【オルタの視点】

法の国フランス

鈴木 宏昌


 11月の初めから、気候の良い日本の秋を楽しむために日本に帰り、旧友と新宿で食事をしていたときに、11月13日の夜、パリで130人を超える犠牲者を出した連続テロ事件が起こったことを知った。連続テロがあった地域は、1、2度行った事がある程度で、あまり土地感はなかったが、襲撃されたレストランが、サンマルタン運河という若い人の人気スポットということは理解できた。事件後、1週間後にパリに戻ったが、ドゴール空港の様子は普段と変わらないものだった。その後、パリの街へも行ったが、警察や兵士の数は少しも増えた様子はなかった。

 ただ、非常事態が宣言されたために、役所、ショッピングセンターの入り口で、荷物検査がされるようになった。友人たちの話では、13日から1週間はかなり重苦しい雰囲気があったという。家の近くの商店の人が、1月のシャルリ・エブド襲撃事件のときは、みんなが事件を話題にする雰囲気があったが、今回は、誰も事件について話したがらないと言っていた。週末を控えた金曜日の夜、若者が多く集まるロック・コンサートや人気レストランを無差別に銃撃するという陰惨な計画性、その上、多くの犯人が自爆するやり方は、普通の人にはとても理解できないのだろう。これまで、フランス人が誇りに思っていた自由や寛容の精神を踏みにじる行為に多くのフランス人が深く傷ついたことは間違いない。今回の事件から精神的に回復するには相当の時間が必要なように思われる。

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◆法の国フランス
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 ところで、今回はこのテロ事件と直接関係しない問題を取り上げ、法の国フランスの側面を紹介したい。私は、法律は専門ではないが、フランスの労働問題や労使関係を勉強していると、どうしても労働法は避けて通れない。企業が人を採用しようとするとき、まず人事関係者がチェックしなければならないことは、雇用期間や労働条件などが労働法に抵触しないかである。日本の経営者は、企業活動の状況に応じて、正社員、有期、パート、派遣などを使い分けるが、フランスでは、一般的な雇用形態は期間の定めのない雇用と定められているので、特別な理由で有期あるいはパートタイム労働者を雇うことを説明しなければならない。

 もしも仕事が本来恒久的な性質と分かると、有期労働者は近くの簡易労働裁判所に駆け込み、正社員の地位を獲得できる。その上、不当な解雇(契約違反)として、企業は大きな違約金を払うことになる。短時間勤務の形態を取ろうとしても、今では、原則的に、週24時間以下で雇うことはできない(もっとも、学生など例外の範囲は大きい)。さらに驚くのは、団体交渉のルールや交渉項目ですら、フランスでは、法律が枠組みを決めている。たとえば、労働組合のある企業では、賃金、労働条件、男女平等などは毎年の義務化された交渉事項となる(ただし、妥結までは求められていない)。労使自治といった概念は、フランスではまったく通用しない。

 フランスは、ローマ法の継承者と自負し、19世紀のはじめに影響力の大きかったナポレオン法典をつくり上げた国である。フランス革命以前から、法律が社会的基盤を形成していた。たとえば、絶対王政の時代に、「特権」(Privilège)を持った教会、貴族などが多くいたが、「特権」の起源はローマ時代の「個別法」(privata lex)であり、権力者が、一定の人や団体に、特別に税負担などを免除することを認めた一種の「法契約」であった。したがって、時の権力者もその「法契約」に縛られた。

 また、フランスの裁判所は、昔から、正義の宮殿(Palais de justice)と呼ばれている。つまり、裁判所とは、正義の原則に基づいて、法を適用することで、争いを解決する場である。つまり、法と正義は密接に結びついている。その伝統から、フランスでは、立法で社会的規範を作ろうとする傾向がある。この点、慣習法の国、イギリスとは大きく異なる。イギリスは、EUに加盟した影響もあり、労働関係の成文法が増えてはいるが、根幹の部分は、判例法と労使の自治(労働協約は私的な契約)である。フランスが立法により、公平と正義の名の下に、社会的慣習を変革しようとするのに対し、イギリスでは、判例法は社会的慣習に沿うと言えるだろう。

 フランスの法律家は、法の論理性と合理性を重視する。したがって、フランス法は、一般的原則、適用範囲、手続き、制裁などを論理的に定めてゆく。その結果、フランスの法律は明快だが、饒舌なところが多く、形式的な手続きを重視する傾向が強い。もちろん、フランスの法律主義は良いことのみではない。後に見られるように、法の論理と現実の社会制度がかみ合わなくなるケースは多い。典型的な例は、手厚い雇用保障と失業問題だろう。すでに雇用されている労働者の雇用保障のために、近年、実に様々な立法がされたが、それは同時に、解雇が難しいことを知る企業が若者の雇用を増やすことをためらわせる要因である可能性が強い。この問題は、最後の日仏比較のところでもう少し検討してみたい。

 さて、実定法の国フランスでは、立法・司法の制度もきっちりしている。私の知っている労働分野で見ると、憲法裁判所と国務院は法律案が憲法や既存の法律と整合しているかをチェックしている。裁判制度で特徴的なのは、高等裁判所の上に、破棄院があり、下級審の法解釈が正しいかを審査している。破棄院の中に、労働関係を担当する部門があり、ここの解釈が、下級審を縛る役目を果たしている。さらに特徴的なのは、簡易労働裁判所の存在である。簡易裁判所といっても、原則は労使の代表が審判員となり、個別労働訴訟を担当する。審判員の意見が分かれたときにのみ、専門の判事が参加する。わが国の労働審判制度の一つのモデルだが、扱う件数が日本と大きく異なる。日本の労働審判にかかる件数が、毎年、おおよそ3500件くらいであるのに対し、フランスは17-18万件ととてつもなく大量である。そのほとんどが不当解雇に関するものである。手続きは簡単で、必ずしも弁護士を立てる必要はない。もともと革命以前から存在していた都市の調停機関が、19世紀から個別労働関係を取り扱うようになり、身近な正義の審判所として活用されている。簡易労働裁判所の判定に不服な場合、その地域の裁判所に控訴することができる。

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◆労働法典の簡素化
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 さて、法が生活の隅々まで支配するフランスだが、必ずしもプラスの面だけではない。現在、フランスの労働分野で大きな問題になっているのは、労働法典の簡素化である。今日のフランスの労働法典は、雇用関係、集団的労使関係、労働条件、雇用平等など多くの項目をカバーし、判例法などとあわせると、3,500ページを超える分量となっている。近年、労働関係の法律のインフレはすさまじい。1974年に労働法典は600の条項から成り立っていたが、現在では8,000に及ぶ。ここ10年以上、選挙のたびごとに、保守系の政治家は、フランスの労働法典の簡素化を政治スローガンとすることが多かったが、大体は掛け声だけに終っていた。ところが、今回は、社会党に近い二人の労働法の大家― R. Badinter 元法務大臣と労働法の第一人者、A. Lyon-Caen 教授 ―から、労働法典の簡素化という提言がなされ、大きな反響を呼んだ。複雑な労働規制が現在の大量失業の一つの原因でもあるという認識の下、現在ある8,000に及ぶ条項を整理し、労働法典の核を50ほどの原則条項にとどめようという提言であった。この提言に呼応して、ヴァルス首相は多様な専門家を集めた諮問委員会に具体的な答申を求めた。最近発された答申(Rapport Cambrexelle)は、企業レベルの団体交渉を重視し、法律および産業別の労使協定の適用除外を拡大することなどを提言した。

 さすがに、現在の労働法典の主要事項の改廃といったデリケートな問題は避けて通った形である。労働法典が膨大で、使いにくいことは大方の人が認めているが、既存の法律を廃止するとなると、労働組合あるいは使用者団体からの反発が大きい。また、何が重要な原則で、何が不必要な条項なのか、立場の違いによる意見の隔たりは大きいだろう。今回、政府は、簡素化を長期的に行なうとしているが、政治基盤が弱くなっている現在の社会党政権がいくつかの組合と対峙してまで、労働法典の簡素化を行なうとは考え難い。昔、私が勤務していたILOでは、数多くなったILO条約の優先序列をつけようという議題が、1970年代から理事会で再三議論された。それが、本格的な前進を見るには、1998年のILO宣言まで待たなければならなかった。フランスは、それほど悠長に待つ状況にはなく、多分、2017年の大統領選挙の際に、労働法典の簡素化が争点の一つになる可能性が強い。

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◆補完的医療保険の義務化
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 先週末、補完的医療保険の現状というフランスILO協議会主催の面白い研究会があった。医療保険という私の専門外の分野なので、あまり期待しないで参加したが、予想に反して興味深い内容だった。補完的な医療保険とは、日本では聞きなれない制度だが、フランスではほとんどの人が入っている医療保険である。国(社会保障庁)が扱っている公的医療保険は、日本の健康保険に該当するが、その保険の対象は、主に基本的な医療行為に限られる。

 しかも、110億ユーロ(1兆4千億円)に及ぶ赤字に悩む公的医療保険は、医療の払い戻しの水準を毎年引き下げている。そのため、ほとんどのフランス人は、補完的な医療保険として、共済組合や民間の保険会社の医療保険に加入する。私の場合、民間の保険業者と契約し、月々百数十ユーロを支払っている。それでも、歯の治療やめがねの払い戻しは低い額にとどまると聞いている。現在雇用されている大部分の労働者は、企業がオファーする団体医療保険に加入しているといわれる。多くの場合、使用者が保険料の半分を負担している。

 ところが、2013年1月11日付けの雇用安定化に関する労使の全国協定の中で、解雇基準の緩和との引き換えに、労働組合が要求していた補完的医療保険の義務化の条項が採択された。その後、この協定は立法化された(2013年6月14日付け)。この法律により、2016年からすべての民間企業は、補完的医療保険を制度化する義務が生じることになった。2013年法では、使用者は少なくとも補完的医療保険の50%を負担し、国が定める最低医療メニュー以上の医療保険を提供するものとされた。また、この補完的医療保険は、原則的に、産業別あるいは企業別の協定で実行されるべきものとある。制裁手段として、補完的医療を提供しない企業は、社会保険料の軽減措置が停止されることが盛り込まれた。ところが、企業の実際の動き出しは鈍かったという。その中、オランド大統領が、2014年の共済組合の大会で、補完的医療保険を優先目標にすることを宣言してから、多くの企業あるいは産業は、補完的医療保険に関する交渉を始めたという。

 実際に、職業訓練関連の産業の交渉責任者である人事担当者の報告があった(この産業の規模は労働者数で、120,000人)。2015年初めから労働組合との交渉に入る。その最中に、社会省の通達で、突然、勤続年数を考慮してはならないことが告げられる。つまり、補完的医療保険は、短期の労働者もカバーしなければならなくなる。さらに、最低医療の範囲に関する省令は、やっと今年の9月になってから告示されたという。このような役所の対応の遅れにもかかわらず、最近ようやく産別の協定までこぎつけることができた。難しかった問題として、すでに民間の保険業者と団体契約した企業の取り扱い方、私的な保険への個人加入を認めていた企業をどうするかなどであったという。

 別の専門家の報告では、民間の補完的医療保険の現状は、約1,800万人はすでに補完的医療保険に加入済みで、残りの約400万人のうち300万人は個人的に私的保険に加入しているという。結局、約百万人の零細企業の労働者あるいは非正規労働者が今回の改革の対象になるようだ。

 最後に発言した社会保障法の大家 Langlois 教授の言葉は実に興味深かった。フランスの公的医療保険では、マスコミの注目はいつも110億ユーロを超える赤字問題に集中するが、これは間違いである。本来、公的医療保険も保険の原則で動いているので、社会保険料が正しく設定されていれば、赤字は出ないはずである。政治的な理由から人為的に保険料が低く抑えられるので、赤字が出てくる。この点、賦課方式の年金の赤字とは根本的に異なる。年金の場合には、累積赤字は次の世代の負担であり、現在の制度は、若者を犠牲にしている。補完的医療保険に関して、国は公平の観点から、最低医療メニューや負担の配分などの制度の規範を法律で定めようとしている。

 もともと、保険業者と被保険者が自主的に契約を結ぶべき私的な分野に国が法律で介入し、規範化する方向には危惧を感じると述べた。確かに、現在のフランスでは、労働組合や使用者団体が力不足であり、政治力学から、国が労働や労働条件に介入する頻度が増している。それが、労働法典のインフレに結びついているのだろう。補完的医療保険という労使関係の周辺部の問題に関する研究会だったが、大いに考えさせられた。

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◆日・仏比較:解雇規制
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 最後に、私の関心がある解雇に関する規定で、フランスと日本の法のあり方の違いを例示してみたい。周知のように、わが国の民法は、期間の定めのない雇用の終了に関しては、一方の意思でいつでも解約できることが原則であった。この法律の空白を、判例法が埋め、解雇権濫用法理を作り上げた。その判例法のエッセンスが2007年の労働契約法16条として成文化された(2003年の労働基準法改正をそのまま受け継ぐ)。「解雇は、客観的に合理的理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」(労働契約法16条)。これ以外には、なんらの手続き、要件などの条文はない。

 これに対し、フランスの解雇規制は、1973年に初めて労働者を保護する解雇規制が定められて以降、最近まで、おびただしい条文が追加されてきている。解雇の一般原則として、解雇は実質的および重大な理由を必要とする。解雇の種類は個人的な解雇、経済的な解雇、集団的な解雇と分かれ、それぞれに関して、多様な手続きが定められている。経済的解雇では、解雇理由、配置転換の努力義務、解雇の対象者の選択基準、従業員代表との事前協議、解雇対象者の個人面接、解雇通知の手続き、関係省庁への通知などが細かく定められている。経済的解雇に関する条文のみで実に100以上の条文が労働法典に載っている。10人以上の整理解雇になると、さらに企業委員会での協議、長期訓練休暇の付与などの縛りが追加される。当然ながら、このような労働者保護の色彩の強い解雇規制に対し、経営者や経済学者からは、インサイダーのみを保護し、企業の変革の足かせとなっているという批判は強い。

 ここでは、経済的な影響を検討する紙幅の余裕はないので、法的側面のみを見てみよう。日本の立法への接近は、現実の経済・社会の動きにを注意を払い、なるべく市場への介入を最低限にしようとしている。そこには、立法活動により、新しい経済・社会の規範を打ちたてる意図はない(あるいは、政治的な力関係にはない)。反対に、フランスは、立法によって新しい経済・社会の規範をつくろうとする傾向が強い。それは、時に、実態経済との緊張関係を生みだしている。

 ところで、今の日本の労働契約法は、弱い立場の労働者の保護に本当に役立っているのだろうか? 零細企業の労働者が不当な解雇と知っていても、解雇は「社会通念上合理的な理由を欠き、社会通念上認められない」のみで労働審判や裁判所に行けるだろうか? 少なくともこの解雇法の事例では、わが国の法律は、その難渋な表現とともに、実効性を追求しているとは思えない。
  2015年12月16日、パリ郊外にて

 (筆者はパリ在住・早稲田大学名誉教授)


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