【オルタ広場の視点】

私たちが求める移民政策、受入れ政策
労使対等原則が担保された多民族・多文化共生社会へ

鳥井 一平


▼2018年秋の臨時国会で明らかになったこと

 本年4月に新たな在留資格「特定技能1号・2号」がスタートする。同時に入管局が法務省外局の入管庁に「昇格」され、本格的活動を開始するらしい。
 これは、昨年秋の臨時国会で入管法改正案が可決成立したことによる。11月2日に上程され、衆議院で11月27日に、参議院で12月8日に可決され、12月14日公布となった。「4月施行」ありきの国会審議はまともな議論が行われず、私自身の11月22日の衆議院法務委員会での参考人としての意見陳述も「通過儀礼」的であるとの違和感を強く抱いた。

 2018年に入り、外国人労働者の受入れ論議は急ピッチで進んだ。2月20日、経済財政諮問会議が「専門的・技術的分野における外国人材の受入れに関するタスクフォース」の設置を決め、以降、「タスクフォース」は2月23日から4月12日の短期間に8回も開催され、6月15日の「骨太方針」閣議決定となる。*1)
 そして、外国人材の受入れ・共生に関する関係閣僚会議によって、7月24日に「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策(検討の方向性)」案、10月12日に「『出入国管理及び難民認定法』及び『法務省設置法』の一部を改正する法律案」の骨子並びに在留資格「特定技能」の創設が発表され、閣議決定、国会上程となった。
 少子高齢、人口減少社会による労働力不足が、オリンピック・パラリンピックの2020年東京開催と復興問題を契機に、更に加速度的に顕在化したことが「2018年受入れ論議」となった。

 しかし、実はすでに約30年前から「労働者不足」事態は明らかとなっていた。それがとりもなおさず「外国人労働者問題」であった。外国人労働者問題は「受入れ論議」となり、いちどは人口減少社会への危機感のもと、「2006年受入れ論議」から「2008年受入れ論議」*2)へと熟成していった。しかし以降、リーマンショックと民主党への政権交代で中断し、偏狭な「外国人嫌い」の安倍政権で完全に押しつぶされていた。ただ、安倍政権が、外国人労働者を「外国人材」に言いかえようとも、労働者(力)不足の事態は深刻に進行し、外国人労働者の受入れは、技能実習生や留学生と言った偽装受入れ=使い捨て労働力としてこの社会に深く広がってきた。

 今回の入管法改正をメディアは一斉に、「政策の大転換」、「有史以来の初めての外国人労働者受け入れ」などと安部政権の「新たな外国人材受入れ」法案上程を報道した。しかし、これまで「司令塔」となるべき法務省をはじめ政府、各省庁から明らかとなっているのは在留資格「特定技能1号・2号」の新設と入管の局から庁への格上げのみで、それ以外は明確な説明が未だ行われていない。各地で開始されている「説明会」でも同様で、受入れ側(自治体、企業など)からも多く不満の声が上がっている。また、この説明資料に「共生」の文字がサブタイトル1ヶ所以外に見当たらない。

 ただ、私たちも「慎重論議」を言葉にするだけでは、社会、現場の要請に応えられているとは言えない。「受け入れるのか、受け入れないか」といった論議は全く的外れであることは言うまでもない。すでに外国人労働者がこの社会の経済活動、地域活動を担っていることは事実であり、この事実に立脚した積極的な移民政策、まっとうな移民政策の確立を求めていくことこそが重要である。その際に私たちは、この30年間に外国人労働者がこの社会に果たした役割と外国人労働者問題が顕在化させたこの日本社会の民主主義の水準、労働基準のレベルをふり返り、検証することが求められる。ポジティブに言えば、30年間の経験、教訓を私たちは持っているのだ。

 前述したように秋の臨時国会審議では、「即戦力」、「外国人材」などと労働力としての視点だけで終始した(それさえも議論されたとは言えないが)。安倍政権は「移民政策と異なる」との強弁と「4月施行」ありきでの議論をしない方針を貫徹したわけだが、野党合同ヒアリングや新聞、テレビ、マスメディアの大々的な報道も併せて、外国籍労働者、移民の存在なくして成り立たない社会であることが間違いなく明らかとなった。

▼偽装する政府、私たち、私たちの社会

 政府の歪んだ移民政策は、在留管理としては、2012年の外国人住民票の導入を経ながらも、戦後入管体制を引き継ぐもので、依然として外国人を監視、管理の対象とするものである。そして、受入れ策としては以下のような流れを経てきている。

    1980年代   オーバーステイの容認

     ↓

    1990年    日系労働者の導入
                      ↓
    2010年       外国人技能実習制度の固定化、拡大

 受入れ策は、政府にとって思惑違いだったのが、日系労働者が「期間限定」とならなかったことであろうが、基本的には「期間限定労働力」=「外国人使い捨て」というべき政策に終始してきた。とりわけ2005年以降の「受入れ論議」の中心は一環して外国人(研修・)技能実習制度であり、2010年以降は外国人技能実習制度に純化し、拡大させてきた。これはデータ、数字、あるいはこの30年間、頻発する労働問題、人権侵害が事実として如実に物語っており、国際社会から、人身売買構造、奴隷労働として厳しく指摘されてきた。*1) 外国人技能実習制度は、あえて難解にわかりにくくつくってある制度であり、単に「安い労働力」の受入れに止まらず、次々と「ピンハネの」悪知恵を生み出す利権構造となってしまっている。このことが、明らかな奴隷労働構造でありながら廃止とならない要因でもある。

 外国人労働者を「労働者として」受け入れていないこの社会の実態は、外国人労働者総数約146万人*2)の内、労働者としての在留資格での入国者(在留)は全体の19%に過ぎず、技能実習生と留学生で40%を越えていることに表れている(グラフ1)。産業別にみると、外国人労働者の内、農業では79%、建設では67%が技能実習生となっている。また、地方においては、外国人労働者の大半を技能実習生が占めるというこれもまた歪な現象(表1)がある。技能実習制度の表向き建前の「技術移転」や国際貢献とは何ら縁もゆかりもなく、また、開発途上国の求める職種や業種ではなく、専ら日本の人手不足に対応していることを示している。これらのデータ、数字を見て、「おかしい!」と言わない私たちこそ「おかしい」のである。

 昨年来、「偽装難民」キャンペーンが行われているが、難民受け入れの、正面からの議論の大切さを踏まえつつも、外国人に偽装させているのは私たち自身であることを自覚しなければならない。技能実習に偽装し、留学に偽装し、労働力補充を行っているのは私たちの政府であり、この社会である。留学の事前研修として大手コンビニが送り出し国でレジ打ち研修を行っている偽装ぶり、欺瞞を直視しなければならない。
 外国人労働者の労働問題や人権侵害について、ブローカーなど送り出し国の取り締まり強化の論調があるが、重ねて強調したいのは、偽装しているのは送り出し国ではなく私たちなのであり、全ての要因はこの社会にある。

▼まっとうな移民政策を

 私たちが求める外国人労働者受入れ論議は、この30年間の労働問題、人権侵害の事実を直視し、すでに移民外国人労働者がこの社会を支えている事実に立脚したものでなければならない。
 「バブル経済」を背景にした「オーバーステイ容認政策」時代から外国人労働者問題はその家族を含めて、実は、この社会の労働基準の実態、医療福祉の水準、人権の水準の鏡であり、教育、文化のあり方、地方自治のあり方、防災の視点を映し出すものであり、私たちの社会に地球規模の社会規範、スタンダードを意識喚起させるものであった。すでにニューカマーの二世、三世が活躍しはじめ、とりわけスポーツの分野ではメディアでの登場も増えている。あえて言うならば、オリンピック・パラリンピックの東京開催もこの30年の移民の受入れとともに環境が醸成されてきたのである。

 移民、外国人労働者とその家族が、職場の一員、地域の隣人として活躍する一方で、未だに政府は、労働者としての受入れ拡大の必要性を認めざるを得なくなった情勢においても、「移民政策と異なる」と、事実に目を背ける姿勢を捨てないでいる。政府は、30年間の「教訓」をねじまげ、いかに定住化させずに期間限定の使い捨ての労働力受入れを行うかに力点をおいている。ただ、経済財政諮問会議においてさえ、民間議員が「外国人材を安い労働力として考えるのではなく、人として受け入れることがとても大切。」との指摘をしている。そのことに表れている社会からの要請に、政府も昨年7月24日以降は、タイトルに「外国人材受入れ」に「共生」を追加し、12月25日に外国人材の受入れ・共生に関する関係閣僚会議において「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」を「了承」している   

 私たちが求める受け入れは、簡潔明瞭である。労働者が労働者として移動できるということに尽きる。フィラデルフィア宣言などの国際規範、基準に則り、労使対等原則が担保された「受入れ制度」でなければならない。移民、外国人労働者とその家族はこの社会の基盤をともにつくる仲間、隣人としてすでに活躍しており、この社会の展望の可能性を大きく広げている。この30年間、移民、外国人労働者とその家族は、働き、活動し、権利主張することによって、この社会に大きく貢献している。地域、職場の現場では誰しも移民、外国人労働者のエネルギーを強く感じ取っている。

 すでに「不法就労は犯罪の温床」*1)や「外国人犯罪キャンペーン」、「雇用競合論」が全く事実でなく的外れであることは数字が明確に示している。かえって外国人労働者は、健康保険、年金、税金などの社会ファンドに大きく寄与していながら、見合った公共(行政)サービスを受けているとは言いがたい。
 「日本人と外国人」という二分化ではなく、この社会を共に構成し、共に生きていく働く仲間、地域の隣人として、この社会の担い手として移民、外国人労働者とその家族の社会参加*2)がある。移民、外国人労働者が定住を望むような社会、見合った制度にしていきたい。

 いずれにしても本年4月以降、外国人労働者は増大する。新たにやってくる外国人労働者を使い捨てにさせてはいけない。どさくさ紛れに「庁」に組織昇格した入管庁は、福島第一原発の廃炉作業に「(特定技能は)受入れ可能」と東京電力に回答している。(朝日新聞4月18日朝刊)放射線被曝労働に関わる外国人労働者がその作業に対する危険への認知度はもちろんのこと、安全健康対策や帰国後の健康フォローアップまでをイメージしての回答でないことは明白だ。労働者を雇用することに対する責任の微塵も感じられない。そもそも入管庁に雇用、つまり労働者の人生への社会的責任をイメージさせることが無理なのだろう。歪んだ移民政策の一面がすでに明らかとなっている。労働(職場)と生活(地域)の空間を、ひとりの労働者にとっては切り離すことはできない。労働力のみでの存在などはない。「使い捨て」が社会を歪める。その場しのぎの制度設計の役所まかせにはできない。今後の労働組合や市民団体の役割もまた問われる。

 労使対等原則が担保され、「違い」を尊重しあう多民族・多文化共生社会へすすむための移民政策こそがこれからの社会に求められる。そこにこそ民主主義の深化の道があり、次の社会、持続可能な社会への展望が見いだせる。分断ではなく共生を。

筆者はNPO法人移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連) 代表理事

 移住連ホームページ http://migrants.jp/
 移住連パブリックコメントhttp://migrants.jp/news/publiccomment-20190124/
 衆議院参考人意見陳述 http://migrants.jp/news/statement-by-torii201911122/
 参議院参考人意見陳述http://migrants.jp/news/statement-by-sachi20181205/
 健康保険問題http://migrants.jp/news/satatement20181115/

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