【コラム】
風と土のカルテ(56)

研修医の固定観念を崩したフィリピンでの経験

色平 哲郎


 フィリピン・レイテ島のフィリピン国立大学医学部レイテ分校(SHS;School of Health Sciences)を10日間の国際保健海外研修で訪問していた佐久総合病院の医師が、12月上旬に帰国した。参加していたのは、2年次研修医6人と研修教育担当の中堅内科医だ。
 研修医のSHSへの定期派遣は今年が3年目。研修医たちは、SHS出身の元WHO医務官、スマナ・バルア博士の案内でレイテ島の集落を訪ねた。各集落では、SHSの学生たちが保健師と一緒に地域のプライマリ・ヘルス・ケア(PHC)を実践する現場に触れてきた。学生が簡単な診察や予防接種、投薬も行っているのを見て、研修医たちは「医療とは何か」を改めて自問した様子だ。

●住民に認めてもらった学生が看護師、医師の道へ

 SHSについては、このコラムでも何度か書いてきたが、改めて紹介しておきたい。

 佐久の研修医たちは訪問前に、レイテ島の歴史を勉強したという。レイテは太平洋戦争の激戦地だった。侵攻した日本軍は上陸してきた米軍と壮絶な戦闘を繰り広げた。レイテ島での太平洋戦争中の死亡者は、日本軍約8万人、米軍約3,500人、島民5万4,000人と推計される。これほど多くの島民が命を落としたことを忘れてはなるまい。

 そのレイテ島のパロという小さな町に、学生数150人足らずのSHSはある。学生たちは、生まれ育った町や村の推薦を受け、フィリピン全土の島や山から集まってくる。学費は奨学金で賄われる。入学すると、まず助産師資格を持つコミュニティ・ヘルス・ワーカー(地域健康指導員)を目指す。真っ先に助産師資格を取るのは、それだけお産が多いからだ。

 学生は、週の半分は島の各地の集落に張り付き、先輩に付いてお産や保健指導、予防接種などのノウハウを学ぶ。約2年間、勉強して助産師資格を取る。助産師国家試験の合格率は国内平均で50%ほどであるのに対し、SHSでは8割近いという。

 さらに看護師、医師を目指して勉強を続けたい学生は、自分が受け持った集落の人びとに「認めて」もらえれば看護師養成コースへ進む。看護師を経て、医師を志望する学生は、改めて受け持ち地域の住民の承認を得られればステップアップ。医師の国家資格を取るまで10年近い歳月がかかる。前述のバルア博士も、こうして医師となり、WHOの医務官となった。

 日本の、一般入試で選別し、医学知識を詰め込んで専門分化していく医師教育からは想像もつかないシステムだろう。しかし、「人間として人間のお世話をする」という広義の医療の原点に立てば、住民とじかに接しながら、ニーズに応じてキャリアを積んでいくSHSの方法は合理的ともいえる。健康不安を抱える住民が何を求めており、何をすべきか、早い段階で、1人の人間として向き合わざるを得ないからだ。そこから医師を目指すモチベーションもまた育まれる。

●「当たり前だと思っていたことが、そうではない」

 SHSを訪問した研修医たちが、佐久に帰ってきて、どのような「感想」を漏らしたか。
 以下、箇条書きでご紹介しておきたい。

・当初のイメージと異なって、医学校というよりヘルス・ワーカーの養成所だった。

・住民の中に入って、学生が散髪をしたり、マニキュアを塗ったり、アメを配ったりしているのを見て、PHCを見直す、いい機会になった。

・終戦後、佐久病院の若月俊一医師たちが堅い健康講話の代わりに「紙芝居」を携え、「楽しさ」を伴って信州の村々を回ったことを彷彿させた。

・日本のスタンダードが世界標準ではないことを知る、そんな機会となった。

・学びは「視野を広げること」、どちらか一方が正解、などという単純な話ではなかった。

・佐久病院の中堅以上の医師にとって「佐久が行ってきたPHC活動を見つめ直す機会」となろう。

・SHSの医学生たちは、4つの村で24時間頼りにされていた。村人から信頼されていることに驚いた。

・なぜ、医者になろうと思ったの?と、日本の感覚で尋ねてから恥ずかしくなった。SHSの学生は偏差値で簡単に志望校を決めて医師を目指せるような状況ではなかった。15人の学生のうち14人は極貧層から地元の期待を背負ってレイテ島に来ていた。進学できたことを奇跡的と感じている学生一人ひとりを、たくさんの住民が支えていた。

・普通の会話の中で「僕のお祖母さんは日本軍に殺されたんだ」と言われてハッとした。日本人を恨んでそう言ったのではなかった。淡々と重い話題が伝えられた。許してくれているのは、フィリピンの人たちがカトリック教徒だからだろうか。

・後輩たちにもぜひ、訪問してほしい。当たり前だと思っていたことが、そうではない。私は医療過疎地の出身なので故郷に帰って診療をしたいが、数年間は佐久で必死にやりたい。

・むしろ、無自覚に医師を目指す日本のシステムの方がヤバイのではと感じてしまった。

 これらは、研修医が漏らした感想のごく一部だ。「自分の思い込みに気付いた」「固定観念が崩れた」という気付きに引き続いて、では、いったい日本の医療はどう捉えたらよいのだろうとのディスカッションに。若手医師の内面が伝わってくる、そんな帰国報告会となった。

 (長野県佐久総合病院医師・オルタ編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2018年12月28日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201812/559242.html

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