【コラム】中国単信(38)

海亀、土鼈、老外

趙 慶春


 言葉というものは時代と共に生まれ、その役目を終えるといつの間にか人びとから忘れられ消えていくものがかなりの数に上る。たとえば「海亀」「土鼈」「老外」などもそうした道のりを歩みそうな言葉と言えそうだ。中国でこの3つの単語が本来の意味とは異なる概念で使われるようになったのは1980年代以降である。

 「海亀」は日本語と同じく「ウミガメ」である。それが海外からの帰国者のことを指すようになった。中国語では「亀」と「帰」が同じ発音(gui、グイ)であることから「海外帰来」→「海帰」→「海亀」となったようで、一種の言葉遊びがある。
 「土鼈」の「鼈」はこれまた日本語と同じく「スッポン」である。「土」にはもともと「田舎臭い」「古臭い」「野暮ったい」などの意味があることから、「土鼈」は本来は「田舎者」「田舎っぺ」の意味で使われてきた。それが「海亀」に対応する反対語として“海外生活の経験がない者”を指すようになった。
 「老外」は本来は「門外漢」の意味だが、これまた「外国人」を指すようになった。

 この3つの単語が“新語”として使われ始めた時期は1980年代以降であることは今、述べたとおりだが、多少時間的なズレがある。
 この中では「老外」がいちばん早い。1976年に「文化大革命」が収束すると、中国は改革開放路線へと一気に舵を切った。国際舞台への復帰は海外からの外国人の加速度的増加を促した。いわば“お雇い外国人”を必要としたからにほかならない。

 あらゆる分野で後れを取っていた当時の中国は、例えば、中国第一汽車グループの子会社が日本人技師を専門家として招聘した時、その給与は中国人技師の百倍を越えたと言われている。当初、ほとんどの外国人は中国についての知識がなかったので「門外漢」という意味の「老外」が使われ始めた可能性があるが、長い間「老外」は先進国の優秀者として見られ、羨望の的だった。もちろん侮蔑のニュアンスなどはまったくなく、親しみを込めた表現だった。その後、中国は経済的に発展し、GDPは日本を抜いて世界第二位となり、「老外」に対する羨望感はいつしか消えてしまい、新語としての「老外」の使用頻度は今ではかなり減少している。

 改革開放後、中国には3回の海外留学ブームがあったと言える。第1回目は1970年代末から1980年代中頃までで、欧米諸国との経済格差を解消するため、高度人材育成を目指し、中国政府主導だったため国費留学生がほとんどで、厳しい派遣試験をパスした優秀な留学生が多かった。第2回目は1980年代末から1990年代始めで私費留学生が大量に増え、奨学金を得たり、大学院まで進学する者が多くなった。

 早期の留学生たちは異国に留まって就職する者も多くいたが、中国での就職、収入が外国と同等以上となるにしたがい、帰国者は増え、「海亀」はエリートとして評価されるようになった。また中国政府も「海亀」の帰国誘致に力を入れ、給与、活動資金、住宅、配偶者の就職、二人以上の子どもの戸籍等々に優遇措置を取った。

 第3回目は今世紀初頭あたりからで、留学の大衆化、若年化が起きて国内の有名大学へ入学する学力がない若者や親の経済力をバックに留学する者が増え、質の低下を招くと同時にリーマンショックなどによる世界的不況で中国への帰国者が急増した。その結果、「海亀」族は供給過剰となってしまい、今や「海亀」ではなく「海帯」(本来は昆布の意味で「帯」は「待」と同音(dai))と呼ばれる者も多くなって、海に漂う昆布のようにゆらゆらと就職先を待ち続ける人びとになってきてしまっている。

 対して、「土鼈」は「海亀」の反対語として、「海亀」よりやや遅れて誕生した新語である。もともと相手を貶める意があるので、自称として使う人はほとんどいない。海外を知らない、国際的覚のない保守的な人を指す。

 現在、中国ではこの3つに分けられる人びとが一つの職場で一緒に働くことも珍しくない。厄介なのは「老外」はともかく、「海亀」と「土鼈」の間には目に見えない対抗意識が渦巻いていることだろう。
 たとえば筆者も何回か居合わせたことがあるが、レストランでの食事で「海亀」が灰皿を店員に頼むと、「土鼈」がすかさず「ここは国内だから、吸い殻はそのまま床に捨てればいいよ」と言う。「土鼈」からすれば、中国にいるのだから中国人の一般的な習慣に倣えばいいと考えるわけで、「海亀」の灰皿要求が当てつけがましく映るのだろう。

 上記のような日常のごく些細なきしみならまだしも、仕事や人間的関係での考え方、生き方の違いは、その人の人生に大きな影響を及ぼすことにもなる。
 たとえば、大学や保守的色彩の強い大企業で働く「土鼈」は、長年その場で根を生やしてきた「強み」がある。中国は伝統的に「人情、コネ」社会であるため「土鼈」は「海亀」や「老外」が持っていない「武器」を利用して、学会や関連官公庁や取引先に自分の人脈ネットを張りめぐらせて、何かとその恩恵を受けることになる。

 「海亀」も中国人の伝統的な「そうした手法」は知り尽くしており、「これこそ中国の陋習だ」と批判し、対抗手段として持ち出すのが「国際的人脈」「国際的視野」である。「土鼈」はおのずと「田舎者」「井の中の蛙」「時代遅れ」といったレッテルを貼られがちとなる。だが「土鼈」も負けてはおらず「数年間、海外で金メッキをしてきただけで、国の伝統を忘れ、外国がよいと言いながら、外国人にもなりきれない中途半端者」と批判することになる。

 「海亀」が現在の中国社会を支える大きな柱となっているケースが多々あることは言うまでもない。しかし海外留学組として勇躍帰国してみると、どうしても祖国の水に馴染めず、再び国外へ去ってしまう例も決して稀ではない。ある知人などは30歳台で来日し、約20年間、日本で働いたあと帰国して就職してみたが、どうしても中国人の生き方や人間関係に融け込めず、再度家族を連れて日本に戻ってしまった。この知人のようなケースは少ないだろうが、子供が両親の祖国に慣れず、子どもだけ国外生活をして、家族がバラバラになる例は比較的多い。

 現在の中国の社会状況では「海亀」の道は決して順風満帆ではない。「海亀」の増加は「海帯」の増加を招いており、当然「海亀」現象はもはや過去のことであり、「海亀」への特別視は消えて、「海亀」という言葉さえ忘れられようとしているからである。

 しかし中国の国際化推進に「海亀」族の役割は決して無視できない。かつて中国人の「老外」への羨望が消えたのが経済力の躍進がその背景にあったからなのだとするなら、国際化という点ではまだまだ先進国から後れを取っている中国は、「海亀」と「土鼈」が相互に長所を吸収補完し合い、中国社会を変えていく意識を高めていくなら、やがて中国も国際感覚溢れた国家に生まれ変わることもそう遠くないと思っているのだが・・・。

 (女子大学教員)


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