■【追悼】

河上民雄先生が伝えようとしたこと            岡田 一郎

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  「メールマガジン・オルタ」の企画で河上民雄先生の回想をうかがう機会を得
たのは、2009年12月から2010年11月までの約1年間であった。それ
まで私の著書に先生から序文を寄せていただいたり、戦後期社会党史研究会で先
生のお話をうかがったりする機会があったが、河上先生と様々な分野についてか
なり率直にお話しさせていただいたのは、オルタの企画による河上先生へのイン
タビューが最初である。

 このインタビューに私が参加することになった理由は、公私共にお忙しい河上
先生に代わり、先生のお話の内容をまとめる人間が必要であったからである。

 ただ、残念ながら、まとめ役として、私は全くの役立たずの人間であった。河
上先生のお話をうかがいながら、お話の内容をメモにとり、時には先生のお話を
録音したテープや以前に先生がお書きになられたものを参考にしながら、自分の
メモをもとに先生のお話を再構成するのが私の役割である。

 しかし、先生のお話の内容に関する知識を私自身が欠いていたため、私がやっ
とのことでまとめた原稿は全く不十分なものであり、添付ファイルで先生の奥様
のメールアドレスにお送りすると(河上先生ご自身はパソコンをお使いにならな
かった)、数日後に、先生が大幅加筆され、奥様が先生の代わりにパソコンで打
ち込まれた原稿が私のメールアドレスに添付ファイルで送られてくるという有様
であった。

 本来、河上先生や奥様の負担を少しでも減らすためにまとめ役を仰せつかった
私が、自身の無知ゆえにかえって先生や奥様に負担をかける結果となってしまっ
たのである。河上先生へのインタビューは「河上民雄・20世紀の回想」と題さ
れ(以下、「20世紀の回想」と略記)、「メールマガジン・オルタ」73号
(2010年1月20日)から84号(2010年12月20日)まで掲載され、
今年の7月には新時代社から単行本として刊行された。

 「20世紀の回想」は、一応私が「まとめた」ということになっているが、上
記のような事情から「私がまとめました」とは口が裂けても言うことは出来ない。

 事実上、河上先生が語られた内容を自らおまとめになった「20世紀の回想」
は、先生の語りと文章の巧みさゆえ、思わず何度も読み返してしまう魅力がある。
「20世紀の回想」に登場するエピソードの中で、最も私が好きなエピソードは
次のような話である。
 
  河上先生の祖父・河上新太郎氏は同僚がキリスト教の信仰に目覚めて以来、真
面目な生活を送るようになったのを目の当たりにして、自らもキリスト教の信仰
に目覚め、留岡幸助氏が始めた少年犯罪者更生事業を支援された。留岡氏が更生
させた少年の中で、旧制中学校を卒業した少年がいることを知った河上新太郎氏
は少年を自宅に引き取って、字が書けない人々のために無料で手紙の代筆をおこ
なうよう勧め、少年が自宅に戻ると日当を渡していた。ところがある日、少年は
河上新太郎氏のもとを去り、行方不明になってしまう。

 しばらくして、河上先生の父の河上丈太郎先生が関西学院の教授として神戸に
赴くと、歓迎会で城ノブ氏に声をかけられる。城氏は当時、神戸で身売りされた
女性を救済する活動をされていたのだが、そんな城氏のもとにある日、河上新太
郎氏のもとを去った少年がふらりと現れ、しばらくして「自分の生涯は世間の余
計者だったが、生きがいを感じたことが一度だけあった。それは東京の河上新太
郎氏という人のもとにいたときだ」と述べて息を引き取ってしまった。

 もしかして河上丈太郎教授は少年が最後につぶやいた河上新太郎氏の息子では
ないかと城氏は思い、声をかけたというのである。河上丈太郎先生が政治家に転
じると城氏は河上丈太郎先生の熱心な支援者の一人となった。(単行本では92
~94ページに収録)

 短いながら、読む者の心を打つエピソードであると同時に、短いエピソードの
中に、留岡幸助氏・城ノブ氏という著名な社会運動家が2人も登場し、その2人
が共にキリスト教徒であることが、近代日本の社会運動史におけるキリスト教の
影響の大きさを示唆している。そして、この2人に河上家の人々が深く関わって
いたという事実が、近代日本の社会運動に対する河上家の人々の貢献の大きさを
象徴している。

 私はこのエピソードを単に感動的な話としてのみ理解していた。だが、最近、
私は、河上先生はこのエピソードから、近代日本の社会運動が多くのキリスト教
徒によって担われたこと、むしろキリスト教徒による社会運動こそ近代日本の社
会運動の本流の一つであったことを伝えようとしたのではないだろうか、と考え
るようになった。

 私が近現代日本の社会運動史の研究を志した頃、歴史学におけるマルクス主義
の影響はかなり衰えていたが、それでも社会運動史というのは、近現代日本にお
いてマルクス主義がどのように受容され、それがどのように影響してきたのかを
研究することであった。だが、近現代日本のある時期までは、キリスト教徒によ
って担われた社会運動が日本の社会運動の主翼を成していたのである。

 ここからは私の全くの仮説であるが、戦争反対を貫いた多くの殉教者を出しな
がらも、キリスト教会全体としてはアジア・太平洋戦争に抗し得なかった一方で、
多くのマルクス主義者が非転向を貫いたことで、敗戦後の日本における社会運動
の主翼はキリスト教徒からマルクス主義者へと移ってしまったのではないだろう
か。そのため、戦前の日本において、生涯を賭して社会運動に取り組んだ多くの
キリスト教徒は人々から忘却されるか、不当に貶められることとなったのではな
いだろうか。

 そう考えると、「20世紀の回想」は河上先生の回想録であったと同時に、人
々から忘れられたあるいは不当に貶められたキリスト教系社会運動家の軌跡をた
どる試みだったのではないかと思い至るようになった。もしも河上先生がご存命
ならば、この疑問を率直に先生にぶつけ、近代日本における社会運動とキリスト
教の関係について詳細な講義をうかがうことが出来たであろう。

 だが、私が近代日本におけるキリスト教の重要性をようやく意識するようにな
った頃、河上先生は天に召されてしまわれた。もしも、このような問題意識を私
がもっと早く持っていれば、「20世紀の回想」はより深い内容とすることが出
来たであろう。「まとめ役」としての自分の無能力さが悔やまれてならない。そ
して、このような無能なまとめ役であった私を前に嫌な顔を全くすることなく、
ニコニコと静かにインタビューに答えて下さった河上先生の寛大さを今、改めて
実感するのである。

 (筆者は小山高専・日本大学・東京成徳大学非常勤講師)

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