【沖縄の地鳴り】

翁長知事、亡くなる

平良 知二


 翁長雄志・沖縄県知事が急逝した。衝撃である。
 8月8日夜のテレビニュースの途中、「翁長知事が意識混濁状態に」と告げる副知事の会見模様が流れた。再入院していたことを知らずにいたので「意識混濁?」といぶかり、深くは受け止めなかった。が、1時間も経たないうちに「翁長知事死去」が流れ、驚くとともに暗然となった。県民の多くもそうだったろう。

 再入院(7月30日)のことは亡くなった後で知った。調べてみると、新聞にも小さくしか載っていない。しかしそのころ、関係者の間では健康を不安視する声があったようだ。全国知事会議への出席や、東京での国庫要請活動を取りやめていた。
 ただ入院3日前に「辺野古新基地」建設の埋め立てについて、前知事の埋め立て承認を撤回する手続きに入る、と意思表明をしていた。埋め立て工事は土砂投入目前であり、撤回はそれを阻止する最後の手立てである。遂にというか、やっとというか、辺野古問題は最終局面を迎える、と受け止められた。4月の膵臓がん手術のあと、痩せて細々とした声に変わってはいたが、6・23「慰霊の日」や撤回に向けた手続き開始の記者会見ではこれまで同様の力強い表明をしていた。政府批判の舌鋒は衰えていなかった。

 しかし、自身は体調の異変を感じていたのかも知れない。撤回手続きの開始表明は再入院の直前であった。県としての撤回準備がようやく整ったからとはいえ、自身の体調との関係で「いつまでも先に延ばせない」と決断したのだろう。入院すれば表明できない恐れが強い。ぎりぎりの決断だったのではあるまいか。
 知事選に出馬するかどうか、「オール沖縄会議」など周囲の期待にもかかわらず明言してこなかったのも、体調の問題が大きかった、と思われる。先の記者会見で2期目について問われたとき、「4年前に公約で約束したものをしっかり守っていく」「1日1日ですから」と直答は避け、暗に不出馬をほのめかすような言葉であった。“最後にとにかく辺野古問題の公約だけは果たす”ということを強調したかったようだ。

 稀有な政治家だった。保革の対立を超える形で、沖縄をまとめ上げようとした。知事という立場ながら、もともと保守政治家というのに政府に真っ向から異議を申し立て、批判し、新基地建設反対の前面に立った。一知事としてなかなかできることではない。その公約にずっとこだわり続け、強い信念を貫いた。先の記者会見で「公約」という言葉を何度も口にしていたが、かつて自民党の同僚たちが「辺野古」についての公約を安易に投げ出すのを見て、本人の決意は新たなものになったと思われる。
 もちろん県民のバックアップは大きかった。辺野古現地での座り込み行動や、「オール沖縄」の結集力が知事を支えてきたのは言うまでもない。しかし、公約にこだわる知事の明確な姿勢が逆に県民を引っ張ってきたのも事実である。知事と県民(全体ではないにしても)が一体感を共有して結びつく、そういう政治状況を生み出した。

 翁長知事の死去で知事選挙が50日以内に実施される。11月の予定が9月下旬に繰り上げられることになる。保守側はすでに宜野湾市長の佐喜真淳氏に決まっているが、「オール沖縄」側は翁長氏の再選を既定路線にしていただけに、ゼロからの緊急取り組みとなる。候補者としてすでに何人か噂になっているようだが、「基地は絶対造らせない」という強い姿勢で政府に立ち向かってきた翁長氏のカリスマ性は、誰であっても引き継ぐのは容易ではない。

 前回のこの欄で小生は県民投票に向けた署名活動について、その数をやや否定的に予測したが、最終的には条例制定請求に必要な約2万3,000筆を大きく上回る10万1,000筆が集まった。多くの県民に危機意識が働き、短期間に“集票”が成功したようである。
 9月の知事選も「オール沖縄」側に危機意識が高まることになれば、このところ勢いのいい保守側も「翁長氏以外の相手なら」と安心はできないだろう。いわゆる“弔い合戦”で「オール沖縄」にはずみがつくのを危惧する保守関係者もいる。

 (元沖縄タイムス記者)

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