■【編集後記】

加藤 宣幸


◎皆様は2018年の新年をいかがお迎えになられましたか。
世界は環境破壊や格差・人種差別・宗教対立などが厳しく、人々の心は休まらない。その上、私たちは、この1年トランプ大統領のツイッターに日々振り回され、果ては彼がパリ協定を離脱し、あるいはエルサレムへの大使館移転を決める等の暴挙にも直面した。北朝鮮問題では圧倒的な軍事圧力を展開して抑圧というより恫喝し、彼自らが金正恩と口汚く罵り合う始末だった。こういう大統領には親米諸国の首脳もさすがに間合いをとり始めたが、なぜなのか日本国安倍首相だけはひたすら随順し、Jアラートを鳴らして国民の不安を高め危機を煽って、高価な攻撃用ミサイルを買い、念願の改憲に取りくむ構えだ。

◎緊急南北閣僚級会談で北が平昌オリンピック参加を表明し、米国も会期中の武力不行使宣言をしたので私たち市民は少しホットした気分だ。勿論このまま核を含む米朝協議が順調に始まるとは思えず、まだまだ曲折は続くだろうが、何があっても戦争だけは止めたい。私たち日本人はこの「北朝鮮・核・ミサイル」問題をどのように考え、いかに行動すべきか。元防衛官僚で防衛庁官房長・防衛研究所長等を歴任して、小泉・安倍・福田・麻生政権では官房副長官補として安保政策と危機管理を担当し、最近では明快な安保関連法や共謀罪批判発言で注目されるNPO国際地政学研究所理事長・柳澤協二さんに、オルタは1月12日記事とビデオ撮影の単独取材を実現した。

◎柳澤さんは、日本人が北朝鮮問題に持つ不安とは何か。それは北朝鮮が在日米軍の軍事力を破壊しようとするためで彼らが日本と戦争をしたいためではない。緊張は戦争状態が続く米朝関係にあり、私たちは北朝鮮が日本を攻撃しないためにはどうするかを考えたい。安倍首相のように力には力で対抗しようとする発想では日本の安全は守れない。ミサイルはいくら揃えても100%は落とせないし、仮に敵のミサイル発射地を特定できても、こちらが撃つ前に発射されれば、最終的に米国が戦争に勝っても被害を受けるのは韓国と日本だと言われる。

◎本号では、在日中国人で日本のメディアでも活発に発言されている朱建栄東洋学園大学教授(オルタ編集委員)は、『「彎道超車」。「隧道效應」。「騰籠換鳥」。』の三つのキーワードは中国の次の発展戦略を知るために重要だが、特に政治・経済・社会生活などで広く使われている「彎道超車」=(カーブで追い越す)という4字熟語には戦略的な意味があると指摘する。それは現在の世界がIT(ネット技術)、VR(仮想現実)、AI(人工知能)などの新技術で新しい可能性を拓き、どこの国もほぼ同じスタートに立っているから、中国はこのカーブをうまく捉えて先進諸国を抜こうとしているからだ。日本の政権や多くのメディアは世界をアメリカの目を通してだけ見がちで、中国経済が2017年末に日本経済の3倍になっている事実を直視しないで、一年中日本は『素晴らしい国』だと外国人に褒めさせて良い気分になっているだけだと世界から遅れてしまうと朱氏は懸念しているのだ。

◎1月9日オルタ編集委員の仲井富氏と2人で新潟に行き、現地ではオルタ編集委員福岡愛子さんの協力で全野党共闘成立の過程を取材したが、共闘成功の前史として1955年の新潟米軍飛行場拡張反対闘争完全勝利の歴史があったことを知った。しかもその戦いは砂川基地反対闘争で全国の基地反対運動と連帯していたのだ(本号仲井論稿参照)。本号では「伊達判決を生かす会」事務局長吉沢弘久さんに砂川事件の裁判闘争を、一水会代表木村三浩さんには横田空域返還要求を論じて頂いたが、基地などの国民的な課題は広く人々が肩を組むべきだと考えるからだ。

◎今月はオルタ編集委員である鈴木宏昌さんがパリから、そして武田尚子さんがニューヨークから東京にお見えになった。

【日誌】11月21日:プログレス研究会・苫米地・藤生・岡田(一)・斎藤。24日:自宅・藤田裕喜。

12月3日:国立近代美術館。自宅・羽原・荒木・竹中・仲井。4日:仏教に親しむ会・竹中・浜谷・山田。5日:自宅・仲井。6日:毎日ホール・ユーラシア動向セミナー・茅原郁生他。7日:自宅・トレーラー打ち合わせ・白井・高橋。8日:自宅・岡田充・朱。9日:連合会館・ソシアルアジア研究会・矢吹晋。池袋・有田芳生忘年会。10日:自宅・加藤公男。12日:水道橋・観能の会・竹中。13日:議員会館・有田芳生ビデオ取材。18日:学士会館・北東アジア動態研究会・柳澤協二。

【編集後記追記】

加藤宣幸編集長急逝のお知らせと今後について

編集委員・仲井 富

 2月18日午後、加藤宣幸さんが急逝という連絡を受け驚愕いたしました。前々日16日午後に、今後のオルタについて意見交換、いま取材中の新潟飛行場拡張反対闘争の話をしたばかりだったからです。1月には93歳の加藤さんを誘って新潟市まで行き、野党共闘の仕掛け人の一人である中山均市議にお会いし、さらに、新潟米軍飛行場拡張反対闘争の資料集めに、ともに県立図書館に行き、この方は百歳までは大丈夫と確信していたところでした。
 マンション一室に安置された加藤さんの顔はまさに生けるが如く安らかに眠っておられました。
 オルタ編集委員としては、暖かくなる季節を待ち故人を偲ぶ会を行うことになりました。
 以上をもって。とりあえずのお知らせといたします。

 加藤宜幸さんが心血を注いで編集・発行を続けられてきた『オルタ』の今後については、早急に編集委員会で協議の上、皆様にお知らせすることになるでしょう。 (2月18日記)

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