第四章 移民は何故アメリカにやってくるか?

【エッセイ】

   2.揺れる移民の国・                  武田 尚子
    第四章 移民は何故アメリカにやってくるか?
          アメリカン・ドリームに誘われて  
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  「貧しいもの、全世界の貧苦に悩むもの、土地を所有したい願いを持つものは、
    第二の約束の地、われらが西部の肥沃な土地を求めるが良い。」
                  ジョージ ワシントン 一七七六年
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  その腕に秘めた稲妻を炎と燃やす
   力にみちた女性 その名も「追放者の母」
   その手に耀くたいまつは あまねく世界の人々をよろこび迎える

  ものいわぬ女神の唇は叫ぶ “送りこむがよい 私のもとに
   暮らしに倦みつかれたものを 貧しさにあえぐものを
   息つくすきまなくつめこまれ 自由な呼吸に焦がれてやまぬ人々を
   人波ひしめくその陸辺の   みじめなちりにもひとしいものを
   ホームレスをよこせ     浮世の荒波に傷つくものをよこせ
   黄金のドアのかたわらに立ち 私はたいまつをいや高くかかげる“
                 エンマ ラザルス  一八八二年
          (自由の女神像の台座に彫られた‘新しき巨人‘より)
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  「忘れるな、常に忘れるな、われわれみな、わけても君たちも私も、
     移民であり革命家であった先祖の子孫なのだということを」
                  フランクリン ルーズベルト

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 アメリカ建国の父たちが独立宣言をしたとき、合衆国の人口は三〇〇万に過ぎ
なかった。若いアメリカを開発し発展させるために、移民の労働力はいわずもが
な、彼らの知力と精神力、ヨーロッパの知識や技術は、なくてはならない力だっ
た。アメリカは、ピルグリムファーザーズ以来の伝統を引き継ぎ、宗教的、政治
的な迫害に苦しむもの、窮乏にあえぐものの避難港たらんとして移民を歓迎した。

 宗教的な自由と、経済的な繁栄の見通しは、広く移民を引き寄せ、アメリカの
富は増した。以来移民は、新しい目でものを見、作り出す、創造力と活力の源泉
として、大きな役割を担ってきた。

 ふりかえって一八二〇年から一九二〇年の一世紀には、三四〇〇万の合法移民
がアメリカにやってきた。一九五〇年代には二五〇万だった合法移民は,七〇年
代には四五〇万、八〇年代には七三〇万、九〇年代には一〇〇〇万に、二〇〇五
-六年にはすでに一二〇〇万に膨張した。

 二〇〇二年の9.11事件は、アメリカに祖国の安全という新しい挑戦を投げ、
非合法移民だけでなく、テロリストの侵入を防ぐための処置が論議され始めた。
 
二〇〇四年は大統領選挙の年であり、政府が獲得したいラテンアメリカ系投票者
も、低賃金労働を必要とする農場主や企業主も、新しいゲストワーカープログラ
ムで合法移民を誘致し、在米の非合法移民には最終的に市民権への道を開くとい
うブッシュ大統領の提案に期待した。しかし「非合法移民に市民権をあたえると
いうのは、恩赦にほかならず、犯罪者に報酬を与えるに等しい。

 アメリカ国籍を夢見て、密入国者はますます増えるだろう」と、共和党は多く
の反対者を出した。民主党にもこれに同調するものが現れて、この問題では民主
党も内部分裂した。

 二〇〇五年の国会では、非合法の居住者および越境者は犯罪者とみなし、その
上アメリカとメキシコの二〇〇〇マイルにわたる国境に本格的な壁を建てるとい
う法案が下院をパスした。上院は非合法移民を雇用する者は処罰し、非合法移民
には最終的には市民権への機会を与え、国境保全を強化するという独自の案を提
出したが、中間選挙を前にした国会は二〇〇〇マイルのメキシコとの国境に七〇
〇マイルの壁を作ると決めただけで終わってしまった。
 
  これはメキシコ側の大きな不安をかきたてることになった。メキシコのフォッ
クス大統領はブッシュ大統領に、二〇〇五年には二〇〇億ドルに達したメキシコ
移民の母国への送金は、石油に次ぐ外貨収入であり、メキシコにとってはきわめ
て重要であることを訴え、さらに国境の壁は両国の友好関係にひびを入れると、
その建設に強く反対した。

 アメリカの政治的な動きに対して、二〇〇六年三月にはロスアンジェルスを中
心に、非合法移民とその支持者の大規模な抗議運動が起こり、五〇万人を越える
デモに発展した。これはさらに五月一日の、非合法移民とその支持者による大デ
モの呼び水になる。低賃金で働く非合法移民がいなくなれば、アメリカの経済は
大打撃を受けるという移民側の主張を実証しようとしたもので、全米の諸都市で
合法非合法の移民たちは仕事を休んでデモに加わった。 

 彼らは非合法身分でアメリカに暮らしていることを謝罪するどころか、メキシ
コの旗をふり、キューバの革命家チェ.ゲバラのポスターや「われわれは犯罪者
ではない。職を求めているだけだ」「われわれはアメリカ経済に貢献している。
われわれなしにアメリカはやっていけない」「市民権をよこせ」などと大書したプ
ラカードを掲げて行進した。

 あたかもラテン諸国の急進的な社会主義者、ヴェネズエラのヒューゴ・シャバ
スや、ボリヴィアのイヴァ・モラレス、メキシコのアンドレ・ロペス・オブラド
などが、米国最大の都市に輸入された感があった。諸都市を合計すれば一〇〇万
を軽く越えるといわれる大規模なデモである。アメリカ人の多くは、大半の非合
法移民はラテンアメリカの急進者にならって政治化しつつあるのではないかと不
安を抱いた。
 
  非合法身分を明らかにして逮捕されるなどの逆効果をおそれて、参加をちゅう
ちょした者も多かったらしいが、この日一日の結果としては、彼らの職場不在が
アメリカ経済への大打撃になると証明するにはいたらなかった。

 五月一二日にはこのデモに対して反撃があった。アメリカ人の職を保護し、国
境を安全に守ることを提唱する右翼のミニットマン組織の大集会がワシントンで
行われて、非合法移民の入国反対の気勢を上げた。

 十月には、逃げてゆくメキシコ人の麻薬業者を追ってアメリカの国境パトロー
ルが発砲した事件が裁かれた。麻薬の密輸業者は「証拠不十分」で無罪放免になり、
二人の国境パトロールはそれぞれ十一年と十二年という、殺人などの重罪にも適
用される判決で投獄された。判事は、パトロールが発砲したのはあきらかな違法
行為で、刑期は当然だという。

 バランスを欠いたとみえるこの判決は国会でも問題になり、アメリカの世論に
も大きな波紋を投げる。「裁くなら、犯罪人を裁け。ポリスを裁くな!」「国境を
守る英雄にたいする誤審だ」などのプラカードをかかげる抵抗者もあらわれた。
審査の結果、二人のパトロールは、密入国者が何者かは確認できないものの、麻
薬の密輸業者のルートを遁走したためにその後姿に発砲して臀部に傷を負わせ、
しかもその報告を怠ったといわれる。
 
  一方判事は、麻薬密輸業者でしかも重犯のこのメキシコ人の逮捕歴を明らかに
せず、免罪とひきかえでパトロールに不利な証言をさせたと報道される。また、
二人のパトロールに特赦を与えよという世論に反して、ブッシュ大統領が判事の
味方をしたために、一部には「大統領を弾劾せよ」という声まで上がった。世論の
反応は、増えてゆく密入国移民に対するアメリカ人一般の態度の硬化を反映して
いる。
 
  パトロールに重罪を課した判決は、メキシコ側の「怒りをなだめる」ための処
置だという意見も報道された。これが事実だとしたら、麻薬の密輸業者をアメリ
カに送っておきながら、なぜメキシコはアメリカに対して怒りを抱くことができ
るのだろう。移民支持派と反対派の言い分の対立は、メデイアの報道をも左右し
ているので、真実が何かはいまだに第三者にはわからない。不可解な事件ではあ
る。


◇なぜメキシコ移民が激増したか。


  それにしても、一年に八0万とも一〇〇万ともいう密入国者の激増は、どうし
て起ったのだろう。移民の数とそのたえまない流入は、おおざっぱにいって、ア
メリカとメキシコの双方における経済上、人口上の条件に左右されている。ここ
では特にメキシコ人のアメリカ移住を動機付けてきた要件を概観することからは
じめよう。

 一九二〇年に、東欧と南欧からのヨーロッパ移民に終止符が打たれると、メキ
シコ移民が始めて合法的にアメリカにくるようになった。 一九四二年、第二次
大戦で農場の労働力が不足すると、アメリカはブラセロという農繁期のゲストワ
ーカープログラムを作って、メキシコの労働者を招き入れた。一九六四年にこの
プログラムがユニオンの反対などで廃止されるとともに、メキシコからの非合法
移民が大量に増加しはじめる。

 一九六五年には、アメリカへの移民志望者の出身国別の資格審査が撤廃され、
全世界から移民が来るようになった。 六〇年代の市民権運動以来のアメリカの
政治文化が、アメリカ人だけでなく、ラテン諸国人の市民権意識を目覚めさせた
という報告もある。つまり、自国の政府や独裁者による富の分配の不平等や差別
や自由の欠乏を、自由で富める国アメリカで癒そうとする多数が、国境を越えて
やってきはじめた。
 
  七〇年代には、アメリカに居た非合法移民の数はおそらく二-三00万に過ぎ
なかった。彼らがそれまでの移民と同様アメリカ人に同化し、アメリカの一部に
なることを疑うアメリカ人はほとんどいなかった。
 
  八〇年代の多文化奨励の空気の中で開始されたスペイン語文書での読み書きや、
スペイン語を公用語とする州の出現、二か国語授業の開始などは、多数のラテン
系非合法移民の到来を招いた。ロスアンゼルスは、世界第二の大メキシコ人都市
になった。アメリカにいる一〇人に一人のメキシコ国籍者がここに住む結果であ
り、その多くが非合法移民である。
 
  一九八六年には、移民問題改革および統制法が議会をパスし、非合法移民を雇
ったものに罰金を課すことになり、一八〇万が逮捕されたが、移民は継続してや
ってきた。入国者のID(身元証明)も求められる建前になったものの、IDの真
偽を確認する方法を伴わなかった。一時間五ドルでIDを借りることができた町
もあれば、必要な書類をすべて二〇ドルていどで偽造する業者も探すことができ
たという。

 カリフォルニアでは五〇ドルでグリーンカードと社会保障番号を入手できたと
いうから、移民用の書類偽造産業が繁栄する一方、移民制限の法律はほとんど有
名無実になったのである。
  一九九四年のナフタ(North American Free Trade Agreement )は、アメリカ、
カナダ、メキシコの三国での自由な交易を可能にした。ナフタの経済上の功罪に
ついては議論がある。しかしメキシコの農民に関する限り、彼らはアメリカから
輸入される安価なとうもろこしのために市場を奪われ、一五〇〇万人が収入を失
った。

 その多くはアメリカへの非合法移民となり、アメリカに居つくようになった。
アメリカのとうもろこしがメキシコより安いのは、米政府の農業補助金が莫大な
ためである。この例でも見られるとおり、市場やサービスや情報のグローバル化
と移民の急増には関係がある。大規模の国際市場が、大企業家にとっては利潤追
求の夢の舞台であっても、大企業の前に競争力を持たない中小企業あるいは零細
な家内産業の多くは破産や閉業に追いやられるものが続出する。

 グローバル経済が人口の二極化をもたらしつつあることは、すでに常識になり
はじめている。同時にグローバリゼーションは、人々の心に麻薬のように働きか
ける魅惑を蔵している。それは誰しもが抱く異国風なものへの好奇心や冒険心を
刺激し、挑発し、想像力の中にしか存在しなかった地平線を現実にもちこもうと
する。
 
  グローバル化とともに、メデイア報道や流通商品は、個々人のより高い消費生
活への欲求をかきたてる。巷にあふれ、メデイアで売りこまれる豊富すぎる物資
のおかげで、ハリウッド映画が夢に過ぎなかった時代は去った。隣邦アメリカは、
多くのメキシコ人にとって手の届きそうにみえる地上の楽園になった。すでに紹
介したヴェラクルーズだけではない、たとえばミチワカンの、一九八五年には六
〇〇〇人の人口を有したテンデパラクアには、今では六〇〇人の男しか残ってい
ないという。

 一九九四年、アリゾナ、カリフォルニア、フロリダ、ニュージャージー、ニユ
ーヨーク、テキサスの六州が連邦政府に対して、政府の要求する非合法移民への
公共サービスにかかる費用の補償をもとめる訴えを起こした。同年、メキシコで
突然ペソの平価切下げが行われたために、メキシコ経済は危機を迎える。平価切
下げ後の翌一九九五年には、国境で逮捕されるメキシコ人密入国者の数が、前年
に比べて40%増になった。

 アメリカの全体としての失業率はこの時期6.5%から5.5%に下がってい
た。アメリカの好景気もメキシコ人の国境越えの誘因になる。密入国者を防ぐた
めに、国境パトロールは一九八六年から二〇〇二年のあいだに、二〇〇〇人から
一万二〇〇〇人へと膨らんだ。
  けれどもこの国境監視は効を奏さず、かわりに、パトロールの手薄な危険な地
点が越境に使われ始めた。それに比例して、コヨーテのコストが高くなり、いっ
たんアメリカに入国した非合法移民が母国に帰らなくなった、いや帰れなくなっ
た。非合法移民激増の大きな理由である。

 政府の非合法移民対策が、一貫性のない分裂政策であったことも見逃せない。
移民制限の法律は作られても、非合法移民をやとった雇用主に対する処罰も生ぬ
るければ、密入国者に対する処罰も、最終的には本国送還にとどまっていたのだ
から。このほか、地球温暖化による気温の上昇が、ラテンアメリカ系移民を快適
な北方に向わせるという研究もある。こうしたもろもろの理由で、アメリカは千
二百万という非合法移民をかかえることになったのである。

 ジョージ ワシントンが、「来たりて土地を求めよ」と人々に呼びかけ、エン
マラザルスが後に、「貧しさにあえぐものをよこせ...自由な空気に焦がれて
やまぬものを送ってよこせ」と和したとき、アメリカはたぐいもなく広く、自由
で豊かな国とみえた。衣食足りて礼節を知る国、アメリカの国益を守ることは、
若々しい国の理想主義と一致していると信じられた。

 しかし建国の父たちは,手放しで移民を歓迎したわけではない。ワシントンで
さえ、彼の軍隊の護衛兵にはアメリカ生まれしか入れたがらず、来米後の移民が
  母国の言語、習慣、生活上の原則などに執着することを懸念していた。ベンジ
ャミン・フランクリンはペンシルバニアに流入するドイツ人の排他性や、英語の
知識の欠乏や、通訳の必要が高まってきたことを心配していた。
 
  トマス ジェファーソンにも不安はあった。「われわれの政府は英国憲法のも
っとも自由な根本原理と、自然権および良識にもとづく基本原則の配合された特
殊なものである。こんな政府にとって、絶対君主の統治はまったく反対の極にあ
る。しかもわれわれはこうした国から、最大多数の移民を迎えようとしているの
だ。

 彼らは、みずからが後にする政府の基本原理を持ち込むだろう。もしそれを放
棄したいというならそれは、一つの極端から別の極端へのとめどもない放縦と引
き換えになされるだろう。彼らが、中庸の自由を得た所で留まることができたら、
奇跡というものだ...」

 移民はすべて白人だった時代にさえ、建国の父たちの抱いたこうした懸念にも
かかわらず、二〇〇余年の歴史において、アメリカの複数主義は全体としてすば
らしい働きを見せた。だが、時は移る。9.11以来、アメリカの密入国者対策
には、テロリズムの防止という新しい次元が加わった。多数の言語を持つ多国籍
者の国アメリカで、建国の父たちの移民についての不安は杞憂に過ぎないといえ
るのだろうか?

        (筆者は米国・ニュージャーシー州在住・翻訳家)

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