間金曜日」など読んでいる善人は、
たいてい司馬遼太郎をけなす。シバリョーなんて言って、けなさないと沽券にか
かわるようにいう。

 「週刊金曜日」の佐高信などが司馬遼太郎をけなすからだろうか。西部邁とい
う人もテレビに出てきて佐高信といっしょになって司馬遼太郎をけなす。色川大
吉という人もけなしたらしい。加藤周一はけなすというのより「坂の上の雲」の
天才史観を批判した。その点は私も加藤周一に同意する。同意するが、それはそ
れで「いいではないか?」と思う。佐高信も西部邁も色川大吉も私は嫌いでな
い。熱烈にというのではないが比較の上で好きな書き手に属する。

 にもかかわらず私は彼らのけなす司馬遼太郎をけなさない。けなさないどころ
か全部ではないが大方全部をおもしろく読んだ。そして司馬遼太郎という温暖な
人物が好きである。土地公有化への思い入れだけでも好きである。兵隊で苦労し
たところが好きである。閉口してご免を蒙る書き手はあるが、もともとあんまり
嫌いな書き手はいない。それほど本を読むわけでないからだろう。

 司馬遼太郎をけなす善良な理想家肌の人にその理由を尋ねると「サンケイの記
者だったから」などと言う人がある。山際澄夫と同じ仲間ということになるから
だろうか。なるといえばなるのかもしれない。例えば反中国で凝り固まっている
人にとっては中国人なら誰でも彼でもみな嫌いというのと同じ理屈で言えばそう
なる。偏狭なナショナリズムは日本国粋主義者だけのものではない。

 左に寄った国際主義者、無党派と自分では言う人のなかにも、とにかくある種
の全体主義みたいな、党派性みたいな、帰属意識みたいなものを持つ人は多い。

誰それは週刊新潮を出している新潮社から著書を出しているから反動だなどとい
う人が一昔前にはいた。サンケイがどうのなどというが、大阪外国語学校蒙古語
学科を仮卒業で学徒兵になり復員して焼け野原の日本に戻って就職口の選り好み
などできるわけではなかった。国が滅びて会社らしい会社もほとんどなくなって
いるのだ。先ず闇屋からの出発が常道であった。

 このような見当違いより、もっとおどろくのは、けなすからには読んでいなけ
ればならないはずなのに、実は何も読んでいない。読んでいないのに尻馬に乗っ
て司馬遼太郎をけなす善人が結構大勢いる。こういう人におくりたいことばがあ
る。

 「世間でおよそなにが厄介かといえば、阿呆と狂信の徒はつねに自分を正しい
と信じて疑わず、なにかにつけて目いっぱい疑う人のほうに賢い人が多いという
に尽きる。」
(The whole problem with the world is that fools and fanatics are
always so certain of themselves, and wiser people so full of doubts.)
というバートランド・ラッセルの言葉である。出典は知らない。たまたま
Quotationsのなかに見つけた。


■その三:マホービン


  11月に高校の同窓の集まりで、珍しく昔話でない話の中にマホービンの話が出
た。マホービンというだけで「じつに大阪的」と新聞記者OBが言った。もちろん
新聞記者OBは東京人である。大阪的はつまり野暮という意味である。そういえば
そうだと私は思った。「そうかな?」と逡巡しつつそう思った。出し抜けにそう
いわれるとそうかなと思ってしまう程度に私たちは東京感覚をスタンダードにす
るよう馴致されている。
 
  大村という人が愛知県知事選挙に立候補して河村という名古屋市長と組んで中
京都にするのだという。大阪府の橋下という知事は自分の妄想する大阪都と同じ
だ、東京都と組んで日本を変えるのだという。テレビ記者が東京人にマイクを向
けた。東京人は言った。「ミヤコは東京だけだから大阪都はおかしい」。私もそ
う思う。日本国じゅう銀座だらけになっているのとおなじく、大阪都は閉口であ
る。

 東京では百貨店をデパートというそうである。つまり百貨店は大阪的に響くの
であるらしい。魔法瓶と漢字で書くと百貨店とおなじで、ちょっと重たくて野暮
といえば言えなくもない。しかしマホービンとカナで書けば音響的になかなか洒
落たことばのように思う。漢字の魔法瓶もこれから中国人向けに復権するのでな
いかと思う。炊飯器はやはり魔法瓶メーカーが作っているが中国人には大変な人
気である。

 エレベーターは米語で英語ではリフトという。トラックはたぶん米語で英語で
はロリーだろう。東京と大阪で言い方が異なるのは英語と米語の違いのようなも
のだろう。まだ英語のほうがお高くとまっている感じもなくはないが辞書など米
語表記が優先されている。どうしても力関係が人の意識に強く働く。日米関係と
同じ力が東京大阪関係にも働く。

               (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

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