母と息子のインド・ブータン「コア」な旅(11)

【旅と人と】

母と息子のインド・ブータン「コア」な旅(11)

坪野 和子


◆「国境の町」ジャイガオンへ向かう ジャイガオンにて

 みなさま、花粉はまだまだ飛んでおりますが…ご自愛を。私ですが、インド・ブータンから帰ってこの冬、一度も風邪をひきませんでした。なぜかなぁ〜と思ったら、帰国して食生活が改善されたからではないかと…。

 先日、イスラム教徒の友達と夕食…っていうか、「呑み」…ですが…に行った。お酒は飲むけれど、そして刺身(血)も食べるけれど、豚だけは絶対に食べない…という人だ。私の周囲にもっとも多いタイプの在日イスラム教徒だ。お通しに「つくね」が出てきた。…お通しになぜ「つくね」? わからなかったがそれよりもそのイスラム教徒の友達は「これ、豚が入っていないか厨房に確かめてきて」と言った。たしかに鶏だけでなく豚肉もつなぎとして入っていた。へぇ〜っ、鶏だけだとパサパサするから豚を混ぜていることが多いのだとか。
 そういえば、一か月前、イラン人のお父さんを持つ生徒は「豚平気よぉ〜、私日本人みたいなもんだから」と言っていたのに、「ちんすこう」に「豚脂」が入っていると読み上げたら、「キモチわる〜い、先生、そういう風に読むと、キモチ悪くなってきた」…ラードと表示されていればなんでもなかったのに「豚脂(とんし)・ぶたあぶら」と表示されているのをわざと「豚脂(とんし)・ぶたあぶら」と読んだら彼女は「キモチわる〜い」と繰り返していた。

 生徒たちとお菓子を食べるときは、イスラム、ベジタリアンなど食習慣を配慮して表示を読み上げている。今回の旅行から帰ってきて、生徒たちのためだけではなく、自分自身のためにも食品の表示に対して注意深くなった。コンビニの鮭おにぎりになぜかラードが入っていたり、チキンエキスが入っていたり、と、添加物を避けているうちに、なるべくクチにしないようになっていった。そして、香辛料・生姜・ニンニク・山椒などたっぷり使った南アジア料理を作ることが増えた。免疫力が高まったのではないかと思う。
 宗教で禁止されている食べ物があるのは、人々の健康のためにもなるのだと感じている。

 さて…前回までの話し。扉が閉まらず、フロントガラスにひびが入った公共バス。怖いけれど外は絶景。そして、渋滞ポイントで食べ物をおねだりする猿、象がいるのがわかる道路標識。自然と共生する様子を見ながらダージリンの山を下り、さまざまな州の文化がごっちゃまぜになっている街道を移動しているところで前回までの話が終わった。今回の母子の旅は、インド・コルカタからダージリン、そして国境線の町ジャイガオンへ向かい、到着する予定だ。

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 ジャイガオンまでの街道沿い 1 ---「国境の州」---
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 山を下りて国道31A号線に入った。テェータスタ川の橋を渡るとしばらくは山道の続きのような景色が続くが徐々にインドらしさがある光景に変わってきた。そう、インドらしい…そして気温もインドらしい暑さとなってきた。農村、小さな町、そこにはダージリンの国籍不明なヒマラヤの人々ではなく、土地に息づくインドの呼吸と空気があった。西ベンガル州…なんとも人々が混在してインドらしさ、インドらしからぬインド、それでもインドであることが感じられる州だ。

 コルカタにいたときは、「ベンガル」だった。隣の国のバングラデシュとは国が違わなければそれほど差がないような気がした。ダージリンはチベット・ネパール世界のヒマラヤ。そして、今通っている場所は隣のビハール州で見た光景と似ていて、それでもビハールよりは豊かで(ビハール州はインドでもっとも貧しい州・最近カンニング事件で世界中に報道されたばかりだ。お釈迦様が悟りを開いたブッダガヤ所在の地でもある)、もともとこの州は7世紀にはビハール州とバングラデシュと同じ王家に統治されていた。その頃は仏教が盛んな地であった。
 その後、13世紀にはヒンドゥ教徒の王家が、さらに15世紀末からイスラム教徒の王家が統治し、その後、世界史でも有名なムガル帝国の一部となっていった、そして英国植民地の首都、いわば時代時代の顔そのものなのである。そしてダージリンはもともとインドではなかった、インドに併合された土地である。さらにベンガル州の半分はインド独立後に東パキスタンとなり、それが今のバングラデシュなのだ。この不自然な州の形からもいくつもの文化が混沌として存在しているのかが想像できよう。それは1988年に行ったジャンムーカシミール州とも似ていた。似ているが違っていた。
 少し回想させていただく。パキスタンとチベット(中国)の国境の州だ。この州の場合は、ヒンドゥ教徒のジャンムーとイスラム教徒のカシミールと仏教徒のラダックと3つに分けることができる。やはりインドと呼ぶには微妙だ。西ベンガル州と違っていた。カシミールのイスラム世界、それはチベット語方言を話すチベット系ではない民族の人たちがいても、その雰囲気にはチベット世界と混ざったところはない。チベット世界のラダック、イスラム教徒がいてもチベット世界だった。ヒンドゥ教徒がほとんどのジャンムーは明らかに普通のインド世界だった。
 ダージリン篇で何回か述べさせていただいたように、カシミールはパキスタンとインドと中国にまたがっている。心情的にはパキスタン側もインドに入ってほしい…もしくはイスラムの国パキスタンでいたい、だけど政治や経済のことを思うとインド人でいたい…という複雑な思いがあるといえよう。ラダックも本来はチベットだが、どう考えても中国には編入されたくないだろう。陸続きの国の自然な線引き…とはいえない…「Marching India」というポスターが背筋を寒くした記憶が蘇ってきた。

少し話しは飛ぶ。ご容赦。帰国して最近のことだが…2015年4月5日、ダライ・ラマ14世法王猊下がご出席されたシンポジウムで法王猊下がお話しくださったこと。「インドは多種多様な民族・言語・宗教・習慣を持つ人たちがひとつの国の民として暮らしている。統一感がないのにインドがひとつとなっている。しかし、中国は多種多様な民族・言語・宗教・習慣を持つ人たちにひとつの統一された言語、ひとつの思想、ひとつの民族に合わせた風習を強制してひとつの国としている」…その場にいる人たちは何をおっしゃりたいのか理解できる。

 話しを西ベンガルの国道を走るバスの中で思ったことに戻そう。それは自分の住んでいる土地について思いを巡らせたことだ。あれっ?? たとえば、私が住む千葉県も廃藩置県でひとつの県になった。漁師さんの千葉県・お百姓さんの千葉県・木こりさんの千葉県・よそ者だらけの東京の植民地の千葉県、土地土地の香りがあるものの平均化した千葉県…となる。しかも私が住んでいる松戸市は「葛飾」である。「男はつらいよ」の寅さんが「関東関東と言っても…葛飾柴又」と言っているが、「江戸」といわない意味がある。
 東京の葛飾(葛飾区・葛西)・千葉県の葛飾(東葛飾・葛南)・埼玉の葛飾(北葛飾)・茨城猿島古川(葛生)と別れているが、ひとつのエリアなのだ。葛飾は江戸ではない。歴史の知識がない作詞家が「矢切の渡し」という歌を作ったが、実は中川を越えた時点で江戸が終わっている。江戸川は葛飾のそれぞれの都県の雰囲気があって葛飾という統一感は失われている。もともとの地元民のお年寄りが葛飾方言を話し、林を「山」と呼ぶ程度の感覚が新住民の違和感でその感性も消えていく。日本は政治的に強制しなくても大多数の周囲の合わせ均一化していくのかもしれない…と思いながら「普通のインド」の景色を走るバスはドライブインに止まった。ランチ休憩…。

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 ドライブイン---「外国人への偏見」「世界一辛い料理」----
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ドライブインは普通のインドの街道にあるお食事処だったが、一点違っていた。神様の絵が飾られているはずであろう位置にダライ・ラマ14世法王猊下のお写真と仏教の仏・神の絵が飾られていたのだった。おそらくオーナーがチベット人もしくはチベット仏教徒のインド人もしくはチベット仏教ゲルク派ブータン人なのだろう。ああブータンが近くなってきたな…と思った。

 で、座ると、従業員が緊張した感じでオーダーを取りに来た。「チキン」「ピーフ」…ビーフ?? 珍しいからそれにした…しかし出てきたのはフィッシュだった。お味も微妙だった…辛いけどコクがない。しかも、付け合せで食べ放題の青唐辛子・生赤玉ねぎ・ライムが出てこない。日本でいえば、福神漬けやらっきょうがないカレーみたいなものだ。ちょっと怒って、玉ねぎと唐辛子がないと言ったら戸惑っていた。外国人は食べないものだと思っていたようだ。これがないとダメでしょうが…。まったくもぉ〜。さらに他のお客さんを見ると、ベジタリアンメニューを食べていて、すごくおいしそうじゃない…(でも後で思うと美味しいとは限らない…だって肉系でコクがなかったのだから)。

 「外国人は肉、外国人は唐辛子食べない」という従業員の偏見。帰国してネパール人からモモ(何度もすみません…チベット式小龍包・蒸し餃子です)をいただいたとき、ケチャップをタレに出された…「日本人はケチャップが好きだから」と言われたとき、このときのことを思い出した。いや、実はその後、ブータンでも…。
 この微妙な料理はどうも隣の州アッサムのものらしい。この辛さは今回の旅でもっとも辛かった。まずくはないが美味しいとは言い難い辛さ。日本で「ブータン料理は世界一辛い」というメディアの報道を実感的に覆す辛さ。もしも、ブータンが世界一という説が本当ならば、「アッサム料理が世界一辛い」と実感的な反論ができると思う。ブータンの唐辛子は辛いけれどもフルーティーで野菜っぽいから辛くても美味しい辛さだから。

 そしてアッサムで思い出すのは、ダラムサラで聞いた悲惨な話しだった。「チベット人たちがアッサムを経由して亡命しようとしたが、途中であまりの暑さに死んでいった人たちが大勢いた、その遺体はまるでゴムのようにドロドロに溶けていって異臭もすごかった。それを横目で見ながら泣くことすらできずに衣類を一枚ずつ脱ぎ捨ててアッサムのジャングルを少しでも早く去って行けるようにと願って歩いて行った」という壮絶な話しだった。
 アッサムのジャングルは本来人が立ち入ることを否定している土地なのだろう。そして、その気候で生きる人たちは厳しい自然に立ち向かうかの如く辛い香辛料を食べて生き抜いているのかもしれない。…かもしれない…。アッサムに行かないとわからないので今回の旅の仮説として残しておこう。いずれアルナチャル州とブータンに行くつもりでいるので、アッサムを経由する計画を立てておくことにしよう。この計画だとバングラデシュ経由でも面白いかもしれない。…とりあえず、美味しいとは言い難い、しかし、南アジアの面白さを味わった…そんな休憩時間だった。

…母子の旅はブータン目指してコマを進めていったのだった。

 (筆者は高校・非常勤講師)