【旅と人と】

母と息子のインド・ブータン「コア」な旅(24)

坪野 和子


◆旅の本来の目的「伝説の高僧の足跡」を訪ねる 2

 「あんた、まだ旅行記続けているけど、2年だよね」と言われました。今回でちょうど2年ですね。休載があったからそれをのぞいても。ですが、チベットの大先輩河口慧海師も、帰国何年も経って忘れずラジオ講談で「チベット旅行」を話され、また諸先輩がたも長期連載でお伝えになっていらっしゃいます。
 どうかご容赦くださいませ。とはいえ、2回お付き合いのほどを。

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1.パロ・ティンプー ---観光の国---
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●「ブータンでは誰にカメラを向けても構わないんだよ」とガイドさん。インド・コルカタで最初に乗ったタクシーで運転手さんが「ここはカメラを向けちゃマズいでしょう」「これは絶対撮っておいたほうがいい」などなどいきなりこと細かく言われたので、ダージリンの高校生も撮影許可をもらって撮っていた。息子は滞在2日目に言われたものだから驚いていた。初日から言って…というのかと思ったが、ちゃんと受け止めていた。だが、彼は自分や私との記念撮影以外は簡単にカメラを人に向けなかった。理由はわからない。
 カメラを向けてOKは暗黙に外国人が楽しめるような「おもてなし」なのだろうか??

●ホームステイ 以前も書いたが、家庭にお泊りではなく民宿だった。ずっとお客様扱いだったのがとても寂しかった。

●お正月 だが、お土産屋さんはちゃんと営業していた。私はお土産より本屋さんに行きたかった。町中で「本屋はどこ?」と訊いたら「私はティンプーから来たから知らないわ」と言われた。よく見たら彼女はチベット人だった。だが、息子と一緒だからお土産屋さんにも入った。売られていたものは、インド・ネパール・中国のものとわかったし、仏画の一部は日本人画師の作品だった。買う気にならなかった。息子は切手を買っていった。

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2.パロ・ティンプー 
    高僧タントン・ギャルポの足跡---スポット案内---
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 以下はガイドブックや旅行サイトには詳細な記述がないので、お出かけになるときのご参考に。

▼1.ドゥムツェ・ラカン (ドゥムツェは地名・ラカンは尊堂)
 421年建立。もとは僧院だった。(寺院の)地下に住んでいた水蛇を退治するために建てたと言われている。ドゥクパ・カギュ派。外観は寺院ではなく、チョルテン(仏塔)のように見える。1階の回りに小さなマニ車が右遶して回る位置についている。3階建てとなっていて、壁画に囲まれ、1階は五仏および観音、グル・リンポチェ、シャプドゥン・ンガワン・ナムギェル 2階は十忿怒尊 3階は五大金剛無上瑜伽タントラ合体尊ヤブユムの壁画が描かれていた。方角は一般的な曼荼羅に配置されていた。内部撮影不許。ただしかなり暗いので撮影は不能であった。現在、寺院管理は村で持ち回り当番制となっている。この時、近所の男性がいらして案内してくださった。

▼2.チャン・ドゥンカル[byang dung dkar]北法螺貝寺院
 二階建ての寺院。ブータンの地域寺院は一見で寺院か民家かわからないことがある。妻壁に日本の倉の家紋のように経典マークがつけられていることで判明する。この寺はタントン・ギャルポのパロ滞在中の自坊であった。近くに鍛冶場を作り、職人たちの指導をした。外観は民家のようだが、マニ壁(建物下部の塀)があること(「マニ壁」はブータン独自の右遶瞑想用の塀)○印が屋根の下に描かれていることで寺院と識別できる。宗派はカギュ派・ニンマ派で明確な所属はない。管理は元僧侶サンギェ・イシ氏(タシガン出身54歳)が還俗して仕事を探していた頃に村から管理を依頼されたとのことだ。
名前の通り法螺貝が上部階に安置されており、中心の壁画にも八吉祥の中心として法螺貝が描かれている。タントン・ギャルポが法螺貝に災害を閉じ込めたと言われている。
タントン・ギャルポが掘らせた井戸がある。現在は枯れている。

▼3.壁画修復支援を待つタムチョ・ラカンと鉄橋 (タムチョ=馬頭=地名・ラカンは尊堂)
 橋の鉄鎖はタントン・ギャルポが作ったものとされている。が、近年別のエリアにあったタントン・ギャルポの別の橋から持ってきて付け直したとのことだ。橋の両側にある建物の内部はグル・リンポチェ(蓮華生・ブータンでは)、釈迦、シャプドゥン・ンガワン・ナムギェル(16−17世紀政教の統治者)、天井に金剛界曼荼羅が描かれている。3年前に描きなおしたものだという。地元の人たちは「願掛け」を目的として渡ることもあるという。タントン・ギャルポの橋であり、床板がないため下の水流が足元から見え緊張感を持って渡らなくてはならないためである。「願掛け」は「願い事」ではなく、現世の計画や決意の実行と実現を意味し、来世を祈ることではない。

 ブータンの国営新聞「クェンセル」に女性管理人の名前で、しばしば橋の鎖が盗難に逢っているなど管理上に問題が多い。
 タントン・ギャルポの鉄橋の寺院。外観はやはり民家のように見える。2階建て。ドゥクパ・カギュ派のツェリン・ケンポ住職が常住。僧侶は他に2名。寺院の僧侶は年に一度近くの山へ修行に出ている。1980年・2011年の2度の震災で壁画が破壊され、寄進を待っている。国家保護寺院登録をしていないため、政府からの支援はない。
 チベット・ネパール・インドにおける観光寺では省略されている参拝の手順が、ここでは省略なしで、甘露水、賽子占いなどを受けられる。1980年代に博物館資料として作られたタイプライター打ちによる英文説明書きをいただいた。この寺院の壁画および寺院修復のための募金など、お知恵をお貸しいただけるかたがいらっしゃればと。私のような無名で貧乏な人間にできることを教えてくださいませ。
 近くには、タントン・ギャルポが瞑想したといわれる洞窟、日本でいうところの「ご神木」、僧侶たちが1年に一度籠る瞑想修行用ホコラがある。

▼4.国立博物館(旧) ティンプー
 「木製の橋」を渡っていく。内部撮影禁止。2014当時工事中。2階に「タントン・ギャルポの鉄鎖」が展示されている。簡単な説明書きには「鉄鎖は宗教的なデザインによる。この形状によって何年も耐久できた」とあった。

▼5.三つの様式によるチョルテン(仏塔)
 そもそもはタントン・ギャルポがこの地にチベット様式のチョルテンを建て、後に2基建てられたと伝えられている。それぞれチベット様式・ネパール様式・ブータン様式である。一般にこのチョルテンは知られているが、タントン・ギャルポによることを知られていない。インフォーマントが「タントン・ギャルポが建てた」とご存じだったためわかった。何度も観光客を案内したことがある通訳ガイド氏も今回はじめて知ったという。現在は新しく建て直されている。

▼6.井戸(水道)
 タントン・ギャルポが橋を作る際に発見された水脈を掘り、作られた井戸が点在するという。多くは村人のみが知るのだが、誰もが知っている井戸があり、パロとティンプー間のハイウェイにもあった。現在も普通に使われている。生活用水だけではなく、宗教的な意味での飲用もしくは聖水として仏壇の閼伽水・掃除などの目的のためにわざわざ自家用車で運びに来ていた人たちもいた。ネパール系住民も来ていたが、チベット仏教徒だった。

▼7.ティンプードゥプトブ・ゴンパ(尼寺) 成就寺
 20年前ザンスカールのリンポチェ(男性)が夢でタントン・ギャルポから「ティンプーのジルカ hzdi klu kha は瞑想に良い土地であるので尼寺を設立せよ」と告げられたことからこの地に建てた。リンポチェは管長として常住されているのではない。現在60人のひととおりの年齢層の尼僧が共同生活を送っている。20人が学生年齢だという。尼僧たちはブータン人・チベット系インド人・チベット人で、案内してくださった尼僧もスピティ出身である。本尊はタントン・ギャルポ像である。ドゥプタプパ(成就派)・カギュ派という単立宗派である。シャンパ・カギュ派が現在は宗派ではないが、数人の僧侶がその修行法を継承しているので、その流れのようであった。

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3. パロ・ティンプー 旅のあれこれ
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●最後に宿泊したホテル 私にとってとても居心地がよかった。適度な狭さの結構暖かい部屋。電気毛布ではなく、インド製のちゃちな湯たんぽ(ガイドさんが「次に日本に行ったら絶対に Made in Japan の湯たんぽをお土産に買っていく」というくらい)、小さ目なテレビ。ゆっくりお正月特番を見たけれど、途中電波が途切れておかしくなった画像。せっかく大好きなギャルワン・ドゥンパ僧正のお説法なのに…残念。Wi-Fi も部屋では使えなかったが、ホールに行けば使えた。今まで泊まっていた豪華ホテルでは部屋で使えるということだったが、部屋のここからここまで…という、ちょっと動くと使えない環境と同じならばこれでも構わなかった。そして、朝食で面倒くさいインド式オムレツのリクエストも美味しく作ってくださった。

●お正月のアーチェリー大会 チャン・ドゥンカル寺院のサンギェ・イシさんが観戦していた。彼とはいろいろとお話ししたかった。だけど、何をどう話題にすればいいのかわからなかった。一歳年下の彼とボーイフレンド(日本式の意味。友達以上恋人未満)になって欲しかったけれども。次に彼と会うことがあればくそまじめに仏教の話題から。あああ、いい友達を作るのにコミュニケーション下手な日本人だよね、私。

●息子 地元の不良小学生と会話する。「あの子たち、本当、悪いよなぁ。でも、オレと英語で話していたんだよ」
 …まあ、日本の不良少年は、英語できたのはWW2直後くらいだものね。

●息子 犬たちに布施する。インドで買った非常食用のパン。余ったので犬たちに。
 ブータンで人だけでなく、動物とも交流。ああ、猿にも餌をやったね。
 …息子が日本に帰ってから「母親と一緒にインド旅行に行ってきた」と言う。 「おいおい、ブータンに行ったのよ」
 息子「いや、ブータンはガイドさんとドライバーさんが全部連れて行ってくれたから旅行した気にならないんだ。インドはふたりで宿を探すところからはじまって、自分たちの意思で行動した」
(※私からすればコルカタはあなたが観たい映画に合わせた行動じゃないの…で、それが私も本望でもあったのよね、インドを知らないあなたのサポートでいたかったから)

 ブータンがこれ以降も観光収入で生き残るのであれば、若者が旅行した気になるなにかが必要なのではないかと。

 次回最終回。タイと中国。

 (高校日本語コミュニケーションアドバイザー&専門学校時間講師)


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