沖縄知事選の展望

【オルタの視点】

沖縄知事選の展望
—保革統一候補に至る曲折—

仲井 富


●はじめに わたしと沖縄

 1955年、沖縄におけるプライス勧告反対闘争が、保革を超えた全県的な祖国復帰闘争へと発展した。
 1975年の祖国復帰とともに、それぞれが本土の政党に系列化されて以降、沖縄は長い保革の対立が続いた。しかし2014年11月の沖縄知事選挙では、保守派の翁長那覇市長を革新派が統一候補として担いで知事選挙が始まろうとしている。

 私は個人的には1955年から社会党本部で青年部長や軍事基地委員会の担当をしていたため、深く沖縄とかかわることになった。沖縄には1947年に、後に共産党の下部組織となる沖縄人民党が瀬長亀次郎氏を中心に発足していた。さらに1950年には地域政党としての沖縄社会大衆党が結成され、本土の社会党との接近が始まっていた。社会党が左右に分裂していた時代でもあり、本格的に沖縄に社会党の結成準備が始まったのは、社会党が統一大会を行った1955年以降だった。
 しかし党本部には右派系の書記や労組などに沖縄社会大衆党とのつながりができていた。この人々は新たに沖縄社会党県連が結成され社会党の下部組織となることに反対の意向が強かった。そういう中で、ともかく沖縄社会党結成を急ぐべしと主張したのが青年部だった。当時はアメリカ軍政下にあり、社会党の左派的な青年部や党員にパスポートが出る筈もなかった。そこで一計を案じて、観光目的でのパスポート申請をした。

 ついに1958年、社会党本部青年部から、初めての代表が沖縄に渡航した。メンバーは後に参議員となる稲村稔夫と神奈川の永井利和の2人だった。ここで初めて本土と沖縄の社会党がつながることになった。様々な妨害はあったたが、ついに1958年に沖縄社会党県連の結成大会にこぎつけた。委員長は弁護士の宮良寛才、書記長は県議の岸本利実でスタートした。沖縄と本土の祖国復帰運動の高まりの中で、1963年4月28日、歴史的な本土と沖縄の運動が顔を会わせる海上集会が、沖縄最北端の辺戸岬と鹿児島最南端の与論島の27度線で開催された。この本土代表団の団長は社会党本部青年担当中執の西風勲だった。

 沖縄祖国復帰から41年を経た。護憲の党社会党は、村山自社さ政権によって、細川連立政権を崩壊させ、自民党の政権復帰に貢献した。戦後一貫してきた護憲、非武装、日米安保反対の政策は完全に有名無実となり、本土社会党−社民党は消滅寸前だ。しかし沖縄社会党−社民党のみは、あの民主政権崩壊の012年総選挙でも第2区の照屋寛徳が議席を守り、013年の参院選1名区では23の1名区で民主党候補全滅のなかで、社会大衆党の糸数慶子のみが自民党候補を破って当選した。ここに沖縄の伝統的な強さがあり、普天間県外移設と辺野古移設反対の民意と深くつながっている。以下に、主として07年以降、あらゆる全県的選挙(知事選、衆・参選)で勝利したのは、保革を問わず「普天間県外移設、辺野古反対」の候補者であったこと、加えて県議選挙もまた、仲井真野党の2連勝(08年、012年)という経緯をたどり、11月の沖縄県知事選挙を展望してみたい。

◆保革対決の時代は去った、辺野古反対での旗印でと翁長出馬会見

 2014年は重要な選挙が目白押しだった。1月の名護市長選、次いで2月の東京都知事選、7月の滋賀県知事選、さらに9月7日の名護市議選。そして11月21日の沖縄県知事選挙である。巷間、長野県知事選挙や福島県知事選挙が取りざたされたが、これらははじめから自公民連合の相乗りが既成事実となっていたもので論評の価値もない。野党となった民主は独自候補を擁立するだけの気概も方針もなく、最も古い自公民連合というパターンに安住している。

 11月13日、那覇市民会館で開かれた出馬会見での翁長市長の挨拶は感動的だった。「保革対決の時代は去った。県民がいがみ合って中央に翻弄されては子や孫に責任を負えない。保守、革新は20、30年前の話、もう乗り越えた。政党政治はあるが、保革を乗り超えて県民によりそいたい。普天間基地の辺野古移設には断固反対する」と決意表明した。

 翁長市長の立候補表明の席には、保守の経済界代表、婦人団体に加えて革新系の社民、共産、社大などの代表、県連合なども参加。注目されたのは、仲井真与党の公明県民無所属の吉田勝廣県議の同席である。吉田議員は「翁長氏は建白書を重視しているという。私も建白書と県外移設を公約に活動している」と所信を述べた。また自民党県議団に所属している浦崎唯昭県議は、自民党に離党届を出して、出馬会見に同席した。公明党本部を通じて、なんとか公明・創価学会票を仲井真にという本土での工作は続いている。だが、1月の名護市長選でも9月の名護市議選でも公明沖縄県本部の辺野古移設反対は揺るがなかった。ましてや翁長市長の県知事選出馬記者会見に同席し、「辺野古移設反対」を明言したことで帰趨は明らかだ。

 自民党の唯一のよりどころは、県議会与党の公明党を仲井真推薦に切り替えさせ、自公共同で知事選、那覇市長選をたたかうことだったが失敗した。しかも本家本元の自民党議員まで、離党届を出して出馬会見に同席して、翁長支持の旗幟を鮮明にしたのだからなおさらである。どう贔屓目に見ても仲井真劣勢は動かし難い。

◆保革統一候補翁長を阻む下地幹郎(そうぞう)喜納(無所属)の立候補

 沖縄の11月県知事選挙は、本土の日米協調、辺野古移設のオール与党対琉球民族の対米依存是正を求めるオール沖縄の闘争ともいえるだろう。実質的には公約に背反して賛成に転じた仲井真知事と辺野古移設反対、公約違反の仲井真知事打倒の翁長那覇市長との一騎打ちとなった。加えて、県民投票で辺野古移設を決着しようという、地域政党そうぞうの下地幹郎代表、辺野古移設の県知事承認の撤回をスローガンに、元民主党県連の喜納昌吉代表が出馬するが、この両人はかつては辺野古移設反対を唱えたが、民主党の辺野古移設賛成、日米同盟回帰以降、県内移設に転じた政治家たちである。

 下地は、消費税値上げに反対した亀井静香とたもとを分かって、最後まで民主党政権の枠組みにとどまり、12年の選挙で敗北した。今回の出馬は次の選挙を意識した失地回復が狙いだろうとみられる。喜納は、民主党の変節に最初は抵抗したが、徐々に仲井真県政に歩み寄った。12年の県議選挙では、仲井真知事が民主党県議候補者の出陣式に来るなど与党並みの支援を受けたが惨敗した。

 13年参院選では、沖縄民主は、辺野古移設に一貫して反対してきた糸数慶子氏を推すことなく、独自の推薦候補を出したが、これまた泡沫候補以下の得票で惨敗した。当選の可能性が1%もない立候補声明で辺野古移設の知事認可撤回などと立候補の弁を述べている。しかし過去の政治的ふるまいから見ると、翁長氏の優位を覆そうとする意図が見え見えである。喜納昌吉の立候補については、すでに9月末以来、ネット上で「仲井真応援の立候補で許せない」とか「喜納は自らのライブで右翼政治家の田母神支持を述べた」などというブログが出回っている。(「きっこのブログ」他多数)

 天木直人氏が9月26日の自身のブログで、以下のように指摘している。「最悪の形で、最悪のタイミングで、喜納昌吉が政治の表に出て来た。しかも、その理由が最低だ。翁長候補は埋め立て工事許可の撤回を明言しないからだという。だから自分は辺野古撤回をより明確に掲げて立候補するという。もはやそんな段階ではない。安倍政権・自民党が支持する仲井真知事と辺野古移転反対、賛成の一騎打ちを戦う時だ。勝った後でどうするかの問題はもちろん残る。しかし、辺野古移転を白紙に戻す事は日米同盟を否定するほどの大事業だ。それは沖縄県知事ひとりで決められるものではなく、国論を二分する大問題である。少なくとも翁長知事が勝って、そこまで問題を大きくさせなければいけないのだ。ここで仲井真知事が勝てば、すべては終わる。何としてでも今度の沖縄知事選では仲井真知事を負かさなければいけないのだ。今それが出来るのは翁長氏しかいない。安倍政権に対抗する勢力が二分されるようでは沖縄が守れない。安倍・菅自政権の高笑いが聞こえてきそうだ」。
  注)その後民主党は喜納昌吉氏を除名した。

◆沖縄の国政選挙・県議選挙では、07年以降すべて「辺野古移設反対」が勝利

 自民党は7月の沖縄県内の世論調査で、「翁長氏が優位、仲井真では勝てない」と自民党沖縄県連に候補者の取り替えを要請した。これに対して県連は、他に適任者がいないと断って仲井真氏に決定した経緯がある。民主党が1999年以降、「沖縄ビジョン案」を掲げて、対等の日米同盟、日米地位協定改正、沖縄の過重な米軍基地見直しなどを掲げ、政権政党をめざして沖縄対策を示し始めてから、徐々に沖縄の空気が変わり始めた。小沢一郎代表の説得によって出馬した04年参院選比例区における喜納昌吉氏の当選がはじまりだ。

 08年の沖縄ビジョンで、民主党が「対等の日米関係、日米地位協定改定」を政策として掲げて以降、流れは明らかに変化した。07年の参院選挙における、革新統一候補の糸数氏の当選に続いて、08年の県議選挙では、戦後はじめて革新派と無所属の野党会派が過半数を制した。仲井真県政に対する野党の過半数は、その後仲井真の普天間基地辺野古移設を阻む大きな力となった。県議選の勝利が09年の衆院選挙での圧勝につながる。4つの選挙区すべて、普天間県外国外移設、辺野古移設反対の候補者が当選した。しかも共産の赤嶺政賢が比例区から当選、沖縄出身の候補者5人が辺野古移設反対で議席を占めた。自民党で当選したのは、九州ブロックで当選した西銘ただ1人という惨敗だった。このショックは大きかった。自民党もまた変化に対応する道を模索し始めた。

◆名護市長選の結果を「忖度しない」と発言した平野官房長官の本音

 大きな転換点は、10年1月である。名護市長選挙で辺野古移設反対を訴えた稲嶺氏が現職市長を破って当選。これに対して鳩山政権の平野官房長官が記者団に問われて「選挙結果を忖度しない。場合によっては法的措置も」と発言した。三里塚のように強制収容もありうるという大失言だが、ここに民主党政権の日米同盟回帰の本音が現れた。この発言に対して、当時の社民党の照屋寛徳代議士が「官房長官をぶんなぐりたい」と地元紙で発言した。たまたま沖縄の地元紙に取材された自民党の石破前幹事長が、民主党政権の背信にたいして「民意を無視するも甚だしい。私でもぶんなぐりたい」と言った。(琉球新聞10・1・31)その石破氏が、自民党幹事長の役割として、強引な手法でまず自民党国会議員5人を、公約違反の辺野古移設容認に転換させた。そして、今年年1月の名護市長選挙では、利益誘導で大車輪の活躍を見せたが敗北を喫した。平野にせよ石破にせよ、政治家の言葉の軽さが破滅を招き「蟻の一穴」となる怖さが判っていないようだ。

 この時点で沖縄の流れは急速に普天間海外県外移設の方向に加速した。同じ10年1月25日、超党派の「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」(同実行委員会主催)が読谷村運動広場で4万5千人を集めて始まった。日米特別行動委員会(SACO)合意から13年余が経過しても返還が実現しない普天間飛行場をめぐり、初めて超党派で県内移設反対を訴える歴史的な大会となった。辺野古移設派の仲井真知事も、いやいやながらもこの県民大会に参加せざるを得なくなった。

 民主党の背信によって、10年5月に鳩山氏が責任を取って辞任、代って菅首相が同年6月に、アメリカでオバマと会談し、日米同盟堅持、普天間辺野古移設の路線に回帰した。対等な日米関係、日米地位協定の改定という大原則を放棄したのである。菅首相も民主党閣僚も沖縄の力を甘く見た。絶対過半数の330議席から見て、沖縄の4つの議席がこぼれても政権運営に支障はないと読んだ。菅は目先を変えて、マニフェストに明らかに背反する、消費税値上げ5%の「自民党案抱き付き」に走った。かくして有権者の民主離れは決定的となった。参院選の敗北で民主党は坂を転げ落ちるように凋落の一途をたどった。今日の安倍政権の暴走の最大の戦犯は、消費税で自公に抱き付き、自公政権の復権に貢献し、有権者の不信をかって自滅した菅、野田民主党政権とその閣僚たちである。

◆自民党の島尻安以子、辺野古移設反対で当選と裏切りの歴史

 10年1月の超党派県民大会は、同年7月の参院選に大きな影響を与えた。自民党も含めた県民大会の決議に代って、同年7月に任期切れは自民党の島尻安伊子議員だった。自民党は権力を守るためには、ときには反対の政治方向も容認するカメレオン政党だ。土下座してまで社会党に歩み寄り、村山自社さ連立政権で復権を果した。福島事故の後、自民党福島県連は真っ先に原発廃炉を提案し、12年の県議選で勝利した。島尻の政治遍歴もカメレオンそのものだ。民主党は党本部の変節によって参院選挙の候補者も立てられず自主投票になった。その機に乗じたのが島尻安伊子だった。彼女は民主党のスローガンをそのままに「普天間の県外国外移設辺野古反対」を叫んで辛くも当選した。

 ここでは社民党の山城候補と共産党の伊集候補が競り合う選挙となった。民主党の変節が混乱を招き革新統一候補の擁立を妨げた結果である。社民と共産の候補者合計で、完全に島尻の得票数を超えていながら、みすみす自民の島尻を勝たせてしまった。その島尻が、13年の自民の政権復帰によって内閣政務官に就任、それ以降は「普天間基地の辺野古移設」に転換するのである。島尻は沖縄県人ではない。1965年、宮城県仙台市に生まれた。仙台の聖ウルスラ学院英智高等学校、上智大新聞学科卒業後、証券会社勤務を経て結婚を機に沖縄に移り住んだ。琉球新報によると以下のような経歴の人物だ。

 当初は民主党公認で04年の那覇市議補選で初当選したが、05年に離党。07年の参院選補選に自民、公明両党の推薦で出馬して初当選し、当選後に自民党入りした。普天間問題に関しては、10年参院選で「沖縄県外移設」を公約に掲げて再選された。13年4月、参議院院予算委員会で県外移設の選挙公約を撤回し、辺野古移設を容認に転じた。もっとも民主党から自民党にくら替えするような人だから、公約破棄など何とも思っていないものと思われる。13年11月には、他の県選出議員らが自民党本部から辺野古移設容認に転じるよう強く求められていたことに関し、妊娠時の「胎動」に例えて「難産になるかもしれないが、待望の子どもが生まれた時にはみんなでお祝いしてもらえる環境にしていきたい」と発言し、物議を醸した。(14年2月7日『琉球新報』)

 10年の参院選は、自民、社民、共産の三候補が、すべて普天間県外移設辺野古移転反対を叫ぶという選挙となった。島尻安伊子が258,946票(47.6%)。落選した社民の山城博治は215,690票で(39.7%)、共産の伊集唯行は58,262票(10.7%)だった。社民と共産の得票は合計で273,952票(50・4%)島尻を上回っている。民主党の変節による混乱に乗じて、県外国外移設辺野古反対の旗印を奪った自民の島尻が漁夫の利を得た。
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当 島尻安伊子 45 自由民主党 現 258,946票 47.6%
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  山城博治  57 無所属   新 215,690票 39.7%
  伊集唯行  59 無所属   新  58,262票 10.7%
  金城竜郎  46 幸福実現党 新  10,832票  2.0%
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◆島尻の選対本部長をつとめた仲井真知事との連携プレー

 この選挙で島尻の選対本部長を買って出たのが仲井真知事だった。仲井真の経歴も島尻と同じくカメレオンだ。経産省の役人から1987年、民営化を前にした沖縄電力の理事に就任。1990年に当時の沖縄県知事・大田昌秀革新県政のもとで沖縄県副知事となった。退任後は沖縄電力に戻り、社長や会長を歴任した。2006年の沖縄県知事選挙に、自民・公明の推薦を受け出馬し、野党8党の推薦・支持を受けた糸数慶子を破り初当選した。各党の折衝に時間を取られた糸数の機先を制し、さらに糸数を推薦した自由連合代表の徳田毅が離党して仲井眞支援に回るなど、野党の切り崩しに成功したといわれる。島尻の勝利によって味を占めた自民は、島尻と同じ年の10年11月の知事選では「普天間県外移設辺野古反対」をスローガンとしてたたかい、革新派最強の候補者と言われた伊波洋一を破り再選された。現職の知事に旗印を奪われた野党陣営は争点をぼかされて敗北を喫した。

 12年の総選挙で民主党は回復不可能な57議席と完敗した。しかし沖縄県では、自民の4人当選にたいして野党側は3人の議席を確保して健闘した。1区は自民新人の国場幸之助が現職大臣の下地幹郎に1万8000票差をつけて初当選。2区は社民前職の照屋寛徳が4度目の当選。3区は自民新人の比嘉奈津美が初当選、4区は自民元職の西銘恒三郎が、前職に3万9000票余りの差をつけて返り咲いた。一方、比例区では共産前職の赤嶺政賢、自民新人の宮崎政久、未来前職の玉城デニー(現生活)が復活当選した。しかも当選時はすべての議員が、地元紙の取材に対して、普天間県外移設、辺野古反対、安倍のいう国防軍に反対と言明していた。しかし一方で2012年衆院選の投票率は2009年の前回を8・93ポイント下回る56・02%で過去最低を記録した。

◆島尻の背信が13年の参院選挙で糸数慶子を勝たせた

 10年の社民党と共産党の脚の引っ張り合いの結果が、島尻を当選させた。その島尻は、自らの選対本部長を務めた仲井真と組んで、沖縄の国会議員4人全員を「辺野古移設」に回帰させるキーパースンとなった。これに対して沖縄の有権者は敏感に反応した。13年7月の参院選では1名区23選挙区で、民主党候補全滅という結果だったが、ただ一人、沖縄選挙区の糸数慶子が旗幟鮮明に「辺野古移設反対」を掲げて、社民、共産、生活、沖縄社大の推薦で、三度目の当選を果した。
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当 糸数慶子  65 沖縄社会大衆党 現 294,420票 51.1%
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  安里政晃  45 自由民主党   新 261,392票 45.4%
  新島メリー 67 無所属     新  10,505票  1.8%
  金城竜郎  49 幸福実現党   新  9,462票  2.0%
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 安里はすでに辺野古移設反対の旗を降ろした島尻の影響もあって、政策としては掲げたが、もっぱら政権与党としての地域振興などに重点を置いた選挙戦だったが迫力を欠いた。やはり島尻変節の影響はぬぐえなかった。

 喜納昌吉の民主党県連は独自候補を模索したが、12年の県議選でも惨敗し、人材もなく旗印もなかった。辺野古移設反対の糸数慶子を推すこともなく、新人の新島メリーという元バスガイドを推薦した。結果は1万票余の惨敗で、まさに泡沫候補だった。今年1月の名護市長選でも民主県連は自主投票、市議選でも同様のありさまだった。もはや沖縄政界では、その存在価値を失ったのである。その喜納昌吉が、県知事選に翁長の辺野古撤回の姿勢を批判して立候補するという。仲井真の別働隊ともいわれる所以だが、最近では石原、田母神支持の発言を、自らのライブで語ったことまで暴露され、最近のネット上を賑している。

 もう一つ見逃せないのは沖縄が祖国復帰以降の地方区一名区の選挙戦は勝敗は第8回参院選以来、昨年の第23回まで補欠選挙を含めて18回の参院地方区選挙があった。その結果は、革新統一側の11勝で保守自民党側は8勝となっている。戦後の一名区選挙では、革新側が勝利した回数の方が多いのだ。この伝統的な革新統一の歴史と、分裂した保守側のエースといわれる翁長那覇市長を担いだ保革共同候補に、公約に背反した仲井真知事とそれに加担した島尻以下の国会議員団と自民県議団の勢力では勝利する展望はない、とみるのが妥当だろう。しかも沖縄の公明党県本部は、こと普天間の辺野古移設には一貫して反対する候補者のみを推してきた。今回の知事選挙でも党本部の思惑如何にかかわらず、公明党・創価学会が従来の方針を変更して、仲井真知事支援に一本化する可能性は薄い。名護市長選挙で公明党支持者の68%が稲嶺氏に投票、自民の末松氏は32%だったが、この流れは変わらない。

◆自民と仲井真の暴走に歯止めをかけた野党過半数の県議選

 自民党の島尻当選と変節の間にもう一つ重要な選挙があった。それが12年の沖縄県議会議員選挙だった。民主党議員団をも与党に巻き込んで、今度こそ与党過半数を狙った仲井真知事だったが、目論見は外れた。08年と12年の2回にわたって、仲井真与党の自民党は少数与党になった。07以降、県議会過半数は、普天間の辺野古移設反対でまとまっている。10年には自民党を含む超党派の「普天間県外移設決議」全会一致でまとまった。この決議はまだ生きている。

 13年12月の仲井真の公約破棄、辺野古移設容認にたいして沖縄県議会は「仲井真知事辞任要求の決議」を可決した。地方自治法では、首長の不信任決議は、議員3分の2が必要とされ、法的拘束力はないが過半数での辞職要求決議となった。自民党は国会議員5人、県議団はともに仲井真擁護に回っていたが、今回の県知事選挙をめぐって、翁長支援を表明して自民党県議団を脱退する議員もおり、仲井真与党はさらに減少することになる。10年の県知事選、12年の総選挙で、ことごとく辺野古移設反対で当選した自民党の議員や仲井真の背信を県民は見ている。

 以上の各種全県的性格の選挙では、普天間県外移設、辺野古反対のスローガンを掲げない限り、政治家としては生きて行けない状況が沖縄には07年以降続いている。沖縄での自民党独自の世論調査で、翁長強し、仲井真では負けるという判断を自民党本部がくだしたのは正鵠を得ている。その焦りが、ともかく仲井真知事在任中に、辺野古埋め立て免許を認可させる。そのために3000億円の沖縄振興費というカネで自治体首長やそれにつながる利権団体を取り込もういうことにつきる。それに応じて仲井真支持に走る自治体首長や議会が現れるのは当然の成り行きだ。だが、いくら金をばらまいても、07年以降、普天間県外移設、辺野古反対という旗幟を鮮明にしなければ当選できないという流れは変わらない。

◆名護市長選と市議選の分析、ともに反対派の得票増化傾向

 辺野古現地での名護市の選挙は10年以来市長選挙2回、議会選挙2回があった。そのいずれも反対派が、容認派を破って勝利している。過去の両者の得票と得票率を分析してみると、選挙のたびに反対派の票数が増えている。本来なれば、このどうにもならない状況に嫌気がさして、投げやりになるのが普通だが、反対派が勢いを増している。選挙結果で見てみよう。

・2010 投票率 76.96%
  稲嶺 進  17,950 無所属(民主、共産、社民、国民新推薦)
  島袋 吉和 16,362 無所属
・2014 投票率 76.71%
  稲嶺 進  19,839 無所属(社民、共産、社大、生活推薦)
  末松 文信 15,684 無所属(自民推薦)

 10年の市長選挙では、島袋は争点をはっきりさせず、もっぱら地域振興に絞った。稲嶺は当選したが票差は1,600票程度の僅差だった。しかし今回は仲井真までが駆けつけたことで、自ずから争点がはっきりした。市民の意識もはっきり出た中で、前回より票差を拡げ、約4,000票余の差をつけて圧勝した。9月の市議選でも、反対派の票数は増えている。誘致派が一名増え、反対派一名が落選したことで「痛み分け」などと分析している者もいるが、得票全体をみれば、反対派の票が増えていることがはっきりする。

 工事強行という政府と県の既成事実つくり、大盤ふるまいの利益供与にもかかわらず、反対派の得票が市長選でも市議選でも増えているという事実は、仲井真県知事の背信への怒りが如何に大きいかを示すものだ。市長選挙で名護市に出かけた仲井真は、9月の市議選ではマイナスになるということで、応援演説すら出来なかった。以下は、市長選挙における朝日・沖縄タイムズの共同出口調査と読売新聞の出口調査である。両者の調査がほぼ共通していることに注目されたい。

・朝日新聞と沖縄タイムズ、琉球朝日放送の共同出口調査では
 無党派層7割5分が稲嶺支持へ 公明の7割弱が稲嶺へ・・・
  無党派層    稲嶺氏 75% 末松氏 25%
  公明党支持者  稲嶺氏 68% 末松氏 32%
  自民党支持者  稲嶺氏 26% 末松氏 74%

・読売新聞の出口調査では・・・・
 無党派7割強稲嶺氏に 出口調査 (1/20読売朝刊)
 読売新聞社が19日に実施した沖縄県名護市長選の出口調査(市内13投票所・1429人回答)で、日米両政府が同市辺野古で合意している米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先について聞いたところ、「県外に移す」が6割強に上り、「合意通りにする」は約2割にとどまった。

 稲嶺進氏に投票した人の88%が「県外」と答え、「合意通り」の4%を大きく上回った末松文信氏に投票した人では、「合意通り」が68%、「県外」が21%との結果が出た。投票の際に重視した争点については、「普天間飛行場の移設問題」が約5割を占めた。その他は、「地域振興や景気・雇用対策」「市の行財政改革」がいずれも約1割。自民支持層に限った投票先は末松氏が約7割、稲嶺氏も約3割あった。民主支持層では約8割が稲嶺氏に。社民、共産支持層はともに稲嶺氏が9割強。無党派層でも稲嶺氏が7割強と、末松氏の約2割を上回った。

 いままで述べてきたように、翁長当選は確実といわざるを得ない。問題は当選後の知事認可取り消し撤回の法廷闘争を含めた安倍政権とそれに追随する民主党など本土与野党との戦いとなる。単なる「辺野古移設断固反対」を叫ぶだけでは、進まない。法律家などを含めてあらゆる英知を結集して、アメリカと日本政府に対決しなければならない。しかし県知事、県議会、地元市長、市議会が反対で一致するという前代未聞の事態になった時に、アメリカ政府は、民主主義の根本を否定してまで強行を認めるか。大きな国際問題に発展するだろうし、そうするためにも翁長圧勝が求められる。以下の「辺野古移設工事強行に対する県民世論調査」(14年8月26日琉球新報)でも、このことが裏付けられる。

◆自民党支持11%、社民党5・2%、無党派層60・2%の現況

 以下の琉球新報などの最近の世論調査でも、このことが裏付けられる。支持政党別の項目で驚くべきことが2点ある。ひとつは本土の場合、いくら安倍政権の評判が上がり下がりしても自民党支持率40%前後は動かない。自民党は安泰なのである。だが沖縄では異なる。自民党支持は11%だ。加えて社民党が第2位の4・3%、民主党4・3%、共産党3・4%、公明党2%とつづく。もう一つは、本土の世論調査では各社共通して無党派層は40%前後となっている。だが沖縄では無党派層は60・2%だ。名護市長選挙では無党派の70%が移設反対の稲嶺に投票している。自民の2割も稲嶺に投票した。しかも知事選挙では自民は分裂して闘うことになった。

■資料)琉球新報の直近の世論調査(要旨)無党派層6割、自民支持は1割

・辺野古移設工事強行に対する県民世論調査 8月26日琉球新報
【世論調査】「辺野古中止」80% 移設強行、反発広がる2014年8月26日 琉球新報
 琉球新報などは8月23、24の両日、政府が米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた海底ボーリング調査を開始したことに関する県内電話世論調査を実施した。「移設作業は中止すべきだ」との回答が80.2%に上り、「そのまま進めるべきだ」の19.8%を大きく上回った。安倍政権の姿勢を支持するとの回答は18.6%にとどまり、不支持が81.5%に達した。地元名護市などが反対する中、移設作業を強行する安倍政権に対する反発の広がりが浮き彫りとなった。

 仲井真弘多知事がどう対応すべきかに関しては「埋め立て承認判断を取り消し、計画そのものをやめさせるべきだ」の回答が53.8%と5割を超えた。「作業に協力すべきでなく、少なくとも中断を求めるべきだ」との合計は74.0%で、知事の埋め立て承認に対する批判の強さをうかがわせた。
 普天間問題の解決策では、県外・国外移設や無条件閉鎖・撤去を求める意見の合計が79.7%に達した。辺野古移設の支持は10.0%、辺野古以外の県内移設は4.6%にとどまった。一方、11月16日の県知事選の候補者を選ぶ際に最も重視する政策は、「普天間の移設・返還などの基地問題」との回答が34.3%で最多となった。次いで「経済振興や雇用対策」が24.4%、「医療・福祉、教育問題」が19.3%だった。

 ボーリング調査を「中止すべきだ」との回答は60代が87.7%となるなど、特に中高年で高い。20代も72.9%が中止を求めたが、若年層で作業を支持する割合が比較的高い。女性は中止を求める意見が85.3%、男性は73.9%だった。職業別では「中止すべきだ」は専業主婦では90.4%となったほか、パート・アルバイト、自由業などで高く、「そのまま進めるべきだ」は公務員や現業職、農林水産業で3割弱と比較的高かった。

【問1】移設作業の今後 
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【問2】調査を開始した政権の評価
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【問6】どの政党を支持しているか。
(1)自民党(11%)(2)民主党(4.3%)(3)日本維新の会(0.7%)(4)公明党(2%)(5)次世代の党(0.2%)(6)みんなの党(0.2%)(7)結いの党(0.2%)(8)共産党(3.4%)(9)生活の党(0.2%)(10)社民党(5.2%)(11)新党改革(0.3%)(12)社大党(1.8%)(13)その他の政党・政治団体(0.8%)(14)支持政党なし(60.2%)(15)分からない(7.7%)(16)回答拒否(2%)

 (筆者は公害問題研究会代表)


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