河上民雄先生の思い出

追悼

河上民雄先生の思い出               杉本 美樹枝

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 私は河上丈太郎先生の最後の秘書でした。丈太郎先生のご長男である河上民雄
先生は、当時、アメリカのコロンビア大学留学から戻り新進気鋭の政治学者とし
て大学教授をされながら、丈太郎先生の政策立案や演説原稿を書かれるなど、表
面には立たず父上を支えていらっしゃいました。私が河上丈太郎先生の秘書にな
ったのは、ほんの偶然でした。

 当時の女子大生は今よりずっと就職難でした。社会学部にいた私は、就職前に
英語を少し勉強しようと、知り合いの紹介で丈太郎夫人の経営する河上英語塾に
入りました。担任は民雄先生の姉上、伊集院和子さんでした。その伊集院さんか
ら、丈太郎先生の秘書さんがお嫁にいらっしゃるので、その後任秘書にとお話を
いただきました。

 当時、丈太郎先生は社会党委員長として活躍され、SPが付き、新聞記者がい
つも取り囲み、また社会党のみならず、多くの政治家や経済界の方々が出入され
ていました。秘書になって初めてのお正月明け(1965年)に、丈太郎先生が四国へ
遊説に出かけられましたが、気象状態が悪く大阪空港と松山空港間を2往復した
ものの、そのまま羽田に戻るというアクシデントに遭われました。その飛行機の
中で具合が悪くなり戻られ緊急入院をされましたがくも膜下出血で、それから約
1年の闘病生活に入られることになりました。

 当時の保守革新の力は今と違い、ある意味では力が伯仲していたのではないか
と思いますが、十字架委員長といわれたリベラルな河上委員長が倒れ、党首が変
わるのか、それが保守党にどのような影響を与えるのかといった点で新聞にもい
ろいろ書かれ、記者会見が毎日開かれその談話が発表される等、丈太郎先生の動
向に注目が集まり、当時、首相になったばかりの佐藤栄作氏もお見舞いに来られ
る等、静かな病院も先生の入院で大騒ぎになりました。

 その後、病状も危機を脱出されたが回復とは言えずその去就が囁かれるように
なりました。新米秘書には急展開の状況で想像した通常の秘書業務とは異なる、
忙しい日々でした。

 丈太郎先生が病に倒れたことをきっかけに、民雄先生ご一家との接点が増えま
した。
 民雄先生は、アメリカから帰国されて間もない時期で、河上英語塾のお隣に京
子夫人と長女陽子さん、次女牧子さんの4人家族で住んでいらっしゃいました。

 民雄先生はいろいろなご著書を発表され、政治学者として、大学教授としても
順風満帆で、丈太郎先生の知恵袋として黒子に徹していらっしゃいました。丈太
郎先生が入院されてから私は、議員会館だけでなく幡ヶ谷のお宅に伺うことが多
くなり、丈太郎先生が亡くなられてから、社会党の「河上丈太郎記念出版委員会」
が設立されました。

 記念誌の発行準備で民雄先生のお宅に伺うことがさらに多くなり、民雄先生と
京子夫人とは家族のように接していただくようになりました。その頃、民雄先生
は政治家への道と学者の道の選択に苦渋の時代だったのではないかと思いますが、
末子未亡人の思惑や社会党幹部の方達や古くからの丈太郎先生の支援者などの動
きの中におられ、今思うと渦巻きのような状況だったようです。

 民雄先生は、丈太郎先生の後を継ぐよう強い要請を受け、最終的には神戸から
立候補されることになりました。京子夫人のご実家は、民雄先生が学者の道を歩
むことを確認して嫁がせたと、後年伺ったことがありましたが、学者の道から政
治家への転身でご一家にとって大きな転機だったと思います。そして、初当選を
され、東京と選挙区の両方で活動されるようになりました。

 私は一時関西に住んだことがありましたが、東京生まれ、東京育ちの私は民雄
先生ご夫妻を何かと頼りにさせていただきました。ある時、私は個人的に大きな
問題を抱えるようになり、民雄先生ご夫妻にすぐにご相談したいと思い切って電
話をかけたことがありました。当時、民雄先生は衆議院議員の第2回目の選挙に
落選されていた時期でしたが、お二人は理由も聞かず、すぐに飛んで来てくださ
いました。私にとって精神的に支えていただき、乗り越えた忘れえぬ出来事とな
りました。

 その後、私は仕事で南の島で自然破壊をしないリゾート開発を目指し、地元の
人達と共同して行うプロジェクトを日本のS社の支援を受けて進めていました。
場所は現在の北マリアナ連邦、当時は国連信託統治領でアメリカの委任統治領だ
ったロタ島ですが、外国人の投資活動が制限されていたが、投資法が変わろうと
している時期でした。終戦までは日本が統治していた地域で、その時代に教育を
受けた指導者層は勤勉に働くことを身につけた人が多く、特に親日的な島でした。

 事業のための土地交渉は、島の居住者よりアメリカの意向が反映する環境で、
住民意識と異なる方向にいく傾向がありました。
 私達が理想に燃えて進めようとしていることが地元の人達の民意に添っている
もので、何とかそれを統治者が理解して順調な交渉をしたいと考え、民雄先生に
ご相談しました。

 民雄先生がアメリカのご友人のボブ・イマーマン氏(Mr. Robert Immerman)
に話して下さったので、交渉に行った時に「貴女は河上丈太郎先生の元秘書だそ
うですね」と言われ、アメリカ内務省を通して「善処せよ」という指令が出てい
たことがわかりました。

 その時にお世話になったイマーマン氏は、その後、在日アメリカ大使館勤務に
なられ、私が民雄先生とごいっしょに、ホテル建設が順調に進んだことをご報告
に伺った際、お二人は旧交を温めておられました。

 私が現在のNPO法人を設立する時に法人名についてアドバイスをお願いしま
したら、民雄先生は私の考えや方針などを質問され、紙にすらすらとお書きにな
ったのが、有名な中村草田男の「勇気こそ 地の塩なれや 梅真白」という俳句
でした。原点を忘れないようにという意味だと理解しました。そして「地の塩」
をつけ、「NPO法人地の塩食菜くらぶ」としてスタートし、毎月エッセイを書
いていただくようになりました。民雄先生のエッセイは知性とユーモアに溢れて
私達の心にほのぼのとした温かさをくださいました。

 更にこのNPO法人を設立する時に、先輩でお知恵を拝借するのに、相応しい
方がいらっしゃるからとご紹介いただいたのが「オルタ」の加藤宣幸氏です。

 民雄先生にはいろいろなご活動がありますが、政治家として金大中事件に関わ
ることを忘れることはできません。金大中氏が韓国において死罪とされそうにな
ったとき、その延命のために西ドイツのブラント元首相が社会主義インターの大
会で「金大中を殺してはならない」ということを演説し、結果として金大中氏は
死罪を免れ、後に大統領になりました。そのきっかけになったのは、その社会主
義インター大会の会場で民雄先生の主張をブラント氏が理解し、演説原稿に付け
加えたからです。

 どんな時でも同じ態度で人と接し、正しく世の中を見て、必要な時には勇気あ
る行動ができる稀有な存在が河上民雄先生です。河上民雄先生ならばどのように
判断されるだろうか、先生ならば問えば真摯に答えてくださると、最晩年まで教
えを乞う方達がたくさんいらっしゃいました。画家の宇野マサシ氏と書家の小畑
延子さんご夫妻もそういう仲間です。

 また、私は先生ご夫妻を囲み、昼食をしながら先生のお話を伺う会合に定期的
に参加していました。そこでは先生を中心に参加する方々が自由に会話されるの
ですが、私を除いて、皆さんは日本の知性を代表するような方々ばかりで誠に楽
しく勉強になり、先生が入院されるまでずっと続いていました。

 いろいろな例でお話をしていただきましたが、印象的なことの一つに、ドイツ
の東西がまだ隔たっている時代に、ベルリンの壁がもうじき壊れ東西がいっしょ
になる前兆を外遊された時に気がつかれ、そのことを発表されたところ、まさか
と反論を受けたが、結果はご承知の通りです。

 そのような事例や歴史などその論点は幅広いのですが、知性と教養ある人は小
さな出来事や指導者の微妙な言動から予測することができるということを先生か
ら何回も教えられました。そのことはどんな小説よりも面白く、その会合が我々
の楽しみでもありました。

 弁護士事務所を共同で運営し、丈太郎先生を長年支えられた美村貞夫弁護士は
一昨年に99才で亡くなられましたが、その美村貞夫先生に仕事の関係でお世話に
なった際のことです。その係争案件の相手は日本の財閥系の超大手不動産会社で
したが、裁判所へ私が美村先生といっしょに行きましたら、相手側が「そんな小
さな会社になんで美村先生がついているのか」とかなり驚かれ、結局その案件は
示談であっという間に解決してしまいました。

 そのことを民雄先生にご報告しましたら、先生は笑いながら、「美村先生は日
本一の弁護士です。実力と人柄を併せ持つ日本一の稀有な弁護士です。多くの方
がそれを知っていて美村先生を尊敬していますから」と説明してくださいました。

 その説明は、河上丈太郎先生と民雄先生にも通じること、実力と人柄を併せも
つという点で同じで、同類の方々だったのだということに私は深く感じ入りまし
た。そう言えば、河上先生のご縁で知り合った方々はこのジャンルに入る方ばか
りだということも気づかされました。河上先生から最後にご縁をいただいたオル
タの加藤宣幸氏もこの同類の方でした。その加藤氏に河上先生の思い出の記を書
くようにと指令を受けましたことに恐縮しております。

 河上民雄先生の長い間のご厚誼に感謝し、「原点を忘れない」という教えを心
に刻み、自分のできることでNPOのミッションを果たしていきたいと思います。

          (NPO法人 地の塩食菜くらぶ代表)

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