脅威論から生まれた排外主義

【海峡両岸論】

脅威論から生まれた排外主義
―再論「日本ボメ」現象―

岡田 充


 排外主義的ナショナリズムが世界で広がっている。イスラム教やヒスパニックを敵視しアメリカ優先を掲げる米トランプ政権、移民排斥を主張する極右が台頭する欧州。米国が推し進めてきた新自由主義グローバリズムが、経済格差と社会の分断をもたらし、人々を窒息させているのが背景である。排外主義的ナショナリズムは決して「対岸の火事」ではない。排外主義と隣り合わせの「日本ボメ」がそれだ。その心理的経緯をたどれば、中国・北朝鮮を敵視する「脅威論」が、排外主義を生み「日本ボメ」へと“昇華”する構図が浮かび上がる。「脅威」はどのように作り出され、それが「日本ボメ」につながったのかを改めて論じる。

◆◆ 既成秩序への挑戦

 両岸論71号では、中国が尖閣諸島(中国名 釣魚島)を力で奪おうとしていると政府が煽り、それをメディアがオウム返しに報道することで、中国への脅威論が広がり対中観悪化につながったことを取り上げた。「中国の脅威」は実態を反映したものなのか。あるいは自信喪失の中で新たな敵を作り出そうとする心理が作り出した虚妄なのか。ベネディクト・アンダーソン(1936年8月26日-15年12月13日)は、自信喪失と敵探しとの関係について「自分の国がどうもうまくいっていないように感じる。でも、それを自分たちのせいだとは思いたくない。そんな時、人々は外国や移民が悪いんだと考えがちです。中国、韓国や在日外国人への敵対心はこうして生まれる」と分析した[註1]。

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  Duncan Thomas 著「In memory of Benedict Anderson: an extract from Imagined
  Communities」の表紙から

 そこで論点を整理すれば、①「覇権主義」を進める中国自身の責任、②中国の行動を脅威と過剰に喧伝する安倍政権、③政府発表をオウム返しに報道するメディア ― と三つの主体の役割に分類できる。この三点は相互に絡み合っているから、論点ごとにそれぞれの責任を明確するのは難しい。
 中国の脅威については、尖閣に公船や漁船を「侵入」させる中国の行動をどう評価するかがポイントになろう。筆者は中国の行動は「力で奪う」ためではなく「中国も実効支配している実績づくり」にあると考える。詳細を書く紙幅はないから、拙稿「海峡両岸論」第70号[註2]「中国公船の侵入は何だったのか 尖閣紛争、国有化から4年」を一読されたい。

 「中国覇権主義」の傍証としてよく挙げられるのが海洋軍事戦略である。それは空母を含む海軍力を強化し(1)日本と台湾を結ぶ「第一列島線」の内側を「中国の湖」にする(2)台湾有事の際に米軍の接近を許さない「接近能力」向上に向け「第二列島線」まで防衛ラインを拡大 ― と説明される。2016年12月25日、中国海軍の空母「遼寧」率いる艦隊の宮古海峡通過は、その戦略絡みで大きく報道された。艦隊が太平洋から台湾東部沿いに南下して、南シナ海に入ったため「防衛能力を拡大し~中略~トランプ氏を揺さぶり~中略~台湾政権を牽制する意図」(12月28日付「朝日」朝刊)などとメディアは報じた。

◆◆ 日米安保の相対化を

 中国が海・空軍能力を増強し、防衛能力を第一列島線から第二列島線へと拡大しようとしているのは事実だ。それは既成秩序へのチャレンジであり、既得権益者からすれば「覇権主義」と映る。問題はそれが日本にとって「軍事的脅威」になるかどうかである。軍事「能力」の向上が、直ちに脅威になるわけではない。問題はその「意図」であろう。中国国防費が毎年約10%増の高い伸びを示していることから、メディアは「膨張する国防費の透明性を求める声が国際社会から改めて高まるのは必至」と、軍事予算発表のたびに書く。記事を繰り返し読まされれば、読者の頭に中国脅威のイメージが刷り込まれるのは容易に想像できる。

 軍事費膨張はどうみればいいのだろう。「GDP成長率など中国の国力全体の発展と併せて考察すべき」と主張するのは村田忠禧・横浜国立大名誉教授である。村田は「データに基づく『中国脅威論』批判」の中で、ストックホルム国際平和研究所のデータを駆使して、①中国の軍事費は1990年から2014年までに21倍になったが、同時期のGDP増加は26倍で、軍事費だけが突出しているわけではない、②一人当たりの軍事費でみると、2014年の米国は1,891ドル、日本は360ドルなのに、中国は155ドルに過ぎない ― とし「軍事費膨張」を脅威の根拠にするのを戒める。

 一方「意図」については、米国を中心に中国が南シナ海を「2030年までに中国の湖にしようとしている」(米戦略国際問題研究所)という見立てが幅をきかせている。では現在は、米国の「湖」と言うのだろうか。南シナ海は「米国の湖」でも「中国の湖」でもない。主としてそこを生活圏にする人々の共有財産である。冷戦時に構築した東アジアの勢力地図は既得権益かもしれないが、「永遠の正義」ではない。正義と見做すからこそ、中国に「勢力圏を奪われる」という被害者的な発想が生まれる。

 中国を敵視することによって成立してきた日米安保体制は相対化しなければならない。かつて中国と熱戦を演じた韓国や台湾は、中国敵視を止め協力・協調を主とする関係を構築した。中国を敵視して「包囲外交」を進めているのは安倍政権だけである。孤立しているのは安倍政権のほうなのだ。

◆◆ 領土ナショナリズムの魔力

 続いて検討するのは「中国の行動を脅威と過剰に喧伝する安倍政権」と「政府発表をオウム返しに報道するメディア」の役割と相互関係である。「テレビ朝日」のニュース番組キャスターが、北方領土について「4島が日本固有の領土であることは言うまでもないことですが」と述べたことは前にも触れた。アイヌの土地を奪った歴史的経緯や、敗戦直後の連合国による「日本領土規定」を一切無視して「固有の領土」と断じる乱暴さ。国際法上の規定もない「固有」という言葉から引き出される回答は「返還」に決まっている。56年の日ソ共同宣言は「返還」ではなく「引き渡し」としているのに、「領土ナショナリズム」は返還という言葉に正当性を与える。領土ナショナリズムの助長にメディアが「貢献」する一例でもある。

 「領土ナショナリズムの魔力」について繰り返す。大手メディアは、2010年の漁船衝突事件を機に尖閣諸島の表記から「(中国名 釣魚島)」を外し、替わりに「沖縄県の尖閣諸島」という表記に変えた。「あちら」の主張にも配慮する相対的姿勢を、「こちら」が無条件に正しいと言わんばかりの絶対表記に変えた意味を軽視してはならない。これこそが人の意識を「領土ナショナリズムの魔力」に囲い込み、「思考停止」させるからだ。

 「思考停止」とは次のような意味だ。「領土を盗られてもいいのか」と問われると、多くの人は「それはちょっと困る…」と反射的に反応する。地図上の「領土」は、国家と自分を一体化させ「可視化」する効果がある。これを領土ナショナリズムの「魔力」と名付けた。歴史的経緯や国際政治の力学を踏まえて、主張の正当性を考えた結果ではない。「領土を盗られてはならない」という情緒的な反応。戦争での「敵」「味方」の関係をみるようだ。

◆◆ 自己規制と翼賛化

 脅威を煽る例はまだある。中国は16年10月、有人宇宙船「神舟11号」と無人宇宙実験室「天宮2号」のドッキングに成功した。「産経新聞」は「高まる軍事利用を世界が警戒」[註3]という見出しの解説記事を書いた。他の全国紙やTVもほぼ同じだ。宇宙技術の開発目的は、米国であれロシア(旧ソ連)も軍事利用が出発点である。車や携帯電話で日常使うGPSは、まさに軍事利用のために開発された。中国の宇宙開発をだけをとらえ「世界が警戒」と書くのは、まさしく脅威を煽る報道と言わざるを得ない。

 「中国に批判的なコメントを入れないと原稿が通らない」と嘆く記者が多い。「上の命令」ではなく、業界を支配する「空気」や「同調圧力」の下で自己規制する姿が目に浮かぶ。日本の言論空間で「中国脅威論」が常態化していることについて、北京で取材する記者は、「中国が日本に戦争を仕掛けてくる」とみる北京特派員がいることを紹介しながら、「そんな不安が日本で広がっていると中国人にぶつけると一笑に付される」とし「こうした誤解と不信の連鎖を断ち切ること」が報道に必要だと強調する。

 外交問題になると、メディアは政府発表を十分検証せず、発表をオウム返しに伝える。政府が掲げる旗を「国益」と見なし、言論空間は次第に体制翼賛化する。戦前と大差ないと言ってよいだろう。籾井勝人NHK前会長が、尖閣問題について「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」と答えたのは、メディアのトップがそれを認めた好例だ。特に、尖閣や中国軍事問題で翼賛化が加速度的に進んでいる。

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  大本営陸軍部による発表=1942年1月3日~ Wikipedia より

 メディア論を専門にする故藤田博司[註4]・元上智大教授は「安倍晋三首相の歴史認識を隣国政府が批判する。首相を支持する人たちは反発し、いやが上にも反韓、反中の声を張り上げる。メディアの報道にもそれが跳ね返る。『憎悪』と『悪』の循環に発展させてはならない」と書く。メディアには議題設定権がある。しかし「国益」が絡むと、設定権を放棄し政府が作った土俵の上で「相撲をとる」。政府が設定したテーマ自体の「正当性」を問い返そうとはしない。中国と北朝鮮については、政府もメディアも「言い得」「書き得」なのだ。安倍政権にとっては改憲を一気に実現させるまたとない好機というべき「空気」が醸成されている。

◆◆ 自分が好かれ「癒される」

 「世界が驚いたニッポン!」(テレビ朝日)「世界!ニッポン行きたい人応援団」(テレビ東京)…。年末年始のTV長時間スペシャル番組の題名である。番組の宣伝を引用すると、ガイジンの目から「日本人の素晴らしさ」を新発見する狙いだという。TVだけではない。「日本人が気付かない世界一素晴らしい国・日本」[註5]「日本人だけが知らない世界から絶賛される日本」など、日本を絶賛するタイトル本が書店で平積みになっている。「JAPAN CLASS」(東邦出版)という本は、多くの外国人のコメントを集め「次こそニッポンに生まれたい!」のサブタイトルを付けている。価格は「本体1000円+税」で「累計65万部!」という。数字の真偽はともかく売れているのだ。

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  「JAPAN CLASS」(東邦出版)より

 なぜ「日本ボメ」が流行するのか。TVニュースのコンテ―ター、モーリー・ロバートソンは twitter で「制作費が底をついていることや、判断力が高い人達がテレビ・活字メディアから離れたことに関係しているかもしれません。ぼくにも往々にして『日本をほめる外人』枠で仕事が回ってきます。ギャラ激安で」とツイートする。

 どうして「日本ボメ」がこうも受けるのだろう。「私が引きこもり時代ネトウヨになりかけたきっかけが、こういう『日本大好き外国人まとめ』みたいなサイトを読み漁ることだった」と書くのは、「新しきOC-MAN」(@tori7810)さん。彼女はこれらサイトを見て「癒された気になった」と振り返る。落ちこぼれた存在と感じていた自分が「日本が好かれると自分が好かれてる気になった」。

 リンクを辿るとやがて「中韓叩き」集中サイトに行き着き、中国や韓国の悪印象のあるエピソードを「素直に信じてしまった」。おかしいと気付くようになったのは、コメント欄での女叩きの酷さだった。外国や外国人が叩かれている時は気にならなかったが、「自分と同じ女という属性が叩かれているのを読んで、やっとその行為の酷さと非論理的な部分に気付いた」と振り返る。「日本ボメ」と排外主義の表裏一体関係をよく説明している。

◆◆ 脅威、排外主義、日本ボメの三位一体

 「自分で自分を褒めるという精神構造をずっと持たなかった。それが今、少なからぬ人々の共感を呼んでいる」(「朝日」17年1月1日付)と言うのは山極壽一・京大総長。種々の不安が雪だるま式に大きくなり、日本社会で不安が「極大化」していることが背景とみる。極大化する不安の中で、実体のない「国家」が拠り所と居場所になるという構図である。

 不安定な雇用と下がり続ける賃金、少子高齢化にともなう世代間矛盾と社会保障への将来不安は先進国共通の現象であり、右か左かの冷戦型イデオロギーを超える。改憲に前のめりの安倍政権を応援しているのは「ヘイトスピーチ」や「ネトウヨ」だけではない。ヘイトスピーチが外向きの攻撃型ナショナリズムだとすれば、内向きの柔らかいナショナリズムである。ヘイトスピーチ参加者は若者が比較的多い。普段は他者から顧みられることが少ない自分たちが、国旗や旭日旗を掲げることで、「国家の大義」を背負っている幻想に浸り、自分よりさらに弱い人々に罵声を浴びせてうさ晴らしをする。「新しきOC-MAN」が「癒された気になった」と書く通りだ。

 日本ボメが、脅威論から生まれた排外主義と隣合わせであることが分かる対談を紹介する。「日本ボメ」本を何冊も出す百田尚樹氏と竹田恒泰氏による「鋼の日本が世界を導く」[註6]。よくもまあ、恥ずかしげもないタイトルをつけるものだ。それはともかく百田は「中国の偽装難民が尖閣に上陸し、その救助に公船ないし軍艦がやってくる」という脅威のシナリオを描いた上で、排外主義の対象は韓国にも向く。彼は「(韓国人は)無意識に自分たちは日本国民だと思っている」「韓国が未開の国に近かったということがばれた」と、差別発言を平気でまき散らす。そして最後に「日本という国がなくなったら、世界は最高の規範をもった国を失う」の「日本ボメ」で締められる。この論理は脅威、排外主義、日本ボメが「三位一体」の関係にあることを示す。

 欧米で吹き荒れる排外主義も「移民」や「難民」という弱者に向けられる。同じ構造なのだ。「日本をほめてなにが悪い」という反論が聞こえそうだが、排外主義の裏返しの表現だとすれば、見過ごすわけにはいかない。

◆◆ 「311」以降、顕著に

 「日本ボメ」が目立ち始めたのはいつからだろう。2011年3月11日の東日本大震災の直後から、テレビは「頑張れニッポン」「日本の力を信じてる」と、タレントが合唱する「公共広告」ばかりを流したのを思い出す。この年の7月23日、中国の高速鉄道列車が浙江省温州で衝突し40人が死亡する事故が起きた。その直後、朝日新聞の「天声人語」(7月26日付朝刊)は、汚職や強権体制の中国で生命が粗末に扱われていることを嘆いた上で「日本に生まれた幸運を思う」と書いた。ここには40人の犠牲者への配慮はみじんもない。「日本に生まれた幸運」というなら、福島原発事故で放射線被害を受け、避難を余儀なくされた人たちはなんと言えばいいのか。これを「天声」と自称するのは傲慢すぎると考え、批判の論評[註7]を書いた。

 この事故の時、日本のメディアでは「日欧の高速鉄道の技術を盗んでおきながら特許申請した」と批判、「ざまあみろ」といわんばかりの品のない報道が目立った。中国当局が事故車両をすぐ土に埋めたのは論外だが、「責任逃れ」「証拠(データ)隠し」などの批判は、そのまま日本に跳ね返る。福島原発事故での政府と東電の対応と処理につけたい形容詞だ。中国のずさんな安全対策を引き合いに「日本では起こり得なかった事故」という自賛もいただけない。脱線電車がマンションに激突し、107人もの犠牲者を出したJR福知山線事故(05年4月)を忘れたのだろうか。「『安全』に国境線を引いてはならない」というのが論評の趣旨だ。

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  「安全」に国境設けるな(「デーリー東北」2011年8月5日「時評」)

 「日本ボメ」が「3・11」後に顕著になったのは、経済成長神話に続き技術信仰まで一瞬にして砕け、自信喪失が一層進んだからではないか。それを裏付けるデータがある。NHK放送文化研究所が行った「日本人の意識」調査(13年)である。「日本人は他の国民に比べ優れた素質を持つ」と答えた人はなんと67.5%に上り、「日本は一流国」も54%だった。流れをみる。バブル絶頂期の1983年はそれぞれ70.6%と56.8%とピークに達した後、バブルがはじけた1998年は51%と37.5%まで下落。97~98年、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、山一證券など大手金融機関が相次いで破たんし、日本経済が長期停滞に入る時期を反映している。

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 調査のあった13年は、GDPで中国に追い抜かれ(10年)、「311」の後である。日中・日韓関係が急激に悪化する時期でもあった。「優れた素質」を誇れるような現実はどこにもないが、数字はまるでバブル絶頂期のように上昇した。
 現実と見事に反比例する意識はどうして生まれるのか。不安にさいなまれ自信が持てない現実の裏返しとして、心地のよい言葉を聞いてうっとりとする、そんな心理が浮かび上がる。逆境になればなるほど「日本ボメ」がかま首をもたげる構造だ。

◆◆ 「純血主義」の生臭さ

 「日本ボメ」の原型は、国際連盟脱退(1933年)し「世界から孤立した日本の国難」時期に出版された「日本スゴイ」本にあると見るのは早川タダノリ氏[註8]。早川は「日本はどうなる」→「国難突破」→「日本は偉い」というテーマの構成は「現在的」とみる。現在の日本ボメはバブルの破裂後に徐々に生まれた。先鞭となったのが台湾の李登輝元総統ら日本語世代による日本賛辞。日本の植民地統治は、台湾の近代化に貢献したという主張から「日本は自信を取り戻せ」というメッセージを日本に送った。これについては海峡両岸論61号[註9]を一読していただきたい。

 日本ボメは止まることを知らない。日中関係が悪化した2012年の秋、ロンドン五輪で38個のメダルを取った日本選手団の凱旋パレードに、50万人が銀座の目抜き通りを埋めたのも、「日本ボメ」の大衆心理が働いているのではないか。リオ五輪メダリストの銀座パレード(16年10月7日)には80万人が集まったそうだ。ユネスコの世界遺産に日本の文化・自然遺産が指定されるたびに、大騒ぎするのも日本ボメの一部である。

 ノーベル賞報道もそうだ。2014年の物理学賞では多くのメディアが「日本人3人が受賞」と誤報するのである。3人のうち中村修二氏は米国籍で、ノーベル財団もそう発表したにもにもかかわらず…。水増し「日本ボメ」とでも言おうか。この時「週刊現代」(14年10月25日号)は「韓国・中国よそれじゃノーベル賞なんて無理だ」という見出しで「それに比べ、お隣韓国、中国の受賞者の少ないこと」と勝ち誇ったように書いた。排外主義の裏返しだ。

 日本人の定義は「日本国籍を有する者」以外にはない。中村は米国人だが、日本出身だから無理やり「日本人」の範疇に入れてしまう。大相撲の報道も同じ。16年初場所で大関、琴奨菊が初優勝した時、メディアは「日本出身力士の優勝は10年ぶり」(「朝日」の号外)と揃って報じた。なぜ「日本人の優勝は2014年の旭天鵬以来」と書かないのだろう。旭天鵬はモンゴル出身者で、「純粋の日本人」ではないと言わんばかり。心の中に国境線を引くのが常態化している。民進党の蓮舫代表の「二重国籍問題」には、「純血主義」の生臭さが漂う。問題にした側は、「二重国籍」それ自体ではなく、「純粋な日本人ではない」ことをあげつらったのだと思う。

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 中国人観光客による「爆買い」報道も似たようなものだ。TVリポーターは、家電量販店の便座売り場の中国人観光客をみながら「中国製はすぐ壊れるので、品質のよい日本製を土産にするそうです」。透けて見えるのは、“成金中国人”への蔑みと、優れた日本製品への賛辞である。脅威論と表裏の関係にある。

◆◆ 根底に伝統的アジア観

 週末の夕方、ソファに寝転んでTVを視ていた。お笑いコンビによる「香港街歩き」番組で、一人が「おい見てみ、あそこにガイジンがいる」。指差す先には白人がいた。それに応え相方が、欧米風のカフェが立ち並ぶ街並みをみながら「まるでガイコクみたいだ」と答えた。ここは香港、立派な外国じゃないの? 彼らに悪気があったとは思わない。本音を素直に表したのだと思う。このコンビだけではない。多くの善良な日本人にとって、ガイジンとは主として欧米白人を指すのであり、アジア人はその中には入らない。

 日清戦争の10年前の1885年、「時事新報」に掲載された「脱亜論」は「遅れた朝鮮清国のごとき国に隣接するは日本の不幸」と書いた。日清、日露戦争に勝利後、日本は中国大陸とアジア一帯を侵略し自滅した。1945年の敗戦時、多くの日本人は「欧米に負けたが中国に敗れたわけではない」と思ったはずだ。

 直後から始まる冷戦は、社会主義を敵とすることによって、アジアへの加害責任を直視する契機が失われた。世界第2の経済大国の地位を中国に奪われた130年後の現在も、アジア観はほぼ変わっていないことを、お笑いコンビのやり取りは物語っている。アジアは多くの文脈で地理的概念ではなく、経済・文化的な概念であり「後進性」の象徴でもある。その一方「日本は一流国」という裏付けのない虚構が独り歩きする。

 16年7月の参院選挙で、有権者は改憲勢力に三分の二の議席を与えた。集団的自衛権と安保法制に反対した有権者は過半数だったのに、どうして安倍政治がこれほど支持されるのか。「小選挙区制」や「弱い対抗勢力」に回答を求めるのは簡単だが、安倍政治を積極的に支持する要因や背景があるのではないか。その第一は、安部政権がプレーアップする「中国脅威論」が広く浸透し「成果」を挙げていること。安保法制の国会審議で、野党も「中国の脅威」の実相をきちんと議論しなかったツケでもある。一方、メディアは政府と共に脅威をあおる責任を自覚し、中国政府はこうした日本の精神状況を直視すべきだろう。第二に「日本ボメ」は「世界の中心で輝くニッポンを取り戻す」[註10]という安倍スローガンと完全に共振している。実態を伴わない幻想の物語と、それに基づく「自画像」は心地よく人々をうっとりとさせる。それを自覚することなしに、安倍政治と決別することはできない。
 「悪は思考停止の凡人が作る」(ハンナ・アーレント)のである。

<註>
[註1]「朝日新聞」2012年11月13日「ナショナリズムを考える B・アンダーソンさんに聞く」
[註2]「海峡両岸論」第70号 「中国公船の侵入は何だったのか 尖閣紛争、国有化から4年」(http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_72.html
[註3]2016.10.23 【宇宙強国 中国の野心(上)】「高まる軍事利用を世界が警戒 軍主導、
   有人基地に現実味」
[註4]「TPP参加と日米首脳会談」(新聞通信調査会報2014年4月号)
[註5]「日本人が気付かない世界一素晴らしい国・日本」(ケビン・ドーク2016年2月 WAC BUNKO 232)。
[註6]「鋼の日本が世界を導く」(「VOICE」2017年1月号特集)
[註7]「『安全』に国境設けるな」(「デーリー東北」2011年8月5日「時評」)
[註8]「日本スゴイ」のディストピア 戦時下自我自賛の系譜」(青弓社 2016年6月)
[註9]海峡両岸論第61号「幻の『台湾親日』論  陳政権時代の対日政策」
   (http://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_63.html
[註10]前出早川著によると、1942年発行の「戦時国民教育の実践」の著者、鈴木源輔は安倍スローガン同様「日本が世界の中心でなければならない」と強調した。

 (共同通信客員論説委員・オルタ編集委員)

※この記事は海峡両岸論74号から著者の許諾を得て転載したものですが文責はオルタ編集部にあります。


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