【コラム】
技術者の視点~エンジニーア・エッセイ・シリーズ(27)

自然との対話

荒川 文生

 日本どころか世界各地を襲う「大自然の怒り」が続くのを観て、前回のシリーズ#26で「人類は自然と言う神様から叱られているのか?」と問いました。今回は、問題を福島原発事故に匹敵する事故と考えられる北海道全域停電を巡って、「大規模システム」と「制度疲労」の克服の問題を考えてみました。

◆ 1.大自然の怒り

 1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災、2018年に入り、6月18日大阪北部地震、7月6日西日本豪雨、8月23日台風20号、9月4日台風21号、9月6日に北海道胆振東部を襲った巨大地震と「大自然の怒り」が続くのを観て、このシリーズ前回(#26)で「人類は自然と言う神様から叱られているのか?」と問いました。

 人類の長い歴史のなかで、それがピラミッドや神殿、神社、仏閣などの建造物、絵画、そして言語による文献などの遺跡や史料によって、文化・文明として後世の認識する所と為って以来、「技術」はそれらを創り、保存し、分析するうえで、有効かつ重要な手段と為って来ました。18世紀後半に始まった「産業革命」は、技術が経済という枠組みを通して、文化や社会、そして政治に影響を及ぼし、それらの変革を齎すことを実証して来ました。その有力な後ろ盾に為ったのが、事実に基づき合理的な判断を下す科学でした。

 科学は、ニーチェの有名な言葉「神は死んだ」の如く、非合理な存在である神を否定し、自然の猛威から人々の生活を守ると言う意味で、自然の克服を目指すものと為りました。しかし、ここに人類の不遜な驕りが在る事を認識する人は少なくありません。そこに「人類は自然と言う神様から叱られているのか?」と言う問いの意味が在り、大自然の怒りを認識する謙虚さが在るのです。人間は、広大な宇宙のごく一部である地球という天体の、そのまたごく一部に過ぎない、自然の中に在るほんの小さな生き物のひとつです。ただ、「たかが人間、されど人間」、その悍ましさと賢さとを綯い交ぜにして、人間とは何と興味深く、愛らしく、そして素晴らしいものなのでしょう。

◆ 2.電力システム発展の歴史

 「人間とは何と興味深く、愛らしく、そして素晴らしいものなのでしょう。」などと、ノーテンキで楽天的な人生が送れれば、何も言う事は無いのでしょう。しかし、現実はそんなに甘くは在りません。
 今や、地球上の各地で大規模な自然災害が頻発すると思われる状況が在ります。これらの状況はエネルギーの無駄遣いに拠る自然破壊や気候変動の結果であると指摘されて居ます。2018年の北海道全域停電も、2011年の原子力事故が如実に明らかにした現代社会の「制度疲労」を如実に示しております。その再構築の方向性を現実的かつ倫理的に可能なものとして計画し実践する為には、歴史上の事実を分析し、その失敗から多くを学んで、そのための「知恵」を働かせる事が肝要でしょう。

 北海道全域停電を巡る様々な情報を見る時、システムの連系と分散化の問題が、技術と社会の両面から検討されねば為りません。この問題に関わる歴史上の事実を分析するなかから、私達は何を学ぶべきでしょうか?
 明治時代以来、日本が近代化される過程で、電力システム技術の130年に亘る展開は、概説的に次のように示されます。
 (荒川文生:『日本における電力系統技術の発展に関する研究』、東京工業大学博士論文、2008年、PP.147~8.)

1)設備形成の時代: 1880~1950
 日本で最初に電力技術が一般社会に公開されたのは、1878年3月25日に工部大学校ホールでアーク燈が点灯された時とされ、その故に毎年3月25日が「電気記念日」として祝われています。
 事業としての電力供給は、1882年にニューヨークで直流発電所が運転を開始したのが世界最初で、日本では1887年に東京(直流)、1889年に大阪(交流)で始められましたから、導入技術の活用が電気の面でも積極的に行われていました。
 それ以来、社会インフラとしての電気設備が電力の供給や流通のみならず、消費の為に造られ設置されてゆきました。これらの中には技術の進歩に伴う更新や交換を進めながら、土木設備としては100年を超えて利用されているものもあります。(例:神奈川県・駒橋発電所)

2)制御技術の時代: 1950~1980
 特に、太平洋戦争後の「高度経済成長」の波に乗って、電力設備の建設と電気機器の利用は大いに促進されました。それらに関する技術の高度化に伴い、それらを運転・制御する技術も高度化してゆきました。その有力な後ろ盾になったのが「電子計算機」でした。
 それは一方において電力システムを大規模集中型のものとして管理運営することを可能とし、他方で計算機自体の小型化を含む電気機器の小型化や高性能化を進めました。1973年と1979年の二度にわたる「オイルショック」を背景として推進された原子力発電所の設計や運転と管理にも電子計算機の能力は欠くことができないものでした。
 電力流通部門では、北海道本州直流連系設備(1979)や交流500kv関門連系線(1980)も建設されました。

3)システム多重化の時代: 1980~2010
 1979年にTMI原子力発電所(合衆国)、1986年にチェルノヴィル原子力発電所(ソ連)で事故が起こり、原子力の安全に対する懸念が増大する一方で、再生可能エネルギーの普及に対する関心が強まる中、電子計算機が「パーソナル」なものとして小型化することに象徴されるシステムの小型化への志向が全世界的な動きとして高まってきました。
 1987年には、沖縄電力が民営化される一方で、首都圏に大規模停電が発生しました。大規模停電は、2003年に合衆国北東地域やイタリアでも起こりました。中国産の安価な太陽光発電のパネルが国際市場を席巻するようになり、民家の屋根や商用ビルの壁に太陽パネルが取り付けられているのが見かけられるようにもなりました。既存の大規模電力系統と新設の小型再生可能エネルギーシステムとが共存する時代がやってきたのです。

◆ 3.システムの連系と分散化

 ここに示された130年に亘る電力システム技術の展開が齎した帰結のひとつが2011年3月11日の福島原発事故に伴う広範な地域に於ける放射能汚染であり、もう一つが2018年9月6日に発生した大規模地震に伴う北海道全域停電です。これらの帰結に対応して問題とされ検討されているのが、電力系統の連系と分散化という技術と社会の両面から見たシステムの在り方です。

 電力系統の連系は、決して新しい課題ではなく、1917年にソヴィエト連邦の権力を掌握したレーニンが「国を守るものは武器と電力」として、モスクワとシベリアを送電線で結ぶべく直流送電技術を発展させたのは有名な話です。さらにドイツで、ヒットラーはマドリッドからモスクワまでの送電網整備を国策として進め、これは第二次世界大戦後も作業が継続され、現在ライプティッヒにある制御所がEUの電力系統の中核となっています。
 日本でも1930年代に軍事体制強化の一環として行われた「電力国家管理」の主体となった日本発送電(株)がその社名に「送電」を称していたように、列島を縦断する送電線の構想が描かれており、戦後もそれに基づく電力送電網の形成が行われました。

 これらの社会的(政治的)背景は、権力の確立と行使におけるエネルギー需給システム掌握の重要性にあります。ただ、現実的な困難性は、例えば、ASEAN電力網構想が幾度も提案されては実現に至っていないなど、政治的にも経済的にも長年に亘り不分明な状況に置かれています。今後は、大規模システムに対する評価が低下するに従い、この状況は一層の混迷に陥るおそれがあります。中国政府が最近提唱している「一帯一路」は、現代の「シルクロード」とも言われますが、その目指すところは何で、その帰結は如何なるものでしょうか?

 電力系統の分散化は、自然エネルギーの活用という趨勢が齎したものと言えますが、大規模システムに対する評価が低下しつつある状況の裏返しでもあります。今や全世界に展開する巨大な情報通信網とその上に乗った強力な情報処理能力とが、一方で大規模なシステムを構成して居りながら、他方でその端末は個別で分散した極めて小さなシステム要素でしかありません。技術的には「小良く大を制する」面もあるとは言いながら、所詮その一般性は限定的でありましょう。ただ、小さな個人には小さなシステムが扱いやすく適切と言えます。

 さらに、分散型システムの持つ特性には社会的に大きいものがあります。例えば、「民主主義」です。ポピュリズムは、小さな個人の集まりが大きなうねりとなって個性を潰してしまうという意味で「非民主的」です。個性の尊重という民主主義の基礎は、技術的には小さなシステムの機能を生かすという意味に為ります。

◆ 4.「大規模システム」と「制度疲労」の克服

 こういった展開とその帰結から読み取るべきものの一つは、技術的観点から「大規模システム」克服の問題でありましょう。上記のように「大規模システム」が形成され、善くも悪しくも機能してきた歴史的事実に基づけば、その克服を図る技術も思想も、自然エネルギーの活用や民主主義として、すでに私たちの手中にあるものです。

 もう一つは、社会的観点から「制度疲労」克服の問題でありましょう。人類の歴史は封建主義社会を克服して民主主義社会を目指してきましたが、並行して展開してきた「金塗れの資本主義」によって、人類は倫理的に非人間的な価値観に惑わされてしまいました。幸いにして、今やその矛盾が露見し「制度疲労」となって衆人の目に明らかとなってきました。
 その克服を図る技術や思想は、弁証法的に言えば、「矛盾の止揚」であり、矛盾の的確な分析の中から止揚の方法を見出すことになります。つまり「歴史に学ぶ」ことです。学ぶという事は、知恵を働かせることです。その知恵は、前述の「トランス サイエンス」の認識の上に交わされる一般市民一人ひとりと専門家との「対話」の中から生み出されるものと思われます。

 こうして、この二つの問題を如何に克服してゆくかは、現代人の「知恵」の絞りどころですが、これに続くべき時代は、上記の分析に基づけば「地球規模技術の時代」というべきもので、つまりは、宇宙におけるごくごく小さな存在である人間が、その限界の中でいかに生存を確保するかは、言うまでもなく地球環境の中で自然と如何に共生するかを模索する他ない訳ですから、その手段である技術は地球規模で展開さるべき事と為ります。
 具体的に、その技術は地球の何処にでも適用でき、何処でも入手できるものであるべきで、その基本となるエネルギー源は、太古の人類が利用した「太陽エネルギー」と為ります。

 人類は何故にこのように普遍的なエネルギー源を看過し、有限な地下資源の奪い合いに奔走するように為ったのでしょうか? 私たちが歴史に学ぶことの一つは、その要因に「産業革命」と「金塗れの資本主義」とがあるという事でしょう。

  天崇め地は栄へよと彼岸花  (青史)

 (地球技術研究所代表)

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