【編集後記】 

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◎ 鳩山総理は『最後は沖縄の民意を汲んで私が決断する』というが、まるで恫
喝するようなゲーツ国防長官の発言、大マスコミの民主党叩きに臆しないで時間
をかけてでも県民の声を汲んだ途を拓いて欲しい。我慢の限界を超えた沖縄の人
々にとって政権交代は逃すわけには行かない機会なのである。
   
  もともと、この移設問題は米軍側の計画で当初の要求は普天間飛行場の4分の
1、滑走路もヘリコプターの発着に必要な40メートルほどだったものを、地元
側が軍民共用1000メートルに膨らませたという元国土庁次官下河辺淳氏の証言も
ある。オルタ執筆者で沖縄国際大学佐藤学教授は「米軍にとって普天間飛行場は
日本国内での代替基地建設を必要とするほどの重要性はない。即事返還は可能で
それは米政府にとっても利益になる。」(毎日新聞10月17日)と主張されておら
れる。私たちはこの問題を日米安保の原点に立って考えなくてはと思う。これに
ついて沖縄在住の元桜美林大学教授吉田健正氏と財団法人政治経済研究所・沖縄
・基地問題研究室長で「沖縄・日本から米軍基地をなくす草の根運動」運営委員
長平山基生氏に論じていただいた。

◎ 果たして、国交省OBが93人も天下りしていた八つ場ダムは自民党政治によ
るムダな公共事業の象徴となっているが、中止したあと、翻弄されつづけた住民
の生活をどう護るかも問われる。これについて長年林業政策を研究されてこられ
た関良基拓殖大学助教から代替案として十分な水田保水力が保持される可能性が
あることや、失敗例の多いいダム観光に代わる渓谷美と戦国武将真田幸村にちな
む観光史跡ロード開発の提言を頂戴した。

◎【研究論叢】では戦前新潟地方を中心に農民組合運動を組織し活動した社会運
動家で戦後衆議院副議長を勤められた三宅正一氏の育英奨学制度確立活動につい
ての研究を「日本育英会と三宅正一」(上)として飯田洋氏(法政大学大学院博
士課程)に発表していただいた。なお、オルタ60号・61号には同氏による『三宅
正一氏の農村医療分野における社会運動的農民運動』(上・下)が掲載されてい
る。戦後日本では多くの社会運動家の事跡が戦争協力者として抹殺されてきた。
三宅氏などもその一人であり、飯田氏の研究は貴重である。 

◎ 10月26・27日、三重県津市の榊原温泉で和歌山・大阪・三重・岡山など関西
の執筆者が集まり、毎号「オルタ」に「臆子妄論」を連載されておられる大阪女
子大学名誉教授西村徹氏の快気祝いを兼ね「関西オルタの集い」として1泊の懇
談会が開かれた。ちなみに、地元の高木一氏にお世話頂いた榊原温泉は平安時代
に有馬・玉造温泉とともに天下の三名湯と謳われ、清少納言も湯治にきたという
伝説の温泉地であった。

◎ 11月7日、「オルタ」執筆者の元朝日ジャーナル副編集長・論説委員深津眞
澄氏の著書『近代日本の分岐点-日露戦争から満州事変前夜まで-』(ロゴス社
刊)が石橋湛山記念財団から第30回「石橋湛山賞」を受賞されたのを祝ってオル
タの懇談会が東京・有楽町の外国人記者クラブであった。在京の「オルタ」執筆
者など約20数人が参加し、会はまず、オルタ執筆者故蝋山道雄・黒岩義之両氏に
黙祷を捧げたあと河上民雄東海大学名誉教授から現代史評価の視点からお祝いの
言葉があり深津氏が受賞挨拶のあと羽原清雅元朝日新聞政治部長・矢野凱也元江
田三郎秘書・細島泉元毎日新聞編集局長・竹中一雄元国民経済協会長などから発
言がつづき和やかなうちに盛り上がった。

■【人事消息】
    新政権は自公政権が自らの失政が明らかになるのを恐れ、隠し続けてき
た貧困率が07年は15.7%(04年は14.9%でOECD加盟30国中メキシコ・トルコ・米
国についで下から4位)であったことを始めて発表した。かねてから、この数字
の発表を強く迫ってきたのはオルタ執筆者湯浅誠氏が事務局長の「反貧困ネット
ワーク」である。この数字は日本社会がいかに惨めな状態にあるかを示すととも
に、格差・貧困社会の是正政策立案の基礎指標である。これを主張された湯浅氏
が鳩山内閣参与として国家戦略局雇用対策本部メンバーになり、昨年暮の派遣村
の経験を生かしてワンポイントサービスの実現などに活躍され始めた。心から奮
闘を期待したい。

■【訃報】
  【蝋山道雄氏】
  10月18日、オルタ執筆者の上智大学名誉教授蝋山道雄氏が急性骨髄性白血病の
ため81歳で亡くなられた。10月22日東京・中野・梅照院での葬儀に参列した。読
者とともに謹んでご冥福をお祈りしたい。先生は国際政治を専攻され、学者とし
て多くの著書を著わされただけでなく日中国交正常化国民協議会代表世話人とし
て日中友好の実践活動にも熱心に取り組まれた。オルタやオルタの出版物『海峡
の両側から靖国を考える』にも執筆されただけでなく「オルタの集い」などの集
会にもご出席頂いた。謹厳・誠実なお人柄の政治学者として私たちをご指導下さ
ったのに真に残念である。
  
  【黒岩義之氏】
  10月31日 オルタ執筆者の元毎日新聞印刷局長黒岩義之氏が膵臓がんのため80
歳で亡くなられた。11月2日東京・目白・東京カルデイラ教会での葬儀に参列し
た。黒岩氏は旧陸軍幼年学校・士官学校という典型的な職業軍人の路を進んだが
、戦後は教職から毎日新聞社会部・エコノミスト編集部・労組委員長などを経て
印刷局長という異色の道を歩まれた。その戦争体験から強烈な戦争反対論を主張
しつづけられ、晩年には10年以上にわたって若い後輩への手紙という形をとった
浩瀚な日本近現代史を書き遺された。膵臓がんを一時は克服され、元気にオルタ
の会合などにも出席され、幾たびかご寄稿も頂いたのに淋しい限りである。心か
ら哀悼の意を表したい。
               (加藤 宣幸 記)

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