浅沼、江田の集会記事を読んで

浅沼、江田の集会記事を読んで    今井 正敏

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  「オルタ」45号で予告されていた『9条改憲反対、故浅沼稲次郎委員長追悼10.12集会』と『江田三郎没後30年・生誕100年を記念する集い』の二つの集会が、10月12日に開催され、「それぞれ主催者の想定を超える参加者があり、盛況であった」と「オルタ」の加藤編集長が46号[編集後記]に書いている。

 10月29日付朝日朝刊の『ポリティカにっぽん』に早野透氏(元朝日政治部長)が、「浅沼と江田」というタイトルで、「憲法と市民をむすぶ政権の夢」と題した記事を書いていた。読者層が厚いといわれる『ポリティカにっぽん』に、上記二つの集会のことが載ったことになる。

 早野氏は、浅沼追悼集会について、「今月12日昼、国会近くの憲政記念館で、社会党委員長だった浅沼稲次郎の追悼集会が開かれた。1960年のこの日、「ヌマさん」は東京・日比谷公会堂で演説のさなか、17歳の右翼少年に刺殺された。岸信介首相退陣とともに「アンポ ハンタイ」のデモの波が引いて、高度成長に向かったころだった。
  沼は演説百姓よ
  汚れた服にポロカバン
  きょうは本所の公会堂
  あすは京都の辻の寺

 戦前から「無産階級」のために、がらがら声で走り回った「人間機関車」ヌマさん。東京の下町、深川の安アパートに住み、馬肉を好み、銭湯に通った。底抜けに楽天的で、かくも大衆に愛された政治家はまれだろう。しかし、なぜ、いま急にヌマさんなのか」。

 これに続く「江田を記念する集い」については、以下のように書いている。
  「もうひとつ、同じ12日の夜、「江田三郎没後30年・生誕100年を記念する集い」が都心のホテルで開かれた。浅沼が殺されて社会党の委員長代行になったのが江田である。銀髪、ソフトな語り口、エダさんはヌマさんと違った魅力でテレビ時代の大衆をひきつけた。
  しかし、それからの江田はいばらの道だった。かたくなな社会主義ではだめだと「構造改革」を唱え、「江田ビジョン」でこれからの四つの目標を打ち出した。

 (1) アメリカの生活水準
  (2) ソ連の社会保障
  (3) イギリスの議会制民主主義
  (4) 日本の平和憲法

 江田がめざしたのは、「市民的自由」だった。だが、教条派は「敵のアメリカを見習えとは何だ」と悪罵を投げ続けた。そんなことでは社会党は人々の気持ちをつかめないのに。江田は「議員二十五年 政権取れず 恥かしや」と嘆きつつ、たった一人で離党した」。

 浅沼と江田(共に敬称略)の二人が活躍していた時代は、私の青年期から壮年期にかけての頃であり、特に当時の社会党の動きに強い関心を寄せていたことなどもあって、社会党を代表していた二人の動向には目を離さず見守り続けた印象が、いまなお胸中に強烈に焼きついている。
  上記の1960年(昭和35年)10月12日に起きた浅沼委員長刺殺事件は、一カ月後に迫っていた総選挙のために日比谷公会堂で開かれた各党代表者による立会演説会の最中に起きた事件で、NHKテレビがこの立会演説会を実況中継しており、この突然の出来事がテレビで写し出されたので、これを見ていた人びとが受けた衝撃はまことに大きかった。
  私もこの瞬間を見ていたので、大変なショックを受けた。

 その浅沼刺殺事件から今年は47年目。そして江田三郎が、当時30歳だった菅直人らと「市民連合」をつくり、それから間もなくあの世へ旅立ってから30年の歳月がすぎた。
  したがって、浅沼、江田の二人が活躍していたのを知っているのは、現在65歳以上の人たちであり、いわゆる団塊の世代以下の人たちは、生前の浅沼、江田の姿は目にしていない。
  このような時の流れのなか、「オルタ」の編集スタッフ岡田一郎氏が、『日本社会党-その組織と衰亡の歴史』を、(株)新時代社から出版された。
  同書の中には、「人間機関車ヌマさん」の活動の足跡、江田三郎が力説した「構造改革」と「江田ビジョン」の全体像とこれをめぐる社会党内の論争などが詳しく記述してある。ひたすら大衆のしあわせを実現させるために、どのような思想、信条で浅沼、江田が不屈の活動を続けたかを知る上で絶好の案内書と思われる。

 早野氏は、ヌマさんの追悼集会の記事のしめくくりで、「なぜ、いま急にヌマさんなのか」と問いかけているが、早野氏は、その答えの意味を含めて、追悼集会での土井たか子、村山富市の両元委員長の発言を紹介している。
  「安倍首相は退陣したけれども、国民投票法は残った。土井さんは、『参院で与野党逆転した。次は憲法を大切にする多数派をつくらなければ』と述べた。村山さんは、『9条を守ること。それが浅沼さんが生きているということ』と熱弁をふるった。集会呼びかけ人には民主党の横路孝弘衆院副議長、江田五月参院議長も名を連ねた。どうやらヌマさんをかついで、安保闘争にも似た『護憲再結集』を策そうということらしい」。

 一方の江田三郎のほうも、「江田ビジョン」の四つの目標のうち、その一つに「日本の平和憲法」を打ち出している。
  浅沼、江田の思いはまったく同じで、共に「平和憲法を守る」ということ。つまり、「9条を守る」ということでは、両人とも共に同じく政治生命をかけていたといってよい。同じ日に浅沼、江田の追悼と記念の集会が開かれたという記事を読んで、私自身、いまさらのように「9条を守る」ことの大切さを身にしみて感じた。

                    (元日本青年団協議会本部役員)

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