■ 社民党はなぜ党首選挙をすべきだったのか。社民党政策審議会長 阿部知子

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編集部 今回の社民党党首選で阿部さんたちは、なぜ党首候補を立てようとされ
たのでしょうか。報道ではなかなか伝わらない社民党の党内事情や阿部さんの苦
悩された点などをお聞かせください。

阿部 最近はメディアに扱われることや、注目を浴びることが少なくなった社民
党の党首選について、聞いて下さることは有難いです。私は2000年に衆議院
議員になりましたが当時は土井たか子党首でした。土井さんはすごく政治家とし
て経験もあるし、人気も根強いものがありました。土井さんは、社会党から社民
党になった96年に党首になったのです。

 大きな社会党が社民党と名を変え、土井さんが当初標榜していた「市民との
絆」という言いかたは、実際的には辻元清美(現民主党会派所属衆議院議員)さ
んとか、保坂展人(現世田谷区長)さんとか、中川智子(現宝塚市長)さんとい
う、市民活動をしている人たちを国会に送り込む結果を生みました。

 私は、2000年に当選した当時から、これを党に定着させ、いろんな人を党
に寄せるためには、ぜひ党首選をしたらいいとに思ったのです。ところが「党首
選をやった方がいいよね」と私が素朴に言っても党内では土井さんの圧倒的な知
名度とか、余人をおいてなしとするような声とかで、それが土井さんに対する批
判や不満であるかのように受け止められないかと皆が萎縮していました。

 私はすごく不思議だったのです。あの当時、その他の政党はみんな既政政党的
なイメージが強かったですから、党として標榜する「市民との絆」とか、「開か
れた党」とか、ここでイメージアップすれば、いろいろな受け皿になれる筈だと
いう思いがあり、プロパガンダの場のひとつが党首選だと思っていました。

 私が初当選の頃、土井党首もおられたのですが、例えば市民派辻元氏とか福島
さんが起つとか。でいいのですが、党首選を党としての有権者への大きな働きか
けのチャンスにしたかった。しかし、実際には国会議員や地方の県連という段階
になると、そんなことしたら分裂しないか、勢力が削がれるんじゃないか的な反
応がすごく強く、びっくりしましたね。

 でも、びっくりしても私はやろうと思った事はやるので、例えば辻元さんを党
首にどうだろうとか、いろいろ仲間と語ったりしました。まあ新人だったから
皆、そういう事もそうだねというふうには少しずつなりましたが、実際の段にな
ると、対立候補を立てるなんてとんでもないということになり、1回目の党首選
がなくなりました。多分、2001年の党首選挙だったと思います。

 そして、2003年にあの拉致事件をきっかけに、社民党が裏切りの党とか、
嘘つきの党とか、拉致した党とかひどい言いかたをされて、一挙に衆議院が19
人から6人に減ります。それ以前も実は、村山さんが首相になられて――小選挙
区に賛成し自衛隊は合憲だって言った時からの方針転換をめぐって、国民の中に
裏切りというか、変えたなというのが底流で流れていた。

 そこにまた拉致事件というダブルパンチで、6人になってしまい私も得票が前
回選挙の2/3くらいになったが何とか生き残った。その時、土井さんは引退す
る決意された。私はそうであれば党首選やるのかなと思っていたら、まあ禅譲と
いうか――意中は辻元さんだったのだろうけど、辻元さんの所属する大阪府連が
今受けるべきでないということになり――福島さんが党首になるわけです。

 当時、福島さんは幹事長でしたが普通だったら負けた選挙の責任を誰かが取る
筈です。その時の幹事長が党首に上がるというのも変だなと思いました。例えば
企業で何か問題がおきれば結果責任というものがある。私は医療現場にいて、病
院の採算や、運営がうまくいかなければ、個人の責任云々ではなく、変わって組
み立てるという、普通の社会に生きてきた。

 社民党では誰も責任をとらず、土井さんが辞められたという事で、なんか禅譲
とか後継者指名みたいに福島さんが幹事長から上がるというのは、個人の資質と
かではなく、党のあり方としてどうかと2003年来思っていた。
  私は福島党首のもとで政策審議会長になったのですが――たまたま大脇さん
(当時政審会長)が離党されたので――常任幹事会などでもそういうことをしばし
ば口にしていました。私は政党と政策のあり方について疑問があったのです。

 そういう発言をしていましたたが、党首選が行われる気配もなく、2006年
に社民党の党則改正があり、党規約が作られました。この時も私は、規約改正の
なかで、非常に違うと思う部分があり反対しました。

 96年の社民党党則の前文では、「私たちの社会民主主義は、社民主義、リベ
ラル勢力など様々な人々が参加し、共同の力で人々の幸福の実現に努める開かれ
た勤労者、市民の政党である」、「私たちは何よりも人間の精神の自由を尊重し、
個人の自立と連帯公平と公正を求める人々に相応しい政権をめざす」とあったの
だけれども、2006年の1月の党則改正でここが削除されるのです。

 そして、非常にイデオロギッシュっというか、社民主義が何かとかいうことで
なくて、要するに前衛党的な書きぶりになっていくのです。ここでもうすでに9
6年に生まれたはずの、土井さんに体現される「市民との絆」とか多様性、はっ
きり言えば統一戦線というものを模索する政党から、より小さくなったことで純
化を目指す。社民主義とは多様性といってもいいと思うのだが、そうではなくな
った。

 外交戦略、雇用労働政策など、いろいろなことで、「べき論」が並ぶような改
正党規約が2006年にできた。その時、同時に党首選の規則が改正され、県連
の推薦と国会議員の1/3の推薦というのが新たに要件に決められた。それまで
は、県連の推薦もしくは国会議員の1/4、もしくは党員500人の推薦だった。
みんな「もしくは」だったのです。これはおのおの意味があったと思います。

 県の方からも自分たちの党首を作ろうという声、それから国会議員は直に対応
しているからそこで1/4の推薦、それからもっと広く県を越えて全国の党員が
この人って思う人がいてもいいと。これらはいずれも or、or、or だったけれど
2006年の党則、党規約の改正は国会議員の1/3、または党員200人の推
薦 and 県連の推薦にして、and にしちゃったのです。

 そうすると、卑近な例だと私と福島党首は同じ県連で、県連代表は福島党首で
すから、党首が出るという限りは他の人は出られない。県連推薦の意味は、何人
でも推薦すればいいんだという人もいるけれど、この時の改正ではそういう意識
じゃなくて、県連がこぞってということだった。

 あと国会議員の1/3というのも、国会議員が少なくなったから、単に1/4
を1/3に改正したように改正された側は思っているけど、実は300人になろ
うと1/3ということは、100人推薦人がいなくちゃいけない。ある一人を推
薦する、もう100人が2人目を推薦する。そうすると国会議員推薦では3人目
は出られない。3人目が出るためには、党員200人の推薦という規定を使うし
かない。今回の党首選でもそうだったけれども、非常に党を二分しかねない規約
になっているのです。

 まず、and になった事によって必要充分条件になったのだから、立候補がしづ
らい。それから、党を二分するということになると、やっぱりみんな、よけい気
が引けちゃう。今度でもそうですけど、まあ最終的に党首がぎりぎり前日に、自
分も含めて5人目の推薦人を集める。私たちが4人で、10人しかない国会議員
をまっ二つにしちゃう訳です。

 だから、この党首選をもって、国民に広く訴えかけるということではなくて、
内部亀裂とか、県連の意向と称する、小さくなってなんとか維持していかなきゃ
いけないという、縮小感を伴ったみなさんに委ねられてしまう。

 国会にいれば、今は政界再編の大きな時期だから、社民党が多様な勢力の結集
点になれる道はないかと、どうしても思うのです。ところが、地方の県連合など
は、そう思うよりは、やっぱりどうしても、今ある県会議員、市会議員をどうや
って増やすかということになる。極端にいえば、社民党とみどり的な環境政策を
訴える人たちも、そのレベルでは戦うことになり、どうしても大胆な連合戦線的
なものになりづらい。

 だから、社民党はその市町村で1人とか2人当選したとしても、みどり的な相手
と争い合わなくてはいけない。そこからは、なかなか時代の要請を見て、今必要
な政界再編と環境、特に脱原発ゼロとかの政策を糾合していけるような再編にな
っていかないと思う。県連合が悪いか良いかじゃなくて、どうしてもそういう立
場に立たされていると思う。

 私はありていにいえば、もし党首選に出たいよといえば、もう10人しかいな
いのだから、3人でも4人でも出て、自分は例えば、次の選挙は広く、比例区と
かの選挙では、連合的な、例えば環境派のみどりの人たちとも共通候補でもいい
と。

 今一番重要なことは、この目前の原子力政策、脱原発の流れをどう強くする
か。そのために、実際の選挙でも社民党だけが増えればという発想ではなく、広
くそういう統一戦線ができて、そのなかで社民党が果たす役割をしっかりやって
いくというふうにしないといけない。

 今のままだと、「みどりの未来」とか自治体議員の連合体が出来てきたとして
も、――お互いまだ小さな勢力だから社民党とは相争って――今の選挙区制度で
はお互いがその目だしが出来ないということになります。実は国民意識は広く
「もう原発いいよね」と思っているのに、それが政治の声にならないっていうよ
うなことが起こるのではないかと思います。

 だから、極端にいえば社民党・みどり連合とか、社民党・脱原発連合的でもい
いんだというように、私は96年のそもそもの党則のその意識を再生させたかっ
たので、そういうことをかけて党首選をやりたかったのです。

 ところが、私たちは国会議員4人で、5人目を集められなかった。実は照屋さ
んであれば、最終的には5人の推薦も可能だったけど、照屋さんは沖縄の伊波洋
一さんの宜野湾市長選対の共同代表で、全国を駆け回れないとか、いろいろな制
約があったが、とにかく多様な意見を結節点に持っていけるようなことを考えな
いといけないのです。

 今、国会では盛んに比例区削減の話が出ていますが、多様な民意をどう拾う選
挙制度にするかは、小さくなった政党ほど大きな課題です。

 私は、社会党時代の小選挙区導入というのは間違っていたと思いますが、それ
をどう今の状況に合わせていくか。ヨーロッパでは多くの国が連立政権になって
いるのに、わが国ばかりが二大政党による政権交代なるものをやっている。そし
て両方とも、政党融解というか、メルトダウン状況になり、民意と政治がバラバ
ラになっている。

 今回のことを振り返ると、内容や組織のあり方について主張する前に、まず推
薦人を集められないという壁にぶつかってしまった。そこをクリアしないと次が
ない訳です。でも、民主党の代表選なんか見ていても、最終的に集められなくて
降りる人があったとしても、いろいろな人が出ています。

 そもそも自民党にも民主党にも、県連の推薦と国会議員の1/3なんていう規
定はないのです。なんで一番小さい政党がそういう厳しい党首選へのハードルを
設けて、せっかくのチャンスを潰すのか。全くわからない。

 それから、連立というか、アライアンスというか、一緒に組めるようなもの、
例えば、脱原発の流れなどは国民のなかに分け入ればすごく多いですよ。だけど
その人たちは、福島の選挙でもわかるように社民党にこないのです。社民党もが
んばってはいるのですが、バラバラにやっていて、政治の意思にまとめきれない
ところが、私は一番課題だと思っています。

 私はこの間、再生可能エネルギーでも、それからTPPでも、党派を超えて、
いろんな人の賛同や署名を集めまくるということをやっています。今、国民の思
うところや願うところ、こうあってほしいという意見を政党が汲み上げる仕掛け
になってないのです。

 これは社民党だけでなく、全政党的に政党政治そのものが機能していない。だ
から、「民主党の意思決定がどうなってるの」と問われてしまうのも、そういう
大きな状況のなかで、小選挙区で民主か、自民か、政権交代とやったけれど、
「もうそうじゃないよね」と国民も学び、政党もまた学んだわけです。そういう
声の受け皿、政策連合的なものができていい時代だと思うのです。

 みんなの党も、発足当時は政策連合だっていっていたが、ある程度の勢力にな
るにつれ、やっぱりみんなの党という、党派的な振る舞いがどうしても出る。

 私は、今の政治の国民との距離や、政治不信を解消していくためにも、当面の
間、どうすれば政策連合ができるのかを強めていくしかないと思います。特に次
の選挙、「民主党なんて」といわれているし、「自民党だってね」ともいわれ
る。まして「社民党なんてないよ」となる。

 その結果は、地方ということをキーワードにした過激な都市型の政党の声ばか
りが聞こえてしまう。嘉田由紀子滋賀県知事さんがいいことを言っていたけど、
「穏やかで田舎型、漢方薬で田舎」というのと片方は「劇薬都市型」があると。
地方の声というものが、もっと政治に入ることが重要です。

 今度の震災でもわかったことだが、単位自治体がしっかりビジョンを持たない
と、再生どころか復興も出来ない。それを県や国がどうサポートしていくかとい
っても、その自治体がものすごく傷んでいるから、今後の社会や政治を考える時
中央集権型の政党の割り振りでは、それに対応出来ないことに留意することがす
ごく重要なのだ。

 私は、当面の間3つの政策連合。原発ゼロ。TPPは慎重ないしもう少し東ア
ジアに基軸を移す。消費税は、今は危ない。今、金融も財政も危ない、など。そ
れでいちいち政党作るのではなくて。消費税で政界再編というか、政党再編がお
こるかといえば、そうではないと思う。そこに割くエネルギーを国民は求めてい
ないのです。

 消費税については、しっかり「あなたはどう考えるの。一人一人の政治家に問
いたいわ」とか、「国民からわかる形にして欲しい」とか、「TPPはどうなの
よ。あなたはどう考えるの。わかんないわよね」って、ではどう考えているの
と。原発ゼロも、50年も60年も100年も脱原発依存とダラダラ言われたっ
て今どうするのよということでしょ。

 それくらいは、私は政治家がはっきりさせて、そういう政策連合をしていって
いいのではないか。そういうことがやれる政党は、小さな政党だから小回りが利
くので、社民党だと思うのです。相手がどう思っているかわからないが、例えば
「みどりの未来」の皆さんとも、本当に1議席じゃなく、10議席とかまとまっ
て国政にと思うならば、やっぱり協力しあった方がいい。おそらく現実的に可能
だと思いますが今の選挙区制度は本当に小政党には大変で新しい政党は生まれづ
らいのです。

 みんなの党だって、渡辺喜美さんが国政にいて、何人かを糾合しやっと受け皿
になっています。「みどりの会議」の皆さんも中村敦夫さんがいた時代でも彼一
人だった。私は細かなことを言えば違がっても、昔、参議院は社会党・護憲連
合、衆議院だって市民連合。そういうものを出来なくしている原因は、社民党が
2006年の党則改正で否定し、党首選もやりづらくし、全部閉じていって最後
は自爆してしまうのではないかと懸念しています。

編集部 阿部さんが最初当選された時に社民党に求めていたものが失われている
と感じられました。辻元、保坂、中川という、まさに市民派として土井さんの掲
げた市民との絆というものを体現するべき3人が、社民党からすでにいなくなっ
てしまったことと、2006年の党則改正にいたる経過には、つながりがあると
思われますか。

阿部 つながっていますよ。だって、私一人で、孤軍奮闘して。それでも今度の
場合、私と照屋さんは、具体的な政策になってくると、例えば普天間基地は県外
移設で候補地を探そうとか、合意できるのです。政党はリアルなところに立たな
いと駄目です。

 イデオロギー的な正しさとか整合性とかばかりを言っていたら、一人一党にな
ってしまう。照屋さんはもともと会派としての護憲連合だった人ですから、そう
いう想いをよく理解してくれて、今回やろうよとなったのです。山内徳信さんも
沖縄で、社大党もいる中で首長(元読谷村長)だった。首長というのは、多様なも
のを集めて、皆で政策を一歩前に進める為のリーダーなわけです。だから、そう
いう具体的な共闘の仕方というのを知っている人だと思います。

 個人がものすごく原理原則でもいいんですが、その時に誰と手をつないで、ど
うすればいいのかということが大事です。実は服部良一さんを対立候補として擁
立しようと思った理由は、彼はこの間、脱原発アクションプログラムを作って、
そのことで各地を回った。今脱原発を求める皆さんの勢力と、社民党が望んで手
をつなぎたい、一緒にやりたいって言えるのではないかと思って、4人(阿部、
照屋、山内、服部)が結束したわけです。

編集部 社民党には、小回りが利き、多様性を持てる党として国民の期待もある
と思います。お話しをうかがい、党のなかでもその事について半分に近い意見が
ある事実はわかりました。しかしながら、報道ベースや国民のイメージでいう
と、社民党は既成政党、むしろ古いというイメージが強いのです。今後どのよう
なアクションを起こしていかれますか。

阿部 党首はまた再選されましたから、今度の党大会で、党首以下の人事がまた
同じでは、ますます古いイメージを植え付けてしまいます。党首自身は市民派
で、土井チルドレンですから、実は多様な人と手を結びたいと思われているので
しょうが、党運営や党則がそうなっていない。

 本来は幹事長とか、党運営の実務の部分をもう少し私たちが提起した問題を受
け止めて貰って、幹事長を誰にとかいうのも、かなり党首の意向でしょうから党
の三役体制をどうするかなどをやってほしいです。

 今回、思いのほか良かった点は――朝日新聞の「余滴」欄(1月26日付)で書
いてくれましが――若い社民党のユースと呼ばれる人たちが、自分たちも党首選
に出るんだ、出てみようと、三重から稲森君という子が起ち200人の推薦人を
集めようと一生懸命やった。でも結局、所属県連がまだ早いとか、そんな事して
混乱させるなとか、そうした対応をしたわけです。

 それで、今度から若いユースの声を常幹ポストで入れるとかにはなるでしょう
が、今特に投票に行かないのは若い世代ですから、私はいっその事もっと大胆に
――要するに政治が若い世代の声を汲んでないっていうことですよね――そこに権限
とか実際に持たせてみる。それこそ小回りが利く政党だから実験できるんですから。

 それを旧態依然の体制で、また同じメンバーで、例えば幹事長人事をやるのか
どうかです。ちなみに、2006年の党規約改正で国対と政審会長は三役ではな
いことになりました。党首、副党首、幹事長、副幹事長で三役と――変わった考
えだなと思いますけど――そうなっているのです。その現三役で、この間の事を
総括して党大会に斬新なイメージで望むかどうかというのも課題でしょう。

 ここまで凋落したことについて、執行部に危機感が全く足りない。党が厳しく
なってきていることに目をつぶっている。今騒がれるよりはいいやという意識
が、改革の意欲すら奪っている。ゼロからの出発ぐらいの覚悟で若い人に委ねた
りすべきです。経験年数がないと幹事長は駄目だとか、そんなことを言っていた
ら、「社民党はチャンスを逃した」とか書かれたけど本当にそうなる。

 次の党大会がどうなるか分かりませんが、私個人としては強い国民の思いであ
る原発ゼロへの流れをどう国政に反映させるか。それは1人や2人では間に合わ
ないですから真剣に考えなくてはと思っています。

 例えば、10年前の再生可能エネルギーの法案がRPS法(新エネルギー等利用
法)になり、再生可能エネルギーが遅れた。失われた10年みたいなものです。
その時に――社民党も含めて――そういう勢力が出てこないために、日本でみど
りの勢力がないという状態が続いているわけです。

 みどりを規定するものは2つです。生活重視で、地域で自給できるエネルギー
体制というのは地方分権型であること。それプラス、ずっと中央集権でやってき
たエネルギー政策の大きな軌道修正をしなくてはいけない。そういう勢力をなん
とか登場させるための活動はいろいろなやり方で続けていきます。政策連合をど
う作るかというのもあるし、これからみどりを掲げる人たちと、どう連携してい
くかというのもある。

 社民党が本当にこの点を受け止めて刷新的な人事になり、広く人々を寄せられ
るようになることを今でも願っています。再生可能エネルギーだって、結局、超
党派で可決したんです。私はそのために走り回りました。

編集部 そういう意味では政党の垣根というのはだんだん低くなっていると思い
ますか。
阿部 そうですね。政界再編になるのでしょう。ただ再編の方向が国民の願って
いるものとズレたら困ります。民意を一番反映した政界再編にするにはどうすれ
ばいいかです。社民党が社民党だけで、増えて太っていきます的なイメージでは
もう駄目だと思います。

編集部 阿部さんが離党も考えているという発言が報道に出ましたが。

阿部 国民の願いや声に答えられるような受け皿として、社民党が期待できない
時には、それは政治家として国民への責任だから、依拠するところを変えるとい
うことはあり得ると思います。でも、私自身がとことん社民党にそういう事を要
求し、仲間と話して、責任をもってやり抜かないと揚げたアドバルーンだけでは
責任を果たせないと思っているので、そこはさらに追求をしたいと思っています。

 でも、正直いって12年やってきましたから、これで党則改正の見直しもなく
事も同じであった場合に、本当にこんな事をしていていいのだろうかと、そこ
からどうしていくかはまた考えねばならないと思います。

 一方で橋下大阪市長たちが、あたかも地方を代表するような声として登場し、
国会はもうぐちゃぐちゃです。私が社民党だからではなく民意の受け皿がない状
態をどうにかしなくてはということについて、政治家として等しく置かれている
現実を強く意識しています。

編集部 どうもありがとうございました。

*この原稿は阿部知子議員にインタービューして作成したものですが文責は編集
部にあります。

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