経産省の一角に脱原発テントは存続している(2)

■【特別報告】

経産省の一角に脱原発テントは存続している(2)       三上 治

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(3) 土地明け渡し裁判が継続中である
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 経産省前のテントの入り口に張り出されている日付表には674日(7月15日現在)
とある。参院選の最中であるが、7月22日には土地明け渡し請求裁判の2回目が開
かれる予定であり、その準備に追われている。といってもテントでは変わらない
日々があるだけだが最新の姿を近々の日誌から見てみよう。

◇◇小暑を飛び越えて一気に大暑になった。(7月10日の日誌の一部)◇◇

 暦の上では小暑なのだろうが、一気に大暑になったように思える。テントは入
口を全面的に開け、蚊帳も吊られて暑さ対策は出来ている。家に居ても自然に汗
が噴き出してくるのだから、テントはまだ、幾分かは凌ぎやすいといえるかもし
れない。エアコンは言うに及ばず扇風機もないテントでは自然の風だけが頼りな
のだが、夏になると簾(すだれ)程度で開け放していた昔の家を思いだす。

 夜と朝方はまだ、熱帯夜という程ではなく過ごしやすいし、風でもあれば心地
よい(マンションなどよりは暑くない)が、ただ風は強風になると厄介だから適
度にと願わざるをえない。官庁街のど真ん中での山テント風のシンプルな夏の過
ごし方も悪くない。家で暑い暑いと言っているのもいいが、泊りがけでテントに
来てもらいたい。歓迎されること請け合いである。

 7月22日(月)には第二回の口頭弁論が午後に2時から東京地裁で行われる。
僕らはこの法廷として大法廷の使用を要求してきたが、103号法廷《大法廷》が
地裁側との協議において決まった。連日、地裁への申入れ行動などを展開してき
た皆さんはじめ、関係者の方々の努力のたまもので感謝したい。当日に大法廷を
満杯にして僕らの主張をしよう。

 国や経産省側はこの件を国有地の不法占拠ということにしぼり、占有をめぐる
法律的な案件として処理しようとする。国有地の一角が、原発行政や原発事故の
責任を問い、その政治的意思表示の空間として占拠され出てきたことを無視しよ
うとする。経産省の管理する土地が占拠されたこと、その事実だけを法的な対象
にしようとする。こういう法的な行為で、排除されるのがこの占拠(政治的意思
表示空間の創出)の意味である。

 そして裁判所側はこの土俵を枠組みとして容認する。だから、この裁判の土俵
や枠組みから、排除された本筋を裁判において実現すること、そしてなお裁判の
設定される土俵も無視できないことの二重性を負う。この二つの面を裁判の中で
やるのは難しいことだが、これを可能にするのは僕らの結集力である。多くのみ
なさんの参加を願う由縁だ。

◇◇ある日の出来事から(7月14日の日誌の一部)◇◇

 日曜日、テントひろばの朝は静かだ。10時ごろ着くと西東京市からいらしたご
夫婦がRさんと話しこんでいたほかOさんがひとり座っていただけ。お二人が帰
られて、高崎から来た方、渋谷のハチ公前での選挙フェスに行く前に寄って下さ
ったそうです。選挙フェスには若者に大人気のミュージシャンたちが参加すると
のこと、若い人たちが大勢集まって投票率が上がると良いですね。

 午後になって犬と一緒に毎週来て座ってくださる方たち、応援に来ましたと初
めてテントを訪れた言う方たちも居て用意した椅子が満員になる。見慣れない男
の人が黙ってテントの写真を撮っていたので「原発をどう思いますか?」と聞く
と「中立です。でも原発がないと困るでしょう」と言う。

 そしてテントに対して「こういうやり方は良くないと思う。自分の家の玄関の
前に脱原発のテントを張られたらどうしますか?」と、これはチョット違う話だ
と思ったけれど、的確な反論が出来ないうち彼が去りそうだったので読んで下さ
いとテントのチラシをお渡した。ゴミ箱行きにならなかった事を願います。

 テントの裁判が始まってから招かれざる客は来なくなったけれど、この手の方
が時々訪れる。賛否はともかく考えるきっかけになる事は良い事だと思う。もっ
とゆっくり話していって下さればもっと良いけれど……

 3時ごろオーストラリアのシドニーからと来たという若い男性がやってきた。
学生だとのこと、日本語もかなり話せ何でも知りたいと言う。彼が来て間もなく
激しい雨が降り出したので皆テントの中へ、そこで原発の事、TPPのことなど
を説明、片言の英語、日本語が飛び交ってとても面白かった。彼はTPPについ
ては良く知らなかったようだ。

 私たちのつたない説明では10分の1も理解できたかどうだか? 彼は日本に来
て反原発のバッジをつけていたり、運動しているのが皆年寄り(?)なのにびっ
くりしてカルチャーショックを受けたと言う。オーストラリアではデモをしたり
するのはほとんど若者だからとのこと。

 話の途中、外から大きな声が聞こえてきて、さては!と思ったら、奨学金制度
に関するデモだった。オーストラリアの彼にはよほど珍しい光景だったらしく、
カメラを持って飛び出して行ったきりなかなか戻ってこない。雨は激しくなるし、
荷物を置いたまま出て行ったので迷子になったのではないかと心配になったが、
雨が小降りになるのを待って帰宅の途に。後で無事テントに戻ったことを知って
ほっとする。今日も一日色々なことがありました。

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(4)原発の稼働ゼロから大飯原発再稼働へ《2012年の攻防》
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 福島の女性たち(原発いらない福島の女たち)の登場がテント初期の大きな出
来事であれば、その後は2012年の5月に日本の原発が稼働ゼロにいたり、それに
焦った政府が大飯原発の再稼働を進める事がある。この間に、毎週金曜日の官邸
前抗議行動は20万人が集まる展開となった。テントはそれらの活動と連携してい
た。

◇◇未来を孕む・女たちの「とつき・とおか」のテント村行動―開始◇◇

■師走、何となく身もこころも忙しく感じてしまう。言葉の摩訶不思議な働きと
思う。その師走の冒頭から「原発いらない福島の女たち」の世話人である椎名さ
ん発案の「未来を孕む・女たちのとつき・とうかテント村行動」がはじまった。

「とつき・とうか」というこどもを孕む女性の存在はかつて母系社会と贈与社会
の基盤になった。母型が社会の基本的基盤になったのである。歴史の中でいつか
社会は男系社会と交換中心の社会に転じた。そして今、この社会は世界的に行き
詰まり、多くの矛盾が露呈されてきている。西欧(アメリカ・ヨーロッパ)の金
融危機はそのひとつであり、日本の大震災や原発震災はそれと連動している。

近代西欧の文明を世界的文明としてきた時代は大きな転換を意識せざるを得ない
段階にある。誰もがこころの奥底で聞いている声である。だが、時代が何処へ行
くのかは誰も明瞭にできないし、指南力のある指示向線はない。歴史に参画する
個人の声が溢れ出て社会を尽くさなければ視界が開けてくることはない。

その時、僕らにこれが何より大事といえるものがある。現在の社会の転換には社
会の根源にある女たちの声が社会の決定力として登場してくることだ。そして、
歴史の彼方に忘れられた感のある母系社会が見直されることだ。未来が見えてく
ることは過去が見えてくることに他ならないからだ。

原発社会が象徴する現在社会にさよならするには未来と過去の世界が見えてこな
ければならない。何処に向かうのか濃霧に閉ざされたような社会の視界が開けら
れることだが、そのキーをなすのは女たちの声であり行動である。無意識も含め
て人々に響きある声である。それが繋がったとき社会は変わる。未来がそして過
去が僕らを呪縛している歴史像を超えて見えてくる。

■「とつき・とうか」。決して短い日々ではない。だが僕らはこの行動にこころ
から賛同し、協同の行為としてもらいたと思っている。3月11日から8カ月を過ぎ
9カ月に近づいているが、復興は遅遅として進んでいない。福島第一原発の収束
は出来てはいない。放射能汚染も収まっていない。依然として僕らは何よりも放
射能汚染に晒されている「福島の子供たちを守る」ことを優先的事柄として強調
しなければならない。それが第一にやらなければならないことだ。

あらゆる手段と方法でこれをやることを僕らの共通事にすることを確認する。再
稼働阻止に闘いと両輪のごとく推し進める。「女たちのとつき・とうかテント村
行動事項」。生活時間:10時~15時。生活場所:テント村、問い合わせ先:椎名
千恵子。事務局:高橋幸子。

◇◇「とつきとうか」の座り込みも一週間が経ようとしている◇◇

■「『段々と降りてゆく』よりほかないのだ。飛躍は主観的には生まれない。
下部へ、下部へ、根ヘ根へ、花の咲かぬ処(ところ)へ、暗黒の満つるところへ、
そこに万有の母がある。原点が存在する。初発のエネルギーがある。」(谷川雁
『原点が存在する』)。

原点が存在する。よく知られた言葉だ。原点とは何だろうか。谷川雁にとってそ
れは近代によって忘れ去られた庶民の存在であり、生活だった。原点とは人の実
存に深くありながら忘れさられているようなものだ。人によって理解は違うだろ
うが、成熟によって見失われてきたものであり、原郷とよぶべき世界のように思
う。

だから、普通は意識にはなかなかのぼらない。しかし、現実への危機感や喪失感
が強くなる時には意識され、自然に出てくるものである。現状や現在を超えるた
めに人は原点を意識し探し求める。そして原点は現実を変えていく武器として機
能する。

かつてこの谷川雁と在った森崎和江は『ははのくにとの幻想婚』などを書き、原
点を探し求める作品を書いた。彼女にとって原点とは現にある女や母の世界《エ
ロスの世界》で在り、歴史的には母型的社会であり、その発見だった。これは僕
の勝手な読み方であったが魅せられた世界だった。

■10月27日の「原発いらない福島の女たち」の座り込みの中で「経済より命」と
いう言葉を聞いた。確かに以前にも聞いたことはあったが後に残った言葉である。
これは彼女たちに大震災や原発震災の中で生存の根拠として出てきた言葉であり、
原点というべき言葉である。

命よりも経済が優先しているのが現在の社会である。長い歴史の中で男権的思考
が「経済より命」という考えを覆い隠し、忘れさるようにしてきたからである。
言い換えれば「命より経済」という言葉を普遍的なものとして流通させてきたの
だ。大震災や原発震災が彼女らに原点としてこの言葉を蘇らせたのは、それらが
強いた日本社会の転換の意識である。誰しもがそういう声をこころの底に聞いて
いる。

しかし、長く男権的思考の支配してきた社会は身体が対応しないし、言葉も貧し
い。原発も含めて次の社会のビジョンを描けないことでもある。男権的思考の支
配してきた歴史観から解放されその向こうになかなかでられないのである。この
原点にはたどりつきにくいのだ。開始されたこの「とつきとうか」の座り込みが
提起しているものはその意味で豊である。

◇◇原発の存続だけは人々の意志で決めたいものだ◇◇

■昨年の暮れに割と親しかった友人が次々と亡くなった。僕らの年代になると櫛
の歯が欠けるように周りの人が亡くなり野辺送りをする機会が増えるが、そのた
びにこころに引っかかることがある。友人のことを回想し追憶に浸ることもある
が、忘却する(させられる)スピードも速くなっていることだ。

「絆」が昨年の言葉であったが、現実はむしろ絆が困難にあるのではないだろう
か。関係と言い換えてもいいが、関係の生成や保持が難しいのである。このこと
に考えをめぐらすと直接的な関係と非直接的な関係の間の距離が広がっているこ
とにあるのではないか。直接的な関係は僕らの日常的な関係であり、具体的な関
係であり、生の世界といわれるものだ。他方で非直接的な関係とは何らかの媒介
を介した関係であり、政治や社会はこちらを本質として存在している。

僕らの直接的な世界(生の世界と関係)は大きいのであるが、媒介を介した世界
(政治や社会、あるいは歴史や社会)も大きく成り、かつ流れも速い。そして、
僕らはこの二つの間の関係のつながりに距離感を感じているのである。政治や社
会に僕らの声が届かず、関係のないところで動いているような実感を持たされて
いるのもそこに原因があるように思う。

■昨年は世界の各地で直接民主主義をめざす運動が広がった。アラブの春から、
ウォール占拠などの一連の動きである。経産省前テントひろばの活動もその一つ
に数えられるのだろう。この直接とは直接的な関係の世界(生の世界)が、つま
りそこでの人々の意志や声(実存から発する声)のことであり、それを政治や社
会に反映して行こうということである。あるいは政治や社会を創り変えようとこ
とである。

僕らには少し前に沖縄から発せられた「琉球弧の自己決定権の樹立」という事が
想起されるが、「経済よりも命」というのも同じことであると思える。女性たち
の直接的な生の声が命と言う言葉になっているのであり、その反映なしにはどの
様な政治や社会の変革もその構想も現実の肉体や精神を欠如した空想に過ぎない
ということを告げているのだ。

東日本大震災や原発震災の復旧や復興に現地の人々の声が届いていないというこ
とも、このことの困難さを僕らに教える。脱原発の運動も原発震災から時間が経
てば直接的な声は届きにくくなる。まして、社会は速く動き、次から次へと事件
は起こり課題が提起される。そうであればこそ、脱原発の運動の原点を自覚しそ
こに立ちかえり闘いつづけなければならない。そこにはこう記されているはずだ。
原発の存続は人々の意志と声で決定されな

◇◇カンショ踊りで菖蒲も柏餅も映えた五月五日(祝)>◇◇

■子供の日と言えば、子供たちと日暮れまで遊んでいた西行や良寛のことを思い
浮かべる。子供たちと毬蹴りやかくれんぼをして遊んだ彼らのこころの豊かさを
誰でもが感じることができる。また、日本社会は子供などの小さきものを慈しみ
大事にしてきたところがある。柳田国男もそのことを記している。これは僕らの
伝統の一つであるのだろうが、それはまた失われつつあることでもある。原発は
その現在を象徴する存在でもある。

僕らが福島原発事故で感じたことだ。原発稼働ゼロを実現することで5月5日(祝)
を祝おう、それが子供の日の最大の贈り物だということを誰かが言いだした時に
これはみんなに率直に受け入れられた。そして、その実現は大飯原発3・4号機の
再稼働を急ぐ政府との緊張をした闘いを経てなった。だから、僕らは今、この実
現を率直に祝いたいと思う。

しかし、同時になにかずっしりとした責任感のようなものも負った気分だ。子供
たちへの約束として。僕はどこまで行けるかもしれないがこれを果たしたいと思
う。果たすだけの闘いをやって行きたい。本当に原発ゼロをめざしてである。

■5月5日は12時から経産省テント前で4月17日から続けられてきた集団ハンスト
の終了とセレモニーが行われた。今日は子供の日でもあって、手作りの鯉のぼり
や菖蒲などがプレゼントとして用意されている。小さなお子さんを連れたお母さ
んなどの姿もいつもより目立つ。セレモ二―ではそれぞれの挨拶などと共に全国
各地から寄せられたメッセージも読み上げられた。誰の顔もとにかく原発ゼロを
勝ち取ったという喜びにあふれていた。柏餅を口にしての笑顔は5月の空に映え
た。

セレモニーが終わり、芝公園での「さよなら原発1000万署名」主催の集会に出掛
けた。テント前ひろばの椎名千恵子さん等の発言もあったが、会場でカンショ踊
りを披露した。17時から経産省をカンショ踊りで包囲する行動の誘いのために。
芝公園での集会は5500人の参加があり、稼働原発ゼロの実現もあって盛り上がっ
た。デモが終わったあと、経産省前行動に参加した人も多かった。経産省テント
前ひろばでは17時からのカンショ踊りによる経産省包囲行動が賑やかに展開され
た。この佳日を僕らは胸に刻んで今後の闘いの糧にして行きたい。

■稼働原発ゼロの状態の後、政府はさしあたり大飯原発3・4号機、伊方原発3号
機を突破口に再稼働を画策してくる。稚拙な政治決定を反省して出直してくるか、
より強引の方法で出てくるからはわからない。国民的な意識の高まりを希望とし
て次の闘いを準備する。

◇◇大飯現地テントは撤収したが、次の準備は進められている◇◇

■これは大飯現地からの報告であるが、それにあたってまず、政府の再稼働の動
きから確認をしたい。昨年2011年12月16日、突如フクシマ原発過酷事故の収束宣
言が野田首相から出されたが、ここから再稼働工作が本格的に開始されたとみる
べきである、と思う。憶測をはらむが、事態をわかりやすくするために区切って
考えてみる。

それまでの無策から一転した陰謀的ともいえる策動が水面下で行われる。フクシ
マ原発シビアアクシデントの忘却策動である。12年3月11日、福島での県民集会
をめぐる陰謀だ。「安心できる復興を」をメインスローガンとしようという策動
だ。集会スローガンから反・脱原発を消し去り「復興」に向けての大キャンペー
ンを行なおうとした。3月11日、郡山集会で大江健三郎さんが、集会冒頭、「こ
の集会は非常に困難な情況をうち破って勝ち取られています」といみじくも述べ
たように、反動の波が押し寄せていた。

これに対して「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の女性たちを先
頭にねばり強いたたかいで、集会は反原発のたたかいとして勝ち取られ、加藤登
紀子さんほか福島の人々の反原発の声が会場を圧倒し、敵の策動は木っ端みじん
に粉砕された。だから、県知事も郡山市長も出席しなかった。

しかし、この間、2月には平行して再稼働に向けて、ストレステスト「妥当」工
作が経産省、保安院によって続けられた。これらは再稼働に向かっての政府と電
力会社の出来レースである。シナリオ書いたのは、仙石政調会長代行といわれて
いる。そして、3、4月は野田政権の「再稼働ありき」のシナリオ、出来レースと
の連続したたたかいとなる。枝野発言に翻弄されつつも、確固とした再稼働反対
のたたかいが性根を張る過程であった。

■たたかいを牽引した3つの行動がある。一つは、政府4閣僚会議の「再稼働は政
治判断」に対して、首相官邸前で連日1000名をこえる直接行動が執拗にたたかわ
れた。ツイッターで集まった人々の行動力が遺憾なく発揮された。さらに経産省
前テントひろばのハンスト宣言。これまでの半年を越えるオキュパイテントのた
たかいに依拠しながら、大きなインパクトを与えた。そこでは福島の女性たちの
切実な思いが全国的な影響力を創り出し、諸人士のたたかいを生み出した。

二つは、地方自治体への直接行動だ。4月9日夜、突如、設営された大飯原発現地
の原発道路沿いのオキュパイテントを皮切りに、14日福井県庁への枝野説明に対
する大衆的な抗議闘争。滋賀県庁、京都府庁への経産省の説明に対する連続的た
たかい。関電本店、京都支店への直接包囲行動が幾度もたたかわれた。そして4
月26日、おおい町住民説明会への原発「疑問、不安」派住民への激励・支援行動
がたたかわれた。

住民説明会では、不安と疑問、今までは言えなかった反対の声すら出た。柳沢副
大臣は「意見は反対の方が出る」とし、「理解は進んだ」と苦しいいいわけをし
た。時岡忍町長は集会警備費に2600万円をかけて説明会を仕切り、「目的は達成
された」と開き直った。これに対して、5月1、2日、時岡町長弾劾の声が町役場
前であがったのである。5月1日には6人の地元の住民も参加した。5月1日、小浜
でひらかれた住民説明会は、多くの反対の声で原子力安全・保安院はたじたじと
なった。「全関西が地元だ」というたたかいが展開された。

三つは、1000万人署名運動をはじめとする全国の地道なたたかいが基礎に座って
いることである。自分自身ができることにこだわりながら、脱原発を目標に、様
々な運動と連帯しようとしている人たちのたたかいだ。20年前、30年前と同じよ
うに反原発運動が衰退していくのか、それとも新たな持続的運動と圧倒的高揚を
創り出すことができるのか、運動全体の展開とそれぞれ個別の問題が突きつけら
れているといえよう。この狭い日本に54基もの商用原発が作られたことをかみし
めよう。懺悔ではなく、事実に対する反省を、と思う。

■たたかいはこれからだ。このようなたたかいでひとまず再稼働は阻止され、原
発ゼロ化は勝ち取られた。しかし、福島では「避難も、補償も、なにもなされて
はいない」このことを絶対忘れるな、である。

再稼働を巡るたたかいは、第二ラウンドに入ったといえるのか。ゼロ化はひとま
ず勝ち取った橋頭堡だ。率直に受け止めよう。だが、たたかいはこれからだ。7、
8月に向かって、「電力不足、計画停電と電気料金の値上げキャンペーン」との
たたかいが始まっている。経済と命の問題だが、実は簡単ではない。確信はフク
シマを忘却させる敵の攻撃と真っ向からたたかうことである。大衆的な直接行動
を徹底的にたたかうことである。運動の基礎としての率直な怒りを行動に転化さ
せることである。この積み重ねの中から運動の論理と指針がわき出てくることに
確信をもとう。

長いたたかいになるが、「絶対負けない。なぜなら勝つまでやめないから」(日
本航空CCU・内田妙子さん)の心意気でたたかおう。<経産省前テントひろば
>と連帯してたたかいたい。4月9日から始まった大飯現地のテントは延べ9張り、
現在7張りで、一旦、5月6日で完全撤収する。しかし、次の準備は進められてい
る。

註《この報告は現地で闘い12年の暮れに亡くなった吉岡史朗さんのものです。彼
は大飯の後に大阪での闘いをやっていましたが暮れにみんなに惜しまれてこの世
を去りました。》

 今回のレポートは長くなってしまいました。でも、ほんの一部しか伝えられな
い気がします。(7月15日記)

 (筆者は東京都在住・政治評論家)

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