母と息子のインド・ブータン「コア」な旅(13)

【旅と人と】

母と息子のインド・ブータン「コア」な旅(13)

坪野 和子


◆「国境線の町」ジャイガオンから「国境の町」プンツォリンにて

 関東地方は梅雨入り。このメールマガジンが掲載される頃には、日本のほとんどの地域が梅雨入りとなっていることでしょう。この旅行で地球温暖化による川の変化・気候の変化を身近に肌で感じたことが何度かありました。これは機会があれば触れることにします。

 最近フィリピン人の大学の先生から2013年のフィリピン台風も地球温暖化に関係があったということをお伺いしました。台風が多い北部や東部と違い、あまり台風が来ない住みやすい島と長年考えられていた海も含めた中央部を直撃するなどということは想定されていなかったのだそうです。近年台風が来ることもあったのですが、あのような大きな台風まで来るとは市井の人たちには思いもよらないことだったとのことです。なるほど日本でもおなじみのレイテ島は太平洋戦争の銃弾の嵐くらいしか知らなかった人たちなのかなとあまりよくない喩えが頭に浮かんでしまいました。
 想定・防災が発達している日本…四季折々のナントカ…と楽しんでいるだけでなく、地震雷火事…オヤジは別ですが、すべての危険が生活の中に内在しているのだと感じました。

 ネパール大地震の復興支援に何人かの日本人防災専門家が現地で指導に在日ネパール人のかたとともに赴かれてご指導されているという情報を現地発信から得ると嬉しく思います。政府発動ではなく、在日ネパール人のかたがたによる活動であったことも嬉しい。

 前回までの話し。日本から中国まわり経路からインド・コルカタで映画を見て過ごし、そしてダージリンで勝手にひかれた国境地帯に住み往来する人々と交流し、いよいよ目的地ブータン。

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1.「国境線の町」ジャイガオン 「不法越境」3回目??
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 ブータン出入国管理事務所から出て、ガイドさんとドライバーさんと別れてすぐにTOYOTAの自動車が見えた。写真を撮ろうとしたら、おじいちゃんが怒っている。神様の像でもあるのかな?? インド人の小さい女の子が英語で「ここはブータン領だから入っちゃダメぇ」と言った。…ん?? 地元しかわからない目には見えない線が、地面に書いていない線が国境か。密出国・密入国してしまったぁぁ〜。このエラーは3度目となる。
 1回目はインド・ネパール国境で間違ってぐるっとネパール領からインド領に戻ってしまった。同じようなエラーだった。2回目はチベット(中国領)からブータンに出てしまったのか、チベット内でありながらブータン人が多く住んでいたのか定かではない。地面に線が引かれているのは地図だけなんだ。この後最後にもう1回やった、エラーではない。これは後日述べる。

 で、歩いて部屋に戻る。戻る前にホテルに向かう階段を教えてくれた兄ちゃんのショップで水分購入。部屋で少し落ち着いたところで「お腹すいたな」と息子。道端で売っていた屋台でモモ(蒸し餃子)を買おうか、という話をした。また下に降りて道を見渡すとたくさんあった屋台はすべて消えていたか売り切れだった。「しまった!! ここはインドだ。夕方だけど、もう夜遅い時間と同じだった!」息子が残念そうに言った。私も残念だが、ブータンでも食べられるし、いいか…と。
 ところで、ダージリンで「あそこはブータン人だらけだ」と言われていたが、国外なので民族衣装を着ている人たちの姿が少ない。「だらけ」というほどではないが、国境の外であるのにブータン人と思われる人たちが多い。チベット系民族のいわゆるブータン人とネパール系民族のブータン人両方だ。ほとんどの人がショッピングを楽しんでいるような感じで住んでいるようには見えない。商用等でインドに出て帰国するとか、国境の向こうの近隣に住んでいる人を訪ねたとか…そんな雰囲気だ。話している言葉もベンガル語かネパール語なので、ブータン人だらけという雰囲気は感じられないのだが。まあ…多いかな…インドなのに…。

 着いたとき、旅行業者がダージリン、シッキム各地、ガントック、シリグリ行きの乗合タクシーと現地ホテルを路上で…路上をオフィスのようにして客引きをしていたが彼らもすでに店じまいをしていた。彼らを利用するのはただの旅行ではないだろう…たぶん個人輸入業で物を右から左に動かす仕事をしている人たちなのだろう。一言で説明すれば町全体がエアポートターミナルのようなものだ。
 壁に貼られていたポスターをしきりに気にする息子。何の映画のポスターかなと思って一緒になって覗いたら、それは映画ではなかった。松涛流空手の道場のポスター。まだ正式競技になっていないのにオリンピック・コミュッションという文字が入っていた。インチキくさいけれど本当っぽいインドらしいポスター。その時はああこんなところに日本文化が普通にあるんだなと思った。その後、帰国してから知ったのだが、私のインド人生徒は小さいときから父親がデリーの空手道場で師範だった。その父親から習っていたという。在日インド人の中には空手に親しみがあるため、海外移住先を日本に選んだという人たちも少なからずいることも知った。

 そして、翌日から町中のスターシネマホールでヒンディ映画「シャーディ ケ」というラブコメディの予告ポスターがあった。映画が見られなかったね、映画館は町にあるっていうことだったけれど…と言ったら「いやいいよ、ここでも今日は GUNDAY だったから…」って…いつの間にチェックしていたんだ…最後までこの映画かぁ、旅先のどこでも上映されていた人気作品だった。

 結局、ホテルに戻ってホテル内のレストランで食事をした。メニューはベジタリアン・インド料理、ノンベジタリアン・インド料理、ブータン&チベット料理、(インド式)中華料理。閉店ぎりぎりなのに作ってくれた。モモは売り切れだったが。そのときは最後のインド料理だし、ベジタリアンのじゃがいもがいいねと、アルードゥムというドライとスープの中間のようなカレー、あと2品とロティ(蛇足説明。インドでは一般的なパン、日本ではナンがインドと思われているがナンはどちらかというとパキスタンや中央アジア)。とても美味しかった。さすがホテルのレストランという感じがした。高級ではないが、スパイスのバランスやその他、料理している人の気持ちが伝わるような味だった。帰国してからここで食べた料理は我が家の食卓に乗ることが多くなった。まだここまでの味は出せていないが、私の定番家庭料理になった。
 部屋に戻った。なんだかもう1日滞在したい町だった。後ろ髪ひかれる思いだ。ブータン旅行の日程変更なんて無理だ。何もやることがなくなったので快適なベッドで就寝した。ダージリンのように寒くないし。ダージリンではサウナスーツを着て寝ていたくらいだったが。

 朝、ものすごく早く起きて、迎えに来てくれたガイドさんとともに出入国管理事務所へ行った。昨日の約束では国境の向こうで待っていてくれることになっていたが、ついてきてくれた。インド側出国手続きのときは一歩下がって待っていてくれた。事務所を出て「いえね、僕が(出国手続きを)やると乾燥唐辛子を持っていないか、うるさいんでね」とガイドさん。なるほど、バクシーシ(…つまり中東から南アジアにかけて、「チップちょうだい」「賄賂頂戴」「恵んでよ」という意味。よく乞食が言うことばと勘違いされているが、役人や空港でほぼ満席で計らってもらって要求される。もちろん任意だが)または乾燥唐辛子を売ってくれ、まぁ取引??ということでもある可能性がある。これも役人の越権行為だといえるが。どちらにしてもあまり根掘り葉掘り訊く内容ではないし、空気で読めたのでこのことには深く追求しなかった。

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2.プンツォリン チベット文字と英語併記 インド料理の朝食
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 そしてブータン側の国境の出入国管理事務所に行った。Visa 代金が書かれていて、驚いた!! 半年滞在ビザなんてあるのかあ!! 超高い!! しかも、滞在の公定料金も高いのに。そしてどういう人がこんなビザを国境で取得するのか…旅行代理店を通さない人たち…ああ、たぶん…だが、ガイドさんも知らない人たちらしい…では、たぶん…推測だからやめておこう。

 ここから英語とゾンカ(ブータン語・チベット文字)が併記された看板や標識が見えてくる。ああ、やっとブータンに来れたのか…長年の夢だったのに、それほど感動しなかった…というよりもちっともはじめて来たような気がしなかった。ネパールでは英語とデーバナガリー(ヒンディー・ネパール語の文字)の併記、チベットでは漢字簡体字とチベット文字の併記と変わらない。インドは場所によって見えてくる文字が目まぐるしく変わるが、読める文字ふたつが並んでいるのはかなり楽だ。なんだか帰ってきた…という気分だった。そしてまだベンガル文字も目にする…トラックなどから。町中を歩いて、ガイドさんが買い物しようとしたところ、偽物中国製 Casio の商品がショーケースに入っていた…日本製品にしてはお粗末…「中国製だよ」偽物とかコピー商品が当たり前に売られていて買う側も当たり前なのかと思ってみていた。…ガイドさん、買い物しないことにしたらしい。

 そして、「プリ・ターリーはいかがですか」インド系の軽食屋さんで朝食をとることにしてくれた。「いいねぇ、朝ごはんにプリはぴったり」と息子。…まだインドが終わっていなかった…という気持ちになった。4人で朝食。日本の旅行ガイドや旅行記を見ると「ガイドやドライバーは一緒に食事をしない」ということが書かれていたが一緒に食事した。そのほうがいい。プリとは中身のない餃子の皮を揚げたようなパン。おかずはとうもろこしとじゃがいものカレーだった。息子は彼らが食べている様子を見て言った。
 「やっと…左手が使える…」
 ガイドさんの目が点になった。そして、ドライバーさんに彼の言葉を訳した。二人で顔を見合わせた。インドで現地の人に合わせていたのか…とでも思ったのだろうか?

 インド・ネパール・パキスタン・バングラデシュでは、ご飯を食べるのは右手、トイレでお尻を拭くのは左手…だから左手を使わない。宗教のためだと説明されるがイスラムでも左手を使わない。インドでは多くの人たちが左手を使わずに食べている。特殊な例としては左利きをどうしてもなおせない子どもだろう。映画「スタンリーのお弁当箱」では左利きの子どもがお弁当の時間に左手で食事しているシーンがあった。演出上必要なシーンだろうといえる。
 息子に言われて私もハッとした…思い切って両手でプリをちぎってみた。…楽だ。だけど、インド料理を食べた気がしない。国境は超えたものの隣の国の文化がまだ漂っていて、それでいて小さな習慣の違いによって国が違うことを実感させられた瞬間だった。ここで本当にこの旅最後のインド料理となった。

 次回もプンツォリン。お坊さんの講話や高僧との謁見の話し。

 (筆者は高校時間教師)


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