【コラム】
神社の源流を訪ねて(7)

熊野本宮大社

栗原 猛


◆八咫烏(やたがらす)に東アジア文化の大流を見る

 熊野本宮大社を訪れたのは4月初めだ。階段を上り鳥居の前に建つと、鶯が出迎えてくれたが、まだ一本調子で発声練習中という感じだった。
 古事記、日本書紀の神話によると、熊野本宮大社は神武天皇が上陸した地とされ、神社の神紋は三本足の八咫烏だ。土地の豪族、長髄彦命に抵抗され、難航する神武天皇の矛に止まって、神武一行を大和へ道案内をした霊鳥とされる。日本サッカー協会のシンボルマークでもある。

 実は、韓国の古代(高句麗、百済、新羅)のうち百済(くだら)の古都、扶余の国立博物館を訪ねたことがある。閉館間際だったので駆け込んだらあっと驚いた。館内に八咫烏の旗が沢山、並んでいる。日本のサッカーチームが来ているのかと思って尋ねたら、今日は韓国では八咫カラスのお祭りの日ですと言われて、また驚いた。
 八咫烏とはてっきり記紀神話の霊鳥だとばかり思っていた。咫(やた)とは長さを表す単位で、親指と中指を広げた長さ18センチとされる。八咫だから18センチの8倍で144センチ、大きめのカラスだ。

 この話には後日談があって、中国の西安にある石碑の博物館、碑林を何人かで訪れたことがある。文章の国といわれるだけあって、文字を刻み込んだ石碑が、それこそ無尽蔵に陳列されている。古い順に見ていると紀元前、秦が倒れて群雄が割拠する戦国時代に入る。この中から次第に項羽と劉邦が頭角を現し、この両雄が談判する有名な鴻門の会を描いた石碑が目に留まった。
 よく見ると左上に月が彫られ、中に兎がいて杵でうすをついている。もう一つの月にはカエルがいる。そして右上の太陽のなかにはなんと3本足の八咫烏がいるではないか。
 八咫烏は朝鮮半島では、かつて高句麗(紀元前1世紀~7世紀)があった地域(現在の北朝鮮)の古墳に描かれている。三足烏の伝承は古代中国の文化圏地域に流れる文化であろう。

 似ているといえば、熊野本宮大社の主祭神、家津美御子大神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)の別名とされ、松江の熊野大社の祭神も素戔嗚尊だ。熊野大社を訪れた際、不思議に思って神主さんに聞いたところ、「熊野大社は大昔は出雲のもっと山奥にあって、炭を焼いていた。紀伊半島の熊野本宮大社はそこから移ったという伝承があります」という。炭といえば鉄とは切り離せない。往古から出雲と熊野本宮大社は、大陸文明と深いかかわりをうかがわせる。

 (元共同通信編集委員)

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