泥棒にも三分の理

■連載 泥棒にも三分の理          西村 徹

────────────────────────────────────
 クロムウェルにまつわる古い話がある。アイルランドの町ドロゲダの占領が完
了の後、市民はすべて中央広場に集められた。クロムウェルは幕僚たちに告げた。
「よろしい。女はみんな殺してしまえ。男はみんな強姦してしまえ」。副官の一
人が言った。「失礼ながら、将軍。あべこべではありませんか」。群集の中から
叫び声があがった。「クロムウェルのやることなら間違いはない」(Mr. Cromwell
knows what he’s doing)。これはブレアの声だ――「ブッシュのやることなら
間違いはない」。
 
 2002年10月イギリス下院で行われた反戦集会の席上ハロルド・ピンターはそ
の演説をこのように切り出した。ピンターは2005年ノーベル文学賞を受賞した
詩人・劇作家であるが、米英有志連合による理不尽なイラク侵略戦争に激しく反
対していることでも、日本の外ではよく知られている。
 嘘に嘘を重ね、恫喝に恫喝を重ねて、五ヵ月後の2003年3月、でたらめの大
義をでっちあげてブッシュはイラクに侵攻、ブレアもこれに和して行動を共にし
たことは繰り返すまでもない。どこからか飛んできた物体が犬に当たると犬はい
ちばん手近の人に吠え付く。そして子犬もいっしょに吠える。サダム・フセイン
とアルカイダとはむしろ敵対関係にあった。もともとサダムはアメリカの手先で
あった。

 あべこべを承知であべこべを言うのはクロムウェルにかぎらない。アフガニス
タンを空爆するときブッシュは言った。「われわれは平和愛好国だ」。ブレアは
nationをpeopleに替えただけで、鸚鵡返しに応じた。「われわれは平和愛好民
だ」。数日後FBI本部でブッシュは言った。「(空爆は)わが国に課された神の召
命だ。世界一自由な国アメリカを築いている根本的価値観は憎悪を拒み、暴力を
拒み、殺戮者を拒み、悪を拒む。われわれは退かない」。

 アルンダーティ・ロイは見事にこの無理方程式を解いた。「わかった。豚は馬
だ。少女は少年だ。戦争は平和だ」(”Outlook” 2001年10月18日)。すでに
オーウェルも『1984』のなかでスターリン体制について同じ答えを出していた。
 この種、贋物を本物と言いくるめるアメリカの「喝上げ」は今に始まったもの
でなく、いかに年期の入ったものであるかをピンターは1965年に遡って語る。
キプロス紛争に介入したリンドン・ジョンソンは駐米ギリシャ大使を呼びつけて
言った。「おまえらの議会も憲法もくそ食らえだ。アメリカは象だ。キプロスは
蚤だ。ギリシャも蚤だ。二匹の蚤がこのままむずむず痒いことをやり続けている
と象の鼻でぶっとばすぞ。それもこっぴどく」。アメリカ皇帝の野卑と傲慢はブ
ッシュの「カカッテコイ」が初めてではなかった。

 ジョンソンの言ったことは現実となる。2年後の67年アメリカが糸を引くパ
パドプーロス大佐のクーデタが起こり、その後7年間ギリシャは地獄となった。
エーゲ海の島々は牢獄の島々となった。この間、高度成長期の日本人旅行者は無
邪気にエーゲ海クルーズを楽しんでいたが英国ではギリシャ観光ボイコットの
運動もあった。ついでながら同じ頃、同じく独裁にあえぐフランコのスペインに
も、日本人旅行者は出かけて「皮革製品が廉い」などと喜んでいた。韓国へは買
春ツアーが盛大であった。その間の73年9月11日にはピノチェトのクーデタ
によって、選挙で選ばれたチリのアジェンデ政権がわずか3年の命脈を絶たれ、
30年後の2003年9月11日をもしのぐ悲劇の幕がアメリカの手で切って落とさ
れる。同年3月アメリカがベトナムに完敗した矢先のことであった。

 これらはほんの少数の例で、その後のことは記憶に新しいものとして措く。先
立って60年代初頭「自由な」、しかしベトナムへの直接軍事介入を決断したケネ
ディーの、3年未満の任期中だけでもエル・サルバドル、アルゼンチン、ペルー、
グワテマラ、エクアドルと、五カ国でファシストのクーデタを、CIAは後ろから
糸を引いて成功させている。
 第二次大戦終結以後、冷戦終結の前後を問わず、ほとんど絶え間なくアメリカ
は局地的に地球上の各地で放火と殺戮を繰り返してきた。1498年ヴァスコ・ダ・
ガマがカリカットに到着して以来の白人の所業を含めて振り返ると、遊就 館が
太平洋戦争の大義として掲げる「皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達
成するため」との文言は、その文言のかぎりにおいて、正当である。(そして今
日なおその認識の根拠をなす基本的力関係は変わっていない。)実際それを額面
どおりに受け取った人は少なくなかった。竹内好は中国への日本の侵略には反対
しつつも米英および蘭仏に対する戦争を、全面的にではないが、その一面を支持
した。

 竹内ほど中国侵略に反対した人は多くはなかったが、「鬼畜」米英および蘭仏
に対する戦争を、一面にとどまらず支持した人はきわめて多かった。そうでなけ
れば1941年12月8日の熱狂はありえなかったろう。私自身その熱狂の外にい
たのは誇るに足ることなどではなく、男児に生まれたことを悔やむほどに厭戦嫌
軍の、なすすべもない怯惰な非国民にすぎなかったからで、熱狂する活力にも絶
望する成熟にも届いていなかったからにほかならない。もっと多くの「健全有為」
の少国民は、男女を問わず集団発狂していた、かに見えた。

 たしかに結果として、何世紀にもわたって英仏蘭の植民地であった南アジア各
国の独立を、たとえ怪我の功名であったにせよ日本の軍事行動が刺激促進したと
いう一面はあった。そしてそれは日本の戦争の表向きの大義に合致するものでも
あった。これは事実として動かない。日露戦争の結果が世界の有色人種に希望を
与えるものであったと同じく動かない。それが日本の夜郎自大の始まりになった
という事実とともに動かない。ナポレオン戦争によってヨーロッパ各地に古い体
制の崩壊と近代国民国家の誕生が促されたこととの相似形は認められてよいで
あろう。泥棒にも三分の理はある。三分どころでないこともあり得る。

 靖国を論ずるにも極東裁判を論ずるにも、否定肯定いずれの側に立つにせよ、
この事実だけでも共通の歴史認識として共有し、一つ土俵に乗って話し合うので
なければ、双方の議論はかみ合うことなく、その亀裂を深めるのみに終わるであ
ろう。
 靖国神社を「戦争神社」あるいは「殺戮の神社」と呼び、宗教祭儀を(宗教な
らば自明であるが)「感情の錬金術」と呼ぶのは修辞として陳腐ながらもよしと
する。しかしながら、「有無を言わせず戦争に動員され、戦死したという点では
被害者と言えるけれども、実際に侵略行為に従事したという意味では加害者であ
った、一般兵士の責任」(高橋哲哉『靖国問題』79ページ)というように「すべ
て日本が悪い」式に短絡すると、「ブッシュのやることなら間違いない」を裏返
した無残な思考停止の錯誤に陥ることになるであろう。

 有無を言わせず動員されたのでもなく、したがって被害者でもないが、実際に
死刑を執行する刑務官は加害者として責任を問われねばならないのであろうか。
肉を食って食肉解体処理業者の気持ちに思い及んだことがあるであろうか。奴隷
として闘技場に引き出され、奴隷として避けがたく戦う剣闘士について、しかも
生き残った者についてではなく敗れて戦死した者について、「被害者と言えるけ
れども加害者であった、一般兵士の責任」を問うなどという曲芸は可能であろう
か。
 アッツ島やガダルカナルで玉砕した一般兵士について、ビルマやニューギニア
で兵站線を絶たれ棄てられて、餓えて病んで死んだ一般兵士について、終戦を待
たずしてそそくさと軍用機で逃げ帰った参謀肩章の将官,佐官と同様の加害者責
任を問うことは、論理的にも倫理的にもはたして可能であろうか。
 この種の自足した、あえて言えば特権的な、特別観覧席からの「横目高見」の
発言は、私をまったく説得しない。
 高橋の仕事は全体としてよいものであると認める。靖国神社は戊辰の役という
内乱に勝利した側が革命軍の戦死者を慰霊するものとして創建された。この成立
事情に格別の異常はない。国家神道という歪みと相次ぐ国外での戦争、とりわけ
昭和の中国侵略により神社の背負わされる役割は急速に異常に変質した。その異
常を明らかにするのは当然必要なことである。また、勢いあまっての上記この種
の瑕瑾は量として多くはない。しかし質として疵はきわめて深い。これが多くの
人々の神経を逆なでし、いたずらに斥けてしまうことになるのを痛切に私は惜し
む。

 必要なことは泥棒の理が三分か七分か、あるいは五分かであって、ゼロか十か
の押し問答ではない。帝国主義はその侵略を行うにあたって必ずなんらかの理を
唱える。しかし理は建前であって本音は利である。つまりは強盗であるが説教強
盗である。ブッシュも「民主化」の説教をする。大英帝国は「白人の責務」を説
教した。日本は韓国に「開国」の説教をした。アジア諸国には「皮膚の色とは関
係のない自由で平等な」「大東亜共栄圏建設」の説教をした。

 「大東亜共栄圏」あるいは「八紘一宇」は、説教の題目としては白人帝国の
掲げたそれらに比べ、いかにももっともらしく、よくできていた。その不純物
を洗い落とせば今日ですら一定の説得力を持ち得るほどに、よくできていた。
それゆえに竹内好はこの説教の純化された形においてヨーロッパ勢との戦争を
支持した。この説教の不幸は強盗と一体であった点、民族の解放と帝国主義と
が抱き合わせであった点にあった。帝国主義によって帝国主義を否定しようと
するものである点にあった。

 しかも日本の侵略は、とりわけ中国大陸侵略は、じつは近代欧州帝国主義の持
つ一定の洗練に、すなわち対外的には侵略支配を重ねつつ対内的には築いてきた
一定のヒューマニズムに届かぬ、近代前的な原始的略奪であり、蛮族侵入
(vandalism)であった。強盗以上の強盗であった。占領軍として上陸してきた
米軍と満州に入ってきたソ連軍とを較べて日本軍がいずれに近かったかを思い
返せば自ずから明らかであろう。また陸海を問わず軍隊内務班の残忍なテロルが
必然的に外に放出されるときを想像すれば自ずから明らかであろう。
 靖国神社遊就館は泥棒の理をのみ声高に叫んで強盗の事実を黙秘している。靖
国を批判する側は強盗殺人の罪のみを責め立てて、その理に耳を貸そうとはしな
い。双方クロムウェルの言うところにしがみつくのを止め、まずその共有し得る
理のあるところに歩み寄って、互いの胸のうちを明かしあうことはできぬもので
あろうか。
              (筆者は大阪女子大学名誉教授)

                                                   目次へ