第90回貴族院  宮沢俊義 質疑

■歴史資料

第90回帝国議会貴族院における宮沢俊義氏の憲法改正案に関する質疑

     (速記録)
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註 この速記録は宮沢俊義著『憲法の原理』岩波書店刊1993年第8刷から
  転載したものです。        

  一九四六年(昭和ニー年)八月二六日、意法草案が貴族院に上程されたとき著者は議員として、政府に対して質疑を行った。その内容が、ここでの論争の主題にふれているので、ここに、その速記を、官報号外の第九〇回帝国議会貴族院議事速記録二四一頁ないし二四三頁から、転載する。

速記録で使われている漢字や、かなづかいや、句読は、もちろん、私自身のものではないから、これらは、すべて、私流になおした。また、速記録がまちがっているとおもわれる場合もある。たとえば、私はかならず「重要な一歩」とか、「完全なもの」とかいったはずであるのに、速記録には、すべて「重要なる一歩」、「完全なるもの」というふうになっている。明らかにまちがいとおもわれるところは、適宜これをあらためた。

しかし、そのほかは、すべて速記録のままとした。私としては、いまとなっては、あらためたい表現が少なくないが、質疑がなされたときの空気を伝えるために、あえて手を加えなかった。ただところどころにある「(拍手)」は、のぞいた。なお、〔 〕にかこまれた言葉は、読者の便宜を考えて、あとから入れた説明である。

ただ今の憲法改正が、はたして日本の政治の民主化に役立つかどうかという点については、いろいろ意見がございますが、私はさきほどからの沢田〔牛麿〕議員がおっしゃったところとは遠い、むしろ大体において、ただ今板倉〔卓造〕議員がおっしゃったところと同様に、これは日本の政治の民主化の道における重要な一歩前進であると考えております。

しかし、その憲法案が非常に完全なものだと考えるのではありません。そこには不明瞭な規定や、不適当な規定が少なからず存するのでありまして、それらが然るべく修正せられることを希望する者でありますが、それにもかかわらず、全体として、この改正案が成立することを心から祈っております。

そういう立場から、この憲法改正案に関する原理的な問題の若干について、きわめて簡単に、箇条的に、おたずね申し上げたいとおもいます。

質疑の第一点は、

ポツダム宣言の受諾ということは、国民主権主義の承認を意味するとおもうがどうであろうか、ということであります。ポツダム宣言の第一二項には、御承知のとおり、日本国国民の自由に表明せられた意思にしたがって、平和的傾向を有し、云々、という言葉がございます。

さらに、昨年〔一九四五年〕八月十一日のわが国の降伏申入に対する連合国の回答には、最終的な日本の統治の形態は、ポツダム宣言にしたがって日本国国民の自由に表明した意思によって決定さるべきものである、といわれております。国家の統治形態が、その国民の自由に表明せられた意思によって決定さるべきものであるとする建前は、すなわち、いわゆる国民主権主義にほかならないのであります。

したがって、ポツダム宣言の受諾ということは、国民主権主義の承認ということを意味するのであるとおもうのでありますが、いかがでありましょうか。これが第一点であります。

次に、第二点。

この国民主権主義は、終戦までのわが憲法の根本建前と原理的に異なるものであるとおもうがどうか、という点であります。終戦以前のわが憲法の根本建前は、わが国の統治の形態が、いわゆる天壌無窮の神勅によって、すなわち、神の意思によって決定されるという建前であったとおもいます。

神勅によって、それにもとづき、万世一系の皇統に出でさせ給う天皇が、現人神として日本に君臨し給うというのが、その根本の建前であったとおもいます。

この建前をどういう名前で呼ぶかは問題でありますが、それはともかくと致しまして、この建前は、天皇が国民の意思にもとづいて君臨し給うというものでなかったということは明白であろうとおもいます。

したがって、それは、国民主権主義とは原理的にまったく異なるものであった、異なる建前であったということは疑いないとおもいます。もちろん、この建前にもとづく統治形態、すなわち、天皇統治制は、多くの場合、国民の支持を得ていたことでありますし、また御歴代の天皇はつねに国民の意思を何よりも尊重し給うたことでありますが、しかし、それにもかかわらず、そこでは国家の統治の形態が、あくまで、神意にもとづくものとせられたのであります。

少なくとも、国家の統治の形態の根拠は、決して国民の意思に存するとはせられなかったのであります。政府はわが国が終戦以前から国民主権主義をその根本建前として居るというふうに説いておられるようでありますが、それは理論的にいって、何としても無理ではないかとおもいます。

皇祖皇宗の遺訓を明徴にするために制定せられ、皇祖皇宗の後裔に胎し給える統治の洪範を紹述したものといわれております明治憲法のどこに国民主権主義を見出すことができるでありましょぅか。

もしこれを国民主権主義というならば、どのような国家も、いやしくもそれが多少でも継続的生命を有するかぎり、すべて国民主権主義であるといわなくてはならなくなりますし、それでは君主主権主義と国民主権主義との原理的な区別はまったく意味を失ってしまう。

その結果として、この憲法改正案が国民主権主義を唱えること自体が、まったく無意味になってしまうのであります。わが国が終戦以前から国民主権主義をみとめていたと説くことは、かように理論的に見て誤りであるとおもいますが、あるいは、実際的見地から見ては、そう説くことがなんらかの効用を持つという考えもあるかも知れません。

しかし、日本の政治がここに建国以来の生れ変りを断行しようという時に、その根本建前が以前と少しも変らないと説くことこそ、現在日本が行いつつある根本的な変革に対する正しい認識を妨げることになり、真の民主政治の実行という目的から見て、実際的にかえって不適当ではないかと考えるのでありますが、いかがでありましょうか。

次に、第三点。

新憲法草案は、右に述べたような国民主権主義を採用しているとおもうがどうか、という点であります。これは、憲法の前文その他からいって、きわめて明瞭であるとおもうのであります。前文および第一条の字句について、衆議院で多少の修正が行われました。

私はこの修正が絶対に必要なものであつたとは必ずしも考えないのでありますが、ただ、一部には、政府原案のような表現は、必ずしも、単純な国民主権主義を意味せず、多かれ少なかれ、それとは違ったものを意味するという見解が行われ、現にこの憲法改正案の定める国民主権主義は君民共治主義であるとか、さらにそれは必ずしも天皇主権主義と根本的に違うものでないというような見解までみとめられたくらいであります以上、そういう誤解乃至は曲解の生ずる余地を防ぐためには、この修正は適当であったといえようとおもいます。

しかし、いずれにせよ、憲法改正案が国民主権主義を採用していることは、この修正の有無にかかわらず、明白であり、また、それはポッダム宣言受諾によって、最終的統治形態が、自由に表明せられた人民の意思によって定まるとする原理を承認した日本の憲法改正案としては、当然の態度であるとおもうのでありますが、いかがでありましょうか。

次に第四点。

主権者たる国民の中に天皇が含まれるという説明は、理論的にも実際的にも、不適当ではないか、ということであります。政府は、ただ今も金森国務大臣がおっしゃいましたように、主権は国民にある、国民の中には天皇が含まれると説明していらっしゃいます。しかし、天皇の地位が主権の存する国民の総意にもとづくとせられるのに、その国民の中に天皇が含まれると説くことに、どういう根拠があり、また意味があるでしょうか。

天皇の地位にいらっしゃる個人が、個人として日本民族の一人であられ、したがって、日本人であられ、日本国民の中に含まれるということは、あまりに当然でありまして、特にことわる理由のないこととおもいます。問題は、憲法上の制度としての天皇であります。

そうして、制度としての天皇は、明白に、主権の存する国民の総意にもとづいて存するのであります。国民が主権を有するということは、国家が主権を有するということとはちがいます。国家の内部において、君主または貴族が主権を有するのではないということを意味するのであります。

国民主権を承認しながら、その国民の中に天皇が含まれると説くことは、そう説くことの心持、あるいは感情、単純な国民主権といい切るに忍びないというようなお気持は十分理解しうるところでありますが、それは天皇の地位そのものが主権の存する国民の総意にもとづくという根本原理を曖昧ならしめる恐れがあるばかりでなく、さらに政府が表に国民主権主義を唱えながら、裏から昔ながらの天皇主権主義を忍びこませようとしているなどと誤解せられ、痛くない腹をさぐられる可能性がありはしないかとおもいます。

したがって、この説明は、理論的にも実際的にも、妥当でないのではないかとおもうのでありますが、いかがでありましょうか。

次に、第五点であります。

国民主権主義の承認を核心とする新憲法は、国体にどういう影響を与えるかということであります。この点は、ただ今、板倉議員から詳細にお尋ねがありましたが、私もややちがった角度から簡単にお伺いしたいとおもいます。

国民主権主義を核心とする新憲法が国体にどういう影響をおよぼしたかということは、衆議院で大いに論議せられたところであります。金森国務大臣は、ただ今この壇でおっしゃったような意味に国体という言葉を理解せられ、その意味の国体は、この憲法改正によって、少しも変っていないと説明しておられます。

この説明は、さきほどの板倉議員のお言葉どおりに、私も賛成いたします。しかし、ここで問題と私がいたしますのは、そういう意味の国体でなくて、従来わが国法上、国体とせられて来たものが変ったかどうかということであります。

国体という言葉が学者によってどう用いられて来たか、あるいはそれは正しくはむしろ政体として呼ぼるべきではなかったかというような問題は、しばらく別といたします。ここでは、成文法により、あるいは政府により、公式に、公に用いられた国体の概念を問題といたします。国体という言葉が成文法に現れましたのは、おそらく治安維持法が最初でありましょう。ところで、治安維持法にいわゆる国体とは何を意味するかについて、ちょうど今朝ほどの朝日新聞に出ておりましたように、大審院はこう説明しております。

「わが帝国は万世一系の天皇君臨し統治権を総攬し給うことを以てその国体となし、治安維持法のいわゆる国体の意味もまたかくの如く解すべきものとす」。

そうして、この解釈は、おそらく、わが成文法上の国体概念の説明として、多くの人の賛成するところであろうとおもいます。

もっとも、大審院の判例の中にも、多少これとちがったのもございまして、たとえば、朝鮮の独立運動なとをいたしましたことをもって、治安維持法第一条の国体の変革に該当するとした判例もあります。

そうして、有力な学説としてこれを支持するものもありますが、これは、おそらく、多数の人の賛成は得ていないとおもいますから、別といたしまして、ただ今いいましたような国体、金森国務大臣のおっしゃるような国体ではなくて、従来わが国が、治安維持法によって、その変革を厳禁しようとしたところの国体、すたわち、万世一系の天皇が君臨し、統治権を総攬し給うとする原理は、国民主権主義を核心とする新憲法によって、はたしてどういう影響を受けるでありましょうか。

これが問題であります。金森国務大臣は、新憲法の下では、天皇は流治権の総攬者たる地位はもっておられないといっておられます。したがって、私がここで申すような意味の国体は、新憲法によって変っているということを、承認していらっしゃることとおもいます。衆議院での金森国務大臣の御答弁の中でも、もちろん国体が変ったというお言葉はありませんが、そういう趣旨は明瞭に読みとることができると思うのでありますが、どうでありましょうか。

終戦当時、いわゆる国体の護持が問題とせられましたこと、とりわけ昨年の八月一〇日、下村情報局総裁が、政府は国体の護持と民族の名誉のために、最善の努力をしっつあるという、あの悲痛な声明を発しましたことは、なお私どもの記憶に新たなところであります。

その同じ日に、わが政府は、ポツダム宣言が主権的な統治者としての天皇の大権を害するような要求を包含していないとの了解の下にこれを受諾する用意がある、ということを連合国に申し入れました。

ここに「主権的な統治者」としての、「ソヴリン、ルウラア」としての、天皇の「プリロガティヴ」という表現は、頗る明確を欠くのでありますが、その前後の事情の下にこれを解すれば、それが当時護持を叫ばれていたところの国体を意味することは明瞭である。

しかも、そこにいわゆる国体は、決して、金森国務大臣のいわれるような国体ではなくて、むしろそれまで国法土用いられた意味の国体、すなわち、治安維持法でその護持を保障したところの国体と、ほぼ同じ意味であったと思います。

はたしてそうであるとすれば、日本の最終の統治形態が自由に表明せられた人民の意思によって決定されるとする原理を承認し、国民主権主義を採用することは、理論的に見て、この意味の国体に根本的な変革を与えることといわなくてはならぬと思いますが、いかがでございましょうか。

八月十四日の終戦の詔書には、「国体を護持し得て」というお言葉が拝されるのでありますが、主権的統治者としての、「ソヴリン、ルウラア」としての、天皇の「プりロガティヴ」は、無条件降伏によって、重大な侵害を加えられたのではないでありましょうか。

少なくとも、天皇の統治権の総攬者たる地位を廃止した新憲法の下においては、そういう意味の国体は決して健在ではあり得ないのではないでしょうか。

この点に関連して、国体の変革を承認することは、日本民族または日本国家の同一性を否定する、というような見解があるようでありますが、これは不当であると思います。

治安維持法にいわゆる国体が変ったとしましても、また、終戦当時護持を叫ばれた国体が変ったとしましても、日本民族は依然として日本民族であり、日本国家は依然として日本国家であります。民族としての同一性、国家としての継続性は、それによって少しも傷つけられることはないのであります。

国体が護持され得なかった、国体が変更されたとということを正面から承認することば、多くの国民の感情に多大のショックを与えるかも知れません。

その意味において、政府がそれ正面から承認することを避けようとするお気持は十二分に了解されるのでありますが、日本の政治の民主化という大変革を国民全部の心の中に徹底させるためには、そうしたーーさきほど板倉議員のお使いになった言葉でありますが、ー-センチメンタリズムを捨てて、冷たい真実に直面することが必要ではないでしょうか。

次に第六点。

明治憲法第七三条によって国民主権の採用を内容とする憲法改正がが許されるか、ということであります。従来、学説では、明治憲法第七三条によって、いわゆる国体の変革を定めることは許されないとせられております。

すなわち、明治憲法は治安維持法にいわゆる国体の原理に立脚して作られたものでありますから、その定める憲法改正手続によって、その国体の変革を定めることは、論理的に矛盾であり、法律的には許されないと解されたのであります。

 したがって、もし終戦以前において、何人かがこの憲法改正案と同じ内容をもつものを提案したと仮定するならば、その者が治安維持法違反として罰せられるかどうかは別としまして、少なくとも、彼の憲法改正の提案は、おそらく憲法上許されないと考えられたと思いますか、政府はどうお考えになるでしょうか。

私はこの度の憲法改正案は、その前提として、ポッダム宣言受諾によってもたらされた、わが国の政治体制上の根本的な変革、ー-この変革は、学問的意味において、これを革命と呼んでもいいと思いますが、その言葉がもし誤解を招くおそれがあるとするならば、これをひとつの超憲法的な、憲法を超えた変革と呼んでもよろしいかと思いますが、ー-そういう変革を考えなくては、それが憲法上許される所以を説明することができないと思います。

すなわち、この度の憲法改正は、単純な明治憲法第七三条による憲法改正ではなくて、終戦によって行われた超憲法的な変革にもとづきその根拠の上に、明治憲法第七三条によって、しかし、同時にそれを超えて行われる憲法改正だと思うのでありますが、いかがでありましょうか。

最後に、第七点。

民定憲法の建前とこの度の憲法改正手続との関係はどうであるか、ということであります。この憲法改正草案は、国民がこれを制定するという建前、いわゆる民定憲法、民が定める憲法という建前に立脚しております。このことは、三月六日の詔書でも、また、改正案の前文でも、きわめて明白であると思うのであります。ところで、政府は、この憲法改正案は明治憲法第七三条によるものとして取り扱っておられるのでありますが、これは民定憲法という建前とどこまで両立するでありましょうか。

明治憲法第七三条は、御承知のとおり、いわゆる民定憲法の建前はとっておりません。憲法改正は、議会の議決と天皇の裁可とによって成立する、という建前をとっております。衆議院の速記録によれば、金森国務大臣は、この改正案は明治憲法第七三粂によるものでありますから、もちろん、議会の議決のほかに、天皇の裁可があってはじめて成立する、と説明していらっしゃいますが、もしそうだとすれば、この改正は貴族院の意思に反しても、また、天皇の意思に反しても、成立することができないということになるのであります。

しかし、そういう建前にもとづく憲法改正、貴族院の意思に反しても、また天皇の意思に反しても成立するごとができないという憲法改正の前文が、どうして「日本国民は:…・この憲法を確定する」と宣言することができるのでありましょうか。

政府の趣旨は、あるいは、この憲法改正は必ずしも民定憲法の建前を採るものではなくて、その改正手続は全く明治憲法第七三条によるものだというにあるとも解せられます。

しかし、もしそうだとしますれば、何が故にその前文で、「日本国民は…・この憲法を確定する」というような、典型的な民定憲法、たとえば、アメリカ合衆国の憲法で用いられているような言葉と同じ言葉を用いたのでありましょうか。この改正が公布せられる場合は、おそらく公式令によって、天皇が議会の議決を経た憲法改正を裁可するという趣旨あ上論がつけられることと思いますが、そういう上論の言葉と、この前文の言葉との間には、明白な矛盾があるのではないでしょうか。

政府は、明治憲法第七三条による改正手続においても、国民の代表者たる衆議院の議決があるから、その改正をもって、日本国民がこれを確定したものと考えることがあえて不当でないと解するもののようでありますが、明治憲法第七三条によるかぎり、国民の代表者と考えることのできない貴族院や、天皇の意思に反しては、改正は絶対に成立することができないのであります。

国民の代表者の意思のみによっては、改正は不可能なのであります。諸国の憲法の前文に、国民がこれを制定する旨を宣言する例はきわめて多いのであります。それらは、いずれも、現実に、国民の代表者たる憲法議会によって制定せられております。国民の代表者でない貴族院の議決と、天皇の裁可とがなくしては成立することができない憲法の前文に、国民がこれを制定すると書くのは、何としても矛盾ではないかと思います。この矛盾を解決するには、国民が憲法を制定するという建前、すなわち、民定憲法の建前に徹するか、あるいは、明治憲法第七三条の建前に徹するか、この二つ以外には、道はないのではないかと思います。

この憲法改正について、もし前の道をとるとすれば、すなわち、民定憲法の建前に徹するとすれば、天皇の裁可ということは理論的に不要となると考えられますし、また貴族院のそれに対する審議権も、衆議院のそれと同等のウエイトをもつものではない、と考えられなくてはならないのであります。

もし、これに反して、後の道をとるとするならば、すなわち、明治憲法第七三条の建前に徹するとするならば、この改正は天皇の裁可と貴族院の議決なくしては成立することができないことになります。

その結果、日本国民はこの憲法を確定するという前文の言葉は、事実に合しないことになると思いますが「この点について、政府はどうお考えになるでありましょうか。

以上七点について、御質疑申し上げた次第であります。

ここでとり扱われている主題については、当時も、その後も、多くの文献が出ている。それらのうちで重要なものを(ここでの論争にあてられた尾高教授の論文をも含めて)、次にあげておこう。

 黒田覚 『憲法における象徴と主権』(一九四六年、有斐閣)
 尾高朝雄 『国民主権と天皇制』  (一九四七年、国立書院)
 恒藤恭 「天皇の象徴的地位について」

             『新憲法と民主主義』所収一九四七年       岩波書店

 和辻哲郎 『国民統合の象徴』(一九四八年けい草書房)
 尾高朝雄 「ノモスの主権について」
 (一九四八年『国家学会雑誌』六二巻一一号、後に『法の窮極
  にあるものについての再論』所収、一九四九年けい草書房) 
 横田喜三郎 『天皇制』(一九四九年、労働文化社)
 佐々木惣一 『天皇の国家的象徴性』一九四九年、甲文社〕
 尾高朝雄 「事実としての主権と当為としての主権」
  (一九五〇年『国家学会雑誌』六四巻四巻)
 石井良助 『天皇』(一九五〇年、弘文堂)
 中村 哲 『主権』一九五二年、法学理論篇 四一「日本評論新社)
 佐藤 功 「天皇象徴論の根本問題」
  (『日本国憲法十二講』所収、一九五二年、学陽書房)
 河村又介 『国民主権』一九五五年、河出書房)
 鵜飼信成 『憲