民主的社会主義者を名乗る大統領指名候補 バーニー・サンダーズ

【アメリカ報告】

民主的社会主義者を名乗る大統領指名候補 バーニー・サンダーズ

武田 尚子


 選挙戦がいよいよたけなわになりつつあるアメリカで、すべての指名希望者は名乗りをあげ尽くしたかに見える。しかし、民主党の副大統領バイデンは未だに最終的な決意を表明していないし、あと1年少々に迫った総選挙までに、どんなドラマが展開するか、有権者にも候補者にも、期待と不安の時間ではある。

 10名を超える共和党の大統領指名候補者に対して、民主党は9月10日現在5名の候補者を抱えている。民主党の大統領指名候補として最も有望視されているのはヒラリー・クリントンだが、クリントンに次ぐ、あるいはクリントンを越えて、指名を受ける可能性の最も高いとみられているのがバーニー・サンダーズである。
 現在サンダーズは、2012年に71%の支持率で選ばれた、米国上院での議員として第2期目を務めている。それまでの16年間は、米国史上、下院で最も長期のインディペンデントとして、国会議員を務めた。

 サンダーズはポーランド移民を両親として、1941年に生まれた。父親は家族をホロコーストで殺されたが、彼は塗料のセールスマンとして、初代移民の苦しい生活を支えた。バーニーはニューヨーク、ブルックリンの下町で育ち、おそらくトランプの子供時代の屋敷などもあったブルックリンの階級格差を体験してきたせいもあるのだろう『幼い頃から不公平を身にしみて成長した』と回想している。

 ジェームズ・マジソン高校を出るとブルックリン大学に入学したが、1年後にシカゴ大学に入る。在学中はアメリカ社会党の青年支部である青年社会党リーグに参加した。なお市民権運動で活動し、国会の人種平等学生非暴力委員会の学生組織者であった。1962年1月には、シカゴ大学の総長ジョージ・ウエルズ・ビードルズの、宿舎差別政策に反対して大会を開いた。“我々はこの大学の黒人と白人の学生が、大学所有のアパートで共に暮らせないなど耐えられないことだと感じます。”と彼はプロテストで発言し、サンダーズと、他に32人の学生が建物に入り、大学総長のオフィスの外側でキャンプした。シカゴの歴史では最初の、市民権運動でのシット−イン(座り込み)であった。

 何週間かのシット−インのあと、大学は、差別の実態を調査すると決定して、委員会を作った。サンダーズはまた、1963年3月に仕事と自由を求めるワシントンへのマーチに参加した。その夏彼は、シカゴの公立学校の差別に抵抗する示威運動で、逮捕に抵抗したかどで25ドルの罰金を課された。

 1960年代と70年代、サンダーズは平和と反戦運動に関わって活躍した。彼はシカゴ大学在学中、学生非暴力協力委員会と学生平和ユニオンのメンバーであった。

ベトナム戦争中に良心的戦争反対者の資格を得ようとしたが、受入れられなかった。しかし彼はその時すでに徴兵年齢を超えていたので、徴兵はされなかった。戦争には反対だったが、サンダーズは戦争を戦った人々を責めるようなことは決してしなかったし、戦争からの帰還者の恩典取得には大きな支持を表明した。

 1964年、彼は政治科学の学士の資格を得て、シカゴ大学を卒業した。デボラ・シリングと結婚し、ヴァーモントにサマーホームを買ったが、子供はなく、2年で離婚。続く何年かはニューヨークとヴァーモントで幾つかの職を経たのち、イスラエルのキブツで数ヶ月を過ごした。1969年には息子レヴィ・サンダーズが、スーザン・キャンベル・モットとの間に生まれた。1988年、サンダーズはジェーン・ディスコールと結婚した。彼女はかつてヴァーモントのバーリントン大学の学長であり、3人の子供がいたが、サンダーズは彼らを自分自身の子供として養育した。

●サンダーズ初期の政治経歴

 サンダーズはその政治経歴を、リバティユニオン党の党員として、1971年に始めた。それは反戦と人民党の運動から派生した党である。彼は1972年と76年に、リバティユニオンの知事候補として、さらに1972年と74年には上院候補として立候補したが成功しなかった。1979年にはリバティユニオン党を離れ、非営利団体である「アメリカ人民の歴史的社会(APHS)」の理事になった。この歴史社会にいる間に、彼はアメリカの社会党の指導者で、大統領候補だったユージーン・V・デブスの30分間のドキュメンタリーを作成した。

 1981年には、ヴァーモント大学の宗教学教授で親友のリチャード・シュガーマンの勧めでヴァーモント州の最も人口稠密なバーリントンの市長に立候補し、現職の民主党員、6期を務めていたゴードン・パケットを10票の差で破り、市長に選ばれた。サンダーズはその後の選挙で、民主党、共和党のライバルを3度破り、3期の市長職を続けた。1987年の市長職最後の立候補の時には、民主党、共和党の双方から是認されていたポール・ラフィエットを破った。

 衣服もしわだらけ、髪の毛もバサバサで知られた(ただしこの当時のことらしい)サンダーズは、全米の公職には似つかわしくないとみえた人物ではあった。しかしこの負け犬的風采の候補が1990年には米国の下院議員に当選した。下院で40年間に初めての、インディペンデントの当選であった。

 インディペンデントとしては、ジレンマに陥っていることを彼は悟るようになっていた。自分の政策を実現するにはどうしても同盟者が必要である。彼は共和党と共闘するのは存外だといい、民主党保守派の中には、大きな反対があったにもかかわらず、民主党と幹部会を開いた。

 政策には真正直に向き合い、サンダーズはいつでも、どちらの党でも、間違っていれば声を大にして反対した。戦争のもたらす社会的財政的な影響を憂い、イラク戦争には大反対をした。“我々はどんな値をはらっても、戦争の与える苦しみを避けねばなりません。”“我が国が6兆ドルの負債を抱えている今は格別、軍事行動など考えるべきではありません”ともいった。

 1993年、彼は武器の購入に、背後チェックとそれに要する待ち時間を必要とするブレディ議案に反対した。2005年には、合法的な商業行為を保護する法案に賛成投票をした。この法案の目的は、武器を使った犯罪が起った時、犯罪に使われた武器の製造業者を、責任を問われることから保護するものである。2015年にサンダーズは彼の投票を説明していった。“もしもガンが殺人者の手に入り、彼が殺人を犯したとしたら、それはガン製造業者の責任だろうか? だれかが金鎚で誰かを殺したとしたら、人は金槌の製造業者を罰するだろうか?”

 サウスカロライナやオレゴンで銃撃事件の続いた2015年のアメリカで、ガン規制が改めて大きな問題になっている今、ガンの製造も販売も合法的な商業行為であるから、その限りにおいては規制に賛成しないというサンダーズの態度は、今メディアでもいくらか疑問視されているように見える。彼は極めて論理的で、本当の罪は製造業者にはないと言っているだけと見えるが、はたしてこの件はどう落ち着くだろうか。

 彼はイラクに対する武器使用の政府認可に1991年、2002年に反対し、2003年にはイラク侵攻に反対した。2001年には、9/11のテロリスト攻撃以来の軍事行動の使用論議に対する法律的な正当化として出された、テロリストに対する武力使用の政府認可に賛成した。

 下院議員に選ばれるまでは、ハーバード大のジョン・F・ケネディ学部及びニューヨーク州北部のジョン・ハミルトン大の大学院で政府学を講義した。

●上院議員バーニー・サンダーズ

 下院議員を16年間務めたのち、2005年には上院議員選挙に入った。上院少数派リーダー、ハリー・リード、当時上院議員だったバラク・オバマ、当時ヴァーモントの知事であったハワード・ディーン他による是認と強力な応援を得て、サンダーズは民主党の予備選挙名簿にリストはされるが、もしも彼が勝利を得たら、指名は辞退するという合意で選挙戦を始めた。そして、その通りになった。2012年には支持率71%を得て再選された。アメリカ政治年鑑は、サンダーズを実際的で、成功をものにする立法者と呼んでいる。

 キャリアを通して彼は、アメリカ中産階級の縮小と、収入成長の低下、及びアメリカ人の収入格差に焦点を当ててきた。上院の退役軍人(VA ベテラン)委員会の議長として、2014年にはべテランの健康問題改善の法案をパスさせた。議会クオタリーは、サンダーズはワシントンの有毒な党派分裂を越えて、何年に一度の重要な議案を通したと賞賛した。

 彼はまた環境及び公共事業委員会でも働いていて、地球温暖化と破損状態のアメリカの下部組織の再建に焦点を当てている。エネルギーと自然資源委員会の委員でもあり、アメリカを化石燃料から、太陽や風力エネルギーのような再生可能なエネルギー利用システムに転換させようと図っている。また健康、教育、労働、年金委員会にも参加していて、国民皆保険オバマケアへのより大きな道を開き、幼稚園前から大学に至るプログラムにおける、教育制度の改善にも尽力してきた。

 サンダーズは2010年のブッシュによる富者への税金削減の延長が問われた時、8時間を超えるフィルバスターを行って反対を表明し、進歩的政治家として全米に広く知られるようになった。のちになって彼は「企業の貪欲とアメリカ中産階級の衰退」を書いた。上記ブッシュ法案は大統領と共和党立法者との間での、悪質な契約だと信じたのであった。彼はフィルバスターの最後に、上院に出席中の同僚に向かって“我が国の中産階級と勤労家庭の必要、さらに自分にとっては最も重要な、全米の子供たちへの考慮を反映した、より良い提案をして欲しいと結んでいる。(ワシントンポスト)

 2006年3月、ヴァーモントの種々の街が、ジョージ・ブッシュの弾劾を問題にしてくれるようにサンダーズに依頼した。彼は言った。「上院と下院が共に共和党の下にある今、大統領の弾劾は実際的でない」それでも、彼はブッシュ政府への反対は少しも隠そうとはしなかった。なぜなら、いつも彼が批判していたように、ブッシュは社会的なプログラムを始終カットしていたからである。

 2005年11月、サンダーズは「オンラインでの言論の自由条例」に反対した。それはマッケイン−ファインゴールド条例による、選挙キャンペーンの財政上の制限を除外するものだったためである。

 この時期、サンダーズは彼にとって重要な問題に関わる数種の委員会つまり、予算委員会、健康問題委員会、教育、労働、年金委員会で働き、さらに、選挙キャンペーン改革、最高裁判所の「Citizens United」決議の一部の、投票権破棄に反対し、投票権拡大を擁護している。普遍的な単一人支払いの健康保険システムを擁護し、環境保護の観点から、気候変化問題と再生エネルギーを問題視しているので、上院の「環境と公共事業及びエネルギーと自然資源」委員会のメンバーでもあった。

●大統領選への出馬

 2015年4月30日、彼は大統領選挙に民主党の指名を得て出馬する意図を発表した。この長期のインディペンデント、サンダーズは政治的な必要からその方法を取りたいという。“大統領選挙は膨大な時間とエネルギーと金のかかる仕事で、50州の大統領候補予選システムの内部から、公認候補者名簿に乗り、他の候補者と議論できた方がよほど良い結果を生む”と、サンダーズは「US Today]に話している。

 彼のキャンペーンは、5月26日にバーリントンで始まった。
 声明の中でバーニーは述べた。“かつてこの国の民主主義を守るために戦った男女は、億万長者が政治のプロセスを握る現在のような状況を作り出しただろうか。”彼の出馬はエリザベス・ワレン(*注)に“私は彼が、この国のリーダーシップとはいかなるものであるかをキャンペーンで示してくれることを喜んでいます”といわせた。彼女にも候補になれという声はあったが、応じなかった。2015年6月19日には、彼女のための“Ready for Warren”という応援組織をサンダーズのために“Ready to Fight”と改正して、彼を後押しした。

(*注) ワレンはアメリカ民主党員で、マサチューセッツ州出身の上院議員、ハーバード大法学部で破産法を教えた。

 他の候補者と異なり、サンダーズは選挙資金を富者や大企業、組合をもふくむ無制限な金額を受けいれて不正の起こりがちなスーパーパックに頼らず、小口の個人寄付だけに求めることにした。彼の選挙キャンペーンは正式の出馬声明のあと24時間内に150万ドルを集めた。4日後には、サンダーズのキャンペーンは小口の寄付者から、一人平均43ドル、総計300万ドルを集めた。7月2日には、彼の選挙本部は25万人の小口寄付者から、1500万ドルを集めたと発表した。9月30日には、過去3ヶ月間に、サンダーズは2600万ドルの寄付金を得たことを発表したが、これはバラク・オバマの2008年の選挙時の数字を超えている。

 2015年6月25日、ニューヨークタイムズは、クリントンとのニューハンプシャー予備選挙での競争が統計的には白熱状態であることを報じている。
 ガーディアン紙はクリントンとサンダーズがアイオワのデモインでわずかな間をおいて演説会をした時、サンダーズの方が余計に人を集めた、しかも彼には何度もきたことがある場所なのに、クリントンにはここでは初めての集会だったと報じている。

 2015年の9月までにはサンダーズのキャンペーン行事はアイオワでもニューハンプシャーでも(人気)投票数ではクリントンを抜き、ある時の投票では全国的に、サンダーズ票とクリントン票の差は10%以内に入ることが確かめられた。彼はこうして国中から、溢れる期待を集めつつある。

 2015年7月1日、サンダーズの、ウィスコンシン、マジソンでのキャンペーンでは、この2016年の選挙期間中最大の、推計1万人の聴衆が集まった。7月18日にはアリゾナで、彼はそれさえ超える推計1万1千人、ワシントン大学では1万5千人の聴衆を得た。1日後にはオレゴンのポートランドには2万8千人。2015年9月18日には128人の芸術家と文化リーダーがサンダーズのウェブサイトに支持を発表している。

●政治的な立場

 サンダーズは、自称民主(主義)的社会主義者であり、進歩主義者であリ、北欧型の社会的民主主義を賛美し、職場における民主主義を提唱する。多数の評論家が彼の経歴を通してその意見が一貫していることを認めている。彼は収入と富の不平等の改善、最低賃金の値上げ、普遍的なヘルスケア、学生負債の軽減、公立大学や総合大学の授業料を無料にすることを、金融取引に課税し、年収25万ドル以上のすべての収入所得者のペイロール税金の上限をなくすことで支払う、などの経済上の問題に焦点を当てる。

 サンダーズはヴァーモントの最高に金のかかる選挙戦において、実業家のリッチ・タラントをほぼ2:1で破った。2012年、71%の支持率で上院に再選された。時のサンダーズ是認率は67%で反対は28%であった。それはサンダーズをその当時の、全米で最も人気の高い上院議員にした。

 専門家たちは、民主党のフロントランナーであるヒラリー・クリントンと指名を争うのはサンダーズには無理だろうという意見である。しかし、AP通信の報告によると、サンダーズは民主党の大統領指名候補で負け犬になることはさして心配していないという。“人々は、私を過小評価しない方が良い。私はベテランのインディペンデントとして、2大政党システムの外で活動し、両党をうち破って金持ち候補を敗退させてきたのだから。”

 サンダーズの綱領は富者に税金を課す税制改革、ウォール街への政府の監督の強化、男女の賃金格差の均衡を求める。また、政府と連携する健康保険システムを求め、より高度な教育がより容易に庶民の手の届くものであること、社会保障、メディケア、メディケイドの拡大を願う。社会的リベラルであるサンダーズはまた、同性結婚に同意し、産児制限に関してはプロチョイスとして当事者の意思を重んじる。

 サンダーズにはラリーという英国住まいの兄弟がいる。その妻はローマ・カソリックの信者であリ、2013年の引退まで、オクスフォード・シャイア郡に住んでいた。ラリーはグリーン党の候補者として、オクスフォード西部で英国の総選挙に出て、5位を得ている。

 サンダーズはユダヤ人であることを誇りに思うが、自分は格別宗教的ではないという。彼はカソリック教会のリーダー、フランシス法王を深く尊敬していて、彼が非常に深い問題をいつも持ち出されることを賛嘆している。サンダーズはしばしば法王フランシスの経済問題を引き合いに出して法王を『信じられないほど聡明で勇気のあるお方だ』と評している。

●民主党の2016年大統領選指名候補の第1回討論会

 2015年10月13日、午後8時から3時間以上民主党の討論会が行われた。5名の精鋭が2016年の大統領選挙に向けて名乗りを上げたが、最も注目されたのはヒラリー・クリントンと、バーニー・サンダーズである。このところ、バーニー人気が上昇しつつあり、クリントン・キャンプに危機感を抱かせ始めている上に、今や相当の資金をもつバーニーの勝利が夢ではないという期待で、舞台には緊張と不安が流れていたことだろう。主催者側はヒラリーとバーニーを舞台中心に据え、両脇にジム・ウェブ、マーチン・オマリー、リンカン・チェイフの3人が並ぶ。

 おそらくサンダーズも予想していなかったことだろうが、クリントンの舌鋒は鋭く、サンダーズのガン規制についての態度の誤りと、アメリカ人にとって資本主義が不可欠な要素であるという、彼の思考に抵抗した。北欧型の社会主義を賛美するバーニーに、アメリカはデンマークではありませんよ、ここはアメリカ合衆国なのですから。と言った。その数分後には、おそらくサンダーズの最大の弱みである問題「なぜあなたはガン市場とガンの取引人が法律的な損害を受けないように投票したのですか」と切り込んだ。田舎の州の代表として、彼らと同様に投票したサンダーズは、ガン規制議案は『大きくて複雑すぎる』と言った。クリントンはいった。「私はあの時上院にいました。あの法案はそんなに複雑ではない、簡単なものでしたよ。」

 サンダーズは上院にいたほぼ10年近い間に、ガンについて、十分タフだったかと聞かれて、クリントンはいった。『いえいえ、全然、全然ダメでした。』さらに続けていった。私達はガン暴力のためにこの国で毎日90人を失っているのです。そしてこんな状態が、長らく続きすぎているのです。今こそ、アメリカ全体がNRAに対して立ち上がらなくてはなりません。「わーっ」という歓声が、広い会場をどよもした。

 これはヒラリー・クリントンの政治用武器庫を駆使した優秀なショウケースの一例であった。大統領選討議になん度も出席した何年間という長さ、強力で緻密な準備、相手の男性には欠けている器用さ、迅速さとユーモア。彼女は。どんな機会も逃さなかった。サンダーズには珍らしく、思いがけなく強烈な挑戦の時であった。サンダーズには時として、ヒラリーの器用さにどう対処すべきかを知らぬという感じもあった。会衆の一人が、彼女のEメール問題を持ち出した時、サンダーズはいった。「あまり大きな政治問題ではないが、一言言わせてほしい。私はこの件ではクリントン長官が正しいと思います。そしてアメリカ人はもうあのつまらないEメールの話なぞ聴きたがっていないと思います。」「ありがとう」巨大な会場に広がる大拍手を鎮めようとしながら、ヒラリー・クリントンは大きな笑みを浮かべ、ライバル、サンダーズの腕を握っていった。

 この集会は、ここしばらく不調だったヒラリーには起死回生の一服だったかもしれない。筆者は、この二人の才能ある政治家が、この国の、そしてこの世界のために、協力して働いてくれることを祈る。

 (筆者は米国ニュージャージー州・在住・翻訳家)


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