沖縄から見た安倍談話の本質 — 歴史的事実の隠蔽

【沖縄の地鳴り】

沖縄から見た安倍談話の本質 ― 歴史的事実の隠蔽

沖縄の誇りと自立を愛する皆さまへ:第25号 2015年7・8月合併号改訂版

辺野古・大浦湾から 国際法市民研究会

◆はじめに

 戦後七十年を迎えた安倍総理の「談話」は、いったい何のためのメッセージだったのか。歴史的事実を隠蔽し内外の反発を強めた面がある一方で、内閣支持率を上げてしまった。事前の報道は、いくつかのキーワードに集中した。それがすべて散りばめられたことからみると、メディアは首相官邸に誘導されたものと思われる。談話の目的は、先の大戦に関する国家責任をどう果たすかという問いに応えることであり、特定の文言が中心ではなかった。それなのに評価の基準がそこにあるかのような空気が作られてしまった。市民として力が足りなかったことを痛感している。

◆国民的覚悟と道義的責任の欠落

 安倍総理自身のコメントによると「談話」のセールス・ポイントは、将来世代に「謝罪を続ける宿命」を背負わせてはならないとした点にある。ただし、それがなぜ必要なのか、「宿命」からどのように解放するのかについては、明らかにされていない。
 「謝罪」すべき行為があったなら、必要なのは言葉ではなく未来永劫、その罪を背負う国民的な覚悟を行動で示すことではないか。たとえば客観的な歴史認識の追求、東アジアの軍縮と日米による率先垂範、不戦と戦力放棄の憲法遵守などを実践課題とすることだ。それが「謝罪」国の道義的責任であり、被害国からの信頼回復の道筋でもあると思う。
 「談話」は、日本が「国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界のさらなる繁栄を牽引」するという。しかし、それによってこの責任が果たされるわけではない。たとえば翁長知事の「誇りある豊かさ」からみると、日本は依然として“エコノミック・アニマル”といえる。そんな国の国際的経済活動に道義的な使命を託すことはムリである。

◆韓国・朝鮮・中国に対する侮辱

 あきれ返ったのは「日露戦争は…アジアやアフリカの人々を勇気づけた」としたこと。それは一面の事実ではあっても、韓国・朝鮮と中国の人々を侮辱している。なぜなら、当時の日本は他国をわが国の「生命線」とみなし、朝鮮半島と満州の権益を天秤にかけていたからである。
 「談話」のように、外交的・経済的な行き詰まりを「力の行使」によって解決しようとしたことを反省するなら、日露戦争が韓国支配に向けた第一歩だったという自覚がなければならない。それがあれば、この戦争が第三者を「勇気づけた」とは言えないはずだ。また「力の行使」という耳慣れない表現は、正確に「武力の行使」とすべきだ。なぜなら「談話」英語版は the use of force(武力行使)だからである。

 1903年4月21日、桂太郎首相・小村寿太郎外相・伊藤博文前首相・山縣有朋元首相の四巨頭が会談。「朝鮮については日本の優越権をロシアに認めさせ…満州についてはロシアの優越権を認める」との方針を決定した。04年2月10日対ロ宣戦布告は「韓国の危急事態」を強調。集団的自衛権概念のない時代に、他国の危機が自国の開戦理由とされた。そして05年9月5日の日露講和条約は、「韓国における日本の政治的・軍事的・経済的優越権」「日本の対韓指導・監理・保護を妨げない」などを規定した(外務省外交史料館「日本外交史辞典」1992年山川出版社p741-743)。
 1910年8月22日の韓国併合条約は、このような流れの到達点だった。その百周年の菅総理大臣談話として2010年8月10日、画期的な見解が閣議決定された。つまり「韓国の人々は、その意に反して行なわれた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられ」たことに「痛切な反省と心からのお詫び」をするというものである。

◆歪曲し隠蔽された「植民地支配と侵略」

 戦後五十年の1995年村山総理談話は、「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り…植民地支配と侵略によって…アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」。つまり「植民地支配と侵略」の事実を政府としてはじめて肯定した。
 しかしそれに関して安倍総理は、すべて束ねて「力の行使」に置き換え、しかも「植民地支配の波は…アジアにも押し寄せ」、日本の「近代化の原動力」になったという。これでは「近代化」のために日本は植民地が必要だった、という自己弁護の論理になってしまう。

 植民地主義列強に割りこむ道とは別に、どんな選択肢があったかも問題だが、もっと重要なのは、日本がヒットラー、ムッソリーニ、スターリンなどの体制と類似した一面を持つようになり、全体主義・軍国主義と呼ばれるようになったことである。また「脱亜入欧」「富国強兵」はアジアの特性を否定し、生産力・軍事力の拡大を極度に偏重した。その結果、地域共同体による日常的な相互扶助や自然資源の共同管理、その基底にある自然・人間の一体観ないし両者の精神的・霊的な関係など、沖縄に残る伝統文化が日本では先に破壊された。

◆認めようとしない琉球の強制併合

 「植民地支配と侵略」の隠蔽は、沖縄では米軍基地の押しつけと並ぶヤマト不信の一大原因である。それは、北海道アイヌ・琉球・台湾の支配が韓国・満州よりも時期的に先だったことにもよる。政府は1869年、蝦夷地を北海道と改称しアイヌを一方的に日本人に編入し、1899~1997年「北海道旧土人保護法」が存続。台湾統治は日清戦争後の1895年に開始された。

 韓国併合の強制性は菅内閣が認めたが、「琉球処分」について歴代政府はそれを認めようとしない。安倍総理も、以下のように逃げの一手である。「『琉球処分』…については様々な見解があり、確立した定義があるとは…承知していないが…琉球藩の設置およびこれに続く沖縄県の設置の過程を指す」(2006年11月10日鈴木宗男衆議院議員への答弁書)。
 琉球が500年の歴史をもつ独立国だったことについては、諸外国との条約締結の事実(1854琉米、1855硫仏、1859硫蘭、いずれも修好条約)を突きつけられると、「当時の状況が必ずしも明らかではない」から「確定的なことを述べることは困難」とした(2015年3月6日照屋寛徳衆議院議員への答弁書)。
 しかし、外務省日本外交史辞典は逃げずに(外務省見解ではないとしても)「琉球帰属問題」の最終局面を次のように解説している(p1049-50を要約)。
 1876年7月、明治政府は前琉球国王の「琉球藩王」に対し、清国との国交断絶を命令したが、琉球藩と清国双方の激しい抵抗によって数年間手こずった。そこで内務省高官は79年3月、「熊本鎮台歩兵半個大隊と共に渡琉し、ついで首里城を接収」。4月に沖縄県設置が布告され、「旧藩王父子は同年6月、沖縄を離れ上京した」。
 菅総理談話にならうと「琉球の人々は、その意に反して行なわれた琉球藩・沖縄県の設置によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられた」ということになる。

◆子や孫に顔向けできるように

 日本は「アジアの盟主」「大東亜共栄圏」を掲げ、琉球を含む東アジア諸国の「民族の誇りを深く傷つけた」。このような経験を繰り返さないため、私たち市民は自らの歴史を検証し、個々人に深く根を張った誇りを追求したい。その過程で次の諸点が広く検討されるなら、恥ずべき総理は選出されなくなるだろう。これらの点は、唯一の地上戦に巻き込まれた沖縄の人々が、この戦争を仕掛けたヤマトに対し、厳しく答えを求めている点でもある。

(1)植民地主義に植民地主義で対抗し、全体主義・軍国主義への道を行くほかに、別の選択肢はなかったのか。
(2)「アジアの盟主」願望への対抗思想、「深く傷つけられた」側の抵抗、それらを圧殺した経緯について、学習すべきではないか。

(3)謝罪側の道義的責任と被害側の信頼回復の道筋、たとえば被害者個人の請求権への対応について、再検討すべきではないか。

(4)沖縄・韓国・朝鮮・中国への差別など、かつて「民族の誇りを深く傷つけた」原因と同根の社会的な歪みが、いまなおあるのではないか。
(5)戦後、日本はどのような誇りを取り戻したのか。傷だらけの平和憲法だけでは、子や孫に顔向けができないだろう。

 (文責:河野道夫、読谷村)


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