【社会運動】

社会の分断を消す選択肢をつくる

井手 英策

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 「貧民救済」政策が、社会の分断を深めていると井手英策さんは指摘する。
 富裕層も貧困層も、同様に税金を払い、同様に給付を受ける仕組みは、
 必ず格差を縮小させる。
 すべての人が受給者になれば社会の分断線は消せると断言する。
 「にわかには信じがたい」と思う人もいるだろうが、本稿では、
 社会のコペルニクス的大転換が構想される。
 次世代を苦しめないために、現在を超える構想力が求められている。
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──ご著書である『経済の時代の終焉』で「新自由主義政策が所得格差を拡大している」と指摘されていますが、はじめに日本の経済政策の問題点をお話しいただけますか。

 『経済の時代の終焉』を書いたのは2015年ですが、僕は今、レッテル貼りとして新自由主義という言葉を使うのは止めようと考えています。新自由主義というとミルトン・フリードマンが思い浮かびますが、フリードマン自身は新自由主義という言葉をある時期から使っていません。もともとの新自由主義者たちは、1930年代、国有化を進めるなど、大きな政府を標榜していたんです。だから、フリードマンは新自由主義が嫌いで、「私は自由主義者だ」と言い続けました。その彼を僕らは新自由主義者の代名詞のように使う。僕らは新自由主義というと、すぐに小さな政府、規制緩和、市場の自由化を思い出し、批判したくなります。そして、新自由主義を必要とした時代状況に対する想像力を失ってしまう。レッテル貼りをして、批判を自己目的化するのではなく、財政や経済政策もふくめた国家や社会のあるべき姿そのものを語ることが問題だと思えるのです。

 僕は、2016年に出した『分断社会を終わらせる』という本で「勤労国家」という概念を打ち出しました。日本には、「勤労の美徳」や「倹約の美徳」がしぶとく生き残っています。勤労して倹約・貯蓄をする、これは近世から続く考え方です。日本では、子どもを学校に行かせるのも、老後や病気の備えも、家の購入も、全部貯金でまかないます。問題は「勤労して貯金して自分で何とかしなさい」という社会をつくってきたことにあります。

 家計の貯蓄率は今、マイナスです。また政府の調査によれば「老後をどう感じるか」と聞くと85%の人が「不安」と答えています。新自由主義の何がいけないか、ではない。新自由主義が成長を生むという神話が、所得と貯蓄の増大を必須とする人びとの心をつかまえたということ、つまり、勤労を前提にして貯蓄をしないと人間らしく生きられない国家、社会のあり方こそが問題なのです。「貯金をしないと生きていけない社会」を変えていかないと、将来はもう真っ暗なのです。

◆◆ 勤労国家と成長依存社会

 「勤労して貯蓄する」ためには経済成長が必要です。経済が成長しないと所得は増えず、貯蓄は不可能だからです。つまり僕らは「成長依存の社会」を作ったわけです。

 企業はそれまでは借金をして投資をしていましたが、1997~98年にかけて内部留保で対応するようになります。企業が黒字化して貯蓄超過になり、その一方で、非正規雇用化が進んで、世帯収入が下落し始めました。同じ時期に自殺者は8,000人以上も急増しています。その多くは、30~50代の男性で、勤労国家の支え手でした。生活の維持は経済成長が前提なのに、それがどんどん難しくなっています。でも、成長しないと生きていけないので、みんな一縷の望みとして経済政策にすがる。他のモデルがないから、効果があってもなくてもアベノミクスを信じるしかないのです。だからアベノミクスがよいか悪いかを論じることに本質的な意味はないと思います。

 戦争中、勤労を前提とした貯蓄は皇国臣民の栄誉であるとして、勤労新体制や貯蓄奨励運動が始まっていきます。人びとを戦争に動員した概念なのに、戦後、これに真っ先に飛びつくのは左翼です。戦後、社会党が最初に出した綱領のはじめに、「我々は勤労階層の結合体である」と書いてあります。共産党の戦後初の行動綱領には、短い文章の中に勤労という言葉が8回も出てきます。それほど勤労と倹約の美徳は、思想の垣根を超えて日本人に入り込んでいるのです。

 そういえば、『社会運動』424号で特集していた自給ネットワークの活動を思い出しました。地方では生活の危機が目の前に迫っているから、みんなが必死に助け合う。「自治体消滅論」というのがありますが、むしろ消滅しそうな自治体こそ、次の時代の萌芽を先端的に表現している。水道施設を共有するとか、ガソリンスタンドやスーパーマーケットを共有財産にしていくような動きが、あちこちで起きています。危機が迫れば迫るほど人びとは古い価値観を乗り越えていきます。これまでは「勤労国家」の成功経験に引きずられて仕組みを変えられなかったけれど、価値観や秩序は必然的に変わっていくと思います。

◆◆ 社会に蓄える社会的貯蓄モデル

 ただ、すべてが一気に変わるのではない。勤労や倹約の発想がかたちを変えるのだと思います。二つのポイントがあって、一つは、女性も非正規労働者もふくめて、みなが安心して働けて、ワークライフバランスがきちんと取れるように、雇用環境を整えること。もう一つは、私たちは今まで自分で貯蓄してきたわけですが、それを「社会に蓄える」という発想に切り替えていくことです。

 雇用環境の改善は絶えざる努力が必要です。これに加えて、子どもの教育から老後の備えまで、個人で貯金してサービスを市場から買うのではなく、それを社会に貯金して、みんながサービスとして受け取れるような仕組みに変えていこうということです。勤労できなくなっても、所得が落ちても、人間らしい生活が保障される社会にする。政府が、医療や子育て、介護や教育などのサービスを提供すれば、自分が病気になっても、貯金できなくても心配しなくていい。そういう「社会的貯蓄モデル」が求められていると思います。

──そのためには税金が必要ですが、人びとは増税に大きな抵抗感を持っています。一方、生活保護バッシングのように自己責任・自助努力の押し付けが多くの人を苦しめています。

 近世以来の勤労と倹約は自己責任と自助努力を求めます。それで上手くいっている時はよいのですが、現在のように社会が地盤沈下して、人びとの所得が低下し、秩序が大きく揺らいでいる時は、みんなが苦しみ始めるので「困っている人を助けよう」とはなりません。昨年、NHKの貧困状況の女子高生のドキュメント番組に寄せられた苦情は、「自分の生活の方が苦しい」というものです。NHKを見る人は比較的豊かな層だと思う。それでも、貧しい人を見て、むしろ自分の方が大変だと言うのです。

◆◆ 全員に分配すれば格差は必ず小さくなる

 終戦直後のみんなが貧しかった時代や、高度経済成長期で所得が増えていた時に、「困っている人におすそわけしよう」と言うならともかく、20年にわたって所得が落ちてきた状況で、「困っている人のために税金を使おう」と言っても共感されません。でもリベラルや左派はここから抜け出せない。

 貧困の女子高生の番組に苦情を寄せたのは中間層の人たちです。その人たちが、「こんなの貧困じゃない」と怒るのです。正社員と非正社員の格差を是正していかなければいけないと言う時に、非正社員に対して一番文句を言うのは、年収300万~500万円位の中間所得層の正社員。自分たちは「残業代が未払い」「長時間労働」「時間給は非正社員以下」だからです。苦しんでいる中間層から目を背けて、「困っている人たちを助けよう」と言ってしまうことが、今のリベラル・左派の最大の限界だと僕は思います。みんなが困っているのなら、みんなが税の恩恵を受け、みんなで税の痛みを分かち合えるような仕組みを考えていかないと、これからの社会は対立だけが深まるだけでしょう。

 消費税には賛否両論ありますが、税収調達力が大きく、1%上げるだけで2.7~2.8兆円も税収が増えます。それをもし、人びとの暮らしのために使ったら私たちの生活は一変します。その時に人びとは増税の意味を知るのです。今の最大の問題は、税金を払っているのに何の恩恵もないことです。消費税が5%から8%に上がっても何もいいことがない。だから税金を払うのが嫌になってしまう。もし「増税分の1%をみんなのために使う」と言ったら、驚くほどのパワーを持ちます。社会のメンバー全員が必要とする介護や幼稚園・保育園の負担は劇的に下がるでしょう。誰もが受益者になれば、中高所得層が貧困層を批判する理由はなくなります。今必要なのは「税を払ったら楽になった」という「成功体験」なのです。

──日本では共産党から自民党まで、多くの政党は増税反対です。

 保守政党の増税反対はわかります。でも、社民党や共産党も「消費税は逆進性が強く、貧しい人の負担が大きいからダメだ」と言います。まず、租税間の公平性を問題にするのなら、所得税や相続税、法人税の増税と消費税の増税をセットにすればよい。消費増税をやらないのもひとつの考え方ですが、税収は決定的に少なくなります。

 本当は、消費税が逆進的でも、給付面をきちんとやれば全体での格差は小さくできるんです。税と給付の議論をセットにしないのが、いまの左派の問題点だと思います。図1のように年収200万円の人も2,000万円の人(これは600万円でも、1,000万円でもいいです)にも一律に20%(これも何%でもいいです)の課税をして、200万円分の定額給付を行えば格差は必ず縮小します。貧しい人に税をかけても、金持ちに分配しても、格差は小さくなるのです。「貧しい人に税をかけちゃいけない」「金持ちに分配しちゃいけない」という気持ちはわかる。でも、貧しくなりつつある日本人の大多数は、これに反発する。僕は格差を小さくしたい。左派政党だって気持ちは同じでしょう。この「奪う・与える」というイデオロギーは乗り越えられるべきだと思います。

画像の説明
  図1 必要原理を税と給付に適用する

◆◆ 成長を前提にしない、脱成長でもない

 アベノミクスを「経済成長の効果がない」と批判すると、ブーメランのように自分に返ってきます。むしろ褒めたほうがいい。あれだけ壮大な、空前かつ絶後の経済政策をやっても経済成長がむずかしいことを証明してくれた。円安になっても成長しなかった。これ以上、成長に依存する社会は無理です。

 一方で、「脱成長」もナンセンスです。「勤労して貯蓄しないと将来が不安」という人たちに「田園回帰」「自然との共生」なんて言っても不安は解消されません。「田舎でのんびり穏やかに生きていく」と言えるのは金持ちだけです。

 「脱成長」では答えにならない。だから、成長を前提にしないけれども脱成長でもない、「脱成長依存」を考えたいのです。

 これからは、GDPに反映されないものが増えていくという視点は大事です。以前は音楽を聞くためにCDを買っていましたが、今は You Tube で音楽が聞けます。アルバムじゃなく、必要な曲だけ買えば済みます。GDPは全く増えないけれど、聞きたい音楽は聞ける。従来のタクシーの料金の方が高いから Uber(スマホアプリを使ったタクシー配車サービス)もGDP的には明らかにマイナスです。しかし同じ目的は実現できます。オランダではインターネットを使ったものの貸し借りが始まっています。私たちの暮らしは維持されているけれど、経済成長はしない。GDPは増えないが、私たちの暮らしが悪くなるわけではないという時代に変わっていくでしょう。

◆◆ ニーズのために助け合う

 見せびらかしの消費、いわゆる「顕示的消費」は、小さくなっていくでしょう。しかし、生存・生活のニーズは削れません。人間はニーズを満たすために助けあって生きてきました。縄文時代の人は生存するために助け合いました。それは、平均寿命30歳という過酷な自然環境の中で生きるためであって、正義のためではありません。資本主義社会は、コミュニティや家族が満たしてきたさまざまなニーズを、稼いだお金で物を買って満たす社会です。ニーズの満たし方が変わっただけでニーズ自体は変わりません。ニーズを満たすということは人類の歴史を貫いています。

 ただ資本主義が巧みなのは、そこに顕示的消費が入り込んできたことです。だから生きるためのニーズを満たすことに加えて、見せびらかすためのお金が必要になる。企業はこの顕示的消費を刺激し、我々はそこに刺激されてどんどん物を買うからGDPが増えたのです。でも、貧しくなると絶対に必要なものは削れないから、人びとは顕示的消費から削ります。例えば5万円の上着を着ていた人が2,000円のものを着る。5万円が2,000円になればGDPも大きく減りますが、「服を着ている」という意味では何も変わりません。

 GDPが下がる時代とは、顕示的消費をみんながあきらめていく時代です。そこで大事なのは、ニーズを満たす部分をどう確保するかに尽きます。それを確保できたら人間らしく生きていけるのです。今までは成長を前提に貯蓄をして自分で満たしてきたけれど、それはもう無理だから、お金持ちも貧しい人もみんなで社会的に貯金をしましょうと。そうすれば、暮らしていくためのニーズはきちんと満たされる。その条件の下で可能な経済成長をすればいいのです。

──今ではほとんどが顕示的消費です。「経済」の捉え方を変える必要があります。

 僕の大好きなカール・ポランニーという経済人類学者は、経済とは人間の物的な欲求を満たすことだと言います。僕たちはお金で物を買うことが物的な欲求を満たすことと考えがちですが、みんなで稲刈りや田植えをすることも、「米を収穫する」という人間の欲求を満たしています。貧しい人にお金をあげれば、その人の物的欲求を満たすことになります。共同作業を互酬、困っている人を助けることを再分配と言いますが、どちらも立派な経済行為です。経済は交換だけではないのです。

 互酬と再分配はコミュニティが行い、交換の部分が自立して市場経済が生まれました。そして互酬と再分配を財政が引き取り、警察や消防、初等教育などコミュニティで行っていたことを自治体で行うようになりました。でもこれからは、過疎地域のように、税だけで何でもかんでもはできません。結局、「お互いに助け合おう」となるでしょう。

 顕示的消費が社会を覆い尽くした時代は人類史上、この2世紀少しの話です。200年なんて、人類の歴史で言えば瞬きみたいなもので、やはり本質的なニーズを満たすことが一番です。ですからもっと互酬や再分配で助け合い、その中でコミュニティーが維持されていくような時代になっていくのではないでしょうか。

──井手さんはポランニーの説明で「互酬と再分配が新しい関係を作る」と話されていましたが、そのことですね。

◆◆ 中低所得層が連帯し分断線をなくす

 これから議論すべきなのは、ただ「連帯しよう」ではなく、「どことどこがどのように連帯するのか」を具体的に語っていくことです。だから私が「みんなに給付しよう」と言う前提は、「中低所得層が連帯できるようにしたい」ということです。そうしないとブレグジットやトランプの当選を見ても分かりますが、中高所得層が連帯するのです。トランプを支持したのは、最初は貧しい人たちだと言われていましたが、むしろ中間層より所得が上の人たちです。中高所得層ではなく、中低所得層が連帯し、金持ちも切り捨てずに取り込んでいくような連帯にしていかないといけない。

 トランプもブレグジットもはっきりしているのは、「中の下」の反乱だということです。ニューヨークタイムズ紙の米国大統領選挙のデータでは、年収3万~5万ドル位の「中の下」から「中の中」にかけての人たちのクリントンの支持率は51%でした。オバマは57%だったので、この6%はすごく大きかったと思います。「中の下」の人たちは、結局クリントンを支持しませんでした。「中の下」の人たちの動向が結果を左右したのです。

 「中の下」の人たちには、低所得層への転落の恐怖を煽るのが一番効果的です。「あなたたちの負担が多いのはあいつらのせい」などと言って煽る側につけてしまうわけです。驚いたのは、トランプはヒスパニック系の支持率が意外に多かったことです。それは「これ以上移民が増えると自分たちの仕事がなくなる」と思わせたからです。そういう「分断線」を巧みに入れて、「中の下」から「下」への転落の恐怖を煽ることで、ブレグジットも起き、トランプも勝ちました。このままだと日本もそうなります。

──すでに日本でも、生活保護バッシングのように分断線が入っています。

 いまだに日本人は国民の9割が中流だと答えます。そして、国際比較統計では38カ国中、中の下と答える人の割合が一番多かったのが日本です。この人たちがどこにつくかは決定的です。大事なことは、彼らは金持ち優遇の政策と、貧困層への救済政策のちょうど間にいるということです。しかし現実は、日本で平均所得以下の人は6割なのに、その人たちは金持ち側についてしまうのです。これには左派・リベラルの責任も大きい。「弱者救済」「格差是正」と言ってきたことが、むしろ彼らを富裕層側に追いやったのですから。

 私が「みんなに配ろう」というのは、「みんながもらえる」ことが分断線をなくすからです。それは中低所得層が連帯することを意味します。そのモデルを考えたいのです。

 「最低限の暮らし」とか「最低限の保障」と言いますが、「何が最低限か」というのは主観です。だから、ずるずると基準が下げられていくのです。それは生活保護も、最低賃金も同じです。本質的な問題は「最低限」という分断線を引くことです。

 私はみんなが安心して生活できるような財政に変えたいと思っています。そうすればわざわざ地方から東京に来なくてもよくなります。みんなが東京に来る理由は、所得を増やしたいからです。しかし東京では、所得は少し増えるけれど経費が非常にかかります。東京で子どもを私立の中学・高校・大学へ行かせようとしたら、年収800万円でも困難です。たった一人の子どもでも難しいから一人しか産めない。土地が高いから住居費も高い。それなのに将来の不安に対して所得を増やせると思うから東京に来る。

 しかし先ほどの「社会的貯蓄モデル」なら、政府が生きるためのニーズは満たすのだからどこに住んでいても安心して生きていけます。わざわざ東京なんかに来なくていい。都会が好きな人も福岡や大阪でいいじゃないですか。「将来の安心はちゃんと保障する、どこにいても安心なんだ」と政治が言えるようにならないといけないと思います。

◆◆ 先の先の世代のための選択肢をつくる

──最後に、若い人に向けてのメッセージをお願いします。

 僕にはまだ小さい子どもが3人いますが、「貯金ができないと将来が不安」という時代は、この子たちが生きていく価値のある社会なのかとすごく考えてしまいます。誰が無駄遣いしているかとか、誰が不正受給しているかとか、そんなことを暴き立てて叩くのが今の社会です。公共事業、特殊法人、公務員人件費、議員定数、生活保護、医療費、復興予算など、もう袋叩きだらけの20年です。

 このような社会をつくってきた一人の大人としての僕の後悔は、もっと前にちゃんと変えておくべきだったということです。ここまで社会の状況が悪化しているので、東京オリンピックの後は本当に厳しい時代になっていると思います。だからオリンピックまでに新しい社会の姿を示したいけれど、それでも遅い。90年代、遅くとも2000年代にやっておくべきでした。

 僕が反省の念と共に強く感じることは、未来を良くしたいのなら今を変えないといけないということです。今この瞬間に何をどうしたいのかを考えて、行動に移さないといけない。それを大人たちはサボってきた。僕たち大人が次世代の人たちとつながることが一番理想ですが、もう遅いのですから、少なくとも次の世代の人たちがその次の人たちとつながっていくための種まきを、僕たちはしなくてはいけないと思っています。

 僕は若い人たちに選択肢が「つくれる」ことを示したい。民主主義は選択する制度なのだけれど、人がつくってきたものを選ぶだけではもう無理なんです。選択肢を自分たちでつくっていかないといけない。どのような社会にしたいのか、そのために今、何を変えるべきなのかを考えてほしい。自分のまわりのささやかなことでもいい。そして、様々な可能性を一つひとつ具体的な形、言葉にして示すことです。それができた時、今の若い人たちが、その次の世代の子どもたちと手を取り合って、より良い社会を選び取っていけるようになる。絶望のなかに希望を見出す力、それが人間の最大の才能だと思います。

◆◆ 消費税の行方を監視する

 僕の専門の議論の中で、一つだけ若い人たちに注意してほしいのは、消費税が8%から10%に上がるかもしれない時に、その使い道がどうなっているのかをちゃんと見てほしいということです。消費税を上げられなかった場合、その後しばらくは増税できません。そうすると僕が言ったような「社会的貯蓄モデル」によって痛みや喜びを分かち合うような社会はしばらくやってきません。

 消費税が10%に上がった場合、今は増税分の1%は借金の返済、1%が貧困対策に使われることになっていて、ほとんどの人には何の利益もありません。そうするとまた人びとは租税抵抗を大きくし、増税が難しくなる。まずこの2%が何に使われるかをちゃんと見て、そして、多くの人びとや自分たちの将来がかかったこの選択が、貧困対策と借金返済という組み合わせで本当にいいのかを考えてほしいのです。もしこの借金返済分の1%を私たちの生活のために使うことができれば、日本人の税に対する意識は一変します。税に対する抵抗がやわらぐことで次の増税を可能にし、一部を私たちの暮らし、一部を財政再建に回すことで財政状況もよくなり、私たちの暮らしも少しずつ安定していく。この第一歩が次の消費税10%増税だと思います。

 もっとも大事なことは、歴史の加害者になってはならないということです。今やるべきことは今やらないといけない。この生きづらい時代を子どもたちに残すのは簡単なこと。それはただ傍観すればよいのです。こうして歴史の加害者があっさりと生みだされるのです。より良い時代を目指して思考し、開拓者になるのか、衰退と没落の歴史を刻む歴史の加害者になるのか。今の若い人たちが社会を構想できなければ、選択肢をつくれなければ、次の世代の子どもたちは必ず不幸になる。被害者は簡単に加害者に変わる。僕は加害者になりたくない。だから一生懸命あるべき社会を考えていきたいと思います。若い人も僕と同じ気持ちであってほしい、そう心の底から願っています。
 (構成・社会運動編集部)

<参考図書>
『財政から読みとく日本社会─君たちの未来のために』井手 英策/著 岩波ジュニア新書(2017年)
『分断社会を終わらせる─「だれもが受益者」という財政戦略』井手 英策、古市 将人、宮﨑 雅人/著 筑摩選書(2016年)

<プロフィール>
井手 英策 Eisaku IDE
慶応義塾大学教授。専門は財政社会学。主な著書に『経済の時代の終焉』(大佛次郎論壇賞受賞)(岩波書店2015)、『18歳からの格差論』(東洋経済新報社2016)、『分断社会を終わらせる』(筑摩選書2016)、『財政から読みとく日本社会』(岩波ジュニア新書2017)。

※この記事は季刊社会運動426号(2017年4月号)から著者の許諾を得て転載したものですが文責はオルタ編集部にあります。(http://www.cpri.jp/

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