混乱は必至か

海外論潮短評(75)

中国内政上最大課題となった農村の土地所有改革―混乱は必至か

                       初岡 昌一郎


 11月初旬に開催された共産党三中全会を前に、そこで討論を想定された諸課題について、ロンドンの『エコノミスト』誌11月2日号が社説の冒頭と記事のトップ「ブリーフィング」欄で長文の解説を掲載している。無署名なので、編集部の見解といえる。

 この解説記事はその冒頭のリードで「この共産党中央委総会に立ちふさがっている諸問題の中で、地方における土地所有改革よりも大きなものはない」と断言している。以下は、この論評の要点。

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地上作戦を援護するための空中戦
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 習近平主席は、大きなターゲットに取り組むのに躊躇しない新実力者になることを目指している。彼のターゲットは、反腐敗の徹底的なキャンペーンと市場経済化にとって残る巨大な障壁の解体である。これが大言壮語に終わるかどうかは、今後にかかっている。

 残る最大障壁の一つで、これまで半ばマヒ状態であった、農村における土地市場化が優先課題として取り上げられる兆候がある。去る8月、国の統制下にある新聞が、農村の建設用地売買の実験が全国的に開始されると報道した。その後党によって抑制されたものの、この報道は激震をよんだ。

 「土地改革は議論されるだろうが、中央委の単一の焦点とはならない。単一の領域ではなく、改革上の諸問題全体が対象となる」と党上層筋は述べている。しかし、具体的な討論の詳細は中央委全会を理解するカギとはならない。問題は、今後具体的に実施される諸政策を念入りかつ慎重な文言で表現される発表から読み取るべきで、それをカバーする役目の空中戦的な議論からは判断できない。

 1978年の共産党中央委全会は、毛沢東の人民公社化政策を依然として支持すると発表したが、そこに参集した幹部は全国的に拡大していた改革に暗黙の合意を与えた。

 今回の中央委全会が発表する政策は、現に進行中の方向で改革を進めるという党の決意を表明するものであろう。だが、これまでの発展に多大な寄与をしてきた投資先行型成長モデルは次第に失速している。今や、生産性の向上と消費拡大を主力として推進される成長モデルが必要とされている。

 この必要性は、競争を妨げる基幹産業における国有企業支配の緩和、イノベェーションを推進するための変動的利子制度などの経済改革を支持している。それがまた農村における土地資産市場の創出を求めているが、この改革は農村の生活だけではなく、都市生活の変動を招かずにはおかない。

 表面的に見ると、都市化が順調に進んでいるように見える。昨年1月、都市人口が初めて農村人口を上回り、51%に達した(1978年の18%弱から)と政府が発表した。しかし、この数字はミスリーディングだ。約2憶7000万人(ほぼ40%)が、農村に戸籍を持つ都市住民である。

 このことは、多数の住民が資産市場から締め出されていることを意味した。彼らは農村の土地を売れず、都市の土地も買えない。つまり、家やクルマを買うという、都市住民が持つ福利を彼らは享受できない。これが非常な不公正であり、今や緊急に是正すべき時が来たことを政府も認識している。

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格差と旧体制の根強い障壁 ― 「石ころだらけの河を渡る」
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 戸籍上の制約の解消は、都市に生活する農民が街に足がかりを築くために農村資産の売却を可能にする。また、それが習政権の望んでいる消費拡大の大きな支えとなろう。地方からの移住者は、都市戸籍保有者よりも所得を節約している割合が高いので、巨大な潜在的消費力を持っている。

 今や中国の改革者たちから批判を浴びている胡錦濤が、農村の土地改革のために一定の地均しをしていた。2008年の党中央委員会は、土地の集団的所有について毛沢東思想を守るといいながら、住宅や工場の建設のために、それまで30年間の租借に制限されていた農地転用の権利を農民個人が無期限に行使することを認めていた。

 それ以後、立法府において基幹的な土地管理法の改正をめぐって議論がされてきた。首都での政治的駆け引きも論争をストップさせるものではなかった。この5年間は、農地担保権容認などの実験がひろく行われた。しかし、鄧小平時代から経済的実験の先駆となっている広東省でさえも「慎重」が合言葉である。「石ころだらけの河を渡っているようだ」と関係者はいう。

 資本主義の多くの要素を受容した国においても、地方ではまだイデオロギーが問題となる。農地の集団所有という思想は憲法に盛り込まれており、その改変を考えることさえも官僚は嫌う。一部の者にとっては、党が順守する中国的社会主義の象徴である。

 農民の資産権を明確化することは、インフラ、工場、住宅の建設のために土地を収用することを困難にすることを地方政府が懸念している。収容した土地をデベロッパーに売却することが地方政府の主要な収入源となっており、土地は地方政府が借入の担保に利用している。その債務がスパイラル上に急増していることが習政権にとっての頭痛の種である。地方政府はイデオロギーとは関係なく、彼らにとって打出の小槌である農地の制度改革に抵抗している。

 こうした抵抗と懸念にもかかわらず、胡錦濤が開始した改革は持続し、広がっている。広東省に重慶と四川省が続いている。胡錦濤時代の2008年3中全会で開始された土地取引制度が農地の価値を開放し、都市化を促進した。

 この制度は、デベロッパーに農地を建設用地に転換する認可を与え、その後に転換した農地と同規模の農業用地を創出するという許可を与えた。理論的には、これが農地の純減を防ぎ、都市の土地需要にデベロッパーが補償金の苦労なく応えることになるはずだった。許認可収入の85%が農民にわたり、彼らも農地の価値上昇の分け前を得るはずである。広州市は、認可権取引の開始を計画中と新聞が報道している。

 8月に新聞が報道したところによると、同じ行政区の他村住民から住宅と敷地を買うのを可能にする法案を広東省が発表した。その法規が採択されれば、農村の住宅市場創出に向けてささやかな一歩が踏み出されることになる。

 他の地方でも大勢の人がリスクをとっている。郊外地では、農民がその土地に住宅を建て、都市住民に売っているが、法が適用されないことを見越してのことだ。推計によると、北京の住宅5軒のうち1軒は、法的には農地に建てられている。広東省の深玔ではこれがおおよそ半分に達する。都市周辺の農民はこれで大きな利益を得ているが、法的には大変な混乱状態である。ところが、離村して都市に流出した農民にとってはなにも得るものはなく、その住居は立ち腐れたままで放置されている。

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土地分配の難問に直面する習政権
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 習政権は、土地所有法規改革を直接的に取り上げる姿勢をまだ見せていない。しかし、党主席に就任した直後に、実験と緩和を進める重要なステップを採った。2012年12月に採択され、一か月後に公表された文書によれば、17年末までに、農民個人にその保有農地面積の証書を与えることになっており、家屋敷地についても「できるだけ速やかに」証書を発行することになっている。

 これは大変な労力を必要とする仕事で揉め事を沢山伴うだろうし、衛星利用による調査などの資源と手段が必要となる。しかし、区画整理なしに秩序ある土地市場は成り立たない。証書交付を受けた農民が喜んでいることを地方紙が伝えている。

 地権証書の発行と土地処分権承認は、地方党組織の土地に対する専制的な権力を弱体化させる。都市住民が1990年代から経験し始めた、共産党の干渉からの相対的な自由を農村居住者も享受することになる。財産権を享受しない限り、自由は享受できないと中国の企業家たちも言っている。

 政治的な変化は習近平が促進しようと望んでいることではない。党中央委全会を準備するうえでは、反体制派とネット上の議論は異常に厳しく抑圧され、毛沢東にたいし時代錯誤的な賛美が繰り返され、改革政策に煙幕が張られた。党役員には、ゴルバチョフ的幻想の崩壊に対する教訓について、そのドキュメンタリーも見せられた。

 習近平が土地改革の利点は党役員の利益よりも重いと考えているとしても、それを明言することには慎重だ。また、メッセージが理解されさえすれば、彼にとって明確化の必要はない。

 1978年の中央委全会で人民公社支持が謳われていた当時、安徽省の貧しい農民の一団が村の農地を密かに個人別管理に分割することを決めた。1981年、それまで神聖な原則からの逸脱と考えられていたこのアプローチが「家族責任制」として明確に認められた。その時までに、村では半数以上の農民がそれをすでに実行していた。その翌年、人民公社の正式な解体が開始された。中央委全会が新機軸を打ち出したのではなく、下から始まっている事態を追認したのだ。同じことはまた起きうる。

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■ コメント ■
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 さる11月初旬の中国共産党三中全会開催中、評者は北京郊外の総工会所有リゾートホテルにたまたま滞在していた。第17回ソーシャル・アジア・フォーラムがそこで開催されたからである。前回の北京フォーラムは、胡錦濤が「和諧社会」を打ち出した党大会開催と重なったが、いずれも偶然であった。

 北京在住外国人筋によると、中国のブログや中国版ツイッターには制約があるものの、活発でなかなか面白いコメントが載るとのことである。例えば、「習近平は云ったことはやらず、やることは言わない」とか、「左派のスローガンで右派(改革派)を叩き、次に右派の政策で左派を切る」などである。こうした噂話には、本号で紹介したエコノミスト誌記事の分析と平仄を一にする点がある。

 発表された政策の公式的な意図が、実際の目的や効果と全く逆なことや、無縁なことは中国共産党の専売特許ではなく、日本や他のアジア諸国政府もしばしば行なっていることである。しかしいずれの場合でも、ジャーリズムはもとよりいわゆる学者・専門家も発表された文書を額面通り鵜呑みにし、報道・論評を行っていることがしばしばある。

 政策や決定は、無から有をうむことはなく、現実に生起している事態を追認ないし否認し、そして一般化するためのものであることはこの記事が指摘する通りだ。大会や中央委員会の決定により、あるいは指導者の公式発言で全てが変わるように受け止めるのはあまりにもナイーブで、分析的ではない。

 歴史的に抑圧と貧困にあえいできたスコットランド民族出身で、経済学の始祖的泰斗となったアダム・スミスは、個人の経済的な基礎の確立なくして、自由は享受できないと喝破していた。今日の中国人の多くも、彼のように考え始めている。職業選択の自由がかなり大幅に認められ、そして資産所有権が認められることで、市場経済における社会的経済的自由の基礎が出来上がる。しかしながら問題は、民主主義は市場経済を必要とするが、市場経済は必ずしも民主主義を必要としていないことにある。

 半世紀以上前の青年時代、評者はフルシチョフ時代のロシア(当時のソ連)に半年あまり暮らしたことがある。いわゆる[雪解け]の期待に満ちてはいた時代であったが、そこには職業選択や起業の自由はなく、現在の中国に存在するような経済的社会的自由は存在しなかった。今の中国は依然として一党独裁下にはあるものの、もはや全体主義国家ではない。かつて、ポーランド連帯の理論家が唱えた「独裁国家における自由な社会」に近い。いずれにせよ、中国のような巨艦にとって急転換は困難かつ大きな混乱を伴うので、緩やかなカーブを描いて進んでゆくのが当然かつ望ましい。

 気鋭の国際政治経済学者である中国系アメリカ人、エイミー・チュア女史(エール大学法学部教授)の『最強国の条件』(2011年、講談社)は古代から現代に至る歴史的最強国を考察し、その共通条件は「寛容性」だったという結論を下している。彼女の云う寛容性は、人種や宗教の壁を越えた人材の吸収、活用力を特に意味している。

 彼女によると、唐帝国がその時代に歴史的に抜きんでた世界最強国であった理由は、内政では少数民族や外国人をも優遇抜擢する能力主義的融和策を、対外的には寛容な平和政策を採ったために繁栄した。しかし、次第に非寛容な漢族中心的官僚国家に変質し、崩壊していった。彼女は、繁栄の根源にあった寛容性を喪失しつつある、現代アメリカの将来にも警告を発している。

 ナショナリスティックな全体主義的独裁国家による世界的強国を目指したために、自らの墓穴を掘っただけでなく、近隣諸国にたいして大惨事を惹起した日本にとっても「寛容性」がいまも問われ続けている。寛容性は曖昧さからではなく、多元性の受容から始まるものだ。

 (筆者はソシアルアジア研究会代表)


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