母と息子のインド・ブータン「コア」な旅(10)

【旅と人と】

母と息子のインド・ブータン「コア」な旅(10)

坪野 和子


◆「国境線の町」ダージリンから「国境の町」ジャイガオンへ向かう

 先日、新大久保にフェイシャルマスク(紙のパック)基礎化粧品を買いに出かけた。ここでないとお気に入りがみつからないからだ。あまり好きな街ではない。ご存じのとおり、ここは週末、韓流ファンのおばさんたちでにぎわい、平日は高校生年齢のK-POPファンの女の子でにぎわう街である。ホットクという甘いおやきをパクつきながらウロウロしている若い女の子たちは私服自由行動中の地方からの修学旅行生のようだ。観光地である。ここは基本的にコリアンタウンではあるが、時期によっては中国系が多く入り込んでいたり、シンガポール、マレーシアの料理店が多かったりすることもあった。
 現在の新しい状況は、マツモトキヨシから裏に入るとイスラム教徒のための「ハラル食材」の店が数軒並んでいる。ケバブなどイスラム圏の食べ物も食べられる。数軒の店の国旗はネパール国旗である。ネパール人の商店主がイスラム教徒向けの食材を売っているのだ。ネパール人のイスラム教徒は国内人口の4%程度である。仮にイスラム教徒であるとすると、ネパールが連邦になってからヒンドゥが国教ではなくなったので住みやすくなったのではないかと思うのだが、日本で商売しているわけだ。商店主の宗教がイスラムかヒンドゥか仏教かを尋ねている時間がなかったので、そのまま通りを見て、韓国化粧品店に行った。途中、ネパール居酒屋や料理店があったが、現地価格を思うと高すぎて入ってみたいという気にはならない。
 こんなに多くのネパール人を日本で見かけるようになったのは、私がダージリンに行って目につくようになったからではなく、現実に増えているからである。法務省の人口統計で10年前には「その他」として国名すらなかったネパールが、平成26年の統計で10位となっている。人数でいえば台湾人3万9千人よりやや少ない3万6千人だ。ご参考までに在住外国人国別ベスト10は、中国、韓国・朝鮮、フィリピン、ブラジル、ベトナム、米国、ペルー、タイ、台湾、ネパールだ。地方自治体の国際交流や市民生活の課や外付け団体、市民団体の広報やメールレターなどでも「ネパール語通訳ボランティア募集」という文字が増えている。

 ふと気づいたが、中東で出稼ぎ労働していたネパール人がブラックな雇用で人権問題になっていたこと、ネパールでは一時韓国語ブームで留学に行っていた人も少なくなかったこと…これらが関連して結びついて、→日本・新大久保でハラルの店を出す…ということになったのかもしれない。彼らが新大久保を終の棲家にするのかどうか気になるところだ。

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 ダージリン ---「あ、香港の裏路地みたい、元英領だね」---
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 ダージリンの町は山の上にあるので、当然坂道か階段を歩くことになる。20代の男の子と50代の母親では当然歩くスピードが違う。記念撮影的な写真には、息子が階段の上で私を待っている図が何枚かある。一緒に階段をあるくと、先に行かれてしまい、階段の間のカラフルなペイントがキレイだった。ただ四角く塗っていただけだったけれども、おもちゃ箱から出てきたブロックみたいにキレイだった。
 下のほうのどちらかというと生活の場である町に降りると、商店がいくつもあるアパートみたいな建物が通路のようになっている…なんか懐かしいね!!…はは、この美容室、絶対こんなヘアで歩く人はいないけれど、アヴァンギャルドでお洒落だよね…こんな感じ…どこかで…「あ、重慶マンション!! 香港だ!!」香港では常宿としている息子にとって第二の家のような重慶マンションを小さくしたような建物だ。「アパートみたいな感じだけど商店…香港の裏路地みたいだよ!!」「そういえば、コルカタのショッピングエリアも香港に似ていたところがあった」
 
ダージリンに来て、インドもネパールもチベットもブータンも見つけた…お土産で中国も見つけた…そして香港との類似を見つけた。元英領の香りがする古い落し物が残っていたのだった。英国の裏路地を歩いたら、同じような香りが漂う風景に出逢えるかもしれない。町の中に天に向かって建てられている古く美しいキリスト教会が町を見守っているようなヒマラヤの美しさと人の流れを知っているような気がした。ダージリンの教会は神がひとりしかいない英国人のために建てられたものだが、まるで土地神のように見えてきた。昨今日本で増えてきたイスラム教徒たちのための礼拝室・礼拝施設とある意味似ているのかもしれない。ここは誰にとっても終の棲家ではないからこそ、この地にいる誰をもどんな物をも受け入れて「国境線の町」として常に変化してきたのだろう。残念ながら先住のレプチャ族の人たちとお話しすることがなかったが、ダージリンでの見聞は歴史が過去のことではなく、今だということを実感したのだった。

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 ダージリン ---マクマホンが引いた線---
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 サー・アーサー・ヘンリー・マクマホン…19世紀おわりから20世紀初頭の英国外交官。
 国がやらせたことであるとはいえ、彼の軌跡は現在の世界の国境線をめちゃくちゃにしたといえよう。言語・文化・地形、周辺諸国事情を無視した勝手な線引きは現在も続く紛争や人々の移動の種をまいてしまった。ヒマラヤ圏ではシムラ会議でマクマホンラインという国境をつくり、フサイン=マクマホン協定によってパレスチナ問題の要因となった。当時のマクマホン外交は英国の三枚舌外交のうちの一枚の舌である。この協定があったことで、シリア地区では過日の後藤健二さんの殺害にもつながるといえる。国家単位の所業とはいえ、この外交官が行ったことは罪深いと感じる。
 ヒマラヤ圏の場合、線のあっちが中国人でこっちがチベット人、またはあっちがインド人で、あっちがブータン人で…と、本人たちの自覚のないところでただ住んでいた場所で国籍を決められてしまい、侵略や紛争に巻き込まれてしまった。そして中華人民共和国領になってしまってからは、国境紛争が止まらない。
 中華民国、人民共和国ともにマクマホンラインを認めず、独自の主張をしている。これのライン従う必要はないが、その食い違いともともとあった共有地や村の伝統で決めていた村や寺院の領地はおかしな割られ方をされたために平和が緊張となり、軍隊が駐留することになった…たとえば、チベット自治区ヤートン(チベット語・ゾンカ語ではドモ)。ここに人民解放軍がいるのでインドとブータンと中国領チベット自治区が見張りあっている。共有の牧草地だった土地だ。たまに人民解放軍の兵士が国境を越えてブータンまで出てきたという報道があるが大抵は噂であったり、人民解放軍のような服装で亡命してきたチベット人であったりする。
 尚、インド軍も人民解放軍もブータン軍もチベット系民族の兵士が多数いる。本気で戦争になってしまった場合、ブータン以外は別の支配民族のために同じ民族同士が血を流しあうことになる。これは、インド最北ラダックとチベット自治区でも同じことだ。マクマホンと彼と取引した政治家や外交官たちによって勝手にひかれた線や引かれたくないので勝手に決めた線のために…そして自分たちの都合で移住させられた人たちの子孫たちがいて…。故郷でなくても幸せであればそれでいい。しかし「国境線」とはなんと悲しいものなのだろうか。

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 ダージリン ---おまけの「映画の話し」--
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 息子の撮った写真を見た。…あらら、やっぱり映画が頭から離れないのねぇ〜。ダージリンでは一度も映画館に入らなかった。上映されていたのがコルカタで観た映画と同じ作品だったからだ。写真のうち2枚が、日本でも上映されてかなりロングランになった珍しいと言っていい、そして全米を…ではなく全インド、および南アジア圏を泣いて笑って楽しませた、知っている人は知っている、あの映画「3 IDIOTS(邦題『きっと、うまくいく』)」(※)を見つけたのだ。写真のうち1枚は、自動車のボンネットのおしりに貼られていたシール、この映画の決め台詞「All Izz Well」=きっと、うまくいく。私の視界には入っていなかった。
 そして、もう1枚。ドゥク派の寺院で飾られていた写真。これは管長とこの映画の主役アーミル・カーンのツーショットだ。単に有名俳優と高僧の写真というだけの意味ではない。この映画の最終舞台となった場所は、管長のおわせられる本山があるラダックである。そして、謎の主人公はチベット系民族、ラダック人もしくはチベット難民であろうと思われる設定でラダックの小学校の校長になっていたということ、この映画とこの宗派とのつながりがあるからだ。この映画はすでにご覧になっておられるかたもいらっしゃるとは思うが、もしもご覧になっていなければ娯楽映画でありながら「チベット系民族とインド社会」をも表現した、考えさせられる、そして、単に娯楽としても面白い。レンタルでも出ていると思うのでぜひご覧くださいませ。…油断も隙もない…いや、息子が。いつも映画のことばかり。

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 ダージリンからジャイガオンへの道のり ---自然と共生するインド--
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 ダージリンからジャイガオンまでのチケットを買ったときに「どういう人たちがいますか」と訊いた。「ブータン人だらけだ」と言われてすごく安心した。その安心した顔を見て息子が「よかったね。言葉が通じるところみたいだね」と言った。チベット語を話していると活き活きしている母親を見てきたからそう言ったのだろう。
 早朝出発の公共バスに乗車。バスがすごい…すごいという言葉はボキャブラリーがない若者みたいだが、とにかくすごい!! フロントグラスはヒビが入っている、扉が開いたままで一度も閉まっていない状態で走行していたのだ。山道坂道を扉が開いたまま…落ちないだろうけれど落ちたりしたらどうしようと余計な心配をしながらずっと到着地まで座っていた。
 ジャイガオンに着く以前に、ブータン人が大勢乗ってきた。民族衣装でなければ見た目は同じだし、町ではネパール語で話しているからまったく気づかなかった。バスに乗ってゾンカ語を話していたのでやっと気づいた…という感じだ。乗客のうち、10人以上はブータン人だった。町中ではだれかの結婚式に参列したと思われるチベット人男性親族の車から慌てて降りて立ちションしている姿を見る。お祝いの花を飾られた新郎新婦の車の後ろから続いてきたのでわかった。なんだか笑えた。

 そして、次々に変る美しい景色。密林、竹林の幽玄、向こうに広がる山々、なんと!! …車窓ではなく…開いたままの扉の向こうから見える。絶景だけども少し怖い。…と、突然の渋滞。山の中での渋滞。すると…いつもの渋滞ポイントらしい。スナック菓子販売、果物販売、ドリンク販売など、売り子たちが次々にやってくる。そして、人だけではない野生の猿たちがなにかおこぼれを貰えないかとやってくる。猿たちが可愛い、可愛い、とても可愛い。
 30分ほどすると車は先にすすむ。ドライバーさんやコンダクターさんにとっては運行予定の一つのようだ。可愛いのは猿だけではない、ちょろちょろと小さい野生動物や鳥や虫や小さな花が見えていた。そしてステキな標識!! 写真撮影しそびれた。「Elephant across Slow drive」=「ゾウさんが横切るからゆっくり走ってね」ゾウさんが横切るかもしれない…ゾウさんが見られるかもしれない…ワクワクドキドキしながら…残念ながら象に遭うことはなかった。

 インドの標識はステキだ。コルカタの町中で見たバイク用の標識のひとつ「No helmet hell met」=ノーヘルだと地獄に遭うよ。…なんて面白い、そしてステキ。日本の交通標識って、いかに雑なのか…と思う。「注意」さえつければ注意すると思っている。だからダメだと思う。「動物注意」「歩行者注意」「飛び出し注意」「○○あり」…だから…どうしろ、って言いたい。減速してね、視界に気を付けてね、徐行してね、具体的にどうすればいいのか、きちんと示せないのだろうか。或いは「○○禁止」。何も知らずにそこまで進んでみたら、こんな標識を見てしまった、で、次はどうするんだ??
 そして情報を示す標識は自動車教習所に行ったことがないと即座に意味がわからないものがある。これ自動車の運転ができない、しかし交通手段は自転車である私のジレンマだ。インドの運転免許取得者は、整備士を兼ねた試験に合格しているはずの人たちだ。しかし、交通標識は免許を持っていない人間にも英語が読めれば理解できる車中心でないやさしさがあるのだと感じた。そして、共存している野生動物たちは文字が読めなくてもゆっくり走ってもらえる。

 さきほどの「Elephant across Slow drive」を普通の標識風に訳してみよう。「象横断 徐行運転」と漢語調になる。なぁんだ、あんたの訳のトリックじゃない…と思われたくない。雑な「注意」ではない。よく知られている「熊出没注意」は身を守るだけで、熊に対する気遣いはない。これは標識ではなくグッズだ。標識だとしたら「熊出没地帯 徐行」とあれば相互に気遣いしているような気がする。また具体的にどうすればいいのかもわかると思った。動物との共生については、またブータンに入ってから述べようと思う。

 進めば進むだけ変わっていく自然の風景。生態系に対して矛盾のない風景。そして動物たち。広い橋が見えてきた。とても美しい川だ。この橋を渡ると、今度は北東インドのインドらしい普通の風景に変わっていく。実は私のこの旅は橋を渡るためなのだ。この橋ではないが…そして、母子の旅は、西ベンガル州でありながらアッサムの影響を持つ街道を通り、「国境の町」ジャイガオンにすごろくの駒をすすめたのだった。【続く】

※ 以前ブログで映画解説した拙文です。
 3 IDIOTS/邦題「きっと、うまくいく」/チベット系民族とインド社会
 http://ameblo.jp/amalags/entry-11518985238.html

 (筆者は高校時間講師)


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