経産省の一角に脱原発テントは存続している(4)

【特別報告】

経産省の一角に脱原発テントは存続している(4)

                             
                        三上 治

 (7) テントは三年目に入った。テント裁判第三回口頭弁論も
終えて、秋の陣と呼ばれる日々になる。

 経産省前のテントの入り口に張り出されている日付表には738日目(9月17日現在)とある。9月11日(水)には経産省包囲の怒りのヒューマンチエーンを含めた2周年記念の集会が行われ約1000名が結集し久しぶりの盛況だった。三年目に入るテントの今後は予断を許さぬところもあるが、闘いの基盤は揺るいでいない。政府の動向を注視して,闘いを進める。

 9月12日(木)には土地明け渡し請求裁判の3回口頭弁論が行われた。人違いという重大ミスが明らかになった前回を引き継いでのものだが、国側の傲慢さはかわらずと言うところか。次回の4回目は11月29日に予定されている。9月15日には大飯原発も稼働が止まり、日本列島は原発ゼロの状態に入った。本格する原発再稼動が始まる。紅葉に列島が染まるのを楽しみながらである。お彼岸も近いけれど、残暑も厳しい経産省前から…。

猛暑の続く中で…… 8月21日

 猛暑が続くが、田舎にいる義姉からの電話では雨が降らず蜜柑が心配だとのことだった。少し、前の事だがもう雨は降ったのだろうか(?) 甲子園が終わると秋の気配を感じる。これは僕に身体に内化している季節感だが、どうもうまく対応していないようだ。天候の異常や異変に感じる僕らの不安感は身体に埋め込まれている感覚との狂いでもあり、それは単なる猛暑という事を超えたことだ。

 もちろん、ここに地震の予兆といわれる現象などを付け加えてもいい。季節の変化を楽しむというのが日本の文化の伝統的なあり方だが、そんな余裕も失われる時代になったのであろうか。テント前に座り込みながらあれこれ妄想をする。古本屋で手にいれた山本健吉の『芭蕉』を読みかけているが、なかなか進まない。テントの前に座っていると、風が、まさに涼風として救いのようにある。それがある限り、まだ、救いはあるのか(?)

 新聞の報道ではサラリーマンには欝(うつ)病が増えているとある。これは以前から指摘されていることだ。新自由主義の浸透と深く関係しているという研究もあった。経済的の停滞からくる不安は続いている。アジアの近隣諸国《韓国や中国》との関係悪化が改善される見込みはなく、これも心的不安の種である。政治や経済の動向が人々にもたらす不安感は停滞感とともに見通しのないことからくるものだ。ともかく、一陣の風のように経済の停滞を吹き飛ばすものとしてアベノミクスは期待され、メディアの太鼓でそれは増幅されてはいたが、停滞脱出の見通しを開けず急速に色褪せたものになりつつある。そのうちに、そんな言葉もあったね、ということになる。経済成長という幻想から覚めて成熟時代に経済のあり方に転換しなければ風のやってくる可能性はない。

 選挙まで隠されてきた福島第一原発の深刻化する事故の進展、とりわけ汚染水処理問題だが、これは政府やメディアの情報隠しと重なって人々に不安を膨らませている。かつての野田前首相の「事故収束』宣言等今となっては物笑いだが、汚染水一つ処理できない事故の深刻さを人々に知らせている。手の出しようがない思いといらだちの中で、政府や官僚メディアの情報隠しが不安をより募らせている。メディアでは東京新聞が風の役割を果たしてくれているが、どこまで頑張ってくれるか気がかりだ。余計な心配だが、日本の権力の陰湿なやり方を思うと頭をかすめるのだ。僕らはなるべく新聞を読むしか手はないのだが、それを意識的にやろうではないか。

 テントは目下のところ持久戦の中のしんどい局面にある。福島でフク一原発の事故は深刻化を増し、人々はかたずをのむ思いで行方を見守っている。人々の原発への関心が薄れたわけでもないが、これを解決して行く方向としての運動が発展的に展開しているとはいいがたい。政府の再稼動の動きを前にしても。

 脱原発―反原発の運動が見通しを持てない不安はあるわけで、僕らはこういう時期に少しでも可視化されたその存在を示し続けたい。毎週金曜日官邸前行動とともによくやっていると思うが、テントが存続することがともかくその第一である。ここに意を配りつつそれをやっていきたい。脱原発運動の現状の中で可視的な行動が続いていること自身が停滞の中での風であると考えている。

 そんな風になり続けたい。テントの前を通り過ぎる人たちと、話をしたりしながら、こんな事を思っている日々だ。誰かがやってくれているのだろう、となかなか足の向きにくい時期であることは確かなのだが、こういう時期であるからこそテントに来て欲しい。それが一つの風の役割を果たすのか、どうかはわからないが、それを願ってのことだ。

残暑といってもなぁ…河内音頭に誘われて 8月29日

 夜も朝もテントは比較的涼しい。日によっては違うのだが、秋の気配を感じさせるといっても過言でない。でも、日中は暑い。残暑と言っても、本格的な暑さが去ってはいないと思える。暑さ寒さを愚痴るよりは季節感を楽しんだ方がいいのだろうと思うが、なかなかそうはいかない。何かしら、季節を遊ぶということができない。

 人は季節の記憶を身体に埋め込んでおり、それを思い出しながら、季節に彩りを与えて生きているのだが、時代というか時間の流れが速すぎて、季節の記憶にとどまってみる心の余裕が持てないのだろうか。テントは9月11日で3年目を迎えるが、時間の流れの速さを実感する。この時間の中で、身体の記憶になる様々の表出(動き)があり、それはまた時間の流れに抗することだった。持久的な闘いとはそんなこと繰り返しだが、僕にはいくらか季節感に浸れたというのがその一つだったといえる。

 前から行きたかったのだが、ネット上での誘いもあって「すみだ錦糸町河内音頭大盆躍り」に出掛けた。これは朝倉喬二の呼び掛けとすみだの商店会とで続いてきたものだが関東では珍しいものだ。阿波おどりは都内でも各地にあるが、河内音頭はここだけか。学生時代に河内地方出身の友人がいて何となく親しみを感じていたが、出掛けてみてよかった。ステージでの音頭取りの歌がここ地よいリズムとなって響き、合間の囃しもそれを盛り上げる。歌と言うか、語りというか音頭取りの歌に魅せられながら、身体は勝手に反応している。身体の中に反応し、流れるリズムは手拍子となって自然に出ている。また、いつの間にか、踊りの輪に入ってとにかく体を動かしていた。テント前で何度かやったカンショ踊りを思い浮かべたが、河内音頭の方が踊りやすい気がした。

 日本列島では現在の夏になれば盆躍りが各地であるのだろうが、それは一度解体(衰退)し、儀式として復活しているが、原初のエネルギーを失ったものが多い。身体の中に入っていた原初のというか、自然なエナジーは失われて子供用に復活したのだ。この河内音頭盆踊りは原初のというか、自然の匂いがまだ強く残っているように思える。その魅力を、長時間堪能させてもらったが、こうした歌と踊りがテントに現れたらいいなぁと勝手な妄想もしていた。

 脱原発―反原発運動はこうした民衆のエナジーに支えられてしかるべきなのだと思う。これは単なる想像ではなくて、カンショ踊りはその端緒だったわけで、可能性はあるのだ。長い脱原発の運動の中でそれが現れる日を夢想する。

 溢れ出る汚染水による汚染、それはどれほど続くのか。二年、三年と事故が続けばその汚染水はどれだけの量になるのか。それをどう処理するのか。使用済み核燃料のことがいつも話題になるが、これから想像すれば、それがいかに大変で絶望的なことかすぐに分かる。原発を動かせばそれを加速させる。政府や東電はどうしているのだ。金がないわけではあるまい。対策を取るとか、先頭になってというが紋切り型の対応を出ない。腰が入っていないことは見え見えではないか。

 政府は福島原発の事故対策に本腰を入れよ。それが最良の外交政策である。福島の事故を解決しえないで外国から信頼されることなどありえないではないか。科学技術が云々というなら、それを今動員して見せてくれたらいい。事を小さく見せようとして、情報を隠し操作してきたがそれもできなくなっている。もう、姑息な対応を続けることをやめよ。レベル3の事故だって(?) あの枝野さんが3月12日の後に言っていたことではないのか。こういう対応は人々の不信を募らせるだけだ。これはレベル7の事故なのだ。みんな分かっているのである。

二百十日も野分も何処へ行ったのか 狂う自然のながれ 9月4日

 暦の上では既に立秋も過ぎているのだけれど、あまりそんな気配を感じられない。むかしは、二百十日とか、二百二十日とかが台風の季節だった。今も、台風はあるのだけれど、野分と名付けられた趣はない。記録破りの集中雨や竜巻が伝えられて。不安定な天気に驚かされるばかりだ。原因は海温の上昇にあるとされるが、そこには大量の放射能汚染水が流し込まれようとしている。《実際は既に流れ出ているか,流されているかをしていてのだと推察する》。

 自然の循環も狂ってきているが、それに関与する人災《原発事故》も深刻さを増すばかりだ。僕らの世代はもう諦めた心境になっているが、せめて、孫の代くらいにはという危機感はある。テントの行き帰りに小さな子供を見かける度に胸をよぎる。まだ、なんともならねえ、と諦めてしまいたくはない。

 昨日はちょっとしたことで話が盛り上がった。小泉・元首相が脱原発の方にシフトしたという新聞の報道からだった。僕は少し前に小泉の話の乗った記事を読んでいたから、別に驚きではなかったが、話をふられて「歓迎すべきことだ」と答えた。僕らは脱原発―反原発をこれまでの左右の枠組みとは違った視点で見るべきものと考えてきたしそう主張してきた。そして左翼・右翼の関係なく原発推進か反対かで一致した運動をくむべきと主張してきたのであり、小泉・元首相や自民党の面々から脱原発―反原発の動きが出てくれば歓迎するのである。もちろん個人としてである。左右の枠組みというか、垣根を超えてということにかけ値はないのである。

 左右の枠組み、あるいはイデオロギーを超える観点とは原発問題が資本主義か社会主義かという課題の内に存するものではなく、あえていえば、科学技術の社会化としての原発の是非を問うということであり、僕らはそれに反対するということである。従来の意味での資本主義か、社会主義かの枠組みでは、こういう問いは出てこないのである。原発問題は普遍的に言えば、科学技術としての核エネルギー(その存在と産業化=社会化)を容認するのか、否定するかという問題で」ある。そして、核エネルギーの存続の是非は旧来の左右のイデオロギーでは対象化(認識も判断も)出来ない課題としてあることを示す。
 ここからは僕の考えになるが、人類の究極的な課題として、従来の左右のイデオロギーの枠を超えて出てきたということであり、その意味で左右のイデオロギーが世界の課題に対応できるという考えが有効性を失う時代にあるということなのだ。今回の脱原発―反原発運動で従来の政治グループ(政治党派)が前面に出られないということはここに根拠があり、それが警戒されていることはそこに理由があるのだと思う。
 テントに参加している女性の方からのメールで左翼的ということに警戒すべきということを頂いている。これは、従来の左右の枠組みでの考えが、僕らが考えてきた脱原発―反原発の立場を曖昧にしていくということだろうと思う。左右の枠組みに立って反体制的であるか、反権力かの腑分けをし、批判してくる。例えば、小泉・元首相の脱原発の動きをいいじゃないかといえば、「とんでもない」という反論や批判がでてくるようなことである。テントの中ではこういう反論はなかったが、ちょっとしたことから議論が盛り上がった。僕らは自分の考えをこんな風な論議の中で再確認しながら進んでいる。

オリンピックをどう考えるか色々の見解があるが 9月9日

 連れ合いと賭けをした。最近は滅多にやらないのだけれど、久しぶりだった。いうまでもなく、オリンピックの開催地が何処に決まるかである。僕はマドリードに賭け、連れ合いは東京である。結果についてはあらためて言うまでもあるまい。僕もオリンピックより、原発問題の解決をやれという気持ちをいだいていたし、この総会で放射能汚染水が問題にされていたことに注目していた。

 東京に決定したことにどちらかというと不快感を持ったし、テレビで決め手となったと称される「おもてなし」にも歯の浮くような美辞麗句になんだという気持ちをいだいた。だが、他方でもともとスポーツは嫌いではないし、開催を喜ぶ人たちの気持も分かるところもあって、複雑な気分だった。

 開催のいきさつ、とりわけ招致メンバーの言動に不快なことも多いし、報道の方も面白くないが、オリンピックは楽しんでいいことだし、原発のことと過剰に結び付けるのは慎んだ方がいいと思った。招致メンバーの言動や報道と決まったオリンピックは別事である。オリンピックと原発問題を過剰に結び付けて、オリンピック開催を喜ぶ人を原発問題から遠ざけてはならない。

 そういう人たちが脱原発や反原発をいう人に反感を抱かせてはならない。オリンピックと原発問題を語るときにはそこは意識してやらなければならない。オリンピックと原発問題は別のことである面を無視してはならないと思う。その上で、むしろ、安倍首相のプレゼンの発言を国際公約として実行させることを主張していいのだと思う。この面ではオリンピックと脱原発を結び付けるようにしていくべきである。
 今回のオリンピック開催決定のプロセスの中に、放射能汚染水の問題が登場したことは色々と考えさせられた。招致メンバーや報道陣は予期せぬ外国の反応に驚いたのだろうが、福島第一原発事故の現状についての彼らの考えに僕らが驚いた。彼らもこれを忘れてしまうか、忘れられない問題にするかは今後のことだが、僕らは彼らに放射能汚染水は何年にも続く事であることをはっきりさせていかなければならない。その意味で安倍の発言はお笑いというところもあるが、外国の報道にそんな誤魔かしはきかない。上手く行ったと思ったら大変なことになる。
 裸の王様ってどこでも生まれる事なのだ。開催のプロセスに出てきた汚染水問題は今日も明日も続いていることとして記憶を新たにして行くことをやらねばならない。普通に考えてこの2年間で解決できなかったことが簡単にできるはずはない。7年後のオリンピックまでに福島第一原発事故が収束しているというのも期待にすぎないのだ。彼らに原発問題を避けるのではなく、続いていることとしてあることを示していこう。外国側から指摘される事で、問題化するというのは嫌な日本的パターンである。それをあらためて感じたけれど、機会として使うべきである。

笑顔のエールが何よりもテントの存在を物語る 9月11日

 太宰治の作品に「満願」がある。短い作品だ。よく知られた作品なので説明は不要だが、結核者を夫に持つ夫人が長い禁止の時期に耐え医師から許しを得た喜びを表している。「白いパラソルをくるくるっと回した」という最後の方の場面が鮮やかだ。この作品は時間や歳月の持つ意味を表現していた。「満願」ならぬ「満貫」に浸ってきた方が長かった人生だが、時には「満願」のことを想起もした。

 テントが「満願」を成就し、白いパラソルをくるくるっと回しながら喜びあえる日がくるか(?) これは誰にもわからぬ。だが、テントが2年間という時間を経て存続してきたということは「満願」ならぬ「小願」くらいは僕らにもたしている。誰しもがテントにまつわる様々の思いを持ったはずだし、それは簡単には言葉に出来ないものだ。久しぶりに顔をあわせる友人、あるいは顔見知りになった人の笑顔、あるいはその笑顔の交換がそれをあらわしている。テントの存在意義はそれに尽きるし、それでいいのである。

 3年目にテントは入る。様々のことがこれからも起こるだろう。この二年間に起こったように。それはテントが現実に存在していることの証だ。僕らはそれに首尾よく対処できたか。無器用で周りをはらはらさせただけか。こんなことはわからない。混沌とした中で、やってみなければわからないことを抱えての歩みである。

 ただ、僕はいつも自分に課してきた戒律がある。自分のできないことは自分にも人にも期待しないことだ。だから、僕のなかでは「…せねばならない」というのは禁句だ。自分ができないことはできないのだし、そのことが何を結果しても全部引き受けていくつもりだ。そのことを歎かないつもりだ。自分が出来ないことを自分にも他者に期待しないし、また、期待という名の非難はしない。自分が何をやれるかを自問自答しながら歩いて行くだけだ。これがこれまでの歩みだったが、きっとこれからもそうだ。(9月17日)
     (筆者は東京都在住・政治評論家)


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