■書評 『沖縄─変わらぬ現実』 渡辺 允著

(株)エイ・シー・ビー刊 定価2000円
                           船橋 成幸
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  私は1972年5月、本土復帰直後の沖縄に当時の社会党本部から派遣され、米軍
重爆撃機B52の嘉手納基地配備に抗議する現地闘争本部に参加した。それに先
立って、本土でも全国的に展開された沖縄返還要求運動にも加わっていた。
 
  そんな経験から、沖縄の厳しい状況について私なりに理解し、県民への連帯感
を抱いているつもりであった。しかし、渡辺允氏のこの著作に触れて、私のそん
な思いがいかに底が浅く、甘いものだったかを思い知らされることになった。

 沖縄問題に関する従来の私の知見は、ほとんどが第2次大戦中の沖縄戦と米軍
占領時代以降のものに過ぎなかった。そのため、17世紀初頭の島津潘による琉球
王国への侵略以来400年ものあいだ、島津藩から明治政府へ、「琉球処分」から
県制編入、第2次大戦に到る間の歴代政権へ、そしてアメリカ占領軍へと、支配
者こそ変われ、非道な武力支配のもと、沖縄の人びとの忍従と辛苦が「変わらぬ
現実」として連綿と続いてきた歴史について、それを一本の脈絡で捉える視点
が、私のばあい鮮明ではなかった。この本は、そのことに深く気づかせてくれた。

 戦後、そして日本復帰後、平和憲法下の歴代政権のもとでも、この不条理な支
配の脈絡は続き、沖縄県民は基地が存続する限り、米軍からも日本の政府からも
支配され、差別されるという二重の苦しみを強いられている。
 
  その「変わらぬ現実」をこの本は、綿密な歴史的検証と調査、豊富な資料に基
づいて具体的に捉え、沖縄問題の本質を明らかにしている。

 全文438ページの大作である。第一部が『沖縄─変わらぬ現実』のいわば総論
であり、第二部「復帰前の沖縄」と第三部「復帰後の沖縄」には、1968年7月か
ら1997年まで30年間にわたって主に神奈川新聞、現地の新聞などで渡辺氏が執筆
した沖縄問題に関する論説、レポート、取材・収集した諸資料などが収録されて
いる。
 
  それらすべての趣旨はみごとに一貫しており、沖縄における支配─被支配関係
に対する的確で徹底した解析、その「現実」に対する告発、闘う沖縄県民への連
帯の熱い思いがつづられている。いわばジャーナリストとしての生涯をつうじた
労作である。 その全容をここで紹介するわけにはいかないが、私がとりわけ留
意したニ、三の事項に限って摘記しておくことにする。

1、銃剣とブルドーザーで祖先伝来の土地を強奪された当初から、沖縄の人びと
が「怒」の一念を露わにする態度で終始したのではない。

 むしろ「反米的にならない」「人間性においては、生産者であるわれわれ農民
のほうが軍人に優っている自覚を堅持し、破壊者である軍人を導く心構えが大
切」(1954年、「陳情規定」) 「軍が非道な態度で来ても、私たちは人間とし
て、また一等国民の態度をもって、軍が礼を受けないでも正しい挨拶を忘れない
こと」(同、「陳情方針」)などなど、高い品性と節度のある態度で対応してき
たのである。

2、米軍支配下の沖縄では、行政や議会、選挙や裁判所の権能までも米軍当局の
命令に従属させられ、住民自治はまったく形骸化していた。1972年の本土復帰後
も、県民の土地所有権は米軍と日本本土の政府・大企業の手で翻弄され、不公正
な売買の対象とされた結果、沖縄の社会には深刻な格差と差別がひろがった。他
方、本土では、1956年に政府が「もはや戦後ではない」と宣言、60年代以降の高
度成長経済を謳歌していた。

3、沖縄県民のあいだでは、本土の政府と、当時まだ沖縄の実情に無関心であっ
た本土の国民に対しても被差別感が広がっていた。著者は、沖縄の人びと(ウチ
ナーンチュ)が、本土の日本国民(ヤマトゥ)を自らのアイデンティティの主体
ではなく客体として相対的・客観的に捉えている事情について指摘する。(この
ことは大戦後だけに限らず、過去400年におよぶ本土支配にさらされての忍従と
辛苦の歴史に由来している)

4、それでも本土への復帰が住民の悲願となっていたのは、「平和憲法下の日
本」に復帰することで、米軍支配とその基地からの完全解放を強く期待していた
からに他ならない。しかし、本土の側は、その熱い期待に背を向けたまま戦後65
年を過ごし、政権交代後の今日なお「安保」や「国益」を口実に、沖縄県民だけ
が犠牲になることを強要し続けている。

6、著者は、1951年9月に調印され、翌年4月発効した平和条約第3条によって沖
縄が日米軍事同盟の「要」に位置づけられ、固定化した経緯を述べている。ま
た、それより前の1947年9月、ソ連の脅威を怖れていた昭和天皇が、米国による
「沖縄本島および琉球の他の諸島を軍事的に占領することを希望」し、その方法
として「名目的に日本の主権を認めたうえで、(25年から50年あるいはそれ以
上)琉球列島を米国が租借することが好ましい」旨のメッセージをGHQのマッ
カーサー元帥に伝達したことを明らかにしている。
 
  何のことはない。冷戦終結から21年を経た今日なお、基本的に同じ文脈の軍事
同盟戦略が後生大事に踏襲され、沖縄県民に不条理きわまる犠牲を強いているの
である。

 「脱小沢」を掲げて再発足した菅政権もまた、同じ道を歩もうとしている。百
歩ゆずって、前政権による「5・28共同声明」を「踏まえ」ざるをえない事情が
あるにせよ、せめて沖縄の基地の恒久化は認めず、その完全撤去の中期目標を明
示することぐらい出来ないものか。それは単に政権の側の責務といえるだけでは
ない。

 悲痛な沖縄の声にまともに向き合おうとせず、基地撤去の世論や運動を大
きく押し広げることが出来なかった本土の国民にも、責任がないとは言えない。
私たちが「知らなかった」というだけで「無意識の差別者」の側に立つのだとい
うことをこの本は強く示唆している。

 私は「オルタ78号」(今年6月号)で初の市民運動出身である菅首相への期待
とともに、その命運を賭けるべき重大な課題として沖縄の基地撤去を挙げ、たと
え温歩前進であっても、ペンタゴンではなくホワイトハウスに顔を向けた交渉に
取り組むべきだと主張した。いまのところ、再出発した菅政権が、そうした要請
と課題に応えようとする気配はうかがえない。そうであるかぎり、沖縄問題は遠
からずこの政権の命取りになりかねないのだ。

 再言するが、軍事基地からの解放なしに沖縄の自立はなく、日本の自立もあり
えない。そしてまた、東アジアの平和と安定、その共同体の構築という壮大な構
想にとっても、沖縄基地の完全撤去は決して避けられない課題である。それは「
負担の軽減」を唱えつつ沖縄基地の恒久化につなぐというまやかしではなく、日
米地位協定の抜本改定から始めて基地の完全撤去を根本の目標とし、ひいては日
米安保条約の見直しにつないでいくべき課題である。

 私たち本土の国民には、沖縄県民と一体になって、この課題を対政府要求に掲
げ、着実に押し進める運動を展開することが求められている。

 そのことが、渡辺允氏の『沖縄─変わらぬ現実』から学んだ基本的な教訓であ
る。ウチナーンチュである夫人の勧めをきっかけに筆を起こし、まとめ上げたと
いうこの生涯の労作は、沖縄問題にいささかでも関心を抱くすべての人びとにと
って必読の書だと、私は強く思う。

              (評者は元社会党中央執行委員)

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