■編集後記

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◎「歴史資料」で天皇メッセージを紹介しましたが、新憲法によって象徴と なったはずの昭和天皇がなぜ、このような政治的発言をしていたのでしょう か。8月は戦争と天皇制について考えるにはよい時期です。(I.O)

◎編集部のミスで5号の座談会に出られなかった朝日新聞政治部OBの太田さん に選挙後の「永田町」を斬っていただいた。なお、ベイルート支局長などを歴 任し、中東事情に精通する元共同通信論説委員長榎彰氏に混迷するイラク情勢 について「対テロ戦争の真実について」迫っていただいた。

◎嬉しかったのは、前号の工藤論文に対し、東海大学名誉教授河上民雄先生か ら高い評価とともに昭和史における昭和11・12年の持つ意義の再検証について 坂野教授の問題提起に共感する一文を戴いたことである。これは、当時、父君 の河上丈太郎氏が社会大衆党の国会議員である家庭環境からも無産党が躍進す る時代の雰囲気を実感的に伝える貴重な証言でもある。 昭和11年2月の総選挙で自由主義的勢力ともいえる民政党と広義国防論の社会 大衆党が躍進し、その直後に2・26事件が起き、翌年には支那事変に突入する。

◎今、小泉政権は米国に追随して、大義なきイラク派兵を強行したあげく、国 連常任理事国入りには「9条」が邪魔だと米国に明言され、財界は武器輸出三 原則の見直しを迫る。
 一方「躍進」した民主党からは声高に「改革」が叫ばれても非戦の決意は伝 わらない。まずは、党首が米国に出かけ、「憲法を改正し、国連決議があれば という前提のもとに海外での積極的な武力行使を肯定し、「責任野党」として 「政権担当能力」を「誇示」する有様である。朝日新聞によれば8月15日の戦 没者墓苑での民主党仙谷政調会長の挨拶には「不戦」「非戦」の文字はなく、 「平和構築」「平和創造」という言葉だけが躍っていたという。「私たちは観 念論にとどまることなく・・現実的な行動を模索すべきだと考えます。」とは 何のことなのか。300万人の戦没者の霊に代わって民主党に聞きたい。
 昭和11・12年(1936・37年)は「平和」と「改革」がせめぎあい、昭和史の転 機になった年であった。敗戦後59年の2004年を平和国家路線の崩れる年にして しまうのか。歴史に学んで失敗を繰り返してはなるまい。 (NK)