【沖縄・砂川・三里塚通信】

社共新左翼去ってなお三里塚闘争を闘い続ける男 加瀬勉①

仲井 富

◆三里塚闘争の生き証人 『加瀬勉 闘いに生きる』上下巻発行

 世の中には敵わないなという人物が数少ないが存在する。戦後1955年の砂川基地反対闘争・沖縄の反基地闘争、そして1970年代の住民運動のなかで特筆大書される三里塚空港反対闘争がある。私は1955年以降、全国の基地闘争、反公害闘争の現場を北海道から沖縄まで歩いて、多くの活動家に接した。そのなかで最後は一匹オオカミになっても、初志を曲げないで死ぬまで戦い続ける人士がいることを知った。砂川の青木市五郎、宮岡政雄さんらはその典型である。私のような志の低い安きに流れる人間にとっては驚異だった。彼らの生き様を突きつけられるとぐうの音も出ない。その人士の一人が1963年以降、半世紀を経ていまなお三里塚空港反対闘争を続ける加瀬勉さんだ。

 加瀬勉さんは、千葉県の社会党県本部の専従書記だった。1966年6月22日、佐藤内閣は突如空港建設の位置を三里塚に決定した。この三里塚空港反対闘争の現地オルグとして派遣されて三里塚現地闘争を闘い、その後は郷里多古町牛尾地区で、一町五反の水田を耕し、84歳の今もなお現役の農業者だ。1911年からの成田空港円卓会議で政府・公団が謝罪し、さらに1995年、自社さ連立政権の村山首相が正式に謝罪したことで三里塚空港問題の決着が図られた。この段階で三里塚空港反対闘争は終わったと私は思っていた。

 2006年、なぜかもう一度住民運動の現場にいた仲間に会いたくなった。1980年に『月刊総評』に「わが戦後史と住民運動」というテーマで砂川、沖縄、北海道まで足を伸ばして、各地の住民運動のリーダー12人を訪ねた。それ以来20数年後の2006年のことである。
 足尾鉱毒事件のその後を含めて『月刊むすぶ』に「住民運動再訪 ひと・ことば」と題して、2007年1月から13回の連載記事を書いた。その一つとして2006年12月に加瀬勉さんが住む千葉県多古町を訪ねた。そして終わったと思っていた三里塚闘争が終わっていないことに気づかされた。それから住民運動誌『月刊むすぶ』に2013年から連続して2年半にわたって「加瀬勉が語る人生」を連載した。その加瀬勉さんから昨年暮れに手紙が来た。

 仲井大兄
 気力十分「こんな世の中を残して死んでたまるか」お互いに 健在でなにより。年明けて新年には『加瀬勉 戦いに生きる』800頁、6,000円の本が出版される。こんな高価な本を日本の大衆は読まない。俺のことなどどうでもよい。大衆のなかへ、大衆のなかへ。 大衆路線を堅持して自民党独裁を倒さなくてはならない。社会党が消えて、共産党が三里塚から逃げて、新左翼は雲散霧消、立憲、民進党は無能力市民権無し。55年命を懸けて闘ってきてこのありさま。虚しさを克服して奮いたつ毎日である。「一日一生」わが命尽きるまで、前へ。 加瀬勉

 加瀬さんは新たな三里塚空港拡張計画に反対する闘争のリーダーでもある。その彼が今年3月『加瀬勉 闘いに生きる―わが人生は三里塚農民と共にあり』(柘植書房新社/刊)を出版した。

◆農魂不滅の三里塚闘争の記録 人を殺してでも空港をつくる自民党

 加瀬さんは冒頭の「出版にあたって」の中で要旨以下のように述べている。
 ――ともに闘った三里塚農民、全国の友人、同志たちの一人ひとりの顔が私の魂に焼きついている。私には深い戸惑いがあった。拙文が三里塚闘争の前進のために少しは役立ち貢献できるであるか。私の思想の未熟さから立身、出世、野心、吹聴の権力史観、観点の闘争を利用し食い物にするそんな出版物になるのではないかと恐れた。そんな出版物を私は沢山読み、見て来たからである。討論の素材になればと出版のご厚意に甘えることにした。「三里塚空港機能拡大・700ヘクタール用地拡大・新滑走路建設・50万回増便」の国家権力の新たな攻撃に対して、50年・100年闘争に決意新たに出発するときに、私の拙文が少しでも役に立てばと思っている――

 本書は、三里塚闘争の記録だけでなく、加瀬勉の歩んできた84年の人生の総まとめの記録であり、三里塚の歴史書でもある。本書上巻に「八ッ場ダム反対闘争(その二)」という短文がある。そのなかで彼は要旨以下のように述べている。

 ――村山自社さ政権も、民主党政権もダムを中止させることが出来たはずだがやらなかった。自民党は工事継続である。空港建設反対闘争と重ね併せてみると、社会党の無気力さ、民主党の無能さを痛感した。自民党に対しては凄さ、無慈悲さを痛感した。自民党は権力の持つ非情さを知っている。人を殺してでも空港を作るぞ、この非情さを知っている政党である。――

◆権力の総攻撃は行政権力、機動隊だけでない 銀行と家族の勤務先へ利権の餌

 同じく上巻第3部に「権力の総攻撃」という要旨以下のような一文がある。

 ――政府、行政権力、空港公団、機動隊、測量隊、代執行作業隊ばかりが攻撃をかけてくるのではない。千葉銀、成田信金や京葉銀行、三井、三菱等地元、大手銀行が3人か5人一組になって「補償金が入ったら私の銀行をつかってください」と勧誘活動を展開する。抗議して銀行マンの書類を奪い取った。毎日訪問して勧誘したときの記録が克明に記載されていた。見事なオルグ活動というほかない。家族及び親族の人間関係も克明に調べ上げてあった。親族一同に相続権があるから補償金が入ったらわが銀行へである。娘が東京の会社に勤務していた。その上司が休暇をやるから生家に帰って父親に土地を売れと言って来いと言われた。土地を売らないと私は会社を首になると泣いていた――

 加瀬勉本人にも、利権をちらつかせての土地家屋を売れと言う攻撃が来る。

 ――芝山鉄道建設のために私の所有する木の根字拓美(ペンション)を売ってくれと相川勝重町長が来た。菱田をよくする会の大木敏男が来た。石井新二が来た。町会議員になった出山克正が芝山鉄道社長を連れて突然やって来た。私に対する攻撃は「芝山鉄道用地部嘱託特別社員、課長級待遇、事務室、秘書、運転手付」の役を特別に与えるという。土地代金、課長としての高い給料が入る、用地部だが仕事はやらなくてよい、退職金は出る。老後の人生は幸せではないかというもの。三里塚空港の建設は大手建設資本の合同企業で進められている。木の根の土地を我が会社に売ってくれれば「出勤しない社員待遇、家にいて好きなことをしていればよい。また空港反対活動をしていてもよい。木の根の土地を取得すればそれを種にビルディングや滑走路の入札権を獲得しますから、加瀬さんに支払う給料はなんでもない」こんな事を言ってくるのである。生死を賭け共に戦った青年行動隊員が権力の手先になって私に攻撃を仕掛けてくる――

 三里塚闘争開始以来52年、沖縄復帰は1972年だから以降43年。いずれも岸兄弟の弟佐藤栄作総理の時代だ。そして今日、岸兄弟の3代目の安倍晋三総理が、辺野古移設のために沖縄の民意無視の国家権力を使っての攻撃をかけている。まさに沖縄で強行されていると同じ攻撃が三里塚でも日常的に行われているのだ。加瀬さんは上巻の表紙を飾った写真についての感懐を一編の詩に寄せている。

 三里塚は反乱の国  加瀬勉
  三里塚は叛乱の国 痩地の北総の大地 いのちを打ち込むこと幾千年
  百姓が怒る 歴史が怒る 
  燃えたぎる三里塚は 叛乱の国 鎖のまま 鎖に繋がれたまま 突き叫ぶ
  燃えたぎる三里塚は 叛乱の国 弾けるよ 戦いの魂がはじけ飛ぶ
  暗黒の闇切り裂いて 燃えたぎる三里塚は 叛乱の国

◆以下に上下巻942ページの項目を紹介する。

『加瀬勉 闘いに生きる 上巻』471ページ 柘植書房新社/刊 定価3,200円
  第1部  怒り心頭に発す
  第2部  反対同盟の人々  空港建設反対に立ち上がった女たち 強制執行を受けたよね婆さん
  第3部  闘いのなかで  三里塚砦の子供たち 農民にとって一番困ること
  第4部  三里塚闘争、運動と理論  八ッ場ダム反対闘争 我が人生の恩師加瀬完先生

『加瀬勉 闘いに生きる 下巻』471ページ 定価3,200円
  第5部  反対同盟の国際交流  反対同盟中国を征く ラルザック軍事基地拡張反対闘争から学ぶ
  第6部  加瀬勉とは何ものか  農地改革と未墾地の解放 窪島誠一郎の母、加瀬えきの生涯
  第7部  闘争の中で学んで来たこと  三里塚の証言 悪魔の731石井部隊 佐倉宗吾論
  第8部  小作人・百姓口伝  農民の詩 小作人口伝 山が哭く

画像の説明

 (オルタ編集委員 公害問題研究会代表)

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<資料:三里塚空港反対闘争 最近の動向>
  三里塚芝山連合空港反対同盟大地共有委員会

◆◆ 一般社団法人三里塚大地共有運動の会 設立報告集会
 〇日時:12月2日(日)午後1時30分開場・午後2時開始
 〇会場:東京・文京区民センター2A(春日駅・後楽園駅)
 〇資料代:500円

●設立報告集会
 ・三里塚大地共有運動の会から 山口幸夫さん(法人代表理事)
 ・新たな共有運動の呼びかけ  加瀬勉さん(三里塚大地共有委員会)
                柳川秀夫さん(三里塚芝山連合空港反対同盟)
 ・設立報告          三里塚大地共有運動の会
 ・三里塚現地報告       山崎宏さん
 ・共有地活動紹介       大森武徳さん
 ・連帯発言          元管制塔被告団、関西ほか(予定)
 主催:一般社団法人三里塚大地共有運動の会
 共催:三里塚芝山連合空港反対同盟(柳川秀夫代表世話人)
   三里塚空港に反対する連絡会
 連絡先:東京都渋谷区初台1-50-4-103 TEL)03-3372-9408 FAX)03-3372-9402

●三里塚空港反対闘争 一坪共有地社団法人化全国運動参加への協力要請
   三里塚大地共有委員会代表 加瀬勉
 国家権力と航空資本の国際空港建設の暴政に抗すること5O年。
 生死を賭けた半世紀にわたる闘争は過酷にして栄光に満ちた戦いの連続であった。国家権力と空港資本の国際空港建設計画の野望は面積にして3000へクタールであったが1050ヘクタールに縮小させる成果を我々は勝ち取ることができた。
 空港建設阻止闘争は様々な独創的な戦いの形態を作り出していった。その中で一坪土地共有化運動は三里塚空港建設に反対する農民と全国の支援する人々との運命共同体の団結形態を創り出し三里塚闘争の発展に大きく貢献してきた。
 国家権力と空港資本は一坪共有地は所有者の承諾がなくても金銭買収できるとの最高裁判例を盾に共有地の強奪を行ってきた。三里塚空港反対同盟はこの無謀な攻撃に抗して一坪共有地法人設立の方針を決断した。
 時恰も自民党総裁選が行われ、新たに安倍三次内閣が発足した。安倍はA級戦犯岸信介、三里塚に空港建設を決定した佐藤栄作の親族であり、安倍は日本政治の極右の流れを代表する最も危険な政治家である。一強独裁・平和憲法改悪を第一の政策課題に掲げる反動内閣である。三里塚においては新たに空港機能拡大の野望を打ち出し着工せんとしている。三里塚空港反対同盟は決意を新たに一坪共有地法人化全国運動の決断をここに下した。三里塚闘争と日本の平和民主主義発展のために一坪共有地社団法人化全国運動にご協力を切にお願いしたい。
   2018年10月28日

●一坪共有地社団法人化に向けて
   三里塚芝山連合空港反対同盟代表世話人 柳川秀夫
 一坪共有運動は1966年8月に始まりました。
 周知のように農民の意見は重んじられる事なく空港建設は決定され、国の力の行使のみによる空港作りが進められました。
 反対同盟はそのような国の対応に実力をもって阻止することを決定しました。一坪共有運動もその一環でした。
 運動を進めるに当たり、空港問題が解決したら、元の地主に返すという事が決め事でもありました。再共有化の現在も同様です。
 共有地は空港公団の用地の取得を困難にする事はもとより、幾度も大きな闘いの場となり、犠牲を出しながら国家権力の横暴を広く世の中に曝け出し闘いへの共感を得る役割も担ってきました。
 そのような積み重ねの下、二期工事強制収用を目前にし、強行開港への闘いの成果もあった後、国との盛大なやり取りが公の場で行われ、建設決定と強行の非を国が認め、強制収用はなくなりました。
 しかし、強制手投は放棄したのではなく、裁判所が強制収奪を行う新手を行使してきました。滑走路の増設や未買収の東峰部落等の計画も変える事なく続いており、共有地の役割は続いています。
 さらに今日に至っては空港拡張にも見られるように飽くなき発展の追求は深刻な人類の生存を脅かす状況に至っており、共有地の存在は本来の役目以上に広義なものになっています。
 反対同盟は共有地に責任を持つ義務があります。即ち空港問題を実質的に解決し、そして元の地主に土地を返すということです。
 53年になる年月は相続の発生等、共有地の分散を考慮いたさねばならないことが多くなります。その解決策として社団法人化を進めることになりました。
 ご協力をお願いいたします。
   2018年10月28日

◆◆ 緊急声明 成田空港機能拡大工事着工に反対する声明 2018年9月1日
   加瀬勉(三里塚芝山連合空港反対同盟大地共有委員会(2)代表)

 成田国際空港会社は2500m滑走路を北側に1000m延長するための地盤調査のボーリング工事を開始した。また、夜間空港飛行制限を六時から深夜一二時まで延長、深夜の飛行便数制限の撤回のため新たなる防音工事の受付を10月1日より開始することを明らかにした。空港機能拡大の工事着工を直ちに中止せよ!

 空港機能拡大計画説明会を住民との協議合意の場と利用し、一方的に計画を住民に強制し、四者協の合意を住民との合意と曲解し、今度の着工となった。説明会は説明会であり住民との合意ではない。四者協の合意は住民の合意ではない。住民無視、農地強奪、自然破壊、騒音地獄の発生と住民無視の生存権を脅かす空港機能拡大、工事着工計画を直ちに中止せよ。

 われわれはあらゆる手段をもって抗議行動を展開する。沖縄の辺野古の基地拡張計画、福島の原発汚染水を海に放流するための説明会、三里塚の空港機能拡大のための強行着工。政府と資本の強権政治に対し自らの生活を守るために連帯して闘うことを表明するものである。

◆◆ 報告:7.8三里塚―東峰現地行動

画像の説明

 7月8日、三里塚空港に反対する連絡会は、旧東峰共同出荷場跡に結集し、「飛行制限時間緩和を許さない! 成田空港「第三滑走路」計画を撤回せよ! 反原発―再稼働やめろ! 沖縄・辺野古の新基地建設反対! TPP反対!」を掲げ、東峰現地行動を行い、55人が参加した。

 安倍政権の憲法改悪・グローバル派兵国家建設と連動して、国と成田国際空港会社は、3月13日、千葉県と空港周辺九市町で四者協議会を開き、2020年東京五輪・パラリンピックでの旅客の増大を口実にした飛行時間の延長(現行午前6時~午後11時までを午前5時から翌日午前1時まで)、平行(B)滑走路の北側延伸、2030年度までの第三滑走路建設を強行することで合意した。
 自治体など推進派は、住民の反対を無視し、交付金の増額・地域振興策と引き換えに空港会社の見直し案を受け入れ「早急に地域振興策を」と、前のめりになってきた。住民の生活を破壊してでも一部の利害関係者の利益を追い求めるという姿勢で一貫している。

 しかし、各地区説明会では、移転対象となる住民、新たに騒音地域となる住民、騒音がさらに増大する騒音地域住民からは厳しい批判の声が上がり、断固反対が次々と表明された。
 横芝光町の騒音被害を受ける住民は「騒音だけが増えてメリットは何もない」と反対を表明。芝山町の南部の住民も「なし崩し的に合意した」と四者協議会の合意を批判し、飛行時間の延長を中止することを森田県知事に求めた。成田市の空港予定地内に住む東峰地区住民も、住民を無視した一方的な決定を批判し、生活を破壊する空港機能強化に反対する声明を出している。

 空港会社の夏目誠社長は、「機能強化に向けて手続きを着実に進める。地権者の同意を頂くことが早急に必要になっている」と称して用地業務推進室を設置し、土地の取得などを担当する用地部の職員を増員(80人)に増やした。すでに用地買収同意書をばらまき用地買収に着手した。つまり、空港会社の「親切、丁寧に」のスローガンとは真逆の態度で居直り続け、住民の人権・環境破壊、過密運航等空港公害の拡大に突き進んでいる。このような推進派のねらいを許さず、闘う農民、住民と連帯し、木の根ペンションとプール、横堀大鉄塔と案山子亭、横堀研修センターなどの闘争拠点を打ち固め、スクラムを強化していこう。

 集会は、山崎宏さん(労闘―労活評議会/横堀地区)のアピールから始まり、「説明会で石井紀子さんが空港会社になにをもって合意がなされたのかと問いただしたら、空港会社の担当者は答えられなかった。ここに象徴されるように住民の話を聞く姿勢はない。形式的に説明会を行い、自治体首長が合意したというものだ。一方的な計画の押し付け、あらゆる権力を使って圧力かけ、大金をばらまきながら押し進めるというやり方は空港建設当初から今回の事態まで本質的には何ら変わるものではない。私たちは空港会社など推進派を許さず、第3滑走路建設反対!東京五輪を利用した飛行時間制限緩和に反対していこう」と訴えた。

 石井紀子さん(川上地区)は、強風続きの天候を語りながら、「オウム真理教の7人が死刑執行された。国家による大量虐殺だ。大量虐殺を行ったから同じようなことをするのか」と批判した。さらに、「今日は敬愛するじいちゃん(石井武さん)の命日だ。じいちゃんの思い出を語りたい。私が嫁に来たころ、もっぱら反対同盟の全国行脚をやっていた。援農や来客も多かった。じいちゃんは色々と喋っていた。内容もおもしろかった。ばあちゃんは飯がないのになと嘆いていたときもあった。小泉政権の時、公開討論をやって、絶対に負けないぞと言っていた。実現はしませんでしたが、本気だった。どこに出ても誰にも負けない正義と主張があると自信を持っていた。晩年は病気との闘いで苦労していたが、最後は苦しくむこともなく逝った。じいちゃんは東峰の墓地に分骨し眠っています。息子の恒司さんは墓地を売ってしまった。本当にショックだったが、今も墓地にじいちゃんがここにいてくれることが一番の支えだ。皆さん、時間があったらお墓参りしてください。喜ぶと思います」と発言した。

 平野靖識さん(らっきょう工場・東峰地区)は、「4月4日東峰火災についてのご報告とおわび」の文書を配布し、経過を報告し、「樋ケさんの家も、三里塚物産の冷蔵庫も同地での再建は果たせませんでした。東峰六三番地の一坪共有運動に力を与えていたに違いないと思うとき、これらを共に失火により消滅させてしまった不始末の責任の重さを感じずにいられません。一坪共有者の皆さんと、日々三里塚闘争を闘われている皆さん、また三里塚闘争に心を寄せている皆さんに心より深くおわび申し上げます」と発言。
 さらに「三月に四者協が行われ合意したとぶち上げた。4月5日に、もう四者協で合意しちゃっていたのに東峰地区の説明会を行った。東峰の人たちは、岩沢という空港会社の共生部長が第一回目の説明会の時、『空港機能強化のご説明は、期限はない。繰り返し双方向、対話型の性格です』と言っていた。四月の説明会では、どういうことなのかと問いただした。ところが岩沢部長は参加しなかった。住民がコケにされている。闘いはこれからだ」と糾弾した。

 集会後、開拓道路に向けてデモに移った。B滑走路に向けて「第三滑走路建設をやめろ!飛行制限緩和を許さない!」のシュプレヒコールを行った。デモ終了後、第三滑走路計画の現地調査に入った。山崎さんのガイドで参加者は、成田空港周辺地図を見ながら各ポイントをチェックしていった。明らかに計画の杜撰であること、住民無視の環境破壊に満ちていること、ゼネコンなど空港利権を膨らませる建設であることを確認した。(Y)

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