経産省の一角に脱原発テントは存続している(3)

【特別報告】

経産省の一角に脱原発テントは存続している(3)

三上 治

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(5)二周年も近づきテントは霞ヶ関の日常的風景になった

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 経産省前のテントの入り口に張り出されている日付表には707日目(8月17日現在)とある。7月22日には土地明け渡し請求裁判の2回目が開かれ、その3回目が9月12日に予定されている。9月11日はテントが出来て2年目を迎えイベントも企画されている。本格する原発再稼動の闘いに向け準備もすすんでいる。猛暑を楽しみながらの日々である。そんな一端から…

◇◇選挙と裁判の余韻も残っていて◇◇

 朝早く目を覚ますと蝉の声が聞こえてきた。一日中というわけではなく、時折聞こえるだけなのだが、蝉も時を選んでいるのだろう。雑音に掻き消されることのない比較的静かな早朝を選んでいるのか。年々、蝉が少なくなっていくように思えるのは寂しことである。誰か蝉の声のする風鈴でも発明してくれないか。土用の鰻を人並みに食したが、値ばかり高くなってきているが、やがては手もとどかなくなるのだろう。これも寂しいことだ。

 予想されたこととはいえ、与党(自公)の勝利に終わった参院選挙だった。これで衆参の議席のねじれは解消したことになるが、政府の政治意志と国民の意思のねじれがなくなったわけではない。そこでのねじれは残っていることをしるべきだ。アベノミクスと言われる経済政策は一定の形で国民に支持されたかもしれない。これは、野党側がまともな経済政策を提示できなかった結果である。時が経つにつれて、アベノミクスが地金を露呈させ、誰の目にもアホノミクスとして映るように成るだろう。

 それ以上に、自民党の提起している憲法改正や原発推進《再稼動推進》は国民の反対の方が強い。ここには政府と国民の間のねじれがあるのだし、その政策をめぐる闘いがある。選挙結果に落胆している人もいるかもしれないが、選挙という方法以外で僕らの政治的意思を実現する道もあるのだし、そのことに向かえばいいのだ。選挙だけが、国民の政治的意志実現ではない。原発がそれを選挙の争点化として避けた政府で推進される欺瞞性と闘うにはそういう方法が不可避である。

 それにしても今回の選挙で誰しもがおかしいなと思ったことは体制側の選挙に合わせた情報操作などが目についたことだ。株価なども選挙までは高値維持を図ったように見えるし、原発関連の重要な情報は抑えられてきた。福島第一原発の汚染水の海への流出などは選挙が終わるまで隠されてきたのだ。少しの情報から推察の効く、つまりは想像力というアンテナが延びる事が大事だが、これは日ごろの鍛錬が必要だ。意識で自覚的な鍛錬が必要なのだ。

 情報が洪水のように溢れ、それも速いスピードで動いて行く時代の中で、本当に重大な情報は隠されたり、操作されたりする。それを見抜きながら推察し、判断する能力は、ということは想像力が働くことだが、不断の鍛錬があって可能だ。かつては『読み書き』の能力といわれたことがあるが、それは情報を判断する主体の力がということになる。

 メディアが権力の側の情報の隠匿や操作に加担しているのではないか、という疑念はよく聞かれる。これに対応するには情報を判断する主体者としての僕らがそれを超えて行く力を得ることであり、それには不断の切磋琢磨がいるのだ。これが現在の知的活動でもある。

 僕らには闘いの武器は少ないが、本質的なものがあるのであって権力との闘いにはこれが大事だ。知識の獲得と知的能力が同一化していた時代は終わった。これだけ情報が速いスピードで膨大におしよせてくる時代のなかで、こちらの判断力こそが知的なことなのだ。知という体力(知力)も不断に練磨していないと衰えて行くもので、それに抗すことは時代と権力に抗し続けることだ。

 テント日誌の特別版でも伝えられているように7月22日の第二回口頭弁論には多くの皆さんが参加していただき盛り上がった。被告の特定における経産省や国側の人間違いという重大ミスはこの裁判(提訴)そのもののが疑念にみちたものであることを知らせる。次回が待たれる。

◇◇時ならぬ子供たちの声に◇◇

 朝起きてテント前にいつものように座っていたが、ちょっと様子が違う。やけに子供が多いのだ。母親等に連れられた子供たちがテントの前を通る。母親はテントには無関心を装うが、子供たちは好奇のまなざしを隠さない。なるほど夏休みなのだ。地方から上京しているのかな(?)と思っていたが、どうやら違っていたらしい。霞ヶ関の諸官庁が「霞ヶ関こどもデー」として親子を招いていたのだ。経産省でも自動車などを入り口においてそれをやっていた。電気自動車なのだろうか、子供がうれしそうに乗っているのが見えた。

 子供たちが見える風景はいいものだ。どこか心が和むのである。途切れなく道行く子供たちに、というより母親にパンフレット類を手渡しながら、話しかけたりしていた。霞ヶ関の官僚たちはどんな事を考えて「こどもデー」なんて設けたのだろうか。

 経産省前に立つ三つのテントのうち一つは女性用テントであり、ある意味で母と子のテントである。福島の子供たちを放射能汚染から守ることを訴えるために出来たものと言ってよかった。これは今回の脱—反原発運動に登場した女性の声を代表するものでもあった。「金《経済》より命」というのがそれを表わす言葉と言っていいのだけれど、ここには原発問題の認識が、直観的であれ込められているし、子供たちとともに未来の社会への思いも含まれている。たとえ、まだ、社会的な言葉には成り切れていないとしても。

 「金《経済》より命」というのはとても抽象的に聞こえるが、二つの内容がある。一つは原発の存在の社会性としての経済的理由を否定しているのである。結局のところ原発存続の理由を経済に求めることの否定である。経済の観点からだって、原発の存続を否定できるが、経済的な理由に対して、より深い視点からの否定である。

 もう一つは経済優先の社会性《社会的存在、あるいは人間の社会的なありかた》の否定である。経済が優先される社会は近代社会であるが、それから脱するのは容易でないことを誰も知っている。しかし、それへの疑念もあり、経済優先の社会が歴史的なものであって、歴史的に超えていけるものであることもたしかだ。現在はこの転換点にあり、「金より命」というのはそれを直観した言葉である。

 歴史的にみれば、経済こそが、宗教的な理想よりも命を大事にしたと言える。宗教的な倫理よりも経済のほうが人間の命を大事にしたといえるところはあって経済優先の社会にはそれなりの歴史的な根拠があった。それが近代社会の存在理由だったいえる。しかし、経済優先の社会を超えることが課題になっていることも疑いない。近代を超えることが現在の課題であるように。

 僕らは存在すること自体が価値であればいいのだと思う。それが社会の、つまりは倫理の根底になればいいと思う。政治社会的に見ればテロリズム《現在的戦争》は人間の存在自体が価値であるという倫理性《社会性》と敵対するものである。経済社会的には原発がそれに匹敵する。テロリズムも原発もそれ自体が、人間の根源的な存在の仕方に敵対する。存在すること自体が価値であり、それが人間の根源的な存在のあり方というのに敵対するのだ。

 「金《経済》より命」はこの社会性(倫理)をあらわす。この言葉が歴史的に男権的な社会を否定した母系的な社会を返りみようとするのも当然だろう。歴史的に現在の社会を変えるために、過去の社会がかえり見られ、未来のビジョンをそこに探るのは必然と言っていいからだ。「金《経済》より命」が社会的な通念になるにはまだ必要なものがある。僕らはそんな過渡にあるのだろうが、時ならぬ子供たちの声に想像力が刺激された一日だった。

◇◇世間はお盆休みだが…◇◇

 テントの前に座っていると、友人の差し入れたくれた風鈴の音がここちよく響いてくる。風が出てきて心もあらわれるような気分の中で、このお盆休みの一日を過ごす。世間はお盆休みの週でテント前も人通りが少ない。前夜もいつもの待機タクシーがほとんどいず、各省の電気も消えていた。こんな静かなのもいいかとは思うがやはり寂しい。

 午前中にはテントにはほとんど人が訪れない。明日の15日は敗戦記念日であり、いつものように夜にはトークライブに出掛ける、恒例のことだ。紋切り型の「戦争はだめだというのは」重要だ。安倍の式典のあいさつから紋切り型の言葉が消え去った事は批判に値する。

 テントでは9月11日にはテント設立の2周年を迎える。9月12日には第3回の公判もあってその準備がはじまっている。9月15日は現在稼働中の大飯原発も定期審査のために稼働はとまる。再び、原発稼働ゼロの状態になる。そして再稼動問題が政治焦点になる。政治的な動きなど展望すれば、先に動きはイメージできるのであるが、テントは2周年を近くに控えてやはり、時間との闘いという困難ななかにあるように思える。

 僕は脱原発や反原発の運動が持久戦にあると書いた。この認識は今も変わらない。これは現実からその反応が出てきにくい時期にあって、それに依存せずに運動を持続する時期であると考えてきたことだ。この時期は人々の原発に対する反応の変化を見極めながら、ある程度、この意志によって運動を持続して行く過程である。体制や権力の動向は強化されていくのがみえながら、人々の反応は見えず、ある種の孤立の中で闘うことを強いられることだ。テントが二年間にわたって持久戦を意識してやってきたことは意味ある事だが、現在、まだ持久戦期の局面にある。運動に悩みはつきものだけれどそういう現状にある。

 日本の反体制運動や反権力運動は運動が孤立した場合の伝統的パターンがある。それは内部対立を激化させ自滅して行く道をたどることだ。持久戦は下手であって急進的展開という型でない運動を展開した経験もあまりないのだ。これは遺伝子のように僕らも受け継いでいて、そのことに自覚的でないととんでもない結果にいたることもある。脱原発の運動の一般的な反応は変化しており、テントに対する反応も変化している。その意味である種の孤立として現象していると言える。この時にこれまでとちがった持久戦型の闘いをやることが問われているのだ。

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(6)2013年の攻防戦から 土地明け渡しの裁判もあって…

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◇◇新年を迎えたテント前は穏やかな日差しに包まれていた◇◇

 年末には風邪をひいて寝込んでいた。無理せず休むに限るというわけで年末の大掃除もパスをしてひたすら寝ていた。どうにか回復して1月1日の泊りには間にあった。年末からのイベントがどうなったか気にかかっていたが結構盛り上がったと聞いたからホッとした。テントは年のはじめと言うことでいろいろの差し入れ品が目についた。飲み物もいつもに比べて豊富だが、果物等も沢山いただいた。

 まだ少ないが年賀状も。テント内のカレンダーや新年の催しのビラが目についた。脱原発の運動は政権の移動と関係なく続けられて行くし、自民党政権が地金を露呈させてくればくるほど闘いも進展する。より大きな運動を惹起する。首都圏反原連は1月11日から首相官邸前行動を毎週金曜日に展開するが、脱原発の運動は続くのである。今回の選挙で自民党は争点外しをやって成功したが参院選挙はそうは行くまい。

 「狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉」というのは『芭蕉七部集』の冒頭の句だが寒い日によく口に出る。僕の好きな句でもあるのだが、確かに昨年の12月は寒かったので度々口ずさんでいた。木枯らしは気節的には11月の末から12月の初めの頃の冷たい北風のことであろうが思わず口に出るような寒い日が昨年は多かったのだ。

 そして、今年はと身構えてきたが、元旦は意外に温かだった。また、翌日のテント前も穏やかな日差しに包まれていた。いつも間にか、すっかり裸木になった街路樹を椅子に座りながら眺めていたがこの光景も悪くない。それなりの風情もあって温かい日差しの中で眺めているのもいいものだ。ジョギングする人が多いが、上京したついでにという人も少なくない。テントに立ち寄り、談笑する人がいつもより多い。地域のグループで訪れるのも見かける。こんな穏やかな年はじめだった。さて今年は(?)

◇◇まだら模様の残雪は大寒の寒さを予感させているのか◇◇

 私の地元では長く続いている世田谷ボロ市が開かれていたのだが、前日の雪もまだ残り、いつもより人も店も少なめだった。足元に気をつけながら回ってみたがやはりいつもの活気はない。長々と行列のできる代官餅も列は短めだった。さっそく餅を買って帰った。ボロ市には大震災の被災地の復興店が出るのだが、いつもの場所は空きが目立った。被災地から来るのもこの雪では大変なのだろうと推察した。残念だったが、出ている復興店で白河の味噌や岩手のお酒を買った。ボロ市はもう一日あるのだが、明日は店が揃うといいなと思った。

 テントの方でも周辺は雪も残り何となく寒そうだった。この光景は心にも寒さを運んでくる。いや、そちらの方がより寒さを感じるのか。大寒まではまだ日があるが、大寒に入ったら一層の寒さがやってくるのか(?)

 テントの中も温かくはないが、多くの人の工夫があって昨年よりはいい。政権交代があり、私たちの心的緊張は続いているが、私たちのなしうることは時間があればテントの足を運ぶことしかない。幸にもテントには既に顔見知りの人、初めての人など立ち替わりきていただいている。しぶとく持ちこたえているなあという印象だ。そんな風に私たちは原発震災が時間の中で風化していくことに抗っているのだ。毎週金曜日に官邸前抗議に出掛けてくる人も同じであると思う。

 こうした中で自己問答を続けるのは孤独な営みだがそれが運動を実質的に支えているのだ。考え続けるしか手のない時期があるのだしそれをやめてはならない。

 テントに泊まる時は深夜の散歩もしていたのだが、今は止めている。風邪を警戒してのことだが、それで代わりに朝方に周辺に散歩に出掛ける。やはり寒いねと呟きながらだが、それだけに道端の小さな草花には慰められる。少年の日に野山を歩き回りながら人知れずに咲く小さな草花に出会ったときの喜びや感動を思い出す。

 何の変哲もない日常の延長線の上にテントの日常もあるのだが、このテントがやがては500日になるのは驚きだ。道端の草花が寒さに耐えている中にも春は近づいている。これに比すれば春など想像できない福島の現状には胸が痛む。やがて「福島月間」もくる。福島のことに目を向けたい。

◇◇気がつけば500日目だ。これからはまったりと…◇◇

 ふりむけばあっという間に500日が過ぎた。多くの人がやってきて交歓がうまれ、人が出会った。また多くに集会もあり、「かんしょ踊り」の舞いもあった。トラブルもあった。ここには変わらない日常もあれば、日常をはみ出ている《超えている》こともある。まことに得も言われぬ空間(ひろば)ができたのだ。安倍政権の登場で少なからぬ緊張があるが私たちはまったりと行きたい。これは私たちの願望に過ぎないかもしれないがこちらの気持ちとしてはそうである。

 テント前の椅子に座るのはこの季節なかなかしんどいものがある。それでも立ち替わり多くの人が座っていただいている。話はいろいろだ。経団連前のデモに行ってきたという女性連れの話は楽しかった。まだ、1970年代のはじめにインフレ問題で経団連にデモをしたこともあるが、そのうちに一度行こうと思う。脱原発の運動が霞ヶ関のみならず、他方面に広がっているのは素晴らしいことだがしつこく、諦めずにやっていきたいものだ。
 
 テントには全国の各地からいろいろのものが送られてくる。これは励みになるし感謝しているのだが、中にはこんなものがあった。年の初めにお孫さん(小学三年生)をつれて皇居の参賀の帰りにテントに寄ってくださった方がいた。テント前で私と三人で写真を撮った。その写真とお孫さんの手紙が同封されたものが送られてきた。

 「一年前にいった時は30分くらいテントの外のイスにすわっただけでしたが今年はテントのなかにいれてもらいよかったです」とある。一年前にもテントに寄ってもらったのだが、この子が大きくなるころには原発はどうなっているのだろう(?)と想像をする。それより来年はどうなっているのかとも思うがまた会えるといいと思う。「福島月間」の間に子供の被曝問題について深く追及している友人にレポートを頼もうということを手紙に触発されて思いついた。

 1月21日には仙台高裁で福島原発事故から子供を守る「ふくしま集団疎開際判」があった。これを支援するグループは毎週金曜日5時から文科省前で抗議行動をやっている。機会あれば参加を。毎週金曜日は官邸前抗議の日だが、これは6時からだから時間の取れる人はその前に加わって欲しい。

 1月23日には「第8回 女たちの一票一揆 院内集会」が持たれた。参加の方がその前にテントに寄られたがこちらも続けられている。頂いたチラシにはこの第一部として『福島の現状と課題の共有』とあったが、これは私たちもまさに共有したいことだ。近くの日比谷公園の野外音楽堂では1月27日(日)15時からオスプレイ反対集会がある。沖縄からも議員団などが上京され緊急に設定された集会である。15時45分からは銀座パレードもある。

◇◇いつの間にかプロ野球もオープン戦に◇◇

 子供が小さい頃は球春が聞こえてくると落ち着かなかった。子供をつれてまだジャンボスタンドだった後楽園に行くのが楽しみだったからだ。春のキャンプを宮崎まで見に行こうと誘ってくれた友人もいたが、オープン戦に出掛けるというのが我が家の春のはじまりだった。その子供ももう孫もいる歳ではあるがどうもこのところは球春が聞こえてきてもこころが動かない。

 3・11以降はこころの所在が変わったというのか、日常の風景にどこか異変が起こっているのだ。相変わらずスポーツ新聞は読んでいるがこれはなんだろうと思いながらテントにやってきた。WBCもこころは魅かれないし、体罰問題で揺れるスポーツ界のことが気になる。

 3月11日が近づいてきている。経産省前テントひろばでは2月24日から3月24日まで「福島月間」を提起し呼びかけている。これは脱原発や反原発で行動しているグループがこの間に福島に目を向け、現在の運動の原点を再確認しようということである。

 福島第一原発事故は前首相・野田の収束宣言をあざわらうかのような事態である。事故は収束どころか依然として進行中である。新聞のどこかで毎日原発事故の関連記事を目にする。が、他方で情報の隠蔽体質は少しも変わってはいないのが腹立たしい。私たちが今、福島の現状を知り、そこから学びながら持久戦的な様相にある運動全体の方向を切り開いていくことは重要なことである。少しずつ温かくなるが、経産省前や首相官邸前に出掛けてきた欲しい。春を待つのは草花でだけではない。

 テントでは訪問のメンバーと昨今の政治的な動きなどについていろいろの議論を交わした。訪問のメンバーは3月の初めに地域で集会を企画されており、私も参加予定なのでその話にもなったのだが、天皇制や憲法など話も広がって議論は弾んだ。彼らが引きあげた後はテントの泊りのメンバーで3月のあるイベントについて議論したが激論になった。これはテントの全体会議でも論議になったことである。やはり難しい問題も出てくる。

 経産省前テントは脱原発に賛同する緒個人の参加している場であり、個人の意思を基盤に運営や行動をやっている。何らかの政治的理念に基づく運営や行動は排されており、その意味では俗にいう党派の指導とかはない。この点はよく考えられてきたところであり、共通のこととなっている。

 しかし、ある事柄に対して見解の対立があり、それが行動に及んだときにはどうするかということはそれほど深く考えられてはこなかった。私たちが経験してきたところでは運動に対して別の目的や理念を持つ党派の考えが介入しなければ、運動に深刻な対立は生まれず、対立があっても深まることはないという風に思ってきた。

 運動の展開上でいろいろの意見の対立や違いが生まれるのは自然だが運動の具体性に即して議論すれば自ずと解決策は見つかるし、抜き差しならぬ対立にはいたらない。大ざっぱいえば、党派的な対立が持ちこまれなければ運動上での意見の違いや対立はあっても、大きな対立にはならない。運動の自然性というものはあるので、それに即していれば大した対立にはならないものだと考えられる。

 ある事柄に対立が生まれ、それが行動までに及ぶ場合は例の多数決による解決か、その行動については個々の責任において展開するというようにするかしかない。この場合も妥当と思える方をとればいいだけのことである。

 久々の激論を交わしながら思ったのは議論が深まれば、いつの間にか大局から見れば小さな行動も絶対的なもののように論議しており、それがコップの中の嵐のようなことになってしまっていることことに気がついた。感情的な対立意識のようなものも出てきて反省的気分になった。外からみれば、馬鹿に見えるコップの中の嵐という状態も、当事者の場に簡単にはなくならないことだと思う。この辺はいつもよくよく考えていることなのにと思った。

 こういう激論をしながら、私たちは自分の行動や主張を相対化してみる視点を、いうなら大局的に見るもものを自分の中に抱えていないとこういう道にはまり込んでしまう。苦い思いなのだが時にはこういうことを考えることは重要なのだと思う。脱原発の運動も歴史の中にあり、多くの遺産の中にある以上は時にはこうした考えも必要だ。久しぶりの激論から思い浮かんできたことだ。テントではいろいろのことが起こり、ドラマをなしている。時に生まれる激論もそんな一つであるがこれはテントが生きている証でもある。

◇◇いつの間にか満開になった桜に見とれながら◇◇

 テントのはす向かいが外務省。どういうわけか外務省には桜がその正面を彩っている。いつの間にか咲きだした桜を飽きずに眺めていたら、「そういえば二回目ですね。三回目は…」と言いかけてKさんと顔を見合わせてちょっと絶句した。よくテントは存続してきたね、という感慨とさて今後は、となったのだ。テントには裁判所のテント前ひろばの占有の譲渡を禁ずる仮処分の告知文が張り出されている。お互いにこの文の方に顔向けながらにゃっと決意(?)を込めたエールを交わしたというわけだ。

 朝のトイレに地下鉄の駅に出掛けたら、いつもと違って多くの駅員が集まっていた。そういえば今日は地下鉄サリン事件の18年目だった。あの日、私は高校の同窓生の集まりで東京駅にいたが、遅れてきた友人がこれに遭遇したとのことだった。このテロ事件は権力に向けられたものでも、抗争する相手に向けられたものでもなかった。無関係の人々に向けられたテロであり、その後の無関係の人を対象にした殺人事件の先駆をなすものだったといえるが、誰もこの事件の意味を解明しえないままに忘却されていくように思える。

 また、この日は米軍主導のイラク開戦から10年目である。当時の小泉首相はいち早く開戦を支持し、自衛隊のイラク派遣を決定した。日米同盟の名のもとにやみくもにアメリカの行動を支持し、戦後初の自衛隊の海外派兵をやったことの反省はおろか、検証だって何ひとつ行われていない。

 忘却することの得意な国民性丸出しといえばその通りだが、政府や権力の側は集団自衛権行使などこれを踏まえた方向に向かっている。9・11以降の反テロ戦争の過程を検証することは、ジャーナリズムで無責任に煽られる中国との戦争などということの出鱈目さを明瞭にすることにもなる。時には振り返るべきものはあるのだ。

◇◇裁判も近づいてきている◇◇

 政治は参院選挙に向かって動き始めている。アベノミクスと憲法96条の改憲がその争点になるようだが、原発問題も忘れてもらっては困る。安倍政権は今回の選挙では原発再稼働を公約に掲げるようだが、前回の衆院選挙のような「三年間後に判断する」という詐欺まがいの公約は政治的信義にもとる。原発再稼働という鎧の下に、こうした衣をまとって登場したことを我々は忘れてはならない。今回の選挙公約でまた曖昧にしたとしても、我々はその欺瞞性を今回の選挙では見抜かなければならない。依然として原発問題は現在の政治の中心的な課題である。

 アベノミクスや憲法96条の改憲についての考えは私にもあるが、それはいずれ別の機会に語るとして、原発の是非が今回の選挙でも中心的課題であることを主張するし、選挙の過程でもその意思表示を続けたい。

 テント前に座りながら外を眺めていると、いろいろの光景に出会う。というよりは目に飛び込んでくる。播磨屋という菓子屋の車は皇太子に思いれした宣伝を書きなぐって走りまわっているが、軍服姿のおっさんが自転車でやってくる。世の中が右傾化と呼ばれる風潮にある一端が見えてきているといえるかもしれないが、見通しがつかないという心的不安が人々にあるのだと思う。誰も不安を吹きはらってくれるような見通しのある言葉を提示できてはいない。

 アベノミクスは先行き波乱を抱えた政策であり、その兆候は見えてきている。これで未来が開けたなんて思っている人は誰もいない。安倍首相の自信の背後には不安の影がちらついている。それは透かし絵のように見える人には見えている。

 原発の廃棄と社会の転換は見通しを与えるビジョンであるが、それは分かっていても電力独占体などの既得権益がこれを拒んでおり、安倍政権は原発再稼働という見通しもない方向へ歩を進めようとしているのだ。我々は権力—体制側の動きに異議申し立てをして行く日々の行為の中で、見通しを明瞭にして行くほかない。誰かが道を付けてくれるのではない。徒労に似た行為とその中での自己問答の中にしか道はない。

 テント前ひろばを保持する中に、あるいは官邸前抗議行動などの行動の中でしか見えてこないのである。どこにいようと同じかもしれないが徒労感の中で問い続けるしか道のないことも確かだ。メディアの垂れ流し的な情報にも、識者とやらの怪しげなコメントでも何かが見えてくることはない。権力—体制と確執を続けることの中にしか、その徒労に似た行為の中に未来は見えてこないし、開けはしない。風に吹かれて今日もテント前でそんな思いにとらわれていた。

 国側からの『明け渡し請求訴訟』裁判の口頭弁論(第一回公判)が5月23日にはじまる。それを前にしての抗弁書提出と抗議のハンガーストライキがはじまる。5月16日から22日までだが、テントに足を運び可能な人は参加して欲しい。(8月17日記)

 (筆者は東京都在住・政治評論家)
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